かつてボストンでお会いしたことのある哲学研究者ジェームズ・バーナウアーが書いた問題作「生死の彼岸:フーコーにおけるポスト・アウシュヴィッツの倫理」の翻訳、第4回目(最終回)です。過去の記事のリンクを貼っておきます。
1回目 アウシュヴィッツ、ヒロシマ、ニューヨーク、フクシマ
2回目 フーコーとナチズム
3回目 バイオ・パワーとナチの倫理としての純潔主義
前置き
世間ではフーコーと言えば、1970年代前後においては、概ね、管理社会批判の文脈で語られることが多かった。とりわけ、「監獄の誕生」など、その典型的作品とみなされてきた。
私ももちろん、そうした理解をしていた。しかし同時に、フーコーが執拗に問い続けた「権力」が、どうも一般的言われる「権力」と大きく異なり、何か違うものをみていると強く感じていたのだが、それがどういうものであるのか、今ひとつ、自分なりの、はっきりとした輪郭をもって描くことができなかった。
そののちに、東浩紀が「環境管理型権力」という言い方をしているのを読んでも、もちろん基本的には彼が言うとおりなのだと思いつつも、どうにも、ちょっとした違和感が残っていた(この違和感については、あらためて後日書きたい)。
しかし、3.11を経て、自らが置かれた状況そして感情が、まぎれもなく、「管理社会」という言葉では言い尽くせない、社会で作動している「力」のありようと深くかかわっていることに気づいたとき、私は戦慄し、鳥肌がたった。
原水爆の破壊力ではない。高濃度の放射能汚染ではない。そうした、廃墟を生み出すような「力」ではない。
閾値に至らず、ただちに健康に影響はない、と述べられる、その微量の放射能の存在。しかしこれがやみくもにあちこちに拡がっている。これこそが、「力」のイメージに相違ないと確信したのだ。
放射能が各地に拡散し続け、今なお危険物が、あの建屋のなかでくすぶり続けている。このことを思うと、真綿でしめつけられているような、緩やかな恐怖にうちふるえる。しかし、多くの人の努力で、その被害は最小限度に抑えられている。
これが、安心なのではなく、むしろ、不安を生み出しているのだ。
戦争もそうだが、人間の心のなかには、「破局」を望むような、破壊衝動のようなものが、生きようとする意欲とともに共存している。
かつての「権力」とは、結局のところ、「生かさず殺さず」という状況に追い込むものとしてとらえられ、そうした拘束に抵抗すること、そこから逃れることが、「権力批判」の主眼であったと思う。
もちろん今回にしても、原発事故が生じた一方では、あまりにもむごい津波の被害があったことを、忘れているわけではない。ましてや、その事態を軽視したいわけでもない。
というよりも、そうした壊滅的な破壊こそが私たちの現実の葛藤の根幹にあったというのに、それのみならず、破壊なき破壊というものが、これほどもまでに過酷なものだということを、まざまざと私たちは知ってしまった、ということが、原発事故のもたらした最大のインパクトであり、私たちのこれからの生存のあり方を考えるうえでの、切迫した課題なのである。
そして、このことが、バーナウアーの言う「ポスト・アウシュヴィッツの倫理」の問題と連なっている、と私は考えた。なぜならばフーコーは、ナチのもたらした「バイオ・パワー」が、今なお、いたるところで展開されていると考えたからである。そして「今なお」というのは、フーコーがこの状況を「核兵器」という言葉とむすびつけていたからである。
そこで私は、フーコーが述べた「バイオ・パワー」という概念を、もう一歩拡張させて、「アトム・パワー」の問いとして読み返してゆこうと、この、バーナウアーの論考を読みながら考えたのだった。
以下、翻訳の続きです。
翻訳
生死の彼岸:フーコーにおけるポスト・アウシュヴィッツの倫理(4)
ジェームズ・バーナウアー
ヒムラーは、以前は、内面において純潔と性欲とのあいだで葛藤を繰り広げていたが、今やユダヤ人たちを外部の対象として自身の欲求のはけ口にすることができるようになった。
こうした、ヒムラーただ一人の道徳観の社会的発現によって、この世には、史上まれにみる苦しみがもたらされることになった。
もちろん、ヒムラー個人の倫理のあり方が変ってしまったことが、未曾有の歴史的出来事をすべてもたらしたと言いたいのではない。
しかし、少なくともフーコーの仕事、特に、バイオポリティクスとセクシュアリティの歴史をふまえてみると、ナチズムやアウシュヴィッツの問題に対して、これまでとは異なる、新たな探究の道筋が示されている、と言えるだろう。
そして私たちは、この道筋を歩んでゆく使命があるように思われる。
フーコーが示した探究の方向性は、最近では、ロバート・リフトンによる、ナチの医者や研究者たちに関する研究に、すでに影響を与えている。
Robert Lifton, The Nazi Doctors: Medical Killing and the Psychology of Genocide, Basic Books, August 2000(1986: first edition).
ナチ帝国が、生物学的(人は革命的というかもしれない)純潔性を根本に据えていた一つの「バイオクラシー」つまり、バイオパワーの統治力をもとにした国家であったことを、リフトンはあまりはっきりと描き出してはいない。
しかし、バイオクラシーにおいては、生物学的、医学的研究が、生と死の新たな政治学の先導の役割を担ったことは、間違いない。
かくて、容易に理解できるのは、当時のナチの医者が「国家社会主義が失敗したのは十分に生物の知識を持ち得なかった」と説明するが、こえが誤った解釈であることだ。フーコーの提示する倫理の問いは、そうした誤った解釈を、検討しなおすきっかけになるはずである。
建築家でナチ時代に軍需大臣を務めたアルベルト シュペーアが、当時のことをふりかえり、あのときなぜ、とんでもない悪行がなしえたのかについて、こう語っている。
「物事の秩序を疑うなんてことはあり得なかったのだ。」
(注:「物事の秩序」は、フーコーの『言葉と物』の英語タイトルである)
現代文化に対するフーコーの仕事の最大の寄与の一つは、この「物事の秩序」への問いかけ、つまり、私たちの生死を賭けた歴史と政治をダイナミックに、そして全体的に問うということを可能にしたことである。
生と死を賭けた歴史と政治、それは、こういうことだ。人間の自由のための革命的プログラムを主張すること、そして、人間を改良し純粋なものにするための科学的なプロジェクトの誕生、である。
『監視することと処罰すること』(邦題:監獄の誕生)においてフーコーは、疫病が、現実的かつ想像的に純潔性の夢と、それに現実性を付与するディシプリンを高めるプログラムとを推進させたと論じている。
そこでフーコーは、私たちの知性と道徳の欲求の「自然性」というものを疑いにかけている。
フーコーはいつも、純粋な理性を探るようなことはなかった、ということだ。
彼が関心をもった思考の出現においても、その活動においても、安定性と純潔性はない。
コレージュ・ド・フランスの就任講演においてフーコーは、これまでの思想史においては扱われなかった「偶然、非連続、物質性」という概念を導入し、それを思考の根底に置くことを提唱した。
これは、「純粋理性」ではなく、純粋ならざる理性の実践であり、これまで指摘したように、カント流の人間学を反転させることがフーコーによって目指されたということを意味している。
哲学者たちはしばしば自分たちの任務をこう考える。自分たちの役目とは、生々しい暴露から偶発的な事柄まで、あらゆる事象を人間存在につなぎ合わせることだ、と。
それに対してフーコーはむしろ、そういった事象のつなぎ目をほどこうとしているのである。
確かに彼のそうしたやり方は、かなりの危険を伴う。
彼の仕事は、自分たちが選んでいるよりももっと危険で恐ろしい圏域に私たちを追いやっているかもしれない。
しかし、そうした圏域こそ、私たちの現在史を反照しているのである。
そしておそらくこの恐怖は、ある青年(すなわちフーコー)がポワチエで成長する過程における、思い出の記憶と結びついている。
「戦争の恐ろしさが私たちのバックグラウンドでした。そして、存在の枠組みえでもありました。それから、戦争がはじまりました。家族との暮らしぶりよりも、そうした世界に関する出来事の方が、私たちの記憶の中核をなしているのです。・・・私たちにとってプライベートな暮らしなど、ほとんどありませんでした。おそらくこれが、私が歴史に魅せられる理由であり、個人の経験と自分たちがかかわっている出来事との関係にこだわる理由でしょう。」(リギンスとのインタビュー、1982年より。『思考集成IX』429ページ)
本論考の最初に、私はフーコーのアウシュヴィッツへの訪問を思い返していたが、それは、彼の類稀なる勇気に心打たれたからである。
フーコーが常に深くかかわっていたのが、不純な出来事であり脅威であり、彼からみれば、それらこそ、私たちの死や生に対する感情をつくりだしているものだったのだ。
彼はその腐敗の歴史を訪ねたが、にもかかわらず、彼は、哲学的思索と人間の存在に絶望はしなかった。
「カラマゾフ兄弟」において、アリョーシャは期せずして、父ゾシマが亡くなったあと、その肉体の腐臭に衝撃を受けたが、私にとってフーコーの仕事は、その衝撃力をさらに上回る。
「アリョーシャは父の亡骸を前に立ちつくし、そしてじっと眼を凝らした。そして突然、地に伏した。なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。焦がれるように地に口づけをし続ける。その訳を言うことはできない。しかし、地に涙を滴らせながらも口づけをやめないアリョーシャ。地よ、愛します。地よ、永久にあなたを愛します、と感極まって叫ぶ。」(ドストエフスキー『カラマゾフ兄弟』より)
フーコーがもたらした哲学は、ここで言う「地」にとても近い。そして私もまた、この「地」を愛する。
***
訳注
「偶然、非連続、物質性」というのは、少々分かりにくいがお許しいただきたい。ただ「物質性」についてのみ、注釈として、次の文を引用しておきたい。
「もちろん、ある出来事とは、基体ではありませんし、かといって、アクシデントでもありません。性質でも、過程でもありません。かといって出来事はどれをとっても、物質の秩序には属していない(=有形のものではない)のです。
しかもそれでいながら、出来事は、非物質的であるというわけではありません。なぜならば、出来事は必ず、物質性の次元で効力が生じているのであり、実際に、結果を生み出しているからです。
出来事には、場所がかかわります。物質的な諸要素が連関し、共存し、分散し、再切断され、堆積され、選択されます。行為でも物性でもありませんが、物質的な分散の影響として起こり、物質的分散のなかで生じるのです。出来事の哲学は、一見すると、形なきマテリアリズムという、矛盾した方向に進むことになるでしょう。」(フーコー「 L'ordre du discours ディスクールの秩序」59ページ)
「出来事」を「放射能」と置き換えてみるとよい。ここで語られている「形なきマテリアリズム」の記述が、放射性物資と向き合う私たちのあるべき姿勢をあらわしているように、私には思えるのである。
1回目 アウシュヴィッツ、ヒロシマ、ニューヨーク、フクシマ
2回目 フーコーとナチズム
3回目 バイオ・パワーとナチの倫理としての純潔主義
前置き
世間ではフーコーと言えば、1970年代前後においては、概ね、管理社会批判の文脈で語られることが多かった。とりわけ、「監獄の誕生」など、その典型的作品とみなされてきた。
私ももちろん、そうした理解をしていた。しかし同時に、フーコーが執拗に問い続けた「権力」が、どうも一般的言われる「権力」と大きく異なり、何か違うものをみていると強く感じていたのだが、それがどういうものであるのか、今ひとつ、自分なりの、はっきりとした輪郭をもって描くことができなかった。
そののちに、東浩紀が「環境管理型権力」という言い方をしているのを読んでも、もちろん基本的には彼が言うとおりなのだと思いつつも、どうにも、ちょっとした違和感が残っていた(この違和感については、あらためて後日書きたい)。
しかし、3.11を経て、自らが置かれた状況そして感情が、まぎれもなく、「管理社会」という言葉では言い尽くせない、社会で作動している「力」のありようと深くかかわっていることに気づいたとき、私は戦慄し、鳥肌がたった。
原水爆の破壊力ではない。高濃度の放射能汚染ではない。そうした、廃墟を生み出すような「力」ではない。
閾値に至らず、ただちに健康に影響はない、と述べられる、その微量の放射能の存在。しかしこれがやみくもにあちこちに拡がっている。これこそが、「力」のイメージに相違ないと確信したのだ。
放射能が各地に拡散し続け、今なお危険物が、あの建屋のなかでくすぶり続けている。このことを思うと、真綿でしめつけられているような、緩やかな恐怖にうちふるえる。しかし、多くの人の努力で、その被害は最小限度に抑えられている。
これが、安心なのではなく、むしろ、不安を生み出しているのだ。
戦争もそうだが、人間の心のなかには、「破局」を望むような、破壊衝動のようなものが、生きようとする意欲とともに共存している。
かつての「権力」とは、結局のところ、「生かさず殺さず」という状況に追い込むものとしてとらえられ、そうした拘束に抵抗すること、そこから逃れることが、「権力批判」の主眼であったと思う。
もちろん今回にしても、原発事故が生じた一方では、あまりにもむごい津波の被害があったことを、忘れているわけではない。ましてや、その事態を軽視したいわけでもない。
というよりも、そうした壊滅的な破壊こそが私たちの現実の葛藤の根幹にあったというのに、それのみならず、破壊なき破壊というものが、これほどもまでに過酷なものだということを、まざまざと私たちは知ってしまった、ということが、原発事故のもたらした最大のインパクトであり、私たちのこれからの生存のあり方を考えるうえでの、切迫した課題なのである。
そして、このことが、バーナウアーの言う「ポスト・アウシュヴィッツの倫理」の問題と連なっている、と私は考えた。なぜならばフーコーは、ナチのもたらした「バイオ・パワー」が、今なお、いたるところで展開されていると考えたからである。そして「今なお」というのは、フーコーがこの状況を「核兵器」という言葉とむすびつけていたからである。
そこで私は、フーコーが述べた「バイオ・パワー」という概念を、もう一歩拡張させて、「アトム・パワー」の問いとして読み返してゆこうと、この、バーナウアーの論考を読みながら考えたのだった。
以下、翻訳の続きです。
翻訳
生死の彼岸:フーコーにおけるポスト・アウシュヴィッツの倫理(4)
ジェームズ・バーナウアー
ヒムラーは、以前は、内面において純潔と性欲とのあいだで葛藤を繰り広げていたが、今やユダヤ人たちを外部の対象として自身の欲求のはけ口にすることができるようになった。
こうした、ヒムラーただ一人の道徳観の社会的発現によって、この世には、史上まれにみる苦しみがもたらされることになった。
もちろん、ヒムラー個人の倫理のあり方が変ってしまったことが、未曾有の歴史的出来事をすべてもたらしたと言いたいのではない。
しかし、少なくともフーコーの仕事、特に、バイオポリティクスとセクシュアリティの歴史をふまえてみると、ナチズムやアウシュヴィッツの問題に対して、これまでとは異なる、新たな探究の道筋が示されている、と言えるだろう。
そして私たちは、この道筋を歩んでゆく使命があるように思われる。
フーコーが示した探究の方向性は、最近では、ロバート・リフトンによる、ナチの医者や研究者たちに関する研究に、すでに影響を与えている。
Robert Lifton, The Nazi Doctors: Medical Killing and the Psychology of Genocide, Basic Books, August 2000(1986: first edition).
ナチ帝国が、生物学的(人は革命的というかもしれない)純潔性を根本に据えていた一つの「バイオクラシー」つまり、バイオパワーの統治力をもとにした国家であったことを、リフトンはあまりはっきりと描き出してはいない。
しかし、バイオクラシーにおいては、生物学的、医学的研究が、生と死の新たな政治学の先導の役割を担ったことは、間違いない。
かくて、容易に理解できるのは、当時のナチの医者が「国家社会主義が失敗したのは十分に生物の知識を持ち得なかった」と説明するが、こえが誤った解釈であることだ。フーコーの提示する倫理の問いは、そうした誤った解釈を、検討しなおすきっかけになるはずである。
建築家でナチ時代に軍需大臣を務めたアルベルト シュペーアが、当時のことをふりかえり、あのときなぜ、とんでもない悪行がなしえたのかについて、こう語っている。
「物事の秩序を疑うなんてことはあり得なかったのだ。」
(注:「物事の秩序」は、フーコーの『言葉と物』の英語タイトルである)
現代文化に対するフーコーの仕事の最大の寄与の一つは、この「物事の秩序」への問いかけ、つまり、私たちの生死を賭けた歴史と政治をダイナミックに、そして全体的に問うということを可能にしたことである。
生と死を賭けた歴史と政治、それは、こういうことだ。人間の自由のための革命的プログラムを主張すること、そして、人間を改良し純粋なものにするための科学的なプロジェクトの誕生、である。
『監視することと処罰すること』(邦題:監獄の誕生)においてフーコーは、疫病が、現実的かつ想像的に純潔性の夢と、それに現実性を付与するディシプリンを高めるプログラムとを推進させたと論じている。
そこでフーコーは、私たちの知性と道徳の欲求の「自然性」というものを疑いにかけている。
フーコーはいつも、純粋な理性を探るようなことはなかった、ということだ。
彼が関心をもった思考の出現においても、その活動においても、安定性と純潔性はない。
コレージュ・ド・フランスの就任講演においてフーコーは、これまでの思想史においては扱われなかった「偶然、非連続、物質性」という概念を導入し、それを思考の根底に置くことを提唱した。
これは、「純粋理性」ではなく、純粋ならざる理性の実践であり、これまで指摘したように、カント流の人間学を反転させることがフーコーによって目指されたということを意味している。
哲学者たちはしばしば自分たちの任務をこう考える。自分たちの役目とは、生々しい暴露から偶発的な事柄まで、あらゆる事象を人間存在につなぎ合わせることだ、と。
それに対してフーコーはむしろ、そういった事象のつなぎ目をほどこうとしているのである。
確かに彼のそうしたやり方は、かなりの危険を伴う。
彼の仕事は、自分たちが選んでいるよりももっと危険で恐ろしい圏域に私たちを追いやっているかもしれない。
しかし、そうした圏域こそ、私たちの現在史を反照しているのである。
そしておそらくこの恐怖は、ある青年(すなわちフーコー)がポワチエで成長する過程における、思い出の記憶と結びついている。
「戦争の恐ろしさが私たちのバックグラウンドでした。そして、存在の枠組みえでもありました。それから、戦争がはじまりました。家族との暮らしぶりよりも、そうした世界に関する出来事の方が、私たちの記憶の中核をなしているのです。・・・私たちにとってプライベートな暮らしなど、ほとんどありませんでした。おそらくこれが、私が歴史に魅せられる理由であり、個人の経験と自分たちがかかわっている出来事との関係にこだわる理由でしょう。」(リギンスとのインタビュー、1982年より。『思考集成IX』429ページ)
本論考の最初に、私はフーコーのアウシュヴィッツへの訪問を思い返していたが、それは、彼の類稀なる勇気に心打たれたからである。
フーコーが常に深くかかわっていたのが、不純な出来事であり脅威であり、彼からみれば、それらこそ、私たちの死や生に対する感情をつくりだしているものだったのだ。
彼はその腐敗の歴史を訪ねたが、にもかかわらず、彼は、哲学的思索と人間の存在に絶望はしなかった。
「カラマゾフ兄弟」において、アリョーシャは期せずして、父ゾシマが亡くなったあと、その肉体の腐臭に衝撃を受けたが、私にとってフーコーの仕事は、その衝撃力をさらに上回る。
「アリョーシャは父の亡骸を前に立ちつくし、そしてじっと眼を凝らした。そして突然、地に伏した。なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。焦がれるように地に口づけをし続ける。その訳を言うことはできない。しかし、地に涙を滴らせながらも口づけをやめないアリョーシャ。地よ、愛します。地よ、永久にあなたを愛します、と感極まって叫ぶ。」(ドストエフスキー『カラマゾフ兄弟』より)
フーコーがもたらした哲学は、ここで言う「地」にとても近い。そして私もまた、この「地」を愛する。
***
訳注
「偶然、非連続、物質性」というのは、少々分かりにくいがお許しいただきたい。ただ「物質性」についてのみ、注釈として、次の文を引用しておきたい。
「もちろん、ある出来事とは、基体ではありませんし、かといって、アクシデントでもありません。性質でも、過程でもありません。かといって出来事はどれをとっても、物質の秩序には属していない(=有形のものではない)のです。
しかもそれでいながら、出来事は、非物質的であるというわけではありません。なぜならば、出来事は必ず、物質性の次元で効力が生じているのであり、実際に、結果を生み出しているからです。
出来事には、場所がかかわります。物質的な諸要素が連関し、共存し、分散し、再切断され、堆積され、選択されます。行為でも物性でもありませんが、物質的な分散の影響として起こり、物質的分散のなかで生じるのです。出来事の哲学は、一見すると、形なきマテリアリズムという、矛盾した方向に進むことになるでしょう。」(フーコー「 L'ordre du discours ディスクールの秩序」59ページ)
「出来事」を「放射能」と置き換えてみるとよい。ここで語られている「形なきマテリアリズム」の記述が、放射性物資と向き合う私たちのあるべき姿勢をあらわしているように、私には思えるのである。
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