先日生涯3回目のセノハチに行って来ました。
(EF210-303・八本松〜瀬野・2017年10月14日)
セノハチは山陽本線上り線の瀬野〜八本松間の22.6‰の連続上り勾配区間で、「西の箱根」と呼ばれる難所でした。
セノハチの存在を知ったのは8歳の時。鉄道ダイヤ情報でセノハチとEF59形の記事を見たのが最初でした。その後EF61形200番代、さらにはEF67形が投入されてEF59形が風前の灯火となった1984(昭和59)年の夏に初めてセノハチに行くことができました。
とはいっても、九州へ向かって移動してる途中に立ち寄った程度で、後補機の撮影はできていませんが。
それでも八本松駅でEF61形200番代を初めて見たときは感動しました。
(EF61 211・八本松・1984年8月)
この当時は後補機を八本松駅構内で走行解放を行う列車と、西条駅で切り離す列車がありました。EF61 211は走行解放後に中線で瀬野へ折り返すための待機をしているところでした。
EF61形200番代は走行解放に備えて、八本松方にデッキと連結器解放テコを動作させるシリンダを備えていました。また空気管付密着式自動連結器を装備していたこともあって、かなり物々しい面構えだったのが印象的でした。
ちなみにEF61形200番代はEF60形の試作車と1次車を改造したものです。重連総括制御を備え、EF59形の重連運用も置き換える計画でしたが、重連時の押上力が強すぎることが判明してしまい、単機運用のみに限定されたそうです。結果としてEF60 1〜14を改造する計画が途中で頓挫。同時にEF61形0番代を改造する予定だったEF61形100番代は未改造に終わりました。
もっとも1984(昭和59)年の貨物合理化で、重量貨物列車が大幅に削減されたため、EF61形200番代で事足りることも多くなったようですが。
セノハチを下って瀬野駅で途中下車して、しばし瀬野駅周辺を散策することにしました。
しばらくして、EF61形200番代とEF67形の重単が瀬野駅に到着。
(EF61 210・瀬野・1984年8月)
おそらく西条駅で切り離された2列車分の2両が戻ってきたのでしょう。当時の単機回送はこのように2列車分まとめた重単となることが多かったようです。それだけ貨物列車が多かったのでしょう。
重単の後ろに片パンでぶら下がってきたのは当時最新鋭のEF67形。
(EF67 2・瀬野・1984年8月)
EF67形はEF59形重連仕業を置き換えるためにEF60形後期型を改造。サイリスタチョッパ制御とすることで、単機でEF59形重連仕業に対応可能としました。
当時EF59形、EF61形200番代、EF67形の配置区は広島機関区になっていましたが、運用上の拠点は瀬野のままで、瀬野機関区時代の設備は残っていました。
そのため、後補機は瀬野に常駐して、瀬野で貨物列車に連結していました。
(EF61 210・瀬野・1984年8月)
さきほどから背後にちらちら見えているのがEF59形。この後EF59形を見に駅の裏側に向かいました。
構内の片隅に休車状態の機関車が留置されていました。その中にはEF61 201とEF61 203の姿もありました。この2両は1980(昭和55)年の運用減少で長期休車となっていたそうです。
(EF61 201・瀬野・1984年8月)
EF61 201はEF60形の試作車1号機を改造したものです。201号機はその後運用復帰しましたが、廃車後吹田機関区で保管された後解体されています。
EF61形200番代は1991(平成3)年までに全機廃車となり、現存していません。
EF59形はEF53形とEF56形を改造した補機専用機。瀬野形の妻面がゼブラ模様だったのが特徴でした。
(EF59 9・瀬野・1984年8月)
この当時稼働していたEF59形は4両でしたが、EF67形の登場で風前の灯火となっていました。辛うじて待機中のEF59 10とEF59 21を見ることができました。
(EF59 10・瀬野・1984年8月)
このEF59 10は元EF53 1で、JR西日本に承継されて保存されていましたが、残念ながら解体されました。
EF59 21は元EF56 2で、丸妻車体と、蒸気発生装置を搭載した関係でパンタグラフが車体中央に寄っているのが特徴でした。
(EF59 21・瀬野・1984年8月)
EF59 21はJR貨物広島車両所で保存されています。
瀬野を離脱するときに待機しているEF67 2を見たら「後押し90」のヘッドマークを装着していました。
(EF67 2・瀬野・1094年8月)
この時ですでに90年。セノハチの歴史の長さを感じますね。
2度目のセノハチは2010(平成22)年。EF59形はもちろんEF61形200番代もいなくなって久しいなか、初めて後押しシーンの撮影をすることにしました。
まずやって来たのはEF67 105の単機回送。
(EF67 105・八本松〜瀬野・2010年3月11日)
EF67形100番代はEF65形を改造した補機専用機で、EF61形200番代を淘汰しました。
この頃は後補機の連結区間が広島貨物ターミナル〜西条間となっていて、八本松駅での走行解放も過去のものとなっていました。
そのため、連結器まわりは非常にすっきりしています。
続いてEF67 2が後押しして通過。
(EF67 2・八本松〜瀬野・2010年3月11日)
EF67 2とは26年ぶりの再会でした。
程なくしてEF67 1の単機回送が通過。
(EF67 1・八本松〜瀬野・2010年3月11日)
EF67 1の自動開放テコシリンダや密着式自動連結器の空気管などは撤去されていましたが、デッキは健在でした。
EF67 1の車籍は残っているようですが、事実上保存機となっているようです。
EF67形100番代の後押しシーンも撮影しました。
(EF67 104・八本松〜瀬野・2010年3月11日)
EF67形の運用はまだ残っているのですが、早朝、深夜になってしまったようで、撮影は大変そうです。
そして7年後の今回が3回目の訪問。
ようやくEF210形300番代本来の姿を見ることができました。
(EF210-303・八本松〜瀬野・2017年10月14日)
後補機用として緩衝器を強化していますが、外観からはわかりにくくなっています。
こうしてみるとセノハチの補機がどんどん特別感がなくなってきているみたいですね。今や黄色いラインぐらいでしょうか。
(EF210-307・八本松〜瀬野・2017年10月14日)
機関車は変わりましたが、セノハチの後押しシーンは変わりませんね。
ともあれ、もう一度EF67形を撮りに行かねばと思いました。