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2010年に、バンドのアンダーグラフは、「2111」という曲を発表した。

これから100年後の未来に生きる人と自分が出会ったときに、私たちは、涙を流して謝っている、それは、なぜか。

空は青いの?
雲は白いの?
森は緑なの?
月はどんな形なの?

そう子どもたちに聞かれて、「ごめんね」と言い、涙を流す。

これは、何を意味しているのか、今なら、明確だろう。何かが起こり、100年後には今と同じような環境が存在していない、ということなのだ。

さらに、もう一度言うが、この曲は、2010年に発表されているのだ。

そして、今年。アンダーグラフは、「2011」とタイトルを変えて、もう一度、世に問う。

この曲では、100年後の話ではなく、2011年の話に変わる。

「2011年の春が訪れる直前」までは、この曲は、一つのファンタジーでしかなかったのが、突然、現実となってしまった。

私も、思う。

100年後に生きる子どもたちに、聞かれたら、同じように、「ごめんね」といって、涙を流すしかできない。

目の前の小さな現実を歌うことが多い最近の曲のなかで、この曲は、突出した時間性を有していると思う。

2111 ~過去と未来で笑う子供達へ~ /アンダーグラフ
¥200
iTunes

しかし、私は、「教科書」と「歌」のアナロジーは不要だと思う。

また、「君のために僕ができるかぎり」とは、実際には、何を意味するのであろうか。もう自分の力ではどうにもならない状況に至ったときでも、「君のため」という言葉を言うことができるだろうか。

私には、100年後の未来の「あなた(たち)」にできることが、あまりにも少なすぎる。

ごめんなさい。


おのれを恥じる涙を流しながら、赦しを乞うことしか、できることがない。


本当に、ごめん。