読んだ本
恋する原発
高橋源一郎
講談社
2011年11月

ひところ感想
原発の事故は、一人のすぐれた作家の心を相当揺さぶったのだな、と思う。これは、おもしろい、とか、おもしろくない、とか、そういう言い方で感想を言いにくい。おもしろくない、と言ってしまうことも、許されない。この作品から「原発」に対するさまざまな作家の感受性を読みとり、評価することが、求められている。ただ、このことは、一読者としては、うれしくない。

本書の構成

メイキング1 ホワッツ・ゴーイン・オン
メイキング2 恋人よ、帰れわが胸に(ラヴァー・カム・バック・トゥ・ミー)
メイキング3 この素晴らしき世界(ホワット・ア・ワンダフル・ワールド)
メイクング4 虹の彼方に(オーヴァ・ザ・レインボー)
メイキング5 恋するために生まれてきたの(アイ・ウォズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー)
メイキング6 守ってあげたい
震災文学論
メイキング7 ウィー・アー・ザ・ワールド

震災文学論で参照されているトピック
 スーザン・ソンタグ(明示されていないが、「この時代に想う テロへの眼差」か?)

 カワカミヒロミ「神様(2011)」
 ミヤザキハヤオ「風の谷のナウシカ」(完全版)
 ヤマモトヨシタカ「フクシマのゲンパツ事故をめぐって」
 イシムレミチコ「苦海浄土」


****

本書は「メイキング」と「震災文学論」から構成されている。

「メイキング」とは、何らかの作品が作られている途中の「舞台裏」のようなものであろう。

すると、本編は「震災文学論」であり、この舞台裏が「メイキング1~7」ということになるのであろうか。

私は彼のよい読者ではないので、なぜ、震災文学論のところで、人名や題名の、ところどころが漢字ではなくカタカナになっているのか、よく分からないが、いかつい感じの山本義隆が妙にかわいらしく、ヨシタカちゃん、と言いたくなるような効果を狙ったのかもしれない。

震災文学論のところで語られていることは、加藤尚武や大澤真幸も語っている、「過去や未来の他者への責任」論である。これは、常識的であり、言いたいこともよく分かる。

しかしそうしたテーマ以上に、高橋が強調しているのは「順序」である。

高橋は、この「震災文学論」が、ただちに読まれることを拒んでいる。

「おそらく、ここには、「順番」の問題がある。」(201ページ)

二つの例が挙げられている。

一つは、震災に対する感想として、ある人物がマスコミのインタビューで述べた言葉「ぼくはこの日をずっと待っていたんだ」、それは実際には掲載はされなかった、ということ。

もう一つは、ソンタグが9.11に対して、卑劣な攻撃ではなく、相手に正当な理由があっての攻撃であると(こちらははっきりと)書いたことに対する、米国内の憤激について。

直接明示しないにせよ、最初に必ず、疑いえない真理を「書く」――ソンタグの場合、はっきりと述べている。

「数千の自国民の犠牲を目にして、なお、「テロとは何か。時に、テロを必要とする者もいるのではないか」という議論を冷静にできる国家(民)は、如何なるテロによっても毀損されることはないはずだ。ソンタグがいちばんいいたかったのは、そのことではなかったろうか。」(203ページ)

では、これを高橋の作品に適用させてみよう。

原発事故のあと、数千万人の人々が放射能被害の恐怖にうちふるえているなかで、なお、「原発とは何か。時に、原発を必要とする者もいるのではないか」という議論を冷静にできる国家(民)は、如何なる人々によっても毀損されることはないはずだ。

題名の、恋する原発とは、すなわち、憎むべき原発、を前にしてもなお、私たちは、原発に恋焦がれることが可能でなければならないということ、または、今までそうしてきたはずだったことを思い出すべきであること、そうしたことを示唆した物語を、前に置かねばならない、ということを指し示しているのだろう。

ところで、この「前に置かれた」ものは、本作品においては、「メイキング」である。

メイキングでの物語はこうである。もっぱら性欲を「処理」するために使用される「作品」を制作するはずの
アダルトビデオ監督が、なぜか、その目的とは異なることに執着し、作品を作ってしまう、というものだ。

だとすれば、こういう解釈でいいのだろうか。

私たちは、今まで、原発が好きで好きで、たまらなかった。だって、それは二つのまちを一瞬で壊滅させた原爆を落とした国からの贈り物だったから。あんなにすごい力を見せられたら、もう、降参しかないわよね~。本当に凄かったわねあの二発は。だから今、こうして放射能こわ~い、とか言ってるけど、ほんとは、自業自得なんだし、けっこうギリギリで防いで、チョーヤバイというほどの被害はなかったし~、やっぱラッキーっつうか、すげーっつうか。

って、おまえは、誰だ。

うまく書けないが、とにかく、高橋がここで書こうとしたことは、単純ではないことは確かである。

しかし、しかし。

メイキングのところは、「小説」としては、はっきり言って、おもしろくないのだ~!

もちろん、考えさせられるけれども、作家のすることではないのではないか。

こうした仕事を行うのは、詩人や哲学者ではないのか。

作家は、小説を、小説として自立させてほしい。

高橋のこの作品は、小説ではなく、「評論」であり「思想」である、と私は考えた。であるならば、腑に落ちる。私にとって小説とは、「物語」であって、「メタ物語」に堕ちてはならないと思っている。

しかし彼は言う。

「いうまでもないことだが、これは、完全なフィクションである。」(7ページ)

フィクションと言ったからには、「小説」として、まっとうすうべきではないのか。

私にとって本書は、「若干のフィクションと若干のリアリティの混ざった、物語」である。

こうした私のような考えは、本書が、最初から排除している。

「もし、一部であれ、現実に似ているとしても、それは偶然にすぎない。そもそも、ここに書かれていることが、ほんの僅かでも、現実に起こりうると思ったとしたら、そりゃ、あんたの頭がおかしいからだ。
 
こんな狂った世界があるわけないじゃないか。すぐに、精神科に行け! いま、すぐ! それが、おれにできる、唯一のアドヴァイスだ。じゃあ、後で。」(7ページ)

これは、どう受け止めればよいのだろうか。

私は「ここに書かれていることが、ほんの僅かでも、現実に起こりうると思った
が、病院に行け、とただ高橋は言いたいだけではないだろう。

むしろ力点はこちらではないか。

こんな狂った世界があるわけないじゃないか。

そうなのだ。文学、小説、フィクション。こうした、私たちの能力の一つである、現実にありえないことを書くような人にとって、この原発事故は、まさしく、ありえない「現実」だったのであろう。

だから、「狂った世界」なのである。

「狂った世界」にふさわしい「物語」とは、こういう形をとるしかないのかもしれない。


*この作品はもっとはやく読みたかったのだが、図書館の予約が30人待ちくらいで、半年以上待たされてようやく読めたのだ。

恋する原発/高橋 源一郎
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「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について/高橋 源一郎
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あの日からのマンガ (ビームコミックス)/しりあがり寿
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*カワカミヒロミの作品は、はじめて知ったが、このような二つの作品の組み合わせ方は、私は、楽曲で、知っているものがある。

アンダーグラフ 2111~過去と未来で笑う子供達へ


実話をもとにした映画で、かつ、かなりフランスでは人気を博したという。さらにドイツやイタリア、韓国などでもフランス映画としてはしばらくぶりのヒット作となったという。そして、日本でもそれなりに、観客が入っていたことに、まず、驚く。

いや、もちろん、作品としてよくできており、話はおもしろく、かつ、役者もしっかりとしているので、何らそれは不思議ではない。お約束の起承転結であるが、それなりに楽しめる作品であることは、間違いない。

米映画によくありがちな構成であり、ゴダールやトリュフォーなど、作家性の強いフランス映画のイメージからすると、この映画はテレビドラマ風というか、少しライトな印象をもつが、だからといって、作品の質が低いというわけではなく、まあ、上品な仕上がりとなっている、と言えるだろう。


しかし、何か、落ち着かなかった。

まず邦題である。「最強のふたり」とある。「最強」の意味が分からない。二人は全然「最強」ではない。むしろ、二人は互いに出会えたことにより、ようやく、自分の「力」に気づくのであり、二人が一緒になってこそ、はじめて、生きることの喜びをかみしめることができたのである。

二人で、ようやく一人前ではないのか。「か弱き二人」ではないのか。「助け合う二人」ではないのか。なぜ、「最強」と訳されねばならないのか。

しかもそのか弱き二人は通常では互いに「かかわる」ことがないにもかかわらず、「ふれあう」ことになってゆくところが原題のもつニュアンスであるように思われる。

でも、この主役の二人の男性は、いずれもチャーミング。フィリップ役は、フランソワ・クリュゼ、穏やかな表情で安心できる存在。ドリス役は、オマール・シー。憎めない。

こんないちゃもん、つけては、申し訳ないと思ってしまう。


だが私はあえて、言いたい。この映画のおもしろさは、一体どこにあるのか、と。

原点に帰るべきである。

ハングライダーの事故で頭部以外が不随になってしまった大金持ち(フィリップ)。これがもし、貧乏人だったらどうなるだろうか、アルジェリア移民であったらどうだろうか。

ただ、悲惨な人生である。

「大金持ち」であることが、この物語を、維持する重要な要素である。だが残念ながら、「大金持ち」など、この世に、わずかしかいない。つまり恵まれたケースだということである。そしてこの条件が、彼を一層孤独にさせていた。

また、この大金持ちを偶然にも介護する仕事に就いた黒人(ドリス)。彼は、あまり幸福とは言えない出生、家族関係も複雑、どこにも居場所がないような状態で、あれほどまでに明るく、まっすぐに生きていること自体が、すでに奇跡である。


血のつながっていない弟や妹たちを見よ。みな、ぎりぎりの性格をしている。

要するに、私たちは、ありえないことが起こったことに、興味を抱いているにすぎないのではないだろうか。

どうもこの手の物語は、苦手だ。


特に、私の目から見て、納得がいかないのは、次の点である。


ドリスは、介護の仕事をやめても、ルールを守らずその家の前に駐車している車の運転手には文句をつける。
そうしたまっすぐな性格であることを描写している。

しかしルールというものは、あくまでも、一つの線引きである。これに固執することは、かえって、自分を追い込むこともある。

映画の事例は、ポジティブに描かれているが、やや病的な反応である。

しかもドリスは、麻薬についてはおおらかである。もちろんフランスにおける許容範囲が日本よりも緩いのは知っているが、ルールをしっかりと守るという性格をもった人間としてドリスを理解しようとするならば、少なくとも日本でこの映画を見る場合、そうすんなりと笑い飛ばせない。

また、たとえば、ドリスが貧乏から抜け出し、自らの能力に目覚め、社会のなかで何らかの役にたちうる存在として「自立」したことを、祝福するとしよう。そして、フィリップが第二の恋を成就させて、これまでの内向的になっていた屈折した自分を克服したとしよう。

やはり、能天気な物語以上をここに読みとることができない。

いやいや、こういうのは、能天気に観るものなのさ。能天気も、悪くないよ。あまり深く考えずに、ハッピーな気持ちになるのも、大事だってこと。そうドリスに言われても、おそらく私は駄目かもしれない。

やはり私は貧乏気質なのだろう。


観た映画
最強のふたり
監督・脚本:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ
製作: ニコラ・デュヴァル・アダソフスキ、ヤン・ゼノウ、ローラン・ゼイトゥン
出演者:フランソワ・クリュゼ、オマール・シー、オドレイ・フルーロ、アンヌ・ル・ニ
音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
撮影:マチュー・ヴァドピエ
編集:ドリアン・リガル=アンスー
公開:2011年11月2日
日本での公開:2012年9月1日
フランス映画
Intouchables/Ais
¥2,903
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「幻灯」という言葉自体が、なつかしい。

▼1952年

ピカドン 広島原爆物語(幻灯版) 星映社、カラー、36コマ、4~6月制作
 絵本と異なり、彩色あり。順序や一部削除など、独自の編集がなされている。解説書付き。

▼1953年
原爆の図(幻灯版) 横浜シネマ製作所、モノクロ、38コマ、10~12月制作 
 
本郷新:構成、内田巌解説書

*以上は、丸木美術館学芸員(岡村幸宣)日誌からの情報です。
実際のフィルムなどをみることができます。

読んだ本
渚にて 人類最後の日
ネヴィル・シュート
佐藤龍雄訳
創元SF文庫
2009年4月

Nevil Shute, On the Beach, 1957.

ひとこと感想
あの名作の新訳。訳は一部硬いところもあったが、ていねいに訳されており、とても読みやすかった。一見のどかなオーストラリアでの暮らしのなかに、原潜が登場し、どうしたのだろうと思ったらすでに世界は終焉に向かっており、
登場人物が全員死にゆくまでの数ヶ月間が描かれているという、なんとも劇的なストーリーである。半世紀よりも前の作品だが、フクシマのあとでは「SF」というよりも、リアルなシミュレーション的内容として読んだ。抵抗よりも諦念が流れていることが印象深かった。

****

きれいなタイトルである。英語では「On  the Beach」で少々つまらないが、邦訳では「渚にて」であり、抒情性の高い作品を期待してしまう。

が、そんな気持ちに浸っている場合ではない。

中ソのちょっとした諍いがきっかけで、第三次世界大戦が勃発しているところから物語は、はじまる。

各国の核兵器が炸裂し、何も考えるまもなく、「人類」は滅びる秒読みに入る。

どうやら核兵器は北半球を中心に打ち込まれたようで、物語の舞台はオーストラリアである。

北半球はほぼ死滅していると想定されているが、まだ生存者がいるかもしれないし、何より米軍に所属している軍人は最後まで国家のために働かねばならない。原子力潜水艦の船長がとくにそうであるが、たとえ、自分に命令を下す人、自分が守るべき人、それらがすべてもういなくなっていたとしても、自分の任務をまっとうしようとする。

登場する、この船長と、乗り組み員の一人とその妻、そして彼らの友人、いずれもみな、克己心が高い。もしくは「諦念」が流れている。ほとんど抵抗することなく、これまでの日常を大事にしようと、一日を過ごす。

そのストイックさが、
人類最後の日に向けて、カウントダウンする物語でありながら、この物語を引き締めている。

サイドストーリー的には、当然、店の品物を略奪する人間や自暴自棄の人間も登場するが、基本的には、じたばたせずに、運命を受け入れ、かつ、日常を大切にする人々に脚光があたっている。

ただ、当然のことながら、少しずつ、誰もが、狂気をはらんでゆく。少しずつ、ただの「日常」ではなく、「あとわずか」という意識が「日常」を蝕んでゆく。日常への固執が通常よりも強くなってゆく。

正直言って私は、こうした問題は「国家」の滅亡や「人類」の消滅や「世界」や「宇宙」の消失いずれにせよ、いっしょだと思う。

問題は、そこにはない。「私」自身の消滅が、すべての本質的な課題であるだろう。

「人類の終焉」は、「私の消滅」の、一つの「要因」にすぎない。

なぜならば、人は、自分の死、以上に、現実的に切迫しているものはないからである。

最愛の人や動物の死への悲嘆は、べつに偽物ではないけれども、自分が生きていられるから、悲しむことができるのである。

遺された人間としてふるまうことができるから、悲しいのである。

しかし、本当の意味での「終焉」は、どんな理屈をこねくりまわそうとも変わらない。

ただ、「救い」を求めて、自分が死んだあと、自分の何かが残るだろうと期待して、心の安定を保とうとするが、
どうあがこうとも、本当の意味での終焉は、自分の死、以外にない。

本質的には「私の死」は「世界の終焉」でしかありえない。

むしろ本作品は、この、「私の死」と「人類の滅亡」を同致できることへの「歓び」が描かれている、と考えたほうがよいのかもしれない。


また、「最期」の迎え方に対して、ここでは、「安楽死」が表現されている。艦長は言う。

「人はみな遅かれ速かれいずれは死ななければならない。ただ問題は、心の準備をしてそのときを迎えるというわけには決していかないこと。なぜなら、いつそのときがやってくるかわからないから。ところが今このときにかぎっては、およそいつ死ぬのかをだれもがわかっていて、しかもその運命をどうすることもできない。そういう状況を、わたしはある意味で気に入っています。」(205ページ)

放射能の影響が身体に現れ、腹痛、下痢などの症状が出てくると、あと10日前後くらいで死に至る。

「「まず、むかつきに襲われます」と薬剤師は答えた。「それがいちばん最初の症状です。続いて嘔吐および下痢がはじまります。血便も出ます。それらの症状が徐々に激しさを増していきます。わずかに快方に向かうこともありますが、それもごく一時的なものです。やがては衰弱のすえに、死にいたります」そこで間を置き、「最終段階においては、感染症もしくは白血病が死因となります。体液中の塩分が失われることにより、血液を生成する骨髄が破壊されます。過程に差はあれ、最終的にはそういう現象が起こります」(230ページ)

そのような状態になったときに、安楽死用の薬が政府から無料で、薬局を通じて配布され、実際に登場人物の大半はそれを飲んで自死する。

幼児やペットなどには、注射をして、先に命を絶つ。

その意味では、作品「風が吹くとき」とは、少し異なる。「風が吹くとき」は、生き続けられる、というある種の楽観性から、政府のマニュアル通りに対策し、気づいて見れば死に至る、というものだった。

 → 以前に書いた風が吹くときの感想

物語の前半で、艦長は言う。

「現在のこのあたりの大気中の放射能濃度は、戦前の7、8倍にはなっているはずだ」(64ページ)

戦前とは、つまり、第三次世界大戦前ということであり、それは言ってみれば1950年代ということになる。たとえば、2011年4月頃の福島界隈の放射能濃度は通常の10倍以上になっていたわけであるから、この物語と対比させるならば、すでに黄色信号の状態ということになる。

ところで、この物語は、原題にはないが邦題には「人類最後の日」というサブタイトルがついている。決して「地球」の最後ではない。

「歳月を経るとともに、やがては放射能も霧散する。コバルトの半減期が約5年であることからして、町々や家々は、遅くとも20年後までに、ふたたび生命が生きられる場所になる――場合によっては20年よりずっと早いかもしれない。つまり人類が絶滅して世界が空無に還ったあと、より適応力のある新たな生命が住みはじめるのだ。」(398ページ)

ここではコバルト爆弾がさく裂したことになっているので、放射性物質のなかでも、「コバルト」のみに焦点があてられている。

放射性物質について、私たちはチェルノブイリとフクシマによって、最初に注意せねばならないのが、ヨウ素(I131)であることをすでに知っている。I131は半減期が8日であり、甲状腺に集まりやすいので、前もってヨウ素剤(I127)を摂取することで、かなり防ぐことができることも、知っている。

また、続いて長期的にはセシウム(Cs137)が問題となることも知っている。半減期が30年であり、かつ、体内に入ってしまうと筋肉にたまりやすく、腎臓を通って対外に出るまで半年くらいかかるため、その間体内被曝が起こるので要注意であるということも知っている。

では、コバルト(Co60)はどうであろうか。フクシマではほとんど話題にのぼらなかった。強いて言えば、今年になってブリヂストン自転車についている中国製の前カゴからCo60が検出されたというニュースで注目されたくらいか。調べてみると、半減期は確かに5.3年であるが、人体に危険性の高いものとしては説明されず、むしろ、医療や工業用にコバルト60は頻繁に使われているというのが実状である。

また、核爆弾が4700発以上、炸裂したという。これがどのくらいの放射性物質を拡散するのか、ちょっと想像もつかないが、この物語では、北半球の汚染から1年後くらいからはじまっており、その時点ではまだオーストラリアは汚染されていない。その後およそ6ヶ月くらいすぎてから汚染が始まっている。

であれば、どこぞの金持ちなどは、地中に核シェルターをつくるとか、ドームのような建物をつくり、少しでも遮断することによって生き延びようとしてもおかしくないし、実際にもしかすると生き延びられるかもしれない。

しかもコバルト爆弾であるので、それこそ5年間持ちこたえられれば、次世代を継承しうる可能性が高い。たとえば、南極で5年間しのぐ、というのは、かなり現実的だと思う。

しかし本書は、そうした「あがき」はない。これは、どういうことであろうか。

すでに核戦争に対して、絶望的になっており、あきらめてしまっている感が強い。また、むしろ、こうした悲惨な状態になってほしくないというメッセージを出したいという著者の思いが先立っているとも考えられる。

いずれにせよ、だれもが、「終末」観にすなおに従っている。この「諦念」におののく。

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)/ネヴィル・シュート
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読んだ論文
原子力平和利用USIS映画――核ある世界へのコンセンサス形成
土屋由香

所収
土屋・吉見(編)
占領する眼・占領する声
CIE/USIS映画とVOAラジオ
東京大学出版会
2012年7月

米国は1953年12月に国連総会でアイゼンハウアー大統領が行った演説「アトムズ・フォー・ピース」をうけて、原子力に関する大々的な広報宣伝活動を開始する。

その役割を担ったのが、USIA(米情報庁)
である。*注 Information Agencyなのに、なぜか「文化」がつく訳が多い。また、Infromationも交流と訳されたりする。

広報宣伝活動には、どのようなものがあったのか、列挙するとこうなる。

・博覧会
・映画
・ラジオ
・テレビ
・雑誌

土屋はこのなかでも映画が重要な役割を果たしたメディアの一つ、とみなしている(47ページ)。

こんな映画があるということを知らなかったので、この論考はとてもありがたかった。

これらの映画を総称して、「USIS映画」と呼ぼう。

USIS映画の基本データを、以下ピックアップしておく。

時期 1954~59年
制作本数 50本以上
翻訳言語 33ヶ国語
上映国 80ヶ国以上
日本での公開本数 22本

映画の数は50本以上であるが、土屋が確認できたものは36本である。そして、日本語版の目録にあるのは22本である。さらに土屋が内容をチェックしたものが15本である。

▼1954年
原子力を平和へ Atomic Power for Peace USIA:制作 11分 2月
原子力とは? A is for Atom GE社:制作 16分 12月

▼1955年
父湯川博士 The Yukawa Story USIA:制作 41分 6月
原子力平和利用シリーズ 第1部 原子力入門 Introducing the Atom: Atoms for Peace Series Part I USIA:制作 21分 7月
ブラジルの原子医学 Atomic Medical in Brazil Cine TV Film:制作 7分 8月

原子力平和利用シリーズ 第2部 医学 Medicine: Atoms for Peace Series Part II USIA:制作 21分 9月
原子力の恵み Blessing of Atom Energy USIS Tokyo:制作33分 10月

▼1956年
原子力発電の実用試験 Borax: Construction and Poeration of a Boiling Water Reactor 米空軍ルックアウト・マウンテン・ラボラトリー:制作 15分 6月

▼1957年
アワ・タイムズ第三集――第24話 東海村へ原子炉第一号 Our Times #24 USIA:制作 26分 2月
原子力平和利用シリーズ 第四部 原子科学の進歩 Scientific Advancement: Atoms for Peace Series IV USIA:制作 19分 2月

▼1958年
石になった河――ウラニウムの話 Petrified River:The Story of URあにうm 米内務省鉱山局:制作 30分 2月

原子力平和利用シリーズ 第五部 秘術者の養成 Trainjing Men for the Atomic Age: Atoms for Peace Series VI USIA:制作 20分 2月 *邦題と英題で部の数字が異なる。
ノーチラス号北極横断 The Noutilus Crosses the Top of the World USIA:制作 9分 9月

▼1959年
マグネティック・ボトル――核融合の話 The Magnetic Bottle: Hydrogen Power for Peace USIA:制作 11分 5月

▼不明
原子力平和利用シリーズ 第六部 アメリカの原子力発電 Power Reactors -U.S.A. AEC:制作 30分


土屋は、これらの映画における主な内容を簡潔にまとめているので、そのまま引用する。

1 神(自然)の創造物たる原子力を人間が「解放」し人類の福祉のために利用する。

2 アメリカの援助の下に、各国が自ら進んで原子力の「平和利用」を推進している。

3 発電・医療・農業・工業への原子力の応用をまとめて「平和利用」と呼ぶ。

4 原子力は病気・飢え・欠乏からの解放をもたらす。官・産・学の協力がそれを推進する。

5 技術者や医師・患者など「等身大」の人物が原子力の恩恵について語る。

(64ページ)

資料的に貴重な仕事である。


占領する眼・占領する声: CIE/USIS映画とVOAラジオ/著者不明
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別に、悲しかったとか、そういうことではないのだが、一つの経験として、「貧乏」の実態の一端を書いてみたい。

これは、中学1年のときの出来事である。一応、多感な時期である。

当時、私がいたクラスはみな仲がよく、いじめなど存在せず、誰もが互いに気遣いあい、いわば、ユートピアのような、「社会」を形成していた(と、少なくとも私にはそう思われた。

そのなかで、ひとつだけ、私の心に傷となって残っている出来事がある。少なくとも、30年以上たった今でも鮮明に覚えているほどの体験であったということは、できると思う。

それは―。

季節は冬だった。なぜならば、その日は「スキー学習」しかも、「スキー遠足」の日だったからである。

札幌の市立中学に通っていた私は、特にスキーが好きでも嫌いでもなく、ふつうに冬になればスキーを楽しむという程度のものであった。スキー遠足も、別に、特別変ったこととは考えていなかった。少なくとも、出発の時間までは。

突如、裂け目が現れる。

スキー遠足の当日。

みなが学校に集合し、バスに乗って、手稲山のスキー場に向かうのだ。

わざわざ、みな、自宅からスキーを学校まで運ばねばならない。

幸い、私の自宅は、中学校からとても近かったので、当日、余裕でスキーをかついで登校した。

みんなが集まり、バスが到着し、スキーをバスに乗せる。

運転手さんが、順番に、スキーをバスの荷物入れに収納してゆく。

そのとき、スキーが得意なクラスメートが、次々とバスに積まれてゆくスキーをみていた。

「すげー、ロッシニヨールだ、かっこいー、お、これはXXXXだー、やるねー」

そして、続けて、ぽつりと次のように言ったのが聞こえた。

「おおっ、このスキー先生のかな? すっげー古い」

そう。この「古いスキー」は、私のだったのである。

みんなのスキーは、スキー靴をスキー板に寄せると、かちっと装着される。でも私のスキーはワイヤーがスキー靴のうしろのところにひっかけて、手前のレバーみたいなものをかちっとする。旧式のスキーだった。

私は「それ、ぼくの」と、言った。別にどうってことはなかった。間違ってはいけない、その、親戚からもらったおさがりのスキー板はぼくのです、ときちんと言いたかっただけだ。

しかし、言ったあとに、そのクラスメートは、押し黙り、下を向いてしまった。

???

一瞬、鈍感な私は、彼の雰囲気が急に変った理由を理解しなかった。

まわりもなんとなく、居心地の悪い空気が流れている。なんだろう?? 分からなかった。でも、うすうす理解しはじめた。

みんな、このスキーをみて、クラスの誰かが持っているようなスキーじゃない、と思った。だから「先生の」だったら納得できた。まさかクラスメートの誰かのスキーのはずがない。

しかし、誰も言わなかったが、その、人気者の彼(今でも名前を覚えている、J.N.君である)は、ついつい、それを口に出してしまっただけなのだ。

みんなが同じ感覚だったことに、ふと、私は気づいた。

・・・そ、そっか。こういう、古いスキーを持ってくる人は、他にいないんだね。みんなもっと新しいスキーを持っているんだね。普通にお金があったら、こんな古いスキーは使わないみたいだね。貧乏な人がこういうスキーを持ってくるようだね。で、みんな人が良いからそのことを決して馬鹿にしようとはしないけれども、ずいぶんと違和感をもったということなんだよね。。。

私は恥ずかしかった。恥ずかしかったけれども、みんなもいたたまれない気持ちになっていたと推察したので、そして、決して蔑視されたわけじゃなかったので、なんとか持ちこたえることができた。

表面的には。

しかし、その日を境に、私は、実は、心の底から自分が貧乏であることに、ある種の引け目を抱いていった。

とりわけ、お金がかかるスポーツや趣味などは、避けたり、嫌いになっていった(ギターだけは例外だったが)。

もちろん、親を恨んでも仕方がないと思ったので、ただ、この世界の理不尽さを嘆いた。

・・・という過去を、急に思い出した。寒さのせいだろうか。

実は、おそらくこれが、私が哲学を学ぼうとしたきっかけである、と思う。



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かつてボストンでお会いしたことのある哲学研究者ジェームズ・バーナウアーが書いた問題作「生死の彼岸:フーコーにおけるポスト・アウシュヴィッツの倫理」の翻訳、第4回目(最終回)です。過去の記事のリンクを貼っておきます。

 1回目 アウシュヴィッツ、ヒロシマ、ニューヨーク、フクシマ
 2回目 フーコーとナチズム
 3回目 バイオ・パワーとナチの倫理としての純潔主義


前置き
世間ではフーコーと言えば、1970年代前後においては、概ね、管理社会批判の文脈で語られることが多かった。とりわけ、「監獄の誕生」など、その典型的作品とみなされてきた。

私ももちろん、そうした理解をしていた。しかし同時に、フーコーが執拗に問い続けた「権力」が、どうも一般的言われる「権力」と大きく異なり、何か違うものをみていると強く感じていたのだが、それがどういうものであるのか、今ひとつ、自分なりの、はっきりとした輪郭をもって描くことができなかった。

そののちに、東浩紀が「環境管理型権力」という言い方をしているのを読んでも、もちろん基本的には彼が言うとおりなのだと思いつつも、どうにも、ちょっとした違和感が残っていた(この違和感については、あらためて後日書きたい)。

しかし、3.11を経て、自らが置かれた状況そして感情が、まぎれもなく、「管理社会」という言葉では言い尽くせない、社会で作動している「力」のありようと深くかかわっていることに気づいたとき、私は戦慄し、鳥肌がたった。

原水爆の破壊力ではない。高濃度の放射能汚染ではない。そうした、廃墟を生み出すような「力」ではない。

閾値に至らず、ただちに健康に影響はない、と述べられる、その微量の放射能の存在。しかしこれがやみくもにあちこちに拡がっている。これこそが、「力」のイメージに相違ないと確信したのだ。

放射能が各地に拡散し続け、今なお危険物が、あの建屋のなかでくすぶり続けている。このことを思うと、真綿でしめつけられているような、緩やかな恐怖にうちふるえる。しかし、多くの人の努力で、その被害は最小限度に抑えられている。

これが、安心なのではなく、むしろ、不安を生み出しているのだ。

戦争もそうだが、人間の心のなかには、「破局」を望むような、破壊衝動のようなものが、生きようとする意欲とともに共存している。

かつての「権力」とは、結局のところ、「生かさず殺さず」という状況に追い込むものとしてとらえられ、そうした拘束に抵抗すること、そこから逃れることが、「権力批判」の主眼であったと思う。

もちろん今回にしても、原発事故が生じた一方では、あまりにもむごい津波の被害があったことを、忘れているわけではない。ましてや、その事態を軽視したいわけでもない。

というよりも、そうした壊滅的な破壊こそが私たちの現実の葛藤の根幹にあったというのに、それのみならず、破壊なき破壊というものが、これほどもまでに過酷なものだということを、まざまざと私たちは知ってしまった、ということが、原発事故のもたらした最大のインパクトであり、私たちのこれからの生存のあり方を考えるうえでの、切迫した課題なのである。

そして、このことが、バーナウアーの言う「ポスト・アウシュヴィッツの倫理」の問題と連なっている、と私は考えた。なぜならばフーコーは、ナチのもたらした「バイオ・パワー」が、今なお、いたるところで展開されていると考えたからである。そして「今なお」というのは、フーコーがこの状況を「核兵器」という言葉とむすびつけていたからである。

そこで私は、フーコーが述べた「バイオ・パワー」という概念を、もう一歩拡張させて、「アトム・パワー」の問いとして読み返してゆこうと、この、バーナウアーの論考を読みながら考えたのだった。


以下、翻訳の続きです。


翻訳

生死の彼岸:フーコーにおけるポスト・アウシュヴィッツの倫理(4)
ジェームズ・バーナウアー


ヒムラーは、以前は、内面において純潔と性欲とのあいだで葛藤を繰り広げていたが、今やユダヤ人たちを外部の対象として自身の欲求のはけ口にすることができるようになった。

こうした、
ヒムラーただ一人の道徳観の社会的発現によって、この世には、史上まれにみる苦しみがもたらされることになった。

もちろん、ヒムラー個人の倫理のあり方が変ってしまったことが、未曾有の歴史的出来事をすべてもたらしたと言いたいのではない。

しかし、少なくともフーコーの仕事、特に、バイオポリティクスとセクシュアリティの歴史をふまえてみると、ナチズムやアウシュヴィッツの問題に対して、これまでとは異なる、新たな探究の道筋が示されている、と言えるだろう。

そして私たちは、この道筋を歩んでゆく使命があるように思われる。


フーコーが示した探究の方向性は、最近では、ロバート・リフトンによる、ナチの医者や研究者たちに関する研究に、すでに影響を与えている。

Robert Lifton, The Nazi Doctors: Medical Killing and the Psychology of Genocide, Basic Books, August 2000(1986:
first edition).

ナチ帝国が、生物学的(人は革命的というかもしれない)純潔性を根本に据えていた一つの「バイオクラシー」つまり、バイオパワーの統治力をもとにした国家であったことを、リフトンはあまりはっきりと描き出してはいない。

しかし、バイオクラシーにおいては、生物学的、医学的研究が、生と死の新たな政治学の先導の役割を担ったことは、間違いない。

かくて、容易に理解できるのは、当時のナチの医者が「国家社会主義が失敗したのは十分に生物の知識を持ち得なかった」と説明するが、こえが誤った解釈であることだ。フーコーの提示する倫理の問いは、そうした誤った解釈を、検討しなおすきっかけになるはずである。


建築家でナチ時代に軍需大臣を務めたアルベルト シュペーアが、当時のことをふりかえり、あのときなぜ、とんでもない悪行がなしえたのかについて、こう語っている。

「物事の秩序を疑うなんてことはあり得なかったのだ。」
(注:「物事の秩序」は、フーコーの『言葉と物』の英語タイトルである)

現代文化に対するフーコーの仕事の最大の寄与の一つは、この「物事の秩序」への問いかけ、つまり、私たちの生死を賭けた歴史と政治をダイナミックに、そして全体的に問うということを可能にしたことである。

生と死を賭けた歴史と政治、それは、こういうことだ。人間の自由のための革命的プログラムを主張すること、そして、人間を改良し純粋なものにするための科学的なプロジェクトの誕生、である。

『監視することと処罰すること』(邦題:監獄の誕生)においてフーコーは、疫病が、現実的かつ想像的に純潔性の夢と、それに現実性を付与するディシプリンを高めるプログラムとを推進させたと論じている。

そこでフーコーは、私たちの知性と道徳の欲求の「自然性」というものを疑いにかけている。

フーコーはいつも、純粋な理性を探るようなことはなかった、ということだ。

彼が関心をもった思考の出現においても、その活動においても、
安定性と純潔性はない。

コレージュ・ド・フランスの就任講演においてフーコーは、これまでの思想史においては扱われなかった「偶然、非連続、物質性」という概念を導入し、それを思考の根底に置くことを提唱した。


これは、「純粋理性」ではなく、純粋ならざる理性の実践であり、これまで指摘したように、カント流の人間学を反転させることがフーコーによって目指されたということを意味している。


哲学者たちはしばしば自分たちの任務をこう考える。自分たちの役目とは、生々しい暴露から偶発的な事柄まで、あらゆる事象を人間存在につなぎ合わせることだ、と。

それに対してフーコーはむしろ、そういった事象のつなぎ目をほどこうとしているのである。

確かに彼のそうしたやり方は、かなりの危険を伴う。

彼の仕事は、自分たちが選んでいるよりももっと危険で恐ろしい圏域に私たちを追いやっているかもしれない。


しかし、そうした圏域こそ、私たちの現在史を反照しているのである。

そしておそらくこの恐怖は、ある青年(すなわちフーコー)がポワチエで成長する過程における、思い出の記憶と結びついている。

「戦争の恐ろしさが私たちのバックグラウンドでした。そして、存在の枠組みえでもありました。それから、戦争がはじまりました。家族との暮らしぶりよりも、そうした世界に関する出来事の方が、私たちの記憶の中核をなしているのです。・・・私たちにとってプライベートな暮らしなど、ほとんどありませんでした。おそらくこれが、私が歴史に魅せられる理由であり、個人の経験と自分たちがかかわっている出来事との関係にこだわる理由でしょう。」(リギンスとのインタビュー、1982年より。『思考集成IX』429ページ)


本論考の最初に、私はフーコーのアウシュヴィッツへの訪問を思い返していたが、それは、彼の類稀なる勇気に心打たれたからである。

フーコーが常に深くかかわっていたのが、不純な出来事であり脅威であり、彼からみれば、それらこそ、私たちの死や生に対する感情をつくりだしているものだったのだ。

彼は
その腐敗の歴史を訪ねたが、にもかかわらず、彼は、哲学的思索人間の存在に絶望はしなかった。



「カラマゾフ兄弟」において、アリョーシャは期せずして、父ゾシマが亡くなったあと、その肉体の腐臭に衝撃を受けたが、
私にとってフーコーの仕事は、その衝撃力をさらに上回る。

「アリョーシャは父の亡骸を前に
立ちつくし、そしてじっと眼を凝らした。そして突然、地に伏した。なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。焦がれるように地に口づけをし続ける。その訳を言うことはできない。しかし、地に涙を滴らせながらも口づけをやめないアリョーシャ。地よ、愛します。地よ、永久にあなたを愛します、と感極まって叫ぶ。」(ドストエフスキー『カラマゾフ兄弟』より)

フーコーがもたらした哲学は、ここで言う「地」にとても近い。そして私もまた、この「地」を愛する。

***

訳注
「偶然、非連続、物質性」というのは、少々分かりにくいがお許しいただきたい。ただ「物質性」についてのみ、注釈として、次の文を引用しておきたい。

「もちろん、ある出来事とは、基体ではありませんし、かといって、アクシデントでもありません。性質でも、過程でもありません。かといって出来事はどれをとっても、物質の秩序には属していない(=有形のものではない)のです。
 しかもそれでいながら、出来事は、非物質的であるというわけではありません。なぜならば、出来事は必ず、物質性の次元で効力が生じているのであり、実際に、結果を生み出しているからです。
 出来事には、場所がかかわります。物質的な諸要素が連関し、共存し、分散し、再切断され、堆積され、選択されます。行為でも物性でもありませんが、物質的な分散の影響として起こり、物質的分散のなかで生じるのです。出来事の哲学は、
一見すると、形なきマテリアリズムという、矛盾した方向に進むことになるでしょう。」(フーコー「 L'ordre du discours ディスクールの秩序」59ページ)

「出来事」を「放射能」と置き換えてみるとよい。ここで語られている「形なきマテリアリズム」の記述が、放射性物資と向き合う私たちのあるべき姿勢をあらわしているように、私には思えるのである。



最後のフーコー/ミシェル フーコー
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大川興業のお芝居、Lock'n Roll、は、「暗闇演劇」という、本来ならば「視覚芸術」であるところの演劇を、視覚表現をほとんど排除して、音声表現を中心として成立させたものである。

ふだんでも、小さな芝居小屋に入ると、隣同士がくっつきあっており、体を自由に動かせない。

また大半の芝居は開演前に一度暗転し、私たちは、ほんの一瞬であるとはいえ、視覚を奪われる経験も、少なくとも芝居小屋においては、していなくもない。

しかしこの「暗闇演劇」は、暗転が常態であり、そのままほとんど最後まで暗転したまま物語は進む。

芝居の世界へと参入するためのイニシエーション(通過儀礼)ではなく、そのまま暗闇が舞台となって、芝居が続く。


もちろん日常において、そういった体験はめったにない。

2時間近く、何も見えない。基本的に、体を移動することもできない。そういう状態にいる観客は、すでに、この作品の主人公と近い状態に自分がいることに、気づかされる。

大川興業は、これまでも、視力を失った人を主人公にしたり、匂いに焦点をあてたり、音のもつ可能性を探ってみたり、とさまざまな実験的作品を世に問うてきたが、今回の「Lock'n Roll」は、「閉じ込め症候群」になった人物が主人公である。

モロ師岡演ずる主人公は、芝居の最初から、病院のベッドに寝たままで、しかも、視覚が奪われた状態で登場する。

そのため、私たち観客もまた、最初から真っ暗な舞台をみつめながら、声だけを聞く。

注:本来のこの「閉じ込め症候群」は、眼とまぶただけは動かせる場合もあるが、本作品では、それもできない状態であるという前提で物語は進む。

つまり、この芝居の巧みなところは、こうした視覚や身体動作の不自由さを、観客が不可避的に共有する点にある。

観客は他人事ではなく、自分自身の感覚の状態を主人公と分かち合いつつ、物語にかかわるわけである。

主人公は、動くことも、見ることもできないが、耳は聞こえている。

聞こえているが、それに反応することができない。完全なる受身の状態である。

そして私たち観客も、主人公と同じように、ただ、まわりの登場人物の声が聞こえるなか、同時に、主人公が発した独り言を、聞くだけである。

つまり、主人公は、まったく周囲の人たちのコミュニケーションには一人だけ参加していないのである。いや、少なくとも言語コミュニケーションとしては、何も成立していないのである。

まわりは勝手に推測し、一方的に語り、自分だけで納得して会話ならぬ会話を続ける。

これは、とても歯痒い。

そうだ、とも、違う、とも言えない。何もリアクションできない。

おそらく、本作品のような閉じ込め症候群の患者のみならず、互いに言語を理解していない外国人や赤子や動物、さらには植物などと対したときにも、やや似たような経験は、起こりうるだろうから、誰でも似たような経験はあると思われる。

相手に通じているかどうか分からなくても、自分の意志や感情を伝えるときは、とても心もとない。

話が通じない、気持ちが伝わらないというのは、とても、もどかしい。

しかし、逆説的であるが、私たちは、言葉が通じる相手のほうが、かえってうまく通じない、という経験もしていることだろう。

最初から通じないと思っている方が、かえって、相手の真意を理解しようと努力することもある。

少なくともこの寝たきりの主人公のまわりに集まってくる人たちは、みな、主人公とこれまで以上に、何かを伝えようとしている。または、相手を理解しようとする。

その際に、自然(=盆栽)と最先端技術(=脳波の運動によって動くモビルスーツ)の両極を持ちだしたところが、また、興味深かった。

ちなみに、ちらしの表紙は、「盆栽カー」が疾走している写真である。この、やはりここでも、自然と技術が融合している。

この芝居を見て、個人的には、二つのことを思い出した。

一つは、昨年永眠した我が家のネコ「シナモン」との、「死」という「点」をはさんだその前後のプロセスのこと。

足腰が立たなくなり、目の輝きがぼんうやりとし、力が弱くなり、にもかかわらず、最後に体が伸ばされ、そして、呼吸が止まり、身体が次第に冷たくなり、硬直しはじめ、排泄物や涙などが流れ出た。

それでもまだ3日ほど、一緒にいた。

「看取る」ということは、生前のみならず死後にも続く。

反応のない亡骸にも、声をかけるし、なでもする。

それが自然に思えた。

そのときの自分の感情とこの芝居にただよう感覚が、かなり近いと自分では思っている。

「死」とは「点」ではなく、プロセスである、というのが私の思いである。

また、もう一つは、この体験の理論的な裏付けのようなものであるが、修士論文でテーマにした「自然死」と「脳死」の問題である。

これについては、明日あらためて書こうと思う。


*主人公を演ずるモロ師岡と、総裁である大川豊による本芝居についてのショート・トークがYouTubeにアップされている。

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鈴木一功さん率いるレクラム舎の芝居、プロローグは汽車の中、を先週観た。場所は、高円寺駅北口を出て右手へ5分ちょっと行ったところにある座・高円寺2。第五福竜丸事件のあと、この高円寺の主婦たちはたちあがり、それがきっかけになって原水爆禁止運動が大きなうねりとなってゆく。フクシマのあとも、ここでデモが起こった。高円寺と「核」は、深いつながりがある。

この作品は、なんと1996年が初演で、2011年、つまり昨年に再演され、今回は三度目ということになる。脚本をなにも変えずに行われたが、まったく色あせない作品である。

昨年もみたにもかかわらず、何か、みているときの自分の情感が、かなり違ったことに気づいた。

昨年は、まさしく、私自身も余裕がなく、この芝居のただなかに自分もいたかのような気持ちで、問いをかかえながら、見続けていた。強いて言えば、父が地方新聞を主宰していたその娘であるマリコの立場で、なぜ今、原発誘致がこの町でなされようとしているのか、それを解明しようという気持ちでストーリーを追った。

役者さんはいずれも安定した実力を発揮されていて、安心して作品に身をゆだねられた。とりわけ演出もなさっている高橋征男演ずるヤマムラと理科の先生は、なんともすごい嫌味を醸し出しており、よかった。

今回は、登場する主要人物、とりわけ、広田兄弟、特に、弟であるサトルの屈折した心持ちをたどりながら、こう言ってよければ、彼と同化しつつ、ストーリーを追いかけた。

前回は小さな小屋で、それほど舞台にひろがりがなかった。しかし、それはそれで集中や凝縮があると思った。今回は、効きすぎるくらいに寒い冷房が身にこたえた。しかし広い舞台は、作品そのものの深みも与えたように思えた。

この物語は、二つの意味で、難解である。

一つは、原発をめぐる議論を内側にとりこんでいること、もう一つは、うまく言葉にできない人間の内面史を描いているからである。

第一の「原発」については、本作品では、何か「答え」のようなものを提示しているわけではない。言い切ってしまえば、むしろ原発は、あくまでもスパイスである。だが同時に、
実際のそれぞれの地域では、こうした形で原発が扱われていると感じられ、それが、ある種のリアリティを生み出しているように思う。

自分たちの町のためにできることを、町の人たちはする。それは、分かる。過疎の町をなんとかしようとする。その気持ちも分かる。しかし、これほどまでの事態をもたらしているにもかかわらず、今なお原発(ならびに核関連施設)を増設したり維持しようと考える首長の気持ちが分からない。せめて「視点」だけでもマクロなものを持ってほしいと思うのだ。

あれほど核兵器、つまり、核の軍事利用は嫌がるにもかかわらず、なぜ、原発は大丈夫とか、安全とか、言うことができるのだろうか。

この芝居をみていると、その答えがはっきりする。

なぜ、その町は、原発を抱えたいのか、という問いが、どうやら、その町の内部では真剣に問われないのだ。内側では、原発がどういった効果をもたらすのか、そのプラス面しか見ようとしないのである。

こうした構図をたとえフィクションとは言え、舞台で演じられると、妙な説得力をもつものである。

たとえば、この芝居の舞台となっている「北の町」ではないが、正力松太郎のことを思い出す。

正力は読売新聞社主として、原発を日本に導入する流れの貢献者である。彼は1955年から57年にかけて、東京の日比谷公園を皮切りに全国の主要としてで、原子力博覧会というイベントを開催した。

京都、大阪、名古屋、広島、博多、仙台、札幌、岡山。これらの都市での開催はまだ理解できる。しかし、それ以外に、水戸と高岡でも開催しているのである。

水戸は、おそらく、その後の東海村への誘致に連なっていると考えられ、腑に落ちる。

しかし、高岡は? ただ正力の故郷である、というだけでは、説明にならないように思う。

そこで思い出したのが、本作品のストーリーである。

原発誘致をめぐって、反対派の町長が隣の町に原発を建造させるよう、働きかけを行った、といったようなことが、現実の世界であったかどうかわからないが、高岡(富山)には原発はつくられなかったが、福井には数多くの原発がつくられた。

なんとなく正力の顔が浮かんでしまったのだ。

・・・と、いうことはさておき。

今回の私は、むしろ、第二の、弟のゆがんだ内面性のほうに強く関心をもった。

サトルは、優秀な兄、マナブに、強い劣等感をもっている。母親も弟にはあまり関心をもたない。

それゆえ彼は、かなり屈折した性格になってしまったようだ。

芝居のなかで、子どもの頃の回想シーンがある。クラスで原発の可否を議論しようというもので、子どもたち、そして先生方も、賛成か反対か、いずれかの立場に分かれているなか、ひとり、教室の片隅で、他の生徒や先生の発言のあげ足をとるようなことばかり、議長による発言の許可をとらずに、喋っている。それがサトルである。

それを理科の教師から、かなり厳しく非難されるが、表向き、彼は自分の性格を変えずにいたが、実は、この指摘は、彼の心の奥底にわだかまり続けていたようなのである。

同級生たちは、大人になり、町長の息子は町長に、クラスで議長をしていたマサルは町議会の議長に、そして、サトルも町会議員となる。

子どもの頃からの腐れ縁のように、サトルは、その後も、町で、仲間と生きたのであろう。互いのスタンスは変わらないので、そのまま、彼は、ひねくれた人間として、生きる。

そこに、マリコ
が東京から戻ってくる。父の新聞を復刊しようとする。また、同時に、兄のマナブも家族を捨てて帰ってくる。

もちろんそれまでも内面では葛藤していたのであろうが、彼らの帰郷を契機にして、サトルは、これまでの自分を変えようと、模索しはじめる。町長への立候補を密かに考える。また、マリコからいろいろなことを学ぼうとする。

しかし、実は、まだサトルの屈折は残されており、最後に明かされる。

サトルは、おそらく変わることができないのではないだろうか。どっぷりとこの「町」のなかに縛りつけられているように思う。

あまり、同情もできない。が、彼の幼少時の体験が、こうした事態を招いた、という結び目は、はっきりと見えた。

サトルこそ、この町から出てゆく、という選択肢をとるべきではないか。

町長になる、マリコを好きになる。兄を貶める、母を貶める。町長である友人を貶める。それらは、いずれもさらに自己閉塞を招くだけである。

本当の、エピローグは、サトルが、「汽車」の中にいるのかもしれない。


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読んだ本
原発と権力――戦後から辿る支配者の系譜
山岡淳一郎
ちくま新書
2011年9月

ひとこと感想
副題にあるように、「支配者」というものを想定し、その「支配者」が「原発」をもたらしたと考えて、その枠組みのなかでのみ原発をとらている。もちろん、一面において、このような理解が重要でないわけではないが、こうした著作は数多く出ている。そのなかで本書の特徴は、戦後から現在まで通覧的に原子力と政治についてとらえることができる点である。また、隠された人間関係を明らかにしている点が特に優れている。


***

本書の著者、山岡の動機は、「原発を国策として推進してきた権力の系譜を書こう」(234ページ)ということである。

 目次
 はじめに
 第1章 「再軍備」が押しあけた原子力の扉
 第2章 原発導入で総理の座を奪え!
 第3章 資源と核 交錯する外交
 第4章 権力の憧憬 魔の轍「核燃サイクル」
 終章 21世紀ニッポンの原発翼賛体制
 あとがき

山岡は、最初に「原子力の扉」を開いた者が誰であるのか、第1章で語ろうとしている。

●後藤文夫

後藤文夫は「東条内閣の国務大臣を務めた」男で、「A級戦犯容疑を解かれ」(18ページ)たのだそうだ。

次に登場するのは、元秘書官の橋本清之助、である。彼はのちに原子力産業会議の代表常任理事につく。

橋本清之助

橋本は、朝日新聞の田中慎次郎を招いて原子力に関する情報を集めはじめる。

田中慎次郎

田中慎次郎は、「尾崎秀実の上司」で「ゾルゲ事件に連座」し朝日を退社したが戦後に復帰。早くから原子力に関する情報を得ており、『原子力の国際管理』朝日新聞社調査研究室           (社内用、1949年)をはやくもまとめており、さらに、これからの時代に原子力発電が有効であることを主張するプラケット『恐怖・戦争・爆弾(法政大学出版局、1953年)の翻訳もしている。著書『原子力と社会』(朝日新聞社)も1953年に刊行している。

そして山岡は、ここに、学問界、政界の動向を結びつけようとする。

学問界においては、武谷三男が登場する。平和利用のための三原則をうちだすなど、慎重な姿勢を見せていたのに対して、山岡は、本心は、原子力研究がとにかくしたかったのではないか、とらえる。しかし彼は本書では脇役にすぎない。

そして政界。よく知られているように、ここで中曾根が登場する。彼がGHQに対して原子力研究の自由を許可するよう訴えたのが功を奏して、サンフランシスコ講和条約では、特に原子力研究は禁止されなかった、とする。

中曾根康弘

政界の動きにあわせて、学問界はそれまでの慎重論が後退し、積極的に動き出した人物がいた。これも当ブログではおなじみの二人、伏見康治と茅誠司である。

伏見康治
茅誠司

また、もう一人、よく分からない物理学者がいる。嵯峨根遼吉である。彼はこのとき米国に留学していた。のちに中曾根はカリフォルニアで嵯峨根と会っている。少なくとも中曾根に協力した人物ということになるだおう。なお、中曽根は米訪問で、キッシンジャーとも知己を得ている。

嵯峨根遼吉

そして、ここに「アトムズ・フォー・ピース」である。1953年アイゼンハウアーは国連総会で、これまでの方針を変えて、原子力研究を他国に開放することを宣言する。

これを受けて、1954年1月に、当時の経団連会長である石川一郎、そして、郷古潔、この二人が訪米し、嵯峨根のいるローレンス研究所を訪ねている。

石川一郎
郷古潔

郷古潔という人間は、「戦中は三菱重工業の社長を務め、東条英樹内閣の顧問として、艦船や兵器生産を指導した財界人」(47ページ)だそうである。

そして、例の、原子力予算については、中曾根は、以下の人物の協力を得ている。

齋藤憲三 
稲葉修 
川崎秀二

齋藤憲三は、TDK創設後政界に入った政治家で、稲葉修と川崎秀二は、改進党の議員である。

「中曾根がこしらえた予算で原子力利用の筋道がつけられた。しかし、これを事業化し、原子力発電を稼働させるには、もう一人の役者に登場してもらわねばならない。読売新聞の社主にして、CIAから「ポダム」の暗号名で呼ばれていた正力松太郎である。」(53ページ)

●正力松太郎

というように、
第1章は、これまでのいくつかの本でも述べられていたような内容が主である。続いて第2章に進む。

正力についても、もう、当ブログではさんざん書いているので、くり返したくない。山岡の趣旨だけを抜き出しておこう。

「正力にとって原子力は宰相の座を射止めるための武器であった。」(56ページ)

正力が「歯ぎしりして悔しがった」(59ページ)り、「ほくそ笑んだ」(60ページ)かどうかは、わからない。余談だが、どうやら山岡の持ち味は、こうした登場人物の表情を空想して書くことのように思える。

前述の橋本
清之助が、正力に入れ知恵をしたと山岡は考える。なぜならば橋本は関東大震災のときには、内務省警保局長であった後藤文夫の秘書として働いていたからである。後藤は、正力はそのとき警視庁官房主事だったから、上司にあたるわけだ。こうした人脈は、あとからふりかえると鮮明であるものの、そのただなかにいる場合は、意外と見えにくいものだ。本書はこうした隠された人脈を暴くのが得意である。

ここに、日本発送電の総裁の小坂順造が登場する。

小坂順造


橋本は小坂に原子力発電の可能性を伝え、
日本発送電解体後に、電力経済研究所を設立する。正力の秘書は橋本の甥であり、小坂と正力も親戚関係にあったという。

しかしこうした正力の熱意の源泉は、すべて自分が首相になりたいがためのものだった、と山岡はふんでいる。

こうした動きに続いて、ついに、先日読んだ、吉見俊哉「夢の原子力」が描いた、博覧会とマスメディアによる原子力平和利用キャンペーンがはじまる。

このあと、いかにして正力が政治家になり、原子力関連を牛耳る過程が描かれるが、それは省略しよう。

ここで、ちょっと興味がひかれたのは、河野一郎が登場する箇所である。河野一郎は、河野洋平の父であり、河野太郎のお爺さんにあたる。

米と英とで原発の売り込み合戦があり、結果的に英国の原発を購入することが決まったあと、受け皿を、国の特殊会社である電源開発と九つの電力会社の連合体とで競い合いがある。正力は九電力の側におり、あたかもそのまますんなりと決まりそうになったところで、河野一郎が意義を申し立てたという。

河野は結局、献金を得ることによって鉾を収める。しかし、これで正力の思惑通りになったかと言うと、そうではない。

英国からの原子炉の導入の過程で、さまざまな難題が押し寄せ、形はできたものの、政治家としてはその先につなげられず、結局、科学技術庁長官のポストを追われることになる。

しかし、正力がつくりあげたいびつな体制は、今なお続いている。どういう体制かというと、二つの集団がある。

・科学技術庁
  原子力研究所
  原子燃料公社
  研究炉
  核燃料関連

・電力会社と通産省の連合体
  日本原子力発電(英国の原子炉を東海村に導入)
 
また、本書で明言されているのは、最初の原子力開発利用長期基本計画において、最終ゴールが、増殖型動力炉の国産化に置かれていた、ということである。

つまり、その界隈においては、あくまでも英国や米国から輸入するのは、「つなぎ」にすぎず、大事なのは、このゴールだったようだ。

増殖動力炉は、当時においては熱中性子型増殖炉というものを目指していたが、その後高速増殖炉に切り替えられ、「もんじゅ」として、現在に至っている。

長い時間がすぎても、こうした原型は、そのまま維持されているというわけだ。

また、原子力の舞台をつくりあげた正力は、それができたとたんに追い出されるわけだが、そのあとがまを一手に引き受けたのが中曾根だった。

これも有名な話であるが、中曾根をはじめとした4人の議員はジュネーブの原子力平和利用国際会議に参加する。

前田正男
志村茂治
松前重義

自由党の
前田正男、社会党左派の志村茂治、社会党右派の松前重義、これに中曾根を加えた4人は、このあと、1955年から1956年にかけて原子力基本法をはじめ数々の法案を国家に議員立法として提出する。

つまり、ここには右も左もない。彼らは、日本の未来を、この原発に賭けたのである。

こうして、一度は正力が主役かと思われた第2章も、終わってみれば、中曾根が中心人物であることが、だんだんとはっきりしてくるのだった。

第3章では、田中角栄が登場する。

●田中角栄

しかし、それにしても、私たちはあまり意識しないが、政府が主導する増殖炉や国産炉の流れは、良くも悪くも、純粋に研究開発の追求がなされるわけだが、もう一方の産業界の方は、一体何をしようとしていたのであろうか。

最初に導入したのが英国の黒鉛ガスを使ったコールダーホール型原子炉は、経済面のみならず技術的にも問題が多くあらわれ、しかも当時は石油がもっとも注目を浴びるなかで、原子炉の意義が弱まっていたという。

1960年代以降、電力各社は、各地に原発を建設することを、まるで責務であるかのように、進めてゆく。

この流れと田中角栄とは、切っても切れない縁であった。ちょうど1960年代半ばからは、軽水炉が注目を浴びはじめる。二つのグループがある。

GE社グループ
 沸騰水型軽水炉(BWR)
 
東芝・日立系 
 東電

WH社グループ
 加圧水型軽水炉(PWR) 
 三菱原子力工業
 関電

両者の競争も激しくなり、原発は今や、一つの巨大な商品として、売りこみがかけられる。とくに試運転までの全行程分を
責任もって進め、しかも、価格を変えずに支払うという「ターンキー方式」によって、導入側はかなり気が楽になりなったようである。

話は田中角栄に戻るが、彼が新潟出身なのは有名であるが、同郷で理研の所長をしていた大河内正敏と偶然にも知りあう。理研といえば、長岡半太郎や仁科芳雄らを中心に1940年代前後の核物理学関連の研究における代表的機関である。

田中はこの理研で若い時代に、仕事がてら、いろいろと学んだという。

この理研における経験や人脈が、その後の日本列島改造論につながるというのだから、人間関係というのはおそろしいものだ。

田中は、柏崎の原発建設予定の土地を関係会社に買わせ、地上げされた利益を抜き取っていった。1960年から70年代においては、こうした田中方式によって、各地の原発地域が出現する。

他方で、科技庁のほうは、高速増殖炉、核燃料再処理、ウラン濃縮に力を入れる、現在からみるとよく分かるが、要するに、核武装が「潜在的」に可能となる技術ばかりに専心していた。

実際に内輪では、日本は、核武装をいつでも可能にしておくことが、至上命令であったようにみえる。

今でもさまざまな議論がなされるが、このことも、言わば公式には述べないが、事実であるようだ。

私たち国民にはそのことははっきりと知らされずに、「国家」は「自分」を他国から守るために、核武装を最初から選択していたのである。

つまり今、「脱原発」を掲げるということは、この核武装の道をも閉ざすことになるのだ。

だから、原発問題は、単なる平和利用の問題では全くない。

原発は、最初から、軍事利用を併せもっていたのである。

皮肉をこめて言えば、「核の平和利用」とは、こうした「核抑止力」をも含めて「平和」を維持するために役立てられる、という意味だったのだ。

この第3章、前半は田中角栄だが、後半に少し、佐藤栄作が登場する。佐藤栄作の場合、ノーベル平和賞を得ていることもあり、どうも原発と結びつきにくい。とりわけ非核三原則などもまとめていうこともあり、違和感を抱くかもしれない。しかし、実は米側とのきわどい交渉を進めた。

そのあとをついに首相となった田中が原発をさらに推し進める。1974年に電力三法の成立は、それまで民間企業にまかせていた原発の拡幅を、通産省が援助することになった。しかし折しも石油ショックが起こり、田中は世界中をまわって、エネルギー資源を確保しようと奔走する。そのために、米国に目をつけられ、権力の座を奪われる。ロッキード事件が起こった、と山岡はとらえる。

そして第4章。1980年代。ふたたび、中曾根の登場である。といっても実は田中角栄の時代においても中曾根は幹事長として権力のそばにいた。こうしてみると、中曾根が長期にわたって「原子力」に絡んでいることがよく分かる。

下北半島を原子力の「基地」にしようとしたのも、中曾根である。政府側の研究開発が進むが、同時に田中角栄がレールを敷いた各地における原発の増設も軌道にのり、当然のように数が増えていった。

中曾根のところでは、おもしろい人物が登場する。与謝野馨である。あの、与謝野である。東大在学中に中曾根から日本原子力発電を勧めら入社、その後、ナベツネの口添えで中曾根の秘書となり、後に自民党入り。民主党政権になった際に離党し、たちあがれ日本に合流するも、管直人が経済財政政策担当大臣にする。今年に入って喉頭がんを患い声も出ず政界から引退するもようである。

1990年代末から2000年代は、事故と不祥事に焦点があてられる。「日本の原子力を牛耳ってきた権力は、じわじわとくさっていた」(194ページ)と指摘される。

もんじゅの事故、動燃総務部次長の不審死、JCO事故など。ここに当時の福島県知事、佐藤栄佐久の一連の動きが紹介されるが、大半は彼の著作を読めばわかる話であり、以前ここに書いたので省略。

山岡は、本書の末尾で、こう書いている。当時の首相、安部晋三などを例にしつつ、「自民党の世襲政治家の胸奥には核武装への憧憬があるようだ」(209ページ)という理解をしている。

「原子力と核兵器開発は、政治という薄皮一枚で隔てられているにすぎない。」(211ページ)

このことは、先日読んだ、吉見俊哉の「夢の原子力」の「夢」のなかに、この「核兵器開発」も含まれていることを再確認させる言い方である。

また、電力会社、電事連、その他から出ている広告宣伝費が、マスコミの動きを封じたということが指摘される。これもまた、特に新しい話ではない。

現在のホットイシューとして、トリウム原子力発電所が話題にされる。キーワードは、レアアース、電気自動車、スマートグリッド。これについては、また別の機会に考えたい。

結局最後まで読みとおすと、原発に関して最大の力を発揮したのは、中曾根だということになる。彼は、政界の風見鶏であったかもしれないが、原子力に対しては、一貫した態度を示し続けた。

と、きれいにまとめたかったのであるが、これもみなさんご存知のように、彼は詞原発事故後、あちこちで、原発のもたらしたマイナス点を認めつつ、これからは自然エネルギーの時代だ、と簡単に言ってのけていた。中曾根、おそるべし、である。

なお、私としては、
たとえ中曾根をはじめとした政治家たちが、あれこれと何かを考え行動したとしても、私たちが、それに対して(暗黙であれ)同意していなければ、ここまでには至らなかった、という思いが強い。

山岡の考えでは、マスコミも広告宣伝で抑えられていた以上、原発を擁護することになったのであり、そういった情報統制のなかで、国民は自ら判断する力をもてなかった、と言うかもしれない。

しかし本当であろうか。

政治家たちの権力のための道具というだけではなく、私たちもまた、原発に何かを託し、何かを見ないようにして、これまでやってきたのではないか。

政治家だけを弾劾することは、結局、自分たちのいい加減さを誤魔化す言い訳の部分もあるのではないか。

犯人探しが可能なのは、殺人のような明確な因果関係がわかるものにかぎられる、と私には思われる。

とりわけ、日常の「バイオ・ポリティクス」においては、個人が問題なのではない。主体の選択や行動の問題ではない。「場」の問題なのである。



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