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『にゃんころがり新聞』

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

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にゃんく

 

 

 

 

 

 第Ⅱ章 奪われた光と奪われた恋人

 

 

  Ⅰ リーベリの奇妙な家来たち

 

 

 ミミは死んではいませんでした。ただ痛みのために気を失っていただけです。リュシエルはミミに服を着せると、隣近所の家に助けを求めました。幸い、五十メートルほど離れた隣家の住人が、消毒液を貸してくれたり、隣町からお医者様を呼ぶ手筈を整えてくれたりしました。
 リュシエルが何度も呼びかけているうちに、ミミは意識を回復しました。
 ミミの美しかった顔は今では見る影もなく赤黒く爛れて別人のようになっていました。爛れた部分は火傷をしたように熱を持っていて、しばらく湯気が漂っていました。ミミの両目の色は時間が経つごとに、紫から黒に変色し、みるみる輝きを失っていきました。
 そのうちにケイが家に帰って来ました。
 ケイはリューシーとミミから、おおまかな事の顛末を聞き取ると、リーベリのことを激しく罵りはじめました。
 ミミはその頃には痛みのためにのたうち回るような状態からは脱していましたけれど、時々、「痛いよぉ」とか、「熱いよぉ」などと苦しそうな声を上げるのでした。
 やっとのことで隣町からお爺さんのお医者様と太った看護婦さんがやって来ました。
 お医者様はケイから説明を受けた後、ミミを一瞥して眉を顰めました。
 お医者様はしばらく治療方法について思いを巡らせた後、決心したように黒い鞄の中から、瓶に入った何かの薬品を取り出し、それをミミの顔に二、三滴垂らしました。その途端ミミはもの凄い叫び声をあげて苦しみはじめましたので、お医者様は吃驚して、垂らした薬品を慌てて柔らかいガーゼで拭き取りました。ガーゼには黒く変色したミミの皮膚がこびりつきました。
 お医者様は、ミミの両目を覆うようにぐるっと包帯を巻いて、ミミをそっとベッドに寝かせました。
「目が強烈な毒で犯されておるな。……残念じゃが、両目は近いうちにほとんど見えなくなってしまうぞ」
「目が見えなくなるですって! そんな、何とかならないんですか?」
 ケイはお医者様に泣きつきました。隣にいた太った看護婦さんがお医者様の耳元で、「どうにかならないんですかって!」と大声で叫ぶと、お医者様は首を振って、「強い詛いの魔法がかけられているようじゃ。悪いが、わしの腕ではお手上げじゃ。家に戻っても、消毒液くらいしかないからの」
「王宮府にいる医者に診せればどうですか?」リュシエルがたまりかねたように話に割って入りました。「都なら、腕の良い医者もいるし、設備も整っています」
 看護婦さんがまた、都の医者に診せればどうですか、と大声で復唱しました。
「それもひとつの方法じゃが……」
「目はまた元通り見えるようになるのですか?」リュシエルは大きな声で医者に訊ねました。
「それも分からん。こんなことは初めてじゃしな」
 その後、包帯やガーゼ、鎮痛剤などの薬を処方した後、「傷口は清潔にしておくこと。薬品をつけるのは逆効果になるようじゃから水でお洗いなさい。一週間後にまた診せておくれ」と云い残して、お医者さまと看護婦さんは帰って行きました。
 ケイは大きなお尻をぷりぷり振りながらリーベリの部屋まで突進して、力の限り扉を開けました。扉が壁に打ち付けられる大きな音が響きましたけれど、部屋の中には誰もいませんでした。
「リーベリが帰って来たら、ただではおかないから! こうなったら、総督府の憲兵にも通報してやるわよ。今まで我が子だと思えば分け隔てもなく育ててきてやったのに! 今日を限りにもうあの女は自分の子供でも何でもないわ」
 次の日からケイが村中に云い触らしはじめたのはこんなことでした。まま子のリーベリがとんでもないことをしでかした。私のかわいい娘に嫉妬して、娘の顔を二度と嫁入りの出来ないような傷物にした。もしリーベリをこの四辺で見かけたら、私にすぐ教えてほしい。ミミに負わせた傷は責任を持って必ず治させる。そしてその後、憲兵にしょっ引いて貰って、牢屋にぶち込んでやるんだから。見ておきなさい。あの女に極刑が下る日が来るのはそう遠くはないんだから……。
 けれどもリーベリはその日から家に帰って来なかったのでした。

 

 

 

 

 

ー㉝ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

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にゃんく

 

 

 

 

 何かしら怒気に満ちたものを四辺に発散させながら、空を切り裂くように、尋常でない速さで飛ぶ物体がありました。それは凄い顔をして箒に跨り南のロゴーク村へ向かっているリーベリでした。
 青く澄んだ清々しい一日だった筈なのに、何時の間にか、太陽は暗い雲に覆われていました。緑の木々やカラフルな鳥たちですら、奇妙なことに今や灰色に染まって、そらぞらしく黙り込んでいるのでした。
 リューシーとミミが仲睦まじく手を繋いでいた?
 リーベリが思い出していたのは、「この男の子は目覚めて初めに見た女性を愛することになる」という、夢かうつつか定かでないジュリアの予言でした。
 ベッドの中で、リーベリがリューシーに寄り添おうとすると、リューシーがさりげなく自分から離れて行くような素振りを見せ、違和感を感じたことをリーベリは今更ながら思い出していました。
 リーベリは何度も首を振ってミミが自分のリューシーを奪ってしまうだろうという考えを振り払おうと努力しましたけれど、その考えは消え去りもせずにしつこく頭の中にまとわりついて来ました。
 大切なリューシーを奪われることを想像すると、リーベリは自分が気が狂ってしまうような気がしました。

 洞窟からものの二十分もしないうちに村に着きました。
 リーベリはしばらく上空を旋回して見下ろしてみましたけれど、リューシーらしい人影は見当たりませんでした。
 三角の屋根を持った実家の上空に来ると、リーベリは箒を持って戸口に降り立ちました。
 扉には中から閂がかけられていました。魔法を唱えて胸の前で右の指を十字に切ると、音もなく閂は内側で抜け落ちました。そっと扉を開いて中に這入りました。
 奥の居間の方から軋むベッドの音が聞こえて来ました。誰かがくぐもった声で、溜め息を漏らすような声も聞こえて来ました。その声はケイの声ではありませんでした。ミミの声らしいのです。不審に思いながらも、板張りの床の上を静かに歩いて居間の方に近付いて行きました。
  リーベリはしばらく居間のとば口の壁に寄りかかって、呆然と信じられない光景を目にしながら立ち尽くしていました。
  ふたりとも、リーベリが見ていることにも気が付かないほど熱心に、昼間からベッドの上で裸で抱き合っているのです。
「愛している。毎日、君のことしか、考えられない。出会った時から、君のことが、頭から離れなかった。此処でぼくらが出会ったのは運命だと思う。君は、ぼくのことをどう思う?」
 くすっと笑うミミの声が聞こえました。
「愛してるわ」
 とミミが答えました。
「あなたに負けないくらい」
「ふたりだけで、幸せに暮らさないか。この国ではない、他の国で。此処ではない、遠い国で。誰もぼくたちの邪魔を出来ないくらい、遠い場所で。おじいさんとおばあさんになるまで、ずっとそこで、幸せに暮らすんだ」
 ミミが体の向きを変え、その顔がリーベリからも見えました。「ええ、いいわよ。リューシーが、それを望むなら。ついていくわ。色んなハードルはあると思うけれど」
 ミミの顔は紅潮して薄い桃色に染まっていました。
 リーベリの頭の中で、リューシーはあたしのもの、あたしが見つけて来たんだから、決してだれにも奪われてはならないの。そのような想念がぐるぐると巡りはじめ、地震でもないのに地面がグラグラ揺れているような気がしました。四辺が真っ暗になり、何も見えなくなってしまったほどです。でもふたりの姿だけは嫌にくっきりとリーベリの目の前に迫って来るのです。
「誰?」
 ミミの声が居間の中に響きました。リューシーも人の気配に気付いて、自分とミミの身体をタオルケットで隠しています。
「ミミ、あなたがリューシーを誑かしたのね?」
 ミミとリューシーは困ったように顔を見合わせています。裏切られた。ふたりが自分のことを嘲笑っているとリーベリは思いました。
「何のこと?」
 リーベリは怒りと悲しみのために、整然と自分の気持ちを言葉に出来ませんでした。何しろ、今すぐにでも、涙が溢れてしまいそうなほどだったのです。ですから、云いたいことはたくさんある筈なのに、リーベリが発したのは、
「すぐ此処から出て行って」
 という言葉だけでした。
 けれどもいくら待ってみても、ミミはタオルケットに包まって、重いお尻を上げる気配もないのでした。リューシーはリューシーで、まるでリーベリのことを頭の狂った人間が闖入して来たかのように睨みつけ、ミミを庇うように、彼女の身体を自分の身体で隠して守るような素振りを見せています。
 リーベリの頭の中で、何かが弾けたような音がしました。
 リーベリは自分の髪の毛の一本を抜いて、それに素早く呪文をかけると、ふたりに近付いて行って、リュシエルを押しのけ、ミミの目の前に立ちはだかりました。そうしてミミの顔に何かを描くような動作をしました。リーベリの髪の毛は黒い光を放つメドューサの蛇のようにぐねぐねと蠢いていました。その不気味な黒い光が、ミミの顔に化粧を施すようにしばらく這っていましたが、時を置かず、痛々しいミミの叫び声が上がりました。ミミはベッドから転げ落ちて、両手で目を覆ってもがき苦しんでいます。やがて間もなくミミの声が止み、死んだように両手が床に落ちました。ミミの顔は、両目を中心にしたかなり広範囲の皮膚が、詛いの焼き鏝(ごて)を当てたように焼け爛れ、目をそむけたくなるほど黒く変色しています。
「何するんだ!」
 リュシエルがリーベリを突き飛ばしました。リーベリは仰向けに倒れて強く体を床にぶつけました。リーベリは悲鳴をあげました。取り落とした箒が、からんという空虚な音を立てて床に落ちました。けれども、リューシーはミミの周囲で狼狽えているばかりで、ちっともリーベリを気に掛けていませんでした。リーベリはその様子を悲しげに見つめていました。
 リュシエルはいったいどう対処すれば良いかも分からずに、予想外の事態にただおろおろするばかりでした。そのうちリーベリが泣きじゃくりながら居間から飛び出して行ってしまいました。リュシエルは奇妙に思いながらリーベリを見送っていましたが、この事態を収拾することが出来るのはリーベリただひとりだということに気付くと、彼女を引き留めなければならないことに思い至りました。しかし、リュシエルが衣を身に纏い、往来に飛び出た時にはもうリーベリの姿は見えず、見上げた空の向こうに、彼女が箒に跨り吸い込まれるように遠ざかっていくばかりでした。

 

 

 

 

ー㉜ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

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にゃんく

 

 

 

 

 雲ひとつない、気持ちの良い晴れた日でした。
 その日、リーベリの小間使いの仕事が珍しく午前中で終わりました。というのは伯爵の奥さんがこの日は特別に普段よりも早くリーベリを帰らせてくれたのです。「早く帰って、恋人にでも会ってきなよ。あんたを見てれば分かるよ。最近、生き生きしているもの。何だか昔の自分を見ているみたいだよ」四十歳を過ぎた奥さんは、左手にはめたエメラルドの指輪をひらひらさせながら、珍しく機嫌よく云うのでした。「人生、いちばん大事なのは、恋よ、恋」
 リーベリは、奥さんに「ありがとう御座います」と挨拶をしてから、箒に跨って、リューシーのいる洞窟まで飛んで帰りました。リーベリはリューシーと一緒にいれると思うと、嬉しくて仕方ありません。空を飛んでいる間ももどかしく、黒い髪を靡かせて矢のように洞窟目指して飛びました。
 ところがせっかく急いで帰って来たのに、洞窟の中の何処を捜しても、肝心のリューシーの姿が見当たらないのでした。リューシーの持ち物というと、財布や剣くらいしかありませんでしたけれど、それらの持ち物ですら、きれいになくなっているのです。
 おかしいな、何処へ行ってしまったのだろうと思ってリーベリが洞窟の外をきょろきょろ見回していると、ストレイ・シープとジョーニーがちょうど空から洞窟の入口付近に舞い降りました。
 リーベリが何かを探している様子らしいのを見て、ジョーニーが訊ねました。「如何しました?」
 リーベリがリューシーの居所を知らないかとストレイ・シープとジョーニーに訊ねると、ふたりはどうしたわけか曰くありげな顔つきをして、申し訳なさそうな表情でこうべを垂れているのでした。
  リーベリは不思議に思って、「どうかしたの?」と訊ねると、ややあってジョーニーが重い口を開きました。
「リューシー様は、……リーベリ様のご実家にいらっしゃいます」
「実家?」リーベリは訳が分かりませんでした。「どうしてリューシーがあたしの実家に?」
 ジョーニーはリーベリと視線を合わせないように下を向いたままですし、ストレイ・シープはストレイ・シープで何もない岩山の上の方を見上げたりしています。
「いったいどうしたって云うの? はっきり云って頂戴」
「それが……非常に申し上げにくいのですが……」
「何?」思わずリーベリの口調が強くなりました。
 ジョーニーは緑色の水玉模様のついたカラフルな黄色のジャケットを手でいじいじと触りながら、云いにくそうに、
「リューシー様はリーベリ様の妹のミミ様と一緒におられます」
 リーベリは身体が凍り付いていくように感じました。
「ミミと?」
「……」
「続けて……」
 リーベリが先を促すと、ジョーニーは自分が悪いことをして叱られているように答えるのでした。
「リューシー様とミミ様はとても仲睦まじい御様子で……手など繋いで、並んで歩いておられました。そうして、おうちの中に這入って行かれました。たまたまご実家のあたりに通りがかった時に見たのです」

 

 

 

ー㉛ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

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にゃんく

 

 

 

 ジョーニーとストレイ・シープがトコトコと洞窟の入口から外に出て来ました。ジョーニーが云いました。「まったく妬けるったらありゃしない。おいら達を除け者にしてよ。熱すぎて、見てらんねえって」
 ストレイ・シープがスキップを踏むように跳びはねながら、「まあまあ、そうカッカしないで」と云ってジョーニーを宥めました。「そのうちあんたにも、いいことあるさ」



 明け方の、ひとつベッドの中で今、リーベリは心地良さそうな寝息を立てていました。無意識のうちにリーベリがリュシエルにその軀体を寄せて来て、ふたりのからだが触れ合いました。リュシエルは身体をずらして、リーベリから離れました。
 リュシエルは、昨晩のリーベリの美しい軀体が脳裏によぎると、むしろそれを頭から振り払うようにしました。
 リュシエルには、これ以上この女に手を触れてはならないというもうひとりの自分の声が聞こえて来るのでした。
 リュシエルが思い出しているのは、父のことでした。
 父のことを、家臣たちは、偉大な王であると、口を揃えて褒めそやしました。
 けれども、リュシエルには、父がただ冷酷で、自分のことしか考えない残忍な人間のように思えてならないのでした。
 そもそもリュシエルは自分が今まで、このように放浪の旅をして、命を狙われてまで逃避行を続けて来たのは、おのれの欲望のままに複数の女性を妾にしていた父に原因があると思っていました。
 父には、后である母のソフィー以外に、ネリという愛妾がいました。
 ネリの評判は極めて悪く、それはネリが貴族出身の女ではないということも影響していました。けれども、父が肉体的に溺れていたのはネリでした。
 ネリは父の寵愛をいいことに、まさに王宮の一年の歳入の三分の一に相当する金が、毎年ネリひとりのために消えていました。
 何人もの心ある家臣が父にネリの排除を意見具申しましたが、そのような献言をする者は皆、父によって左遷されました。
 ネリの過去は高級娼婦なのでした。そのことは、王宮の誰もが知る公然の秘密でした。しかし、父はおのれの性欲を満たすために、そのような女に多額の金を注ぎ込んで、政治をおざなりにしたのです。そんな父の行いを快く思っていなかったはずの自分なのに……結局は父と同じことを繰り返しているだけではないか。そのことに思い至り、このような意思の弱い人間に生まれついた自分を、リュシエルは情けなく思うのでした。
 政治のゆがみ、そのつけは、庶民に回されることになりました。借金の穴を埋めるために増税が乱発され、人々は酷使されました。当時、リュシエルは知りもしませんでしたが、王宮の外に一歩出ると、その日いちにちのパンすら口に出来ない飢えた人々が路上には溢れていたのです。
 今から八年前、シン王と十四歳だった頃のリュシエルは、王宮の外で民衆に襲撃されたことがありました。腹を空かせ、弾圧と理不尽な政治に愛想を尽かせた人々が、怒り狂った猛獣のようになって、死をも恐れず、突き進んで来ました。
 馬車の守護をしていた近衛兵は囲みを突破され、恐慌を起こし蜘蛛の子を散らすように逃げ散る有り様でした。王宮では威厳に満ちた父も、いざとなるとまったく頼りにならず、馬車の中で身をひそめ、目は見開き血走って、「はーはーはー」と肩で大きく息をし、ガタガタと身震いが止まりませんでした。これがこの国を治める王かと思うと、見苦しいことこの上ありませんでした。まだ自分の方が冷静だった気がしたほどです。馬車が止まり、カギをかけた戸がガタガタ揺さぶられました。馬車の屋根の上に一、二名が乗りあがり、「王を殺せ」と喚いています。
 結局この時は、親衛隊の数名が盾となり、王と自分の乗った馬車を逃がしてくれたために、からくも王宮の門をくぐることが出来ました。しかし、暴動は年々増加していました。その後、各地を放浪することになり、リュシエルは王と王の一族を良く思っていない人々が多くいることを初めて知りました。世の中のひずみは、手がつけられないくらい大きくなっていました。
 偶然にも、自分は政権から負われる身となりましたが、果たして自分に王がつとまるのか、リュシエルは不安に思っていました。考えてみると、むしろ王とならない方が良かったのではないか、このまま何処かでひっそり暮らした方が、幸せな一生を送れるのではないかとさえ思えました。
 この洞窟で、死ぬまでリーベリと一緒に暮らすのか?
 リュシエルは、胸に手を当ててじっくりと考えてみました。
 でも、答えは、ノーでした。
 自分はミミのことを愛している。
 リュシエルはベッドからそっと起き上がって振り子時計を見ました。間もなくリーベリが仕事に行くため目を醒ます時間でした。
 ベッドの真ん中あたりに、小さなコインほどの大きさの血の痕がふたつ付いています。
 リュシエルはそれをなかったことにするかのように、寝具をそっとリーベリのからだに掛けました。
 出来れば早いうちに、ぼくはこの洞窟から去った方がいい。リーベリの受ける悲しみをすこしでも減らすためには、それは早ければ早いほどいいに違いない。

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

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にゃんく

 

 

 

 

 

 その夜、ベッドでふたりは横になりました。
 ふたりとも、しばらく無言でした。何となく、音を立てるのも憚られて、リュシエルは身じろぎひとつしないで、固まっていました。
 あまりに静かなので、もうリーベリが眠りに入ってしまったのかと思った頃、「はあ」と云う溜息をついて、リーベリが寝返りを打ちました。そっとリュシエルが横を向くと、リーベリと視線が合いました。慌ててリュシエルは視線を天井に向けました。
 リーベリの手がリュシエルの右手を握りました。いつまでもリーベリはリュシエルの手を離しませんでした。リュシエルは胸がざわついて、どうにも眠れそうになさそうでした。リーベリの方に視線を注ぐと、彼女は目を瞑っていました。寝ているのだろうか? リュシエルは手を伸ばしました。
 リーベリは、陶器のように滑らかな肌を持っていました。首筋に顔を近付けると、甘い香りがしました。そうせずにはいられなくなり、彼女の肌に、唇を這わせました。彼女は吃驚して目を開きました。
 衣の下から手を入れて、リュシエルはリーベリの軀に触れました。しばらくすると、
「そんなこと、しなくていい」とリーベリが小声で囁きました。その言葉が、リュシエルの何かを突き動かしました。リュシエルはリーベリの口に自分の口を合わせました。
 リュシエルは罪の意識を感じないわけにはいきませんでしたけれど、夢中になっていて、もう自分を止めることが出来ませんでした。闇と月が燦めいていました。新しい命の息吹と、素晴らしい肉体の充溢を感じました。繰り返される人類の醜い行いが、透けて見えるようでした。正しく愛しさえすれば、歓びが善も悪も洗い流してくれるような気がしました。
 事が終わると、リュシエルとリーベリは手を繋いで、ベッドの上でしばらく蝋燭の光に照らされたベッドの屋根の裏側を見つめていました。
「ここはあたしたちだけの、宮殿なの」リーベリの声が聴こえてきました。「あなたが、王子様で、あたしが、お姫様」
 リュシエルは、正体を見破られたかと思って気持ちが揺さぶられました。けれども、彼女が実際に正体を見破ったわけではなく、ただの願望としてその言葉を吐いたことが分かりました。
「ここでふたりでずっと幸せに暮らすの。お婆ちゃんと、お爺ちゃんになるまで、ずっと。いつまでも、あたしと一緒に、いてくれるよね?」
 リュシエルは黙っていましたが、リーベリが真剣な表情で自分のことを見つめていることに気付いて、思わず頷きました。「ちょっとお手洗いに行って来る」
 気まずくなって、リュシエルは部屋の外に出ました。
 洞窟の入口に近いところで、何かが動く気配がしたような気がしましたが、リュシエルは気のせいだと思って、部屋の外に置いてある尿器の中に用を足しました。

 

 

 

 

 

ー㉙ーにつづく

 

 

 

 

 

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ー㉗ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 それから数日後の夜更けの、皆が寝静まった頃を見計らって、リーベリはリューシーを連れ出して洞窟へ向かって歩きました。リューシーの財布や剣など、彼の持ち物は全部家から持ち出していました。
 リーベリはリューシーと手を繋いでいました。飛んで行けばもっと速く着いたのですけれど、リューシーが歩いて行きたいと云ったのでした。リューシーの手はあたたかくて大きいなとリーベリはひとりで感心していました。
「一体どっちの方向に向かっているんだい?」とリューシーは訊ねました。
「北の方にある洞窟よ」リーベリの顔からは自然と笑顔が溢れるのでした。「そこはリューシーが倒れていた海岸からは、それほど離れていない場所なのよ」
 外にふたりで出掛けることは考えてみればはじめてのことでしたので、ただ歩いているだけでもリーベリは楽しくて仕方ありませんでした。夜が更けるのも、睡眠不足で明日の仕事が辛くなるのも別にかまわないと思いました。
 途中、足元が悪くて、バランスを崩して転びそうになった時、リューシーは優しくリーベリの身体を引き寄せて支えてくれるのでした。
 闇の中でフクロウがほーほーほーと鳴いていました。

 

 一時間半ほどかかって、ふたりは大きな岩山の裾に辿り着きました。
「着いたわよ」とリーベリが云うので、リュシエルは周囲を見回しました。建物らしき建造物はひとつも見当たりません。闇と月、背後には自分たちが歩いて来た道と、その両側にある林、そして前方には聳え立つ岩山しかありません。
「この洞窟なの」リーベリが前方の岩山を指差して云いました。
 見ると岩山の裾には真っ黒い穴がぽかりと口を開けていました。
 穴の入り口まで来ると、「ちょっと待ってね」と云ってリーベリが顔の高さに設置された蝋燭に火を灯しました。揺らめく焔の影が穴道に落ちて火影を揺らしました。
 リュシエルはリーベリに手を引かれて洞窟の中に這入って行きました。
 穴道はきれいに掃き清められていて、石ころひとつ落ちていません。蝋燭台が等間隔に設置されていて、手際よくリーベリがそれに火をつけていきます。
「すごい。こんな場所、よく見つけたね」
 五十メートルほど下って行った行き止まりに、木の扉があり、リーベリが扉を開けて中に這入って蝋燭の火を灯しました。優しい光がリュシエルの足元をつつみました。「どうぞお這入り」と云うリーベリの声に誘われるように、リュシエルは足を踏み入れました。
 扉の奥は薄いピンク色の壁紙に囲まれた部屋でした。部屋の周囲には瀟洒な家具類や趣味の良い鏡台が並んでいます。リュシエルは息を呑みました。とてもかわいらしい女の子の部屋、という感じでした。部屋の中は清潔で、整頓されています。隅っこには、屋根のついたお洒落なベッドが一台置かれていました。
 天井から水滴が落ちる音がしました。リーベリが慌ててお皿を持って来て、水滴が落ちたあたりの床にあてがいました。時間を置いて、水滴はぽつりぽつりと落ちてきました。「水漏れかい?」とリュシエルが訊ねると、「そうなの」とリーベリが申し訳なさそうに云いました。「これさえなければ、完璧なんだけれど」
 リュシエルはつかつかと部屋を斜めに横切って行って、ベッドの上に腰掛けました。弾力のあるベッドです。「でも、ここまできれいにするのは、さぞかし大変だっただろうね」
 その言葉を聴いて、「良かった。気に入ってもらえたみたいで」
 リーベリは心の奥から嬉しそうに微笑みました。

 

 

 

 

 

ー㉘ーにつづく

 

 

 

 

 

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ー㉖ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 ミミの身なりは質素でした。この地方の村の女性が着るのであろうごく単純な布の服を身につけているに過ぎませんでした。それに特に煌びやかな装飾品に身を包んでいるわけでもありません。けれどもミミは瑞々しい若さと愛嬌で溢れていて、そんなミミのことをリューシーは昔王宮で見た幾人もの結婚候補の、どんなに身分の高い貴族の娘よりも貴く美しいと思うのでした。
 何度か逢瀬を重ねるうちに、ミミに対するリューシーのひたむきな愛情が伝染したのか、ミミの方でもいつしかリューシーはなくてはならない存在になっていきました。
 この小さな村でふたりきりでいることは人目を引くことになるので、いつもふたりは村の外まで足を運びました。
 村のはずれまで来ると、ふたりは手を繋いで歩きました。
 村の南の方にある丘の上の草原に並んで坐っている時、初めて接吻を交わしました。
 その瞬間は神様が人間に許してくれた唯一の恩寵のように、忘れがたく甘い時間でした。
 その後、ふたりは愛を確かめ合うように、何度も何度も口づけを交わしました。

 

 丘の上の草原に座って、リューシーことリュシエルはぼんやり考え事をしていました。王子である自分の身分を明かさなければならないだろうか、と。そもそもリューシーという名は、自分を王子であると悟らせないための世を忍ぶ仮の名でした。本当のところは、既に死亡している先の王であるシンの嫡子、リュシエル王子なのです。しかし、王子と云っても、今は追われる身です。政権は死んだ王の愛妾であるネリとその息子ディワイに奪われ、現在は帰る場所も持たない流浪のお尋ね人でした。
 自分が元王子であると告白して、いったい何の利益になると云うのでしょうか? リュシエルには余計な危険を招き寄せるだけのように思えました。この際、自分の過去は誰も触れない心の小箱の中に鍵を掛けてそっと仕舞っておこう……そしてミミと一生幸せに暮らすんだ。はぐれてしまったマデラー少佐との再会も難しいだろう。自分のことを見失って、どんなに途方に暮れているか知れない……でも、再びあの場所へ戻ることは難しい……ネリが差し向けた、ターバンに身をくるんだ追っ手があの四辺にまで足を伸ばして私達の命を狙ってしつこく追いかけ回していたのだ……それに再び力尽きて倒れたりすれば、今度こそ此処まで生きて戻って来ることは出来ないだろう……。
 リュシエルはミミが自分を呼ぶ声に我に返りました。
「何を考えていたの?」
 吹き渡る風に草ぐさは涼やかに靡き、空は何処までも青く晴れ渡っているのでした。
「……何でもないよ」
  リュシエルはミミとの出逢いを与えてくれた大空に感謝するように草の上に仰向けに寝転びました。

 

 

 

 

ー㉗ーにつづく

 

 

 

 

 

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ー㉕ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

  ◆



 リーベリは仕事を終えて家に帰って来てから、家探しのために箒に跨って南北から東西に至るまで飛び回っていました。
 南は深い森が広がっていて、昔からそこを根拠地にしている盗賊が旅人などを襲う噂が絶えませんでした。西には駱駝の瘤のような山が三つ連なっていましたが、急峻なごつごつした岩に囲まれ、住む場所には適していませんでした。東にはエフエル村があり、ふたりで静かに暮らせそうな場所はなさそうでした。
 リーベリは残る北の方角に、百メートルほどはある岩山の裾に出来た、適当な洞窟を見つけました。
 木ぎれに焔を点して、洞窟の穴に足を踏み込むと、驚いた蝙蝠が数匹入り口に向かって飛び立って行きました。頭上から水滴が滴り落ちて来て、首を濡らしました。
 洞窟の穴は幅二メートルほど、高さがそれよりすこし長いくらいの大きさで五十メートル位の奥行きがあり、奥へ進むにつれて地中へ緩やかに傾斜していました。
 行き止まりにはふたりで住むのにちょうどよい大きさの空間があります。
 リーベリは此処を掃除をしてきれいにすれば、快適でお洒落な住まいに出来るように思いました。
 周囲には人家もありませんでした。あるのは森と木と石と砂の自然だけでした。
 リューシーはふたりだけの住まいになるこの洞窟を気に入ってくれるかな? 此処が誰にも邪魔されない、ふたりだけの宮殿になるの。
 忙しくなりそうだわ。
 リーベリは手の埃をはたいて、箒を握った手に力を込めました。

 


 リーベリは自分の部屋に戻って来ると、リューシーに手頃なおうちを見つけたことを知らせました。「あなたのお気に召すように、きれいにしているところだから、もうちょっとだけ待ってね」と満面に笑みを浮かべてリーベリは云うのでした。
「家って? ぼくのために?」
「そうよ」
「この村の中にかい?」
「この村じゃないわよ。この村には……色々と口うるさい人もいるしね。すこし離れた場所よ。心配することないわよ。きっとリューシー、見たらびっくりすると思うわ」
「……」
「そうしたら、自由に外に出ることも出来るわ。もう誰に見つかるとか、考えなくてもいいのよ」
「……」リューシーはリーベリから目をそらして、壁の方を見つめています。 
「どうかしたの?」
「いや、何でもないよ……」
 体調でも良くないのだろうか、とリーベリはリューシーの様子を見てすこし心配になりました。自分の話を聴いて、もうすこし喜んでほしかったけれど……。洞窟のおうちをきれいにして、彼の気に入ってもらえるよう頑張ろう。
 リーベリは家の外に出て、ストレイ・シープとジョーニーに洞窟内の掃除作業を手伝ってくれるよう頼みました。「ごめんね。こんなところに放り出して。そのうち、あなたたちのことをちゃんとリューシーに紹介するから」
 でも、ジョーニーもストレイ・シープも、愛想良く、「気にしないでいいですよ、リーベリ様」、「僕たちは、別に外にいてもへっちゃらですから」と云ってくれるのでした。

 

 

 

ー㉖ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー㉔ー

 

 

 

 

 

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Ⅵ 血の交わり

 

 

 リューシーはひとり部屋の中にいました。朝早くにリーベリは仕事に出掛けています。
 蹣跚な足取りでリューシーは扉の方に近付いて行きました。ちちちちと明り取りから小鳥の鳴く声が聞こえています。
 退屈のあまりリューシーはちょっぴり探検してみたい気持ちになっていました。戸にかましてあるつっかい棒を抜いて、顔を半分廊下の方へ突き出してみました。人のいる気配はありません。半分開いたままの戸口がすぐ右手にあります。そうしてしばらくのち、思い切って、太陽の光が降りそそぐ外の世界に足を踏み出してみました。誰もいなかったので、ぐるりと周囲を見回してみると、そこにあるのは古くて鄙びた村でした。遠くの畑で腰を屈めて農作業をしている老人の姿が見えました。長閑な光景でした。千年前でも、この場所ではきっと同じ光景が見られたに違いないと思いました。
 左手の方向を見ると、駱駝の瘤のような山が三つ連なっているのが霞がかって見えました。右手の方角には村があり、教会らしい三角形の屋根が突き出ています。
 リーベリはぼくを此処までどうやって運んで来たのだろう?
 つい今の今まで、海岸べりに隣接した村だと思い込んでいたのです。
 腑に落ちない点はその他にもありました。
 リーベリが留守の間、リューシーはこっそり戸棚の中を開いてみたのです。棚にはいつも鍵が掛かっていましたけれど、その日だけは掛け忘れていたのか、僅かな隙間を残して開いていました。話し相手も誰もおらず、退屈の余り、悪いとは思いましたが好奇心の方が打ち勝って、戸棚の扉を開けました。戸棚の中にはぴかぴかに磨き込まれた水晶や保存状態の良いトカゲの足、トンボの羽根などが見つかりました。トンボの羽根は今まさに飛んでいるトンボから毟り取ったかのようにつやつやとして光沢がありました。
 戸棚の戸をそっと閉めながら、ひょっとしてリーベリは魔女ではないか、とリューシーは勘ぐっていました。目覚めたばかりの頃は不思議に思いませんでしたけれど、魔女であれば自分をこの村まで運ぶこともわけはないと思いました。
 遠くの方から風に乗って人の話し声が聞こえて来るような気がしたので家の中に戻りました。しばらく家の中から外の様子に聞き耳を立てていると、その人間の声は、徐々に大きくなって、また小さくなっていきました。
 何かしら胸の内に抑えがたい衝動があり、リューシーは家の奥へ静かに進んで行きました。
 薄暗い廊下の板張りの床をそっと踏みしめて行きました。
 リーベリの部屋の向かいはお手洗いになっていて、その隣には小部屋がありました。そして突き当たりが居間になっているようでした。
 左手の方の上部の明り取りから太陽の光がさんさんと降り注いでいて、その一角だけ外にいるかのように明るいのです。
 リューシーは光の中で椅子に腰掛け何かの本を読んでいるらしい女性の横顔を見つけました。その女性のことは心の奥底に未だに忘れがたい人として記憶に残っていました。何故そういうふうに思うのかは自分でも分かりませんでしたけれど、その人のことを長年ずっと探していて今やっと出会えたのだという気がしてなりませんでした。
「誰?」
 怯えたように問い掛けられ、リューシーは自分が泥棒になって無断で知らない家に侵入しているかのような気持ちに襲われました。
「こんにちわ」リューシーは出来るだけ優しく話し掛けました。「驚かせて申し訳ありません」
「……こんにちわ」
「私はリューシーと申します。そなた……」と云い掛けて、リューシーは訂正しました。普通の人はそなたなどという言葉は使わないことを思い出したのです。「あなたの名前はミミさんですね?」
 自分の名前を呼ばれて、その人は目をしばたたかせました。
「はい……。お姉ちゃんの部屋にいた人?」
「そのとうりです。海岸で倒れていた私を助けて頂いてありがとう御座いました。随分衰弱していましたので、今日まであちらのお部屋で寝かせてもらっていました。有り難いことに、今はこのとおり歩き回れるまで体調は恢復しています」
「……」
「今はミミさんの他は家の中には誰もいないのですか?」
「ママはお出掛けしているわ。しばらく帰って来ないと思うけれど……」
 青く透き通ったミミの目を見詰めていると吸い込まれるような気がしました。
 居間は森と静まり返っていました。あまりにも静かでしたので、この空間だけ時の流れが止まったかのようでした。「もし今お時間がおありでしたら、外に散歩にでもお連れして頂けませんでしょうか? 目が醒めてから今までずっと部屋の中にいたので、私にはこの周辺のことがさっぱり分からないのです」
 ミミはリューシーの姿を頭のてっぺんから足の先まで念入りに点検しているようでした。そうしてしばらく考えた後、ミミは手の中で読みかけの本の頁をぱたりと閉じて立ち上がりました。リューシーは頬にとても良い香りの、そよとした風を感じました。「私もそろそろお散歩しようかなと思っていたところなんです」
 リューシーはふたりの間で停止していた時間の流れが今ゆっくりとその時を刻み始めたように思いました。

 

 

 

 

 

ー㉕ーにつづく

 

 

 

 

 

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ー㉓ー

 

 

 

 

 

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 夜中、リーベリはジュリアの夢を見ました。
 ジュリアとリーベリは見渡す限りの雲海の上に立っているのでした。ジュリアは静かに、リーベリのこころに染み渡るような声で話しました。「自分だけの居場所をお持ちなさい。誰にも邪魔されない、自分だけの居場所を。それはあなたの宮殿となり、あなたの身を守ってくれる城となるでしょう。あなたはその宮殿の女王です。兵隊や、身の回りの世話をしてくれる賢い召使いも現れることでしょう。そこで愛する人と幸せに暮らすのです。あなたには、それを実現する資格があるし、能力もあるのですから」
 ジュリアは、リーベリが質問をする前に、闇の中へ再び掻き消えてしまいました。リーベリは闇の方へ手を差し伸べましたが、ジュリアは戻って来てはくれませんでした。気がつくと、リーベリは雲の上でなく、みすぼらしい物置部屋の中に横になっていました。寝息を立てているのは、ベッドの上のリューシーだけです。
 リーベリは布を敷いただけの寝床からそっと起き上がり、明り取りの外を覗きました。家の壁に背を凭せ掛けて、ジョーニーとストレイ・シープが眠りこけています。人形が喋ったりするのを見て、リューシーが愕くといけないと思い、彼らにはここしばらくは部屋の外にいてもらっているのでした。「あなたたちには迷惑かけてるわね。もうすこし、辛抱してね」リーベリは小声でそう囁くと、静かに寝床に戻りました。そうしてまんじりともしないで、夢の中でジュリアが云った言葉について思いを巡らせていました。

 

 

 

ー㉔ーにつづく

 

 

 

 

 

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