インドネシア ロンボック島 灼熱の南の島
友達がインドネシアに行きたいと言うので、
ロンボック島に行くことにした。
彼女は自分の猫を置いて長い旅行に行けないと言う。
二泊三日しかダメだと言う。
仕方が無いので、ハードスケジュールだが、
南の島らしい場所を選んだというわけ。
木曜日の夜にバリに着き、インドネシアの友達に
迎えに来てもらい、友達が購入してくれた船の
チケットを持って
そのままタクシーで船着場で向かった。
途中のレストランで食べたミーゴレンがおいしくて
友達は喜んでくれた。ステージでは、
バンドがウエスタンミュージックを歌っていた。
船のチケットは個室を買ってくれていたので、
ベットで寝ながらロンボック島に向かった。
5月の終わりだったが、夜の海の風は結構冷たい。
まっくらなので、海も見えないので寝る。
でも、おしゃべりをしてたらロンボックに着いてしまった。
インドネシアの友達は外の長いすに座っていた。
インドネシアの友達がロンボックの友達に迎えを頼んで
あるというのだが、船着場には誰もいない。
携帯電話で電話すると、「もう少しで行くから、
待っていて。」とのこと。
ロンボックのタクシーの運ちゃんたちが、
「来るわけ無いよ!タクシーに乗っていけ!」と言うが、
もう少しで来ると言うので、ロンボックの友達を待つことにする。
結局、電話するとまた「もう少し。」というのだが来ないので
タクシーに乗る。やっぱりインドネシアは「ゴム時間」だ。
もう少しと言うのは2時間以上のことらしい。
ホテルに着いたら5時だった。しゃべっていたら
8時になった。つまり寝ていないということだ。
海が見えるテラスでのんびり朝ごはんを食べた。
インドネシアの友達がロンボックの友達二人を
連れて現れた。ロンボックの友達が
「昨日は、迎えが遅れてごめんね。」と言うが、
そんなに悪い事をしたようには思っていないのは
明らかだ。
わたしの友達は船着場で怒ったように
しゃべるロンボックのタクシーの運ちゃんたちに
囲まれて恐かったらしく、ゴメンぐらいでは
気分が直らなかった。
インドネシアではよくある話なのだが、旅行中に
待されたのはさすがに辛かった。
9時頃に5人で車に乗って船着場に向かう。ホテルの
近くに小島があって、さんご礁を見ることができる。
途中で山の中の猿にピーナツをやったりして
遊んで、船着場のガレージに着いた。ガリガリの馬が
曳く車輪の壊れた馬車に乗って浜辺まで行く。
浜辺までは、必ず馬車に乗らないといけないらしい。
馬車の馬もおじいちゃんもガリガリで、乗ってあげなければ
いけないと思った。
船に乗って小島に着いたら、さんご礁を見る船は10時に
出た後でインドネシアの友達は「しまった。」と言っていた。
わたしと友達は、特にさんごを観るのを楽しみにしていた
わけではなかったので、小島のレストラン街の一つに入って、
海を見ながらのんびりジュースを飲んでいた。
「ビーチを見に行く?」と、レストランのボク達が言うので、
わたしと友達と、レストランのボクたちの4人で、ビーチに
行った。すると、ヨーロッパ人やオーストラリア人が
うじゃうじゃビーチに寝転がっているではないか!!
しかも、みんなビキニばっかり!!
わたしと友達はビキニを持ってきていない。南の島で
ジムで使っている競泳用水着は似あわないと瞬時に悟った。
悟るのが遅かったが、どうせ着替えの場所などもない。
それより、外人のおんなたちはビキニのブラを外している!!
突然友達が日本語で叫んだ。
「お姉さ~ん!見て~!トップレス~!!」
「英語でしゃべったら何言っているかバレるやろ!!」と、焦って
言うと、友達は、
「ふん。発音が悪いから分からへんよ。」と、別に平気な様子だ。
海の水の色はエメラルドのようで、まるでそのまま絵ハガキに
なりそうな
ロケーションだった。白い砂の上に寝転がって、
思い思いの格好でくつろぐ外国のトップレスのおんなたちに
気後れがして、二人で貝殻やさんごのかけらを拾ったり
して遊んだ。
「次回はビキニを買ってこようね。ここではワンピースだと逆に
目立つ!」と、二人とも、泳ぐ気ゼロ。
外国のおんなたちって、わたしたちも、ここでは
外国人なんだけど、インドネシアって感じがしなかった。
どこか、違う場所のようだった。
みんな肌を真っ赤に焼きながら、本を読んだり、ボーイフレンドに
もたれかかって昼寝したりしている。
木陰に座って外国のおんなたちを見学していたレストランのボクが、
「外国人はこの島が大好きなんだ。自由だから。」と、言う。
「自由って、どんな自由?」と、聞くと。
「警察もいないから好きな事ができるんだ。」と、答えた。
わたしと友達はあまりの暑さにへたばってきて、
レストランに帰る事にした。
戻ってみると、インドネシアの友達とロンボックの友達も
ぐったり疲れていたので、直ぐ帰ることにした。
帰りは暑いので船着場まで馬車に乗りたいと友達に言うと
「もう持ってきたお金は空っぽやで。」と言う。
誰も現金を持っていないことが判明した。
わたしたち5人は十分なお金を持たずに島に来ていたのだ。
仕方なく、昼ごはん抜きでもと来た道を逆戻りして、
ホテルに帰ることにする。
ロンボックの船着場で、子供たちが、ペットボトルの水を
さっと足にかけて砂を洗い流してくれた。
学校に行きたいから、お金をくださいと年配の11歳ぐらい
の子が言う。このへんの子は本当に貧乏なんだそうだ。
インドネシアの友達がなけなしの5000ルピアを渡し、
3人で分けなさいと言う。お金があればもっとあげても
いいんだけど、わたしたちも貧乏で、駐車場までの
馬車代しか残ってなかった。
違うホテルに泊まりたいと友達が言うので、道の途中で
見つけたコテージが海辺に立ち並ぶ素敵なホテルに
寄った。わたしと友達の姿を見て貧乏旅行と判断してくれたのか
格安でコテージに泊まらせてくれた。
外見は木でできたバンガローといった感じだが、内装は
ゴージャスだった。
韓国人のツアー客がにぎやかにロビーで談笑していた。
ロンボック島は、本物の灼熱の南の島だ。
こんなところにも韓国人がきているんだあと、ぼんやり
思った。日本人はバリ島しか知らない。
ロンボック島は、通が通う島なのだ。ダイバー達はバリ島は
素通りして、ロンボック島に来る。
ホテルでインドネシアの友達とロンボックの友達二人も呼んで
昼ごはん兼晩ごはんを食べた。みんな小食でナシゴレンや
ナシチャンプールしか食べない。
夜は友達と、ホテルのおみやげ物屋を覗いてみた。
ホテルで両替して現金も手にしたので、優雅にバーにも
入ってみた。
ココナッツジュースと、ホテルのサービスの飲み物を
飲んで部屋に帰った。
急に日焼けしたので、目の下にシミの予備軍ができていた。
顔がピリピリ日焼けで痛くて、若くも無いのに日焼け止め
無しでビーチを歩いたことを後悔した。
次の日は昼までにバリの飛行場に戻らねばならない。
帰りは高速艇に乗って帰った。船着場では、行きで
使ったタクシーの運ちゃんが待っていた。
途中でおいしいバリのレストランに入った。タクシーの
運ちゃんはおいしい店をよく知っている。
一緒にたべませんか?と勧めたら「ごはんよりお金を
くれるほうがいいです。」と言われた。
インドネシアの友達がクタビーチで夕日を見せてくれた。
友達はビーチのおばちゃんたちに捕まって、髪を三つあみ
にしていた。ネイルも塗ってもらっていた。
それから、近くのスーパーで、お土産を山ほど買った。
お土産だからビニール袋をたくさんくださいと、
レジのおねえちゃんに言ったら断られた。
友達は怒って大声で日本語で怒鳴っていた。
スーパーの係員が来て、レジ袋は無事にもらえた。
タクシーの運ちゃんは、飛行場で急に邪悪な顔つきになり
インドネシアの友達は約束の料金より10万ルピアよけいに
取られていた。スーパーで待たされたのが別料金になった
らしい。晩ごはんも食べていないし!と、怒っているよう
だった。どうも怒るのも計算済みだったようだ。
インドネシアの友達は「バリ人は恐い。」と、言っていた。
タクシー代は、インドネシアの友達が払ってくれた。
インドネシアの友達はわたしたちが、飛行場に入る時、
こころから嬉しそうに笑って手を振ってくれた。
「やっと、帰った。やれやれ。」といった感じ。ロンボックの
友達の家で夜中にサッカーの試合を観たので
二日間寝ていないらしい。夜はバスでジャワ島に帰るので
三日寝ないということになる。ご苦労様でした。
二泊三日でこれだけ楽しんだら上等だ。
夜の飛行機でジャカルタに飛んで、日曜日の朝に
日本に着いた。友達の家に置いておいた車で
そのまま二人で教会に行ったが、二人ともそんなに
疲れてはいなかった。
友達はしばらく、スーパーで買った調味料でミーゴレンや
ナシゴレンなどを作ってインドネシアの味を楽しんでいた。