中国が個人情報を提出させる
外国人から税金をきっちりとるために、
個人情報を提出させることが決まった。
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国家税務総局が来月1日に施行する「個人所得税管理弁法」で、外資企業の幹部や従業員を重点徴税対象として定めていることが21日までにわかった。同弁法は高所得者などについて、地方税務当局に常に一定の人数をマークするよう規定。地方税務当局が日本人など在住外国人に対しても個人情報を詳細に把握することになった。弁法施行に絡む税務当局の動きは今後、十分注意する必要がありそうだ。
北朝鮮ではある日突然処分される人がいる
北朝鮮では、政府が人民を処分している。
なんでも、韓国のスパイだったからという理由らしいが、
本当だろうか。そういうウワサを、ライバルの誰かが
流せば、それだけで死刑に決まるような社会なんじゃ
ないだろうか。
全てが国のトップの気持ちしだいで、動いていくのだろう。
そんな国で生きるには、トップに気に入られていることが
大切だ。ちょっとでも嫌われたらお終いだ。
トップに愛されていなければ、いつ処刑されるのか
わかったもんじゃない。独裁者は、自分のいのちを
守るためにへつらう人々に囲まれて、ますます
我が儘になっていく。
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北朝鮮、3年で2万5000人粛清…韓国誌報道
【ソウル=福島恭二】韓国の月刊誌「新東亜」10月号は北朝鮮を脱出した元官僚の手記を載せ、金正日総書記の権力体制を強化するため、社会安全省内に新組織「深化組」が作られ、1997年から2000年にかけ約2万5000人の粛清が強行されたと報じた。
手記によると、「深化組事件」とされる粛清劇で、金総書記の義弟、張成沢(チャン・ソンテク)労働党組織指導部第一副部長(当時)が指揮を執ったという。
1997年に平壌で処刑されたと言われる徐寛熙(ソ・グァンヒ)労働党書記(農業担当)は、農業問題の失策や肥料の横流しを問われたとされているが、手記によれば、公開裁判で朝鮮戦争時代に韓国のスパイだったことなどが糾弾されて死刑判決を受け、観衆から石を投げられて死亡した。
粛清対象者のうち、どの程度が処刑されたかは不明だが、政治収容所に送られたケースもあった。深化組は成果を上げるため、対象者の経歴をでっち上げたり、拷問したりするなど活動が度を超えたことから、社会不安が広がり、金総書記が解体を命じたという。
インドネシア ロンボック島 灼熱の南の島
友達がインドネシアに行きたいと言うので、
ロンボック島に行くことにした。
彼女は自分の猫を置いて長い旅行に行けないと言う。
二泊三日しかダメだと言う。
仕方が無いので、ハードスケジュールだが、
南の島らしい場所を選んだというわけ。
木曜日の夜にバリに着き、インドネシアの友達に
迎えに来てもらい、友達が購入してくれた船の
チケットを持って
そのままタクシーで船着場で向かった。
途中のレストランで食べたミーゴレンがおいしくて
友達は喜んでくれた。ステージでは、
バンドがウエスタンミュージックを歌っていた。
船のチケットは個室を買ってくれていたので、
ベットで寝ながらロンボック島に向かった。
5月の終わりだったが、夜の海の風は結構冷たい。
まっくらなので、海も見えないので寝る。
でも、おしゃべりをしてたらロンボックに着いてしまった。
インドネシアの友達は外の長いすに座っていた。
インドネシアの友達がロンボックの友達に迎えを頼んで
あるというのだが、船着場には誰もいない。
携帯電話で電話すると、「もう少しで行くから、
待っていて。」とのこと。
ロンボックのタクシーの運ちゃんたちが、
「来るわけ無いよ!タクシーに乗っていけ!」と言うが、
もう少しで来ると言うので、ロンボックの友達を待つことにする。
結局、電話するとまた「もう少し。」というのだが来ないので
タクシーに乗る。やっぱりインドネシアは「ゴム時間」だ。
もう少しと言うのは2時間以上のことらしい。
ホテルに着いたら5時だった。しゃべっていたら
8時になった。つまり寝ていないということだ。
海が見えるテラスでのんびり朝ごはんを食べた。
インドネシアの友達がロンボックの友達二人を
連れて現れた。ロンボックの友達が
「昨日は、迎えが遅れてごめんね。」と言うが、
そんなに悪い事をしたようには思っていないのは
明らかだ。
わたしの友達は船着場で怒ったように
しゃべるロンボックのタクシーの運ちゃんたちに
囲まれて恐かったらしく、ゴメンぐらいでは
気分が直らなかった。
インドネシアではよくある話なのだが、旅行中に
待されたのはさすがに辛かった。
9時頃に5人で車に乗って船着場に向かう。ホテルの
近くに小島があって、さんご礁を見ることができる。
途中で山の中の猿にピーナツをやったりして
遊んで、船着場のガレージに着いた。ガリガリの馬が
曳く車輪の壊れた馬車に乗って浜辺まで行く。
浜辺までは、必ず馬車に乗らないといけないらしい。
馬車の馬もおじいちゃんもガリガリで、乗ってあげなければ
いけないと思った。
船に乗って小島に着いたら、さんご礁を見る船は10時に
出た後でインドネシアの友達は「しまった。」と言っていた。
わたしと友達は、特にさんごを観るのを楽しみにしていた
わけではなかったので、小島のレストラン街の一つに入って、
海を見ながらのんびりジュースを飲んでいた。
「ビーチを見に行く?」と、レストランのボク達が言うので、
わたしと友達と、レストランのボクたちの4人で、ビーチに
行った。すると、ヨーロッパ人やオーストラリア人が
うじゃうじゃビーチに寝転がっているではないか!!
しかも、みんなビキニばっかり!!
わたしと友達はビキニを持ってきていない。南の島で
ジムで使っている競泳用水着は似あわないと瞬時に悟った。
悟るのが遅かったが、どうせ着替えの場所などもない。
それより、外人のおんなたちはビキニのブラを外している!!
突然友達が日本語で叫んだ。
「お姉さ~ん!見て~!トップレス~!!」
「英語でしゃべったら何言っているかバレるやろ!!」と、焦って
言うと、友達は、
「ふん。発音が悪いから分からへんよ。」と、別に平気な様子だ。
海の水の色はエメラルドのようで、まるでそのまま絵ハガキに
なりそうな
ロケーションだった。白い砂の上に寝転がって、
思い思いの格好でくつろぐ外国のトップレスのおんなたちに
気後れがして、二人で貝殻やさんごのかけらを拾ったり
して遊んだ。
「次回はビキニを買ってこようね。ここではワンピースだと逆に
目立つ!」と、二人とも、泳ぐ気ゼロ。
外国のおんなたちって、わたしたちも、ここでは
外国人なんだけど、インドネシアって感じがしなかった。
どこか、違う場所のようだった。
みんな肌を真っ赤に焼きながら、本を読んだり、ボーイフレンドに
もたれかかって昼寝したりしている。
木陰に座って外国のおんなたちを見学していたレストランのボクが、
「外国人はこの島が大好きなんだ。自由だから。」と、言う。
「自由って、どんな自由?」と、聞くと。
「警察もいないから好きな事ができるんだ。」と、答えた。
わたしと友達はあまりの暑さにへたばってきて、
レストランに帰る事にした。
戻ってみると、インドネシアの友達とロンボックの友達も
ぐったり疲れていたので、直ぐ帰ることにした。
帰りは暑いので船着場まで馬車に乗りたいと友達に言うと
「もう持ってきたお金は空っぽやで。」と言う。
誰も現金を持っていないことが判明した。
わたしたち5人は十分なお金を持たずに島に来ていたのだ。
仕方なく、昼ごはん抜きでもと来た道を逆戻りして、
ホテルに帰ることにする。
ロンボックの船着場で、子供たちが、ペットボトルの水を
さっと足にかけて砂を洗い流してくれた。
学校に行きたいから、お金をくださいと年配の11歳ぐらい
の子が言う。このへんの子は本当に貧乏なんだそうだ。
インドネシアの友達がなけなしの5000ルピアを渡し、
3人で分けなさいと言う。お金があればもっとあげても
いいんだけど、わたしたちも貧乏で、駐車場までの
馬車代しか残ってなかった。
違うホテルに泊まりたいと友達が言うので、道の途中で
見つけたコテージが海辺に立ち並ぶ素敵なホテルに
寄った。わたしと友達の姿を見て貧乏旅行と判断してくれたのか
格安でコテージに泊まらせてくれた。
外見は木でできたバンガローといった感じだが、内装は
ゴージャスだった。
韓国人のツアー客がにぎやかにロビーで談笑していた。
ロンボック島は、本物の灼熱の南の島だ。
こんなところにも韓国人がきているんだあと、ぼんやり
思った。日本人はバリ島しか知らない。
ロンボック島は、通が通う島なのだ。ダイバー達はバリ島は
素通りして、ロンボック島に来る。
ホテルでインドネシアの友達とロンボックの友達二人も呼んで
昼ごはん兼晩ごはんを食べた。みんな小食でナシゴレンや
ナシチャンプールしか食べない。
夜は友達と、ホテルのおみやげ物屋を覗いてみた。
ホテルで両替して現金も手にしたので、優雅にバーにも
入ってみた。
ココナッツジュースと、ホテルのサービスの飲み物を
飲んで部屋に帰った。
急に日焼けしたので、目の下にシミの予備軍ができていた。
顔がピリピリ日焼けで痛くて、若くも無いのに日焼け止め
無しでビーチを歩いたことを後悔した。
次の日は昼までにバリの飛行場に戻らねばならない。
帰りは高速艇に乗って帰った。船着場では、行きで
使ったタクシーの運ちゃんが待っていた。
途中でおいしいバリのレストランに入った。タクシーの
運ちゃんはおいしい店をよく知っている。
一緒にたべませんか?と勧めたら「ごはんよりお金を
くれるほうがいいです。」と言われた。
インドネシアの友達がクタビーチで夕日を見せてくれた。
友達はビーチのおばちゃんたちに捕まって、髪を三つあみ
にしていた。ネイルも塗ってもらっていた。
それから、近くのスーパーで、お土産を山ほど買った。
お土産だからビニール袋をたくさんくださいと、
レジのおねえちゃんに言ったら断られた。
友達は怒って大声で日本語で怒鳴っていた。
スーパーの係員が来て、レジ袋は無事にもらえた。
タクシーの運ちゃんは、飛行場で急に邪悪な顔つきになり
インドネシアの友達は約束の料金より10万ルピアよけいに
取られていた。スーパーで待たされたのが別料金になった
らしい。晩ごはんも食べていないし!と、怒っているよう
だった。どうも怒るのも計算済みだったようだ。
インドネシアの友達は「バリ人は恐い。」と、言っていた。
タクシー代は、インドネシアの友達が払ってくれた。
インドネシアの友達はわたしたちが、飛行場に入る時、
こころから嬉しそうに笑って手を振ってくれた。
「やっと、帰った。やれやれ。」といった感じ。ロンボックの
友達の家で夜中にサッカーの試合を観たので
二日間寝ていないらしい。夜はバスでジャワ島に帰るので
三日寝ないということになる。ご苦労様でした。
二泊三日でこれだけ楽しんだら上等だ。
夜の飛行機でジャカルタに飛んで、日曜日の朝に
日本に着いた。友達の家に置いておいた車で
そのまま二人で教会に行ったが、二人ともそんなに
疲れてはいなかった。
友達はしばらく、スーパーで買った調味料でミーゴレンや
ナシゴレンなどを作ってインドネシアの味を楽しんでいた。
中国 桂林 河くだり 奇岩群
桂林で河くだりをして奇岩群を観る。
それは、ひとつの贅沢だ。
とろんとした濃厚な緑色の河の流れに
身を任せ、(騒々しい観光船に乗っていたとしても)
本やテレビで見た景色を、実際に自分の目で見るのは
やっぱり、エキサイティング。
いろいろ奇岩には名前が付いているらしいけど、
説明なんか聞かなくても楽しい。
次から次へと目の前に現れる奇妙な形の岩と空の
境目を見ていると、中国に来たんだなあという
感動もある。楽しく写真を撮ったり、景色を眺めて
興奮する。しかし人間とは不思議な生き物だ。
興奮は長くは続かないのだ。
次から次へと流れていく奇岩群のパノラマを
観てずっと興奮していたいのに、なぜか
それがだんだん当たり前の景色になっていくのだ。
「ここに住んでいる人たちも、この景色が当たり前に
なっているんだろうなあ。」
そんなことを考えながら船を降りる。
地元の人が細い舟に乗って、長いさおを河にさして
ゆったりと進んでいくのが見える。
桂林を観なければ中国を楽しんだとは言えない。
誰かがそう言っていたっけ。分かるな。
街にたくさん植わっている金木犀(きんもくせい)の
香りが印象に残った。金木犀は中国語で桂花(コエホア)
と呼ぶ。桂林の花という意味だろうか。
おみやげに金木犀の花茶を買った。桂花茶は番茶に
花の香りを付けたようなお茶だ。金木犀のオレンジ色の
花が茶葉の中に入っていて、可愛い。
ホテルでは、へびのスープとか、かえるの料理が
出た。かえるは足の形が生前の姿を彷彿とさせる
ので、ちょっと気になるが味は淡白なチキンのようで
粘りもあっておいしい。へびは細く切ってあるので
言われるまでへびだと気が付かなかった。
桂林の女の子と友達になった。
一緒に河の側の大きな穴が開いている岩に
観光に行ってくれた。
二回目に桂林に行った時、仕事場に会いに行ったけど、
ちょうど休んでいて会えなかった。
日本に留学してみたいと手紙が来たけれど、保証人は
年収600万円以上の人しかなれないということが分かって、
残念だけど諦めてもらった。だって、わたし,日本ではあなたと
同じ普通の人だもん。
アメリカで本当にあったもったいない話。
ラジオで聞いたホントの話。アメリカで自営業を
営んでいる一人住まいの独身男性が、ある朝
お母さんに電話で「明日から、仕事でちょっと遠いところに
出かけて、しばらく帰らないから。」と、言ったんだ。
お母さんは、「あ、そう。」と答えて、ずっと待ってたんだって。
10年たって、家賃が銀行から落ちないと、家主から
連絡があったんだって。(銀行から連絡があったのかも。)
お母さんが心配して、息子の家に行ってみると、息子が床の上に
倒れて死んでいたんだって。10年前の、仕事で遠くへ行く日
の朝に、心臓発作かなにかで死んだらしいんだ。
でも、誰も、彼が死んでいることに気が付かず、銀行口座からは
家賃とか電気代とかが引き落とされていたんだって。
お母さんは、銀行口座の預金額がゼロになって初めて、
おかしいと気が付いたんだ。
仕事で遠くに出かけて連絡が無いのはよくあることだったんで、
気にしなかったらしい。
死んでいるのに家賃を払わされていたんだね。
貯金が全部無くなっちゃって、息子も死んでいて残念だったね。
年金欲しさに親の死体と5年間過ごしたフランスの人
日本には、お年寄りがいっぱいいるが、親の年金欲しさに
亡くなったのに報告していない人もいた。
最近では、日本でも生存を確認していないのに、100歳を超えて
いるとされていた人々が500人ぐらいいた。
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年金欲しさに死んだ母親と5年間をともにしたフランスの男性がつかまる
悲しいニュースです。母親の毎月700ユーロの年金が欲しいがために、死んだ母親と5年間暮らしたフランスの男性が警察にとうとう逮捕されてしまいました。
ゴミだらけの2つの部屋のアパートメントで警察が死体を発見した後に、病院の死体安置所で働いていた男性は詐欺と死体隠しの罪で起訴されました。警察は、家賃やその他の請求の滞納で男性のアパートに行きました。
男性は、母親の声を真似することで社会福祉の人達をだましてきたとのことです。
母親は94歳で自然死しました。
http://shop.biotoday.com/view.php?n=30
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病院で死体安置所で働いていた人なので、死体には慣れていたんだろうな!!
プチ断食の勧め
無料メルマガにプチ断食の勧めが載っていた!
でも、病人や骨粗鬆症の人は断食しちゃダメだよ。
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内蔵をリフレッシュ!週末は自宅で『プチ断食』
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飽食の時代の現代人は、3食の食事以外にも間食や夜食を摂り、
栄養を摂り過ぎた結果、その消化と排泄のために内蔵が酷使され
疲れきっている状態です。
便秘や肌荒れ、なかなか取れない疲れで困っていませんか?
そんな内蔵にリフレッシュ休暇を与えて、正常に働ける状態に
してあげる。それが「プチ断食」です。
1日だけ野菜ジュースや水だけで過ごすカンタンなプチ断食。
疲れた内臓を休め、体内の老廃物を排泄することで、体質改善や
ダイエットに効果があると注目されています。
単純に1日食事抜き!というわけではなく、前日や翌日の食事も
気をつけなければいけません。
断食中に飲む飲み物でも、結果に差がつきます。
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プチ断食で、痩せやすいカラダに
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基本的に、余計なエネルギーは体脂肪という形で備蓄されます。
しかし、人間は体脂肪以外にも肝臓や筋肉にグリコーゲンとして
エネルギーを貯蔵しているので、栄養が不足してもこちらの方を
優先的に使います。
ですから、余計な体脂肪を減らすためには、グリコーゲンの備蓄
エネルギーを使い切ることが必要となります。
肝臓に蓄えた栄養も、筋肉中の栄養も、血液中の栄養も、すべて
使い切って、最後に残った体脂肪を、ガンガン燃焼させるために
最も効率が良いのが「短期間の断食」です。
たとえ、断食直後に体重がそんなに減っていなくても、断食後は
痩せやすい状態になっているということ。
さらに断食後は、自然に食べる量が減って少食になり、油っぽい
ものがそれほど欲しくなくなるなど、食の好みが変わるのも魅力。
しかし、プチ断食は単なる「ダイエット法」ではありません。
目指すのは「体質改善」。体の若返りです。
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健康増進効果
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週末断食のメリットは、過食や飲酒、ストレスなどで酷使され、
慢性的な疲労状態にある腸や肝臓に休息を与え、その本来の機能
を正常化させることです。
たとえ1日の断食でも、消化・吸収にフル回転してきた腸を始め
胃や肝臓、腎臓、膵臓など、過食や飲酒、ストレスなどで慢性的
な疲労状態にある消化器などを休ませる事ができます。
更に、内臓に血液を送る心臓循環系や、消化に必要な酸素を供給
してきた肺なども休まります。
すると、内臓の活力がよみがえってきます。
年齢と共に衰えていく内蔵機能が、少し若返るのです。
腸であれば、蠕動(せんどう)運動が活発になって便通が良くなり
消化吸収も高まります。
毎日のように過剰に食べ続けていると、処理しきれない食べカス
などが腸管内に滞留して宿便となりますが、断食によって宿便の
排泄が始まるのです。
また、空腹時には老廃物の排泄が活発になります。
断食中に口臭や汗の匂いが強くなるのは、老廃物の排泄が盛んに
なるからです。
腸には多くの腸内細菌が棲んでいますが、その中の悪玉菌と善玉
菌のバランスが、腸の働きを左右することはご存知ですね。
そのバランスを劇的に変化させることができるのも「断食」なの
です。
悪玉菌が作る、身体に有害な腐敗産物が発生させる有害物質は、
便やオナラを臭くするほか、腸から血液に放出され、血液をドロ
ドロに汚し、血行も悪くします。
「全ての病気は血液の汚れから・・・」と言う言葉があるようで
すが、その血液の質を決めるのは「腸内細菌」なのです。
断食中や断食後に飲食するものを工夫すれば、断食で、腸内細菌
のバランスを整えることが、カンタンにできてしまいます。
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精神と五感が鍛えられる
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また、多くの宗教で断食を行うように、断食は精神修養にも大き
な効果を発揮します。
あなたが、もし、日常の生活でストレスを受けているなら、その
日常から離れて精神的な疲労を取り除くことができます。
最近では、断食をすると、免疫機能が強化されたり、脳の栄養が
糖から脂肪由来のケトン体になるために、ストレスに強くなった
り、ある種のリラックス感を得ることが科学的な研究でも報告さ
れているのです。
日常の多忙な生活から離れ、暇に思えるほどゆっくりとした時間
を過ごす週末のプチ断食は「心の断食」でもあります。
食事にとられる時間がないので、1日の時間が増えたように感じ
ることでしょう。
断食中は激しい運動は控え、何もせず、ぶらぶらと散歩したり、
本を読んだり、自分と向き合う時間を持つのにもってこいです。
また、断食中はなぜか、五感が鋭くなり、特に「におい」に敏感
になります。
今まで感じなかった、風が運ぶ花の匂いや洗濯物の太陽の匂いに
気が付くかもしれません。
断食後に「味の濃いもの」「こってりしたもの」が食べたくなく
なるのは、今まで刺激物に慣らされ、鈍感になっていた味覚が、
敏感になるせいかもしれません。
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注意事項
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ただし、長期の断食をすると、体脂肪ではエネルギーの供給が間
に合わなくなり、体内のたんぱく質、すなわち筋肉がエネルギー
として使われてしまい、筋肉が減ってしまいます。
筋肉が衰えると、腰痛など様々な症状を引き起こしたり、基礎代
謝量が減少して、太りやすくなりかねません。
自己流で、2日以上の本断食をしないようにしてください。
また、糖尿病を含む生活習慣病をお持ちの方、成長期の小中高生
妊娠中、または授乳中の方、医師の処方にかかっている方など、
健康上に問題を抱えている方は、断食を行わないでください。
19歳でも結婚する方法
インドのおじょうちゃんは頑張った。
でも、ボーイフレンドのお兄ちゃんも
よくやるよ。偽装結婚をして、21歳になるのを
待つというわけか。
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あなたが大人になるまで、、、、。
インドの女子大生が、10代のボーイフレンドと一緒の家に住みたいがために、ボーイフレンドが結婚できる年齢になるまで、ボーイフレンドの兄と暫定的に結婚しました。Indian Expressが9月13日に報じたニュースです。
19歳のSneha Patelさんは、同じく19歳のYash Kishan Parmar氏と恋に落ち、彼女の親が反対するにも関わらず、彼と結婚したいと思いました。
しかしインドの法律では女性は18歳、男性は21歳になるまで結婚できません。かといって、同棲生活はインドでは一般的ではありません。
そこでPatelさんは彼の兄と結婚し2年後に別れるという提案をしました。
彼の兄は、ひとまず結婚して2年後に別れ、別れた後は彼女を弟の妻として扱うという契約書にサインしたとのことです。[2005-09-17]
http://shop.biotoday.com/view.php?n=28&key=%B7%EB%BA%A7
愛するものに死なれたら
愛するものに死なれたら、人はその喪失に苦しむ。
愛はこころのなかに、まだたっぷりあるのに、その対象は
動かぬむくろと化してしまった。受け入れがたい現実である。
その愛するものと、過ごした幸せな時間が、空間が、充実した
想いが、死によって断ち切られてしまったのだ。
愛するものが死んだときに、これからも幸せに暮らせたで
あろうと、予測された未来は消えてしまう。
人は心の中に、夢を持って生きる生き物なのだ。
愛するものと共に生きる夢が消えたので、人は絶望に
打ちのめされる。この現実に耐えて生きなければ
ならなくなる。
愛するもの抜きの人生が始まる。その未来におびえる。
そして、終わることの無い後悔の念に襲われる。
もっと、一緒にいてあげればよかった。あの時、こうすれば
もしかすると、もっと、長く一緒に過ごせたかもしれない。
もっと優しくしてあげればよかった。もっと早く
異変に気が付けばよかった。そして、自分を責めだす。
悲しみを薄めるために、別の痛みを加えだす。そして、
病院に対して疑い、自分に怒り、十分な事をしてやれなかった
過去を反復して悔やんでみる。本当は悲しいだけなのだ。
愛するものを失った事が悲しいのだ。
死んでしまったものは、もう側にはいない。
ただし、死んでしまった後にも、愛するものが、残して
くれるものがある。愛する対象に出会えたという幸せ。
一緒に過ごした思い出。愛するものが、愛で答えて
くれたという事実と、それによって得た経験と自信。
こころの中に、愛するものは生き続けている。過去が
あって、今がある。今があって未来がある。人は時間の
中に閉じ込められて出られない。神さまなら、時間の外
から、過去も未来も見えるのだろう。
夜空の星の光も何億光年も昔の光線が届いたもの。
愛するものがくれた愛は、過去のもので、今は無い。
けれども、今でもその愛は有効なのではないか?
実体は側にいなくても、光は見えているのではないか?
時間の外から見るならば、愛するものと過ごした
時間はまだそこにあるのではないか?悲しみが大きいほど
もらった愛は大きかったともいえるのではないか?
愛するものが望むことは、未来に続く幸せだとすれば、
いつまでも悲しみに打ちひしがれていてはいけない。
残されたものや時間を数えて、前に踏み出すのが
いい。神さまに、今までの幸せと、今ある幸せを
感謝して、明日に向かって行くのがいい。
愛するものに愛されたことに誇りを持って、もらった愛を
大切に育んで次のものに与えるのがいい。
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10ヶ月前に、13年一緒に過ごしたN猫ちゃんが死んで
久々に悲しい想いをした。今でも思い出せば泣いてしまうけど、
N猫ちゃんに出会えて幸せだった。
優しい猫だった。友達もみんな認めるほどすごい猫だった。
N猫ちゃんのオーナーになれたことを誇りに思っている。
北朝鮮は核を持ってはならないと、全ての国が思う。
北朝鮮が、ゴネるのには、もう飽きた。
核の放棄が先にきまっているだろうよ。
インドは持ってもいいが、イランはダメだ。
パキスタンはインドが持ったから、持ちたくなった
のだから、その気持ちはわかる。
核を直ぐ使いそうな国は持ってはダメだと
いうことなのかな。
日本はどう思われているんだろう。
中国とロシアは持ってもいいが、日本は
ダメなのかな。
国連とは、前回の戦争に勝った国で運営する
もので、負けた国が何かをしでかした場合、
勝った国は国連の承認を得ずに攻めることが
できると書いてある文があるんだそうだ。
その文章は外してもらいたいな。
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核の先行放棄は北朝鮮も承服…米国務次官補が強調
【ワシントン=坂元隆】北朝鮮核問題を巡る6か国協議で米首席代表を務めるクリストファー・ヒル国務次官補は20日、ロイター通信との電話インタビューで、核放棄なしに軽水炉問題が議論されないことを北朝鮮も承服した上で共同声明が採択された、との見方を強調した。
北朝鮮外務省報道官が20日、「核拡散防止条約(NPT)復帰は軽水炉提供の後に行う」との立場を表明したことに反論したものだ。
ヒル次官補は、「北朝鮮は、NPT復帰前には他の協議参加国が軽水炉について議論できないことを知っている」と述べ、北朝鮮が意図的に揺さぶりをかけているとの考えを示唆。また、「このような発言はこれが最後ではないだろう」とも語った。次官補はさらに、北朝鮮が核放棄の見返りを受け取れる時期について、「核放棄が進行し、終了するまでの間のいつか」の時点と明らかにした。
一方、ライス国務長官は20日の記者会見で、北朝鮮の表明に「こだわるつもりはない」と、とりたてて問題にしない意向を示した。ライス長官は、軽水炉に関し共同声明では「適当な時期に議論を行う」とだけ記されていることを指摘、NPTを脱退したままの北朝鮮に軽水炉を提供するのは論外との見方を示した。