昨日当ブログに「放射能とスーパーマン」について書きました。
とある方から、ニュークリアマン(Nuclearman)というのがスーパーマンに登場する、とご教示を受けました。
調べてみると、スーパーマンというのは、けっこう放射能とかかわりのある、そういう話だったのですね。知りませんでした。
一度もみたことがないので、いろいろと想像で書いてしまいました。
失礼しました。
そこで今日は、このニュークリアマンとスーパーマンIVについて、ネットで知った情報をまとめておきたいと思います(いずれ映画も観たいと思います)。
ニュークリアマンというのは、映画「スーパーマンIV」(1987年)に登場するようです。
「スーパーマンIV」は、核兵器を廃絶する物語で、核軍縮が政治的になかなかうまくいかないなかで、スーパーマンがえいや、と、地球にある核兵器を太陽に投棄するというもの。
とてもリスキーなことをします。
吉本隆明やその他ときどきこのプランを口に出す人がいますが、本当に安全なのでしょうか。絵空事のようにしかみえません。
逆に、この「えいや」は、単にスーパーマンが核エネルギーを表すだけではなく、USAの(良心的な)象徴でもあることをも意味しているように見えます。
強いUSA、正義のUSA、世界を守るUSA。
そしてスーパーマンは、人間の限界を知るところから人間の可能性を追求する、というよりも、最初から、人間とは異なる「能力」をもった「異人」であり、人間にとって、完全に別ものの存在です。
これでは単なる「超越的存在」であり、「絶対的権力」ではないでしょうか。
少なくとも、ニーチェのいう「超人」とは大きく異なる存在であることは、確かです。
また、スーパーマンのなかで、原発については、これまで何か言及しているのでしょうか。
詳しくは機会があれば、ゆっくりと調べてみたいと思います。
ただ、なんでもこの「スーパーマンIV」では、ニュークリアマンは最後に、スーパーマンによって原子炉に投棄されるようです。
原子炉に投げ込む、というのもまた、ひどく暴力的で、ひどく非現実的です。また、どのように「投棄」するのか、不鮮明です。
だいたい、原子炉があらぬ反応をしてしまったら、どうするのでしょう。
こういう発想を映像にするのは、やめてほしいものです。
クラーク・ケントはもう少し、核エネルギーについて、知るべきではないでしょうか。
こうしてみると、この作品においては、ニュークリアマンは、核兵器のメタファーになっていると考えられるわけですから、やはり、スーパーマンは、ますます「原子力の平和利用」のメタファーであるように思えます。
副題も「The Quest for Peace」で、「Atoms for Peace」をもじっているかのようです。
なお、「スーパーマンII」(1981年)の冒頭では、水爆が登場します。スーパーマンは水爆の危機を回避するために、この水爆を宇宙に投げ捨てますが、それがまた新たな危機を呼んでいます。
また、「スーパーマンIII」はハッカーもので、スーパーマンの弱点としてクリプトナイトという鉱石が登場するくらいで、特に核エネルギーについては多くは語られていないようです。
とある方から、ニュークリアマン(Nuclearman)というのがスーパーマンに登場する、とご教示を受けました。
調べてみると、スーパーマンというのは、けっこう放射能とかかわりのある、そういう話だったのですね。知りませんでした。
一度もみたことがないので、いろいろと想像で書いてしまいました。
失礼しました。
そこで今日は、このニュークリアマンとスーパーマンIVについて、ネットで知った情報をまとめておきたいと思います(いずれ映画も観たいと思います)。
ニュークリアマンというのは、映画「スーパーマンIV」(1987年)に登場するようです。
「スーパーマンIV」は、核兵器を廃絶する物語で、核軍縮が政治的になかなかうまくいかないなかで、スーパーマンがえいや、と、地球にある核兵器を太陽に投棄するというもの。
とてもリスキーなことをします。
吉本隆明やその他ときどきこのプランを口に出す人がいますが、本当に安全なのでしょうか。絵空事のようにしかみえません。
逆に、この「えいや」は、単にスーパーマンが核エネルギーを表すだけではなく、USAの(良心的な)象徴でもあることをも意味しているように見えます。
強いUSA、正義のUSA、世界を守るUSA。
そしてスーパーマンは、人間の限界を知るところから人間の可能性を追求する、というよりも、最初から、人間とは異なる「能力」をもった「異人」であり、人間にとって、完全に別ものの存在です。
これでは単なる「超越的存在」であり、「絶対的権力」ではないでしょうか。
少なくとも、ニーチェのいう「超人」とは大きく異なる存在であることは、確かです。
また、スーパーマンのなかで、原発については、これまで何か言及しているのでしょうか。
詳しくは機会があれば、ゆっくりと調べてみたいと思います。
ただ、なんでもこの「スーパーマンIV」では、ニュークリアマンは最後に、スーパーマンによって原子炉に投棄されるようです。
原子炉に投げ込む、というのもまた、ひどく暴力的で、ひどく非現実的です。また、どのように「投棄」するのか、不鮮明です。
だいたい、原子炉があらぬ反応をしてしまったら、どうするのでしょう。
こういう発想を映像にするのは、やめてほしいものです。
クラーク・ケントはもう少し、核エネルギーについて、知るべきではないでしょうか。
こうしてみると、この作品においては、ニュークリアマンは、核兵器のメタファーになっていると考えられるわけですから、やはり、スーパーマンは、ますます「原子力の平和利用」のメタファーであるように思えます。
副題も「The Quest for Peace」で、「Atoms for Peace」をもじっているかのようです。
なお、「スーパーマンII」(1981年)の冒頭では、水爆が登場します。スーパーマンは水爆の危機を回避するために、この水爆を宇宙に投げ捨てますが、それがまた新たな危機を呼んでいます。
また、「スーパーマンIII」はハッカーもので、スーパーマンの弱点としてクリプトナイトという鉱石が登場するくらいで、特に核エネルギーについては多くは語られていないようです。
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Superman and Radioactivity