はやこま すていしょん! -8ページ目

はやこま すていしょん!

更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

今日、12系の送り込み回送を牽引するEF65 501を撮影しに行ったら、青塗装に戻ったEF64 1001が代走でやって来ました。

(EF64 1001・岡部〜本庄・2017年11月1日)

長年ぶどう色で活躍してきたEF64 1001ですが、今年の全検で登場時の青15号+クリーム1号の原色に戻されました。しかも白HゴムでJRマークなしという国鉄時代の出で立ちで、上越線の臨時急行を牽引していた時代を彷彿とさせてくれました。

 

EF64 1001は1980(昭和55)年度に長岡運転所に新製配置されました。登場してしばらくは試験を兼ねてEF15形牽引の貨物列車の先頭に立っていました。

(EF64 1001・八色〜小出・1980年8月)

なおEF64形1000番代1次車には新製当時、作業灯は設置されていませんでした。

定期運用を持って営業運転を開始したのは1980(昭和55)年10月のダイヤ改正からだったと思います。

(EF64 1001・小出・1981年3月)

1980(昭和55)〜1982(昭和57)年までは小出に住んでいたので、EF64 1001をみる機会も多かったと思います。

EF64形1000番代3次車が長岡運転所に投入された後、1次車は高崎第二機関区に転属しました。

自分も神奈川に引っ越ししたので、EF64 1001をみる機会も減りましたが、1986(昭和61)年に高崎第二機関区で開催された一般公開イベントではEF65 501と並んで展示されていました。

(EF64 1001/EF65 501・高崎第二機関区・1986年3月)

まさかこの2両が現在でも高崎の2トップとして活躍しているのは感慨深いですね。

この頃は作業灯が増設されています。今回の復元はこの時代の仕様ということですね。

原色のEF64 1001を見たのがこれが最後だったと思います。

 

国鉄分割民営化直前の1987(昭和62)年3月に、EF64 1001の塗装をぶどう色+白帯に変更しました。

(EF64 1001・高崎機関区・2004年12月11日)

この塗装は12系お座敷車「くつろぎ」に合わせたものだと言われています。

(スロフ12 822・横川・2003年1月12日)

またD51 498やEF55 1のサポートとしても活躍。

(EF64 1001・新町〜倉賀野・2009年1月16日)

結局30年以上と原色よりも遙かに長い間、ぶどう色で過ごしてきました。

(「カシオペア紀行」EF64 1001・北朝霞〜西川口・2016年9月17日)

そして原色に復元されたEF64 1001。

(EF64 1001・岡部〜本庄・2017年11月1日)

実に31年ぶりにこの塗装のEF64 1001を見ましたが、やっぱりいいもんですね。今後の活躍に期待したいところです。

 

昨日に引き続いてDD200形の試運転を撮影してきました。

(DD200-901・辻堂・2017年10月31日)

今回はコンテナ18両を写したかったので辻堂駅に向かいました。EF210形を含めると19両の車両を従えて走る姿はやはり堂々としていていいものですね。

国府津まで所用で出かけたら、相模貨物駅にDD200形が停車していました。どうやら試運転中だったようなので、折り返しの試運転列車を大船駅で待ち構えて撮影しました。

(DD200-901・大船・2017年10月30日)

伴走しているEF210形と比べても引けをとらないぐらい、結構堂々とした大きさですね。

ちょうどホームに高崎行きが停車していたので、そのまま飛び乗って戸塚まで先回りしてみました。

(DD200-901・戸塚・2017年10月30日)

DD200形はDE10形・DE11形に代わる電気式ディーゼル機関車です。入換だけではなく、本線で貨物列車を牽引することになりますが、運用線区から考えるとこんなに長いコンテナ列車を牽引する機会はそんなになさそう。そういった意味でもこのシーンは貴重かもです。

 

 

EF64形1000番代は本来上越線のEF15形、EF16形、EF58形を置き換えるために開発された電気機関車です。1980(昭和55)年から長岡運転所に順次配置されされ、上越線の客車列車、貨物列車の牽引及び上越国境の前補機に投入されました。

(EF64 1022・越後中里・1982年7月)

EF64形1000番代投入当時、上越線の貨物列車牽引の主力は長岡運転所のEF15でした。

(EF64 1009・石打・1982年3月)

上越国境の前補機はEF16形時代の末期から水上機関区(期間無配置区)に常駐して、水上〜石打間で運用していました。そのため、水上、石打では補機の連結解放シーンが展開していました。

ちなみにこの列車では長岡運転所所属のEF58形が大宮工場に入場するための無動力回送されていたので、見た目的には三重連となっていました。

この頃の上越線の高速貨物列車や地域間急行貨物列車の牽引には宇都宮運転所所属のEF65形1000番代が使用されていて、上越国境ではEF64形1000番代を前補機につけて峠越えをしていました。

(EF64 1022・土樽・1982年7月)
EF65PF牽引の列車が上越国境を越えていたのも懐かしい話です。
EF64形1000番代投入前に、EF64形0番代が5両長岡運転所に配置されていて、EF64形1000番代とEF64形0番代の重連シーンを見ることもできました。

(土樽〜越後中里・1981年10月)
同じEF64形なので重連総括制御も可能ですが、元空気ダメの圧力が1000番代の880kPaに対して0番代が780kPaだったため、重連総括制御する際は1000番代を先頭にすると規定されていました。
もっとも、この頃の上越国境越えでは重連総括制御を使用していませんでしたが。

(土樽〜越後中里・1982年7月)
ともあれ、EF64形1000番代とEF64形0番代が重連運転をしていたのはこの頃ぐらいで、今となってはかなり貴重なシーンのようです。

(EF64 1022・越後中里・1982年7月)
それにしても同じ形式なのに形状が違うのが印象的ですよね。
いろいろな機関車の重連を見ることができた上越国境も今はEH200形が単機で通過していきます。改めて時代の流れを感じちゃいました。

10月28日に開催された「豊田車両センターまつり」に行って来ました。

(クハE232-50・豊田車両センター・2017年10月28日)

豊田のイベントに行ったのは実は初めて。ここのイベントって結構他のイベントと被ることが多いんですよね。

豊田車両センターは中央線快速と青梅・五日市線の中枢基地で、広大な敷地とたくさんの留置線があります。

入場すると2本のE233系0番代T31編成と青663編成が目に入ったのでとりあえず撮影。

(クハE233-31/クハE233-63・豊田車両センター・2017年10月28日)

よく見るとT31編成の表示器が「普通」になっていました。

(クハE233-31/クハE233-63・豊田車両センター・2017年10月28日)

E233系の「普通」表示って見たことあったかな?

車両の展示は一番奥。最初にE233系と211系の並んでいる姿が目に飛び込んできました。

(クハE232-5/クハ210-2022/クハ210-1005/クハ210-1004/クハE232-56/クハE232-7/クハE232-53/クハE232-21/クハE232-50・豊田車両センター・2017年10月28日)

その手前の洗浄線には青662編成と青465編成がいましたが、よく見ると表示がおかしい?

(クハE232-520/クハE232-65・豊田車両センター・2017年10月28日)

青662編成は「通勤快速/富士山」、青465編成は「各駅停車/東飯能・武蔵五日市」になっていました。

 

「快速」表示で並ぶ211系N614編成とE233系T5編成。

(クハ210-2022/クハE232-5・豊田車両センター・2017年10月28日)

211系N321編成は「特別快速」表示です。

(クハ210-1005・豊田車両センター・2017年10月28日)

お隣の211系N320編成の表示は「信越線」。

(クハ210-1004・豊田車両センター・2017年10月28日)

いろいろ遊んでくれますね。

 

5編成並んだE233系も表示器祭!

(クハE232-56/クハE232-7/クハE232-53/クハE232-21/クハE232-50・豊田車両センター・2017年10月28日)

H56編成は「ホリデー快速奥多摩/河辺・武蔵五日市」。

(クハE232-56・豊田車両センター・2017年10月28日)

奥多摩に行けてないじゃん(笑

T7編成は「特別快速/大宮」。

(クハE232-7・豊田車両センター・2017年10月28日)

運行番号は「4649Y」になっていました(笑

H53編成は「青梅特快/御嶽・南古谷」。

(クハE232-53・豊田車両センター・2017年10月28日)

どこまで行く気だ?

T21編成は「通勤快速/川越」。

(クハE232-21・豊田車両センター・2017年10月28日)

埼京線の「通勤快速」も紫色なんですね。

H50編成には「豊田車両センターまつり」のヘッドマークを掲出。

(クハE232-50・豊田車両センター・2017年10月28日)

表示は「中央特快/豊田」と、これまた遊ばれていました(笑

 

お次は特急形電車の並びです。

(クハE352-2/クハE256-1/クハ189-507/クハ189-9・豊田車両センター・2017年10月28日)

長野の189系N102編成は「はまかいじ」マークを掲出。

(クハ189-9・豊田車両センター・2017年10月28日)

たしかにかつて189系長野車が「はまかいじ」に充当されていたことはありますが、ATCを搭載したN101編成の限定運用だったので、N102編成の「はまかいじ」運用実績はありません。でも、懐かしい感じがしますね。

 

豊田車両センター配置の189系からはM50編成が参加。

(クハ189-507・豊田車両センター・2017年10月28日)

「あずさ色」に「あずさ」マークという王道でした。

E257系M101編成は「かいじ」表示。

(クハE256-1・豊田車両センター・2017年10月28日)

E353系の投入開始後、E257系が「踊り子」に転用されるという噂がありますが、今後どうなるのか気になるところですね。

 

E353系の量産車S102編成も展示されていました。

(クハE352-2・豊田車両センター・2017年10月28日)

E353系の営業運転開始は12月23日からと発表されました。しかも「スーパーあずさ」8往復中半数の4往復に投入されます。いつになったら営業開始するのかと思いきや、投入が始まればあっという間な感じですね。

E353系の量産車では車体間ダンパの廃止や、フルアクティブサスペンションを全車搭載に変更したほか、一部車両に荷物置き場を設置するなどの変化が見られます。E353系先行車もすでに長野総合車両センターに入場しているので、量産化改造を受けると思われます。

今回は201系の展示がなかったので、一部の人たちから不評だったみたいですが、初めて行った自分としては充分楽しむことができました。

 

車体カラーを瑠璃色に塗り替えたE653系1000番代「いなほ」の運用が10月27日から始まりましたので、その初日の「いなほ12号」に乗車してきました。

(「いなほ」クハE653-1006・府屋・2017年10月27日)

日本海をイメージした色なんだそうですが、いや〜それにしても青いです。

午前中の用事を終えてから新潟入り、府屋まで「いなほ7号」に乗車して、府屋から新潟まで「いなほ12号」に乗ろうという計画です。

「いなほ7号」はE653系1000番代U-108編成。

(「いなほ」クロE652-1008・新潟・2017年10月27日)

今回瑠璃色とはまなす色に1編成ずつ塗り替えられますが、このカラーリングは今後どうなるのでしょう? 個人的にはこのカラーリング結構好きなんですけど。

 

せっかくなのでグリーン車に乗車してみました。

(クロE652-1008・2017年10月27日)

羽越本線基準で海側2列、山側1列の配置となっています。

シートピッチはなんと1,820mm!

(クロE652-1008・2017年10月27日)

ただし中間にパーティションがあるため、足元のスペースはそれなりな感じ。

(クロE652-1008・2017年10月27日)

どちらかというと、コンパートメント的な感じでした。
新潟側車端分はラウンジになっています。

(クロE652-1008・2017年10月27日)

日本海を眺めるには絶好の場所でした。
府屋駅で「いなほ7号」を下車。

(「いなほ」クハE653-1008・府屋・2017年10月27日)
ここでしばし「いなほ12号」を待ちました。
その間に「きらきらうえつ」が到着。

(「きらきらうえつ」クハ485-702・府屋・2017年10月27日)
今日はイレギュラーな運行をしているようでした。
10分後に「いなほ12号」が入線してきました。

(「いなほ」クハE653-1006・府屋・2017年10月27日)
帰りもグリーン車に乗車(笑

(クロE652-1006・2017年10月27日)
府屋駅を発車後、乗車記念カードが配られました。

(クロE652-1006・2017年10月27日)

ちなみに車内は今までと変わらないようです(笑

そして新潟駅に到着。

(「いなほ」クロE652-1006・新潟・2017年10月27日)

ホームでは横断幕を持ったスタッフがお出迎え。

(新潟・2017年10月27日)

なんだか力が入ってますね。

カラーバリエーションが増えるのは良いと思いますが、個人的には現行カラーをなくさないで欲しいと切に願っております。

 

 

JR貨物広島車両所の一般公開「第24回JR貨物フェスティバル」に行って来ました。

(EF66 1/EF66 121/EF64 1019/EF67 1・広島車両所・2017年10月21日)

今日はJR東日本の新幹線総合車両センターの一般公開もあったので、どっちに行くか悩みましたが、広島は久しぶりだったのと、西日本エリアで立ち寄りたい場所があったので、朝イチの新幹線で広島に向かいました。

到着した時間はちょうど機関車撮影会が始まっていました。

広島のイベントは機関車にいろいろなヘッドマークを取り付けるのが特色になっています。

国鉄色のEF64 1019には「やくも」、EF67 1には「出雲」のヘッドマーク。

(EF64 1019/EF67 1・広島車両所・2017年10月21日)

どの機関車にどんなヘッドマークがつくのかは当日のお楽しみ。「やくも」のヘッドマークは初めて見ましたが、これで伯備線を走ったらさぞや楽しいことでしょう。

2両のEF66には「富士」のヘッドマーク。

(EF66 1/EF66 121・広島車両所・2017年10月21日)

広島車両所で保存されているEF66 1には富士山形、EF66 121には通称「赤富士」のヘッドマークがついていました。

この後EF66はヘッドマークを交換。

(EF66 1/EF66 121・広島車両所・2017年10月21日)

EF64には「あけぼの」、EF67には「みずほ」のヘッドマークが取り付けられました。

(EF64 1019/EF67 1・広島車両所・2017年10月21日)

EF64国鉄色の「あけぼの」は馴染み深いですが、青ナンバープレートなのがご愛敬といったところでしょうか。

このままじっとしていればいろいろなヘッドマークが出てくるのですが、逆に言えば他の機関車は今が一番撮りやすいので、移動開始です。

EF67形0番代と言えば、やっぱりデッキがトレードマーク。

(EF67 1・広島車両所・2017年10月21日)

この無骨な顔は昔から好きでした。

運転台見学にはEF210-156が使われていました。

(EF210-156・広島車両所・2017年10月21日)

でも、列があまりにも長かったので、今回はパス。

 

お馴染みの保存機、EF59 21。

(EF59 21・広島車両所・2017年10月21日)

EF56形が種車となっているEF59形の現存車はこの1両だけなのでかなり貴重です。

(EF59 21・広島車両所・2017年10月21日)

広島側の前面下半分がゼブラ模様になっているのがEF59形の特徴なのですが、これは万が一の追突対策だったのでしょうか?

 

DD51 759も広島で保存されています。

(DD51 759・広島車両所・2017年10月21日)

序盤は「第16回JR貨物フェスティバル」のヘッドマークを付けていました。

(DD51 759・広島車両所・2017年10月21日)

JR貨物の記念ヘッドマークには、このようなブルートレインのヘッドマークデザインをモチーフにしたものが多く見られます。

EF67 103も展示されていました。

(EF67 103・広島車両所・2017年10月21日)

かろうじて運用は残っていますが、日中に近くで見ることができる機会はほとんどなくなった感がありますね。

(EF67 103・広島車両所・2017年10月21日)

敷地の奥に行くと、保存されている電気機関車のカットボディを見ることができます。

まずはEF59 16。

(EF59 16・広島車両所・2017年10月21日)

EF59形では主流派だった、EF53形を種車としたグループの1両なのですが、少数派のEF59 21がまるまる残っていて、こちらはカットボディとなっています。もっとも碓氷峠鉄道文化むらにEF59 1が保存されているのですけどね。

 

そしてEF61 4。

(EF61 4・広島車両所・2017年10月21日)

EF61形0番代は、直流新型電気機関車で唯一蒸気発生装置を搭載した旅客用機でした。

また広島電化時にセノハチを登れなかった151系特急と153系急行を後押ししたことがあって、現在も走行解放用のテコシリンダが残っています。

 

そしてEF58 113……。

(広島車両所・2017年10月21日)
この場所にあったEF58形のカットボディがいなくなっていました。解体されたのかと思ったら金沢の方に運ばれていったのだそうです。

広島にはD52 1も保存されています。

(D52 1・広島車両所・2017年10月21日)
国鉄貨物用SL史上最強で、1,200t貨物も牽引していました。

修繕作業場には3両の電気機関車が展示されていました。
EF510-19レッドサンダー。

(EF510-19・広島車両所・2017年10月21日)
EF210-155桃太郎。

(EF210-155・広島車両所・2017年10月21日)
そしてEF66 110です。

(EF66 110・広島車両所・2017年10月21日)
ここでは機関車の吊り上げ実演も行われました。

敷地内にはEF66 36の姿もありました。

(EF66 36・広島車両所・2017年10月21日)
部品取り車になっているのか、ちょっと痛々しい姿でした。でもこうして仲間が生き延びているので、重要な存在だと言えますね。

気になったのはこの貨車。案内によるとチサ9000形というそうです。

(チサ9000・広島車両所・2017年10月21日)
元は国鉄が1974(昭和49)年に試作したピギーパック用貨車クラ9000形です。ピギーパック輸送とは、トラックごと積載して輸送することで、国鉄では1967(昭和42)年にクサ9000形を試作したのが最初です。
クラ9000形は低床化を図るために車輪径をφ350mmとした台車を開発するために試作されましたが、コンテナが普及したため1976(昭和51)年に開発が中止されました。
その後1983(昭和58)年からピギーパック輸送車両の試作が再開され、クラ9000形を改造してチサ9000形が誕生しました。
といってもクラ9000形からは台車のみを流用して、低床車体は新製した模様。

(チサ9000・広島車両所・2017年10月21日)
この台車は日立製作所製のTR901形。重ね板ばね式で、トーションバー&コイルスプリング式のTR900形よりも好成績だった模様。それにしてもφ350mmの車輪は小さいですね。
床高さは400mmで、高さ3,800mmのトラックまで積載可能としていたようです。
連結器の高さも621mmと、通常の860mmよりも低くなっていました。ただしチサ9000形は試作車なので、片側は860mmとし、621mm側にはコキ50000形をアダプタとして連結して試験を実施したようです。
結局国鉄では床面高さ970mmでピギーパック輸送を行ったため、低床車はお蔵入り。
チサ9000形はJR貨物に承継されていましたが、動向については明らかにされていませんでした。それがこんな形でさりげなく展示してあったとは!
って、後から知った話なんですけどね(笑

この頃には雨も降ってきたのと、次の場所への移動のために撤収。
最後にEF66、EF64、EF67をもう一度撮影しました。

(EF66 1・広島車両所・2017年10月21日)

(EF66 121・広島車両所・2017年10月21日)

(EF64 1019/EF67 1・広島車両所・2017年10月21日)
久しぶりに来たけど、広島はやっぱり収穫が多いな!

門司港レトロ地区には門司港レトロ観光線というトロッコ列車が運行されています。

(「潮風号」DB101・ノーフォーク広場〜門司港めかり・2017年10月14日)

門司港レトロ観光線は、第3種鉄道事業者(路線の所有者)の北九州市と第2種鉄道事業者(路線運営者)平成筑豊鉄道によって運行しています。

路線はJR貨物鹿児島本線貨物支線門司港〜外浜間と田野浦公共臨港鉄道外浜〜田野浦間の一部を再生。九州鉄道記念館〜門司港めかり間2.1kmを門司港レトロ線として営業しています。

ちなみに通年運行ではなく、冬期は運休。今年は3月18日〜11月26日の運行となっています。

機関車のDB101、DB102は南阿蘇鉄道のトロッコ列車「ゆうすげ号」を牽引していました。

(「潮風号」DB101・九州鉄道記念館〜出光美術館・2017年10月14日)

外観からわかるとおり、元々は貨車を入れ換える移動機ですが、南阿蘇鉄道入線後にトロッコを牽引するための改造が施されて、2006(平成18)年まで活躍していました。

トロッコはトラ70000形無蓋車を改造して、島原鉄道で「島鉄ハッピートレイン」として使用されていた車両を転用しました。

塗装はオリエント急行をイメージしたブルーとなっています。

トロッコの天井には門司港レトロの風景が描かれています。

(2017年10月14日)

この天井はトンネルに入ると魚が泳ぐ空間に変化。

(2017年10月14日)

九州鉄道記念館から所要時間10分で終点の関門海峡めかり駅です。

(関門海峡めかり・2017年10月14日)

駅の脇にはEF30 1とオハフ33 488が保存されています。

(EF30 1・和布刈公園・2017年10月14日)

EF30 1とオハフ33 488は北九州市小倉区の勝山公園で保存されていたものを移設したものです。

EF30 1は勝山公園時代に荒廃した部分を応急処置をした姿で痛々しいです。

(EF30 1・和布刈公園・2017年10月14日)

オハフ33 488は外観を整備して、飲食施設として活用されています。

(オハフ33 488・和布刈公園・2017年10月14日)
門司港レトロ観光線を運行している期間に営業しています。
ちなみにこの2両の勝山公園時代はこんな感じ。
(EF30 1・勝山公園・2007年2月18日)

(オハフ33 488・勝山公園・2007年2月18日)
勝山公園時代は屋根があったものの、柵に囲まれており、オハフ33形の窓には金網があってひどいものでした。
そう考えると、今の2両は幸せかも。

(EF30 1・和布刈公園・2017年10月14日)

できればEF30 1をもう少しきれいにしてくれればなって思います。

 

先日生涯3回目のセノハチに行って来ました。

(EF210-303・八本松〜瀬野・2017年10月14日)

セノハチは山陽本線上り線の瀬野〜八本松間の22.6‰の連続上り勾配区間で、「西の箱根」と呼ばれる難所でした。

セノハチの存在を知ったのは8歳の時。鉄道ダイヤ情報でセノハチとEF59形の記事を見たのが最初でした。その後EF61形200番代、さらにはEF67形が投入されてEF59形が風前の灯火となった1984(昭和59)年の夏に初めてセノハチに行くことができました。
とはいっても、九州へ向かって移動してる途中に立ち寄った程度で、後補機の撮影はできていませんが。
それでも八本松駅でEF61形200番代を初めて見たときは感動しました。

(EF61 211・八本松・1984年8月)
この当時は後補機を八本松駅構内で走行解放を行う列車と、西条駅で切り離す列車がありました。EF61 211は走行解放後に中線で瀬野へ折り返すための待機をしているところでした。
EF61形200番代は走行解放に備えて、八本松方にデッキと連結器解放テコを動作させるシリンダを備えていました。また空気管付密着式自動連結器を装備していたこともあって、かなり物々しい面構えだったのが印象的でした。

ちなみにEF61形200番代はEF60形の試作車と1次車を改造したものです。重連総括制御を備え、EF59形の重連運用も置き換える計画でしたが、重連時の押上力が強すぎることが判明してしまい、単機運用のみに限定されたそうです。結果としてEF60 1〜14を改造する計画が途中で頓挫。同時にEF61形0番代を改造する予定だったEF61形100番代は未改造に終わりました。
もっとも1984(昭和59)年の貨物合理化で、重量貨物列車が大幅に削減されたため、EF61形200番代で事足りることも多くなったようですが。

セノハチを下って瀬野駅で途中下車して、しばし瀬野駅周辺を散策することにしました。
しばらくして、EF61形200番代とEF67形の重単が瀬野駅に到着。

(EF61 210・瀬野・1984年8月)
おそらく西条駅で切り離された2列車分の2両が戻ってきたのでしょう。当時の単機回送はこのように2列車分まとめた重単となることが多かったようです。それだけ貨物列車が多かったのでしょう。

重単の後ろに片パンでぶら下がってきたのは当時最新鋭のEF67形。

(EF67 2・瀬野・1984年8月)
EF67形はEF59形重連仕業を置き換えるためにEF60形後期型を改造。サイリスタチョッパ制御とすることで、単機でEF59形重連仕業に対応可能としました。

当時EF59形、EF61形200番代、EF67形の配置区は広島機関区になっていましたが、運用上の拠点は瀬野のままで、瀬野機関区時代の設備は残っていました。
そのため、後補機は瀬野に常駐して、瀬野で貨物列車に連結していました。

(EF61 210・瀬野・1984年8月)
さきほどから背後にちらちら見えているのがEF59形。この後EF59形を見に駅の裏側に向かいました。
構内の片隅に休車状態の機関車が留置されていました。その中にはEF61 201とEF61 203の姿もありました。この2両は1980(昭和55)年の運用減少で長期休車となっていたそうです。

(EF61 201・瀬野・1984年8月)
EF61 201はEF60形の試作車1号機を改造したものです。201号機はその後運用復帰しましたが、廃車後吹田機関区で保管された後解体されています。
EF61形200番代は1991(平成3)年までに全機廃車となり、現存していません。

EF59形はEF53形とEF56形を改造した補機専用機。瀬野形の妻面がゼブラ模様だったのが特徴でした。

(EF59 9・瀬野・1984年8月)
この当時稼働していたEF59形は4両でしたが、EF67形の登場で風前の灯火となっていました。辛うじて待機中のEF59 10とEF59 21を見ることができました。

(EF59 10・瀬野・1984年8月)
このEF59 10は元EF53 1で、JR西日本に承継されて保存されていましたが、残念ながら解体されました。
EF59 21は元EF56 2で、丸妻車体と、蒸気発生装置を搭載した関係でパンタグラフが車体中央に寄っているのが特徴でした。

(EF59 21・瀬野・1984年8月)
EF59 21はJR貨物広島車両所で保存されています。
瀬野を離脱するときに待機しているEF67 2を見たら「後押し90」のヘッドマークを装着していました。

(EF67 2・瀬野・1094年8月)
この時ですでに90年。セノハチの歴史の長さを感じますね。

2度目のセノハチは2010(平成22)年。EF59形はもちろんEF61形200番代もいなくなって久しいなか、初めて後押しシーンの撮影をすることにしました。
まずやって来たのはEF67 105の単機回送。

(EF67 105・八本松〜瀬野・2010年3月11日)
EF67形100番代はEF65形を改造した補機専用機で、EF61形200番代を淘汰しました。

この頃は後補機の連結区間が広島貨物ターミナル〜西条間となっていて、八本松駅での走行解放も過去のものとなっていました。

そのため、連結器まわりは非常にすっきりしています。

 

続いてEF67 2が後押しして通過。

(EF67 2・八本松〜瀬野・2010年3月11日)

EF67 2とは26年ぶりの再会でした。


程なくしてEF67 1の単機回送が通過。

(EF67 1・八本松〜瀬野・2010年3月11日)

EF67 1の自動開放テコシリンダや密着式自動連結器の空気管などは撤去されていましたが、デッキは健在でした。

EF67 1の車籍は残っているようですが、事実上保存機となっているようです。

 

EF67形100番代の後押しシーンも撮影しました。

(EF67 104・八本松〜瀬野・2010年3月11日)
EF67形の運用はまだ残っているのですが、早朝、深夜になってしまったようで、撮影は大変そうです。

そして7年後の今回が3回目の訪問。
ようやくEF210形300番代本来の姿を見ることができました。

(EF210-303・八本松〜瀬野・2017年10月14日)
後補機用として緩衝器を強化していますが、外観からはわかりにくくなっています。
こうしてみるとセノハチの補機がどんどん特別感がなくなってきているみたいですね。今や黄色いラインぐらいでしょうか。

(EF210-307・八本松〜瀬野・2017年10月14日)
機関車は変わりましたが、セノハチの後押しシーンは変わりませんね。
ともあれ、もう一度EF67形を撮りに行かねばと思いました。

 

 

毎年恒例のJR西日本博多総合車両所の一般公開イベント「新幹線ふれあいデー」に行って来ました。

(500-906・博多総合車両所・2017年10月15日)

今年は生憎の雨模様となってしまいましたが、相変わらず大勢の人が来場していました。

今年の記念撮影車両はN700Aが2編成。

(783-4011/783-4010・博多総合車両所・2017年10月15日)

2編成とも敢えて同じ形式にして、好き嫌いが分かれないようにしたのでしょうね。

 

今年は運良くN700Aの運転台見学ができました。

(784-4010・博多総合車両所・2017年10月15日)

運転越しに何か見えますね(笑

 

ということで、今年も「500TYPE EVA」が構内をウロウロしていました(笑

(522-7002・博多総合車両所・2017年10月15日)

相変わらずインパクトのあるデザインですね。「500TYPE EVA」は2018(平成30)年春まで運行期間を延長しているので、もう一度ぐらい乗りに行きたいものです。

 

車体ジャッキアップ実演は700系B7編成でした。

(724-3007・博多総合車両所・2017年10月15日)

700系B編成の引退カウントダウンは始まっていますが、まだイベントで見ることはできるのでしょうか?

 

100系「グランドひかり」の食堂車は今年も庫内に展示。

(168-3009・博多総合車両所・2017年10月15日)

車内見学ができるので、結構盛況でした。

庫内ではパンタグラフ動作体験やドア開閉の動作体験、おそうじ体験などいろいろな体験イベントを実施していました。

(博多総合車両所・2017年10月15日)

ATC速度計展示もありました。

(博多総合車両所・2017年10月15日)

ここで博総の人に頭打ち速度について話を聞いたところ、デジタルATCによる一段ブレーキになってからは現示速度=頭打ち速度に変更されたのこと。ちなみにアナログ時代は300km/h現示では+5km/hの305km/hが頭打ち速度だったと思いましたが、ちょっとデジタルATCについて調べ直す必要がありそうです。


0系もすっかりお馴染みになりました。

(22-1047・博多総合車両所・2017年10月15日)
保存状態は良好のようです。

そして博総の主的な存在のWIN350。

(500-906・博多総合車両所・2017年10月15日)

車内見学は相変わらず長蛇の列でした。

 

台車検修場もお馴染みの見学コース。

(博多総合車両所・2017年10月15日)

この後ビックリする光景を見てしまいました。それは本物のクレーンを使ったクレーンゲームです!

(博多総合車両所・2017年10月15日)

プレイヤーの赤旗にあわせて本物のクレーンを博総の人が動かすという空前絶後のゲーム。

(博多総合車両所・2017年10月15日)

成功するとうまい棒の詰め合わせがもらえます。ちなみに失敗しても参加賞としてうまい棒が1個もらえました。

 

部品などの展示は少なくなった印象。

(博多総合車両所・2017年10月15日)

(博多総合車両所・2017年10月15日)

そしてドクターイエローT5編成で締めました。

(923-3001・博多総合車両所・2017年10月15日)
今年のイベントはお子様には楽しかったんじゃないかなって思います!