観たDVD
第五福竜丸
新藤兼人:監督
宇野重吉、乙羽信子:出演
大映:
配給
1959年2月18日:公開

ひとこと感想
同じ実話に基づいた「原爆の子」とは大きく異なり、久保山愛吉の死というクライマックスがあるためか、
ドキュメンタリー性が高く、かつ、全体的にドラマティックな仕上がりとなっている。船上でのシーンの荒々しさと、葬儀に至るなかでの静謐さとのコントラストは見事。

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第五福竜丸事件は、1954年3月に起こった。それから5年後に本映画作品が公開された。7年後の「ヒロシマ」を描いた「原爆の子」と比べて、圧倒的に本作品には監督の「力」が感じられた。

深い「怒り」と「悲しみ」――「原爆の子」では前面に出ていなかった感情が、本作品では、抑えがたく溢れている。

逆に言えば、なぜ、ヒロシマの惨劇は、映像としては、大きく抑制されていたのか、不思議に思う。


本作に関しては、「原爆の子」と異なり、映像やストーリーについても語りたくなる。

とりわけ船上でのやりとりは圧巻である。

第五福竜丸が海路にでているあいだの、船員たちの暮らしぶりは、かなり生き生きと描かれており、その後の展開とのコントラストが巧みだった。

漁の網にサメが引っ掛かってしまうシーンでは、実際に数尾のサメをひとたまりもなく殺してしまうし、マグロやカジキをとりこむシーンも、大きな槌で頭部を思い切り叩くなど、かなり「痛い」映像が続く。

食事のシーン、男同志がじゃれあうシーン、いずれも、溌剌としたものがある。

これが、海の男たちの「実態」なのであろう。

こうした荒くれの男たちが、後半では、全員入院する。病院では、おとなしく、気の弱い様子を見せられると、とても痛々しい。

宇野重吉ほか、船員たちは見事であった。


ところで、ストーリーであるが、全体的に言うと、第五福竜丸が焼津を出港するところから、南洋を航海し、ビキニ沖に至り「死の灰」をかぶる。帰港後、体調が悪くなり全員入院。次第に回復していくなか、ただ一人久保山愛吉だけは芳しくなく、半年後には帰らぬ人となる。遺族は電車で遺骨を焼津に持ち帰り、そして盛大な葬式がとりおこなわれる。


本筋とは無関係かもしれないが、私がもっとも胸を打たれたのは、久保山の遺骨をもって電車で帰郷するシーンである。

当時、ラジオや新聞を中心に、久保山の病状は全国に伝えられていたので、その死を、同じ電車に乗り合わせていた人たちの誰もが知っていても、何ら驚くことはないのであるが、遺族に対して、乗客一人一人が、静かに席から立ち上がり、遺骨を前に礼をしてゆく姿は、久保山の闘病生活が、本当に、多くの人たちにも共有されていたことを感じさせた。

声をかけることもなく、ただ、粛々と、「礼」をすること。

ここには、義務感も好奇心もない。

自然な態度として、習慣として、それでいながら、思いのこもった接し方であると思った。

「喪」というものに対する、民俗習慣の美しさがにじみ出ていた。

この映画を観てよかったと思うのは、なによりも、この光景との遭遇であった。


そして、もう一つ、現在までなお、見解が定かではないが、久保山の死因ならびに船員たちのその後の死因において不可解なのでは、肝臓障害がどのようにして発症したのかである。

その後の原水爆反対運動が盛り上がるなか、こうした厳密な検証はあまり気にかけられずに、情動的な方向に進むが、実際、今なお不可解である。

確かに久保山を含む船員たちは「被爆」し「死の灰」をかぶったし、帰港後に白血球が低下するなど、放射能の影響による体調不良が見られた。

基本的に、放射線障害によって死に至る場合、主な死因は、白血病もしくは悪性腫瘍である。肝臓障害と放射能は、直接は、結びつかないのである。

実際に、輸血による血清肝炎が死因とした場合、直接的な原因は、輸血による感染ではないかと、米国側や高田純などが考えている立場がある。

また逆に、なかには、「久保山さんはガンに至る前に放射線による免疫機能の破壊が原因ともいえる病で命を落とした」と考える、医師の聞間元のような見解もある。

しかし、2009年4月にそれまでどこに行ったか不明であった久保山のカルテと組織標本が、入院していた国立国際医療センター戸山病院の保管庫から見つかっているが、ここからは、この「死因」を決定づけるものは何もなかったようだ。

また、ネットには、「アスペルギルス・フミガーツスという菌が肝臓に感染し→肝不全→多臓器不全」という説も見つかったが、十分な根拠がない。

いずれにしても、死因として、はっきりと放射能の影響、と言い切れるわけではないように思われる。

しかし同時に、放射能の影響で体力や免疫力が落ちて、少なくとも間接的には放射能の影響で亡くなった、とは最低限言えるのではないか。

放射能は関係ない、と言い放つ人間も、極端に放射能が原因で間違いないと言い張る人間も、いずれも私は信用しない。


なお、映画とはまったく関係ないが、興味深い事実が一つある。映画のなかでも登場するが、第五福竜丸の事件がいちはやく報道した新聞社がある。それは、読売新聞である。そう、あの正力率いるヨミウリである。

読売は、第五福竜丸については積極的に報道したわけである。

他方では、「原子力の平和利用」すなわち「原発」をも推進した。

第五福竜丸は、原水爆禁止運動の発端でもあり、象徴でもあったわけだが、同時に、原発推進のための、隠れ蓑のように機能した部分もある。

当時のヨミウリの、第五福竜丸に関する報道と、原子力の平和利用に関する報道とを、対比させて検証したみたいものである。


また、当時の人びとのメンタリティとして、これほどまでの放射能を恐れたにもかかわらず、なぜ、原子力発電はおそれなかったのか、不思議でならない。

「原子力」というものに対する理解が十分ではなかったと考えられるが、同時に、そうした理解をしようという努力を怠っていた部分もあるように思える。

これはひとえに、新聞、ラジオ、映画、小説、評論をはじめとした全メディアによるイメージ戦略が成功したということなのかもしれない。


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