こんにちは。

当記事をご覧頂きありがとうございます。

今回は、「世に蔓延する考え方から離れる」ことについて、書いて参りたいと思います。この主題について書こうと思ったのは人生が充実していると本心から言える方は今の日本で極少数で、世に蔓延する考え方に囚われているからだと感じた為です。「あんた方は明日のことやあんた方の命がどうなるか知らのんや。あんた方は少しの間現れて、すぐ後で消される蒸気や。」(ヤコブ四章十四節拙訳/ミカエル氏訳/多数派に属す者は破滅に至る)の通り、そして、人生の年月は七十年程のものです。 健やかな人が八十年を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません。 瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。(詩編九十章十篇)の通り、人生は短いです。一日を長く感じても、昔のことを昨日のことのように思い出すというように、長期的な視点で見れば時間の経過は驚く程早いです。そのような僅かな期間の中で、これだと思えることを腹に決めてやり切らずに人生を終える日本人の割合が九割九分にも上るとききます。これだと決めたことがまた進むべきではない道、誤った道であることも多いので、その点には注意が必要ですが、まともな人であれば自分の人生をやり切らなかった事に後悔が残るはずです。肉体が衰えて死ぬ事は皆平等に訪れて避けられないのに、芸能人のごとく、美の維持を求めたり、金稼ぎに囚われ続けたり、肉体の欲望の満足を求めて生きるのは虚しいです。短期的な楽を求める生き方は、何か違うという違和感が湧きますが、多くの人は多忙な環境に身を置き、世の快楽や生活の思い煩い故に、虚しさや違和感の原因を深堀りしません。何か違うという感覚さえ失っているかもしれません。世が拝金主義に陥り、内面性の問題について考えることが疎かになっているからだと思います。しかし、聖書の終末の徴の通り、愛が冷えて世相は益々悪化していきますので、今の状態がまずいと感じているならば、他者の意見によってもブレない目標を据えねばなりません。目標を決めずに流れに身を任せる生き方は楽ですが、それは単なる自堕落であり、第二の死へと直結する生き方ですので、その顛末を避けるには自らの堕落に気付き、目標を決めて必死に食い止めねばなりません。自堕落になっても多くの人は指摘してくれないので、自分で気づいて制御する必要があります。(会社等、会社利益に直結する関係性においては指摘されることはありますが、悪い内面性について面とむかって指摘してくれる人はほぼ皆無、なぜなら悔い改めていない故に、皆悪い内面性を持ち合わせるので、実質的に指摘が出来ない)そこで、聖書の正しい聖書解釈を知り、外部の誘惑に弱い自らの内面の課題を認識し、内面の課題を改善していくという確固たる目標を据えて日々行動していくしかないと考えるものです。常に申し上げておりますが、聖書を読んで行動して頂きたいと思い、世に蔓延する考え方から離れるという主題に致しました。尚、カナダではキリスト教を犯罪化する法案が可決する見込み : メモ・独り言のblog (livedoor.blog)のように、加奈陀では、聖書に基づく意見を述べる事で刑務所行きとなる刑法改正法案が可決される可能性があります。世界経済討論会(WEF)からヤンググローバルリーダーとして選出されたことがあるジャスティントルドー氏が聖書に基づく意見を述べる事(いわゆる伝道)に対して罰則を科す刑法改正法案を提出したということから、WEFの意向を汲みコオロギ食や、二酸化炭素削減を推進する日本においてもいつまでも聖書を読んで、自由に伝道出来る残された時間は少ないと考えられます。日本政府は今もなお憲法改悪発議を控える様子はないので、憲法改悪後に確実に信仰の自由は剥奪されるものと予想致します。そのため、主イエスが預言されたわたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。(マタイ二十四章九節~十節参照)が実現するのは、もうそう遠くはないと思います故に、聞く耳をお持ちになった方は、早急に聖書を読んで聖書に則った行動をして頂けるように願っております。今回記事では世に蔓延する考え方とその打破について述べて参りますが何よりも先に、成功するためには | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)や各ブログ記事を読んで正しい聖書解釈を身に付け、管理人のミカエル氏と交流をして頂くことを推奨します。

 

【世に蔓延する考え方について】

一.人生の目的は人生を楽しむこと

人生の目的は人生を楽しむと言う考えが蔓延しています。このように考える理由として、食う、寝る、遊ぶ、という類の人生の価値観が広く大衆に受け入れられている印象がある為です。元々は「食う、寝る、遊ぶ」は、太陽暦千九百八十八年に発売された日産セフィーロの広告宣伝です。当然のことながら食う、寝る、遊ぶだけではなく、通常人は仕事をせねばならず、日々生活費を稼ぐ為に多大な苦労をされています。その労苦を食う、寝る、遊ぶで解消せよと言わんばかりの広告だと感じ取れます。現在はこの広告に限らず、今でも「食う」「寝る」「遊ぶ」! ~健康づくりの3つの要素~ | メローblog (mellow73.com)で書かれているように、健康を保持する為に遊びが必要なこととして書かれています。また、〝食う、寝る、遊ぶ〟が基本探求心を引き出す保育 | ひろしま企業図鑑 (zukan.biz)のように、子供の頃は成長の為に遊ぶことが当然だと考えられており、子供から大人まで遊び楽しむことが必要不可欠と重視される世相になっております。しかしながら、食べること、寝ることと同等程度に遊びに重きを置くことは人間の本来の生き方から外れる生き方であると考えます。なぜなら遊びは欲求満足を主眼としているからで、欲求満足は神の御心ではないからです。その点について後述致します。

次に遊びの定義を遊び - Wikipediaから以下抜粋します。

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遊び(あそび)とは、知能を有する動物ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。

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こちらの定義によれば、「生命維持の為に必要な活動以外で、心を満足させる為の行動を遊びと定義」されていることが分かります。従って遊びというのは本質的には無くても生きていけるものです。遊びの定義上、心の満足を目的としている為、欲求満足を求む行為全般が含まれることになりますが、聖書にはそれらを追い求めたとしても虚しいと書かれていますので以下にその聖句を紹介します。

わたしは、心の中で言った。今行って、快楽を試して心地よい状態を楽しもうと。

見よ、それもまた虚しかった。(コヘレトの言葉二章一節拙訳)

 

あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、屠られる日に備えて、自分の心を太らせた。(ヤコブの言葉五章五節参照)

 

以上の聖句は自身の経験と照合して厳しい内容であると感じるものの共感できる聖句です。確かに遊びによる現実逃避、快楽による肉の欲の満足は、一時的でその時は楽しいですが、後になってみると虚しいです。遊びによって自身の血肉となって蓄積される事が無いからです。遊びによっては心が真に満たされることはなく、むしろ慢心を生みます。一時の気分転換という程度に留める限り全ての遊びが不必要と思いませんが、あまりに多くの時間を費やすことは悪影響を及ぼすと考え、その悪影響について掘り下げて考えたいと思います。

遊びの問題の一つは、多くの遊びが消費活動で律法に反して罪を犯す危険性と隣り合わせであることです。先に紹介しましたミカエル氏の記事:成功するためにはで、「ある程度年取って来たら分かると思うけど、ほんまに歳月が過ぎ去るのは速いし、年取ってきたら体は若い頃のような見映えも無くなるし、思うように体が動かへんようになるし、体力も無くなってくるし、病気になり易くなるしで、人間の一生なんてあっと言う間や。その限られた短い人生の時間で、消費活動のみで何の生産性も無いことをしてる暇なんてありますか、本能や欲望のまま生きて神の律法に違犯するという罪を犯してる場合ですか、この世で財産を築くことに夢中になってる場合か、自問自答してみなはれ。」と書かれているように無駄なことをしていても(遊んでいる本人は無駄だと思っていない)時間は過ぎ去ります。

また、日本人の問題点 五 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)で書かれているように、忙しさが心を亡くす原因となっており、日頃の仕事、学業等に加え、遊びに費やす時間が多ければ、じっくりと物事を考え、人を慮ったり、聖書を読む時間の確保をより困難にさせます。以下に忙しさについて言及されている内容を抜粋致します。

~以下抜粋~

多くの人間が勘違いしてるけど、「忙しい」ってええことやないからな。暇な人間は碌でもないというのは間違うた考えであり、暇を持て余してダラダラしてるとか遊び呆けてるなら碌でもないのは正解やけど、聖書の福音伝道や世の悪を調べて弾劾する等の正しい行いをするならそれは間違いではないからや。ネットで検索して、情報が出てくることを当たり前に思うな。情報を探して出てくるのは、情報を提供してくれる人が働いてるお陰と理解せい。~中略~

忙しいとは、字の如く、「心を亡くしてる」、即ち、心が死んでる状態を意味するからや。ある程度の暇な時間が無いと、あれこれと考えたり調べたりする時間も余裕も無くなり、拙者が言うようなことをあんたらは考えもせえへんし、受け入れることもでけへんように思える。忙しいと嘆く位なら、今までの生活様式を一変させ、意図的に暇な時間、自由な時間を作らないかん。つまり、余裕が無い状況から脱する必要がある。拙者の言うことを聞かへん、真剣に考慮しようともせえへん要因の一つに時間や心に余裕が無いということがあろう。

~抜粋終わり~

社会的要請に従って無駄に忙しくして自分の人生を殺していることが、これだと思えることを腹に決めずに人生を終える日本人が九割九分にも上る理由でもあろうと思います。特に現代社会においては、人と関わる遊びより、ネット、テレビ視聴、SNSを楽しむ等、受け身の姿勢で行える遊びで時間を浪費しやすいです。また、課金制サービスを購入して視聴をしたり、一度大型店舗や大型施設等に行けば、金銭消費にも繋がります。金銭消費の遊びの為に拝金主義に傾倒することも非常に大きい問題です。(あなたがたは神と富とに仕えることは出来ない。/マタイ六章二十四節参照)又、動画やテレビ視聴は情報を受取るだけで、情報分析力や思考力を奪います。能天気になります。結果、自らの頭で考えることを放棄して資本主義社会の奴隷になります。更には遊びは人の欲にも働きかけ、律法違反(罪を犯す)の契機ともなります。例えば、人は健康法と称する様々な運動や食事に執心する事も多いですが、【初心者におススメ】太陽礼拝の12種類のポーズを写真と動画で紹介 | YogaFull(ヨガフル)|心もカラダもハートフルになれる手のひらメディア (yoga-lava.com)には健康にいいとされるヨガの太陽礼拝の姿勢が掲載されており、この太陽礼拝は、偶像崇拝の罪で第二の死に至ります。(ヨハネの黙示録二十一章八節参照)罪を犯す者は罪の奴隷(ヨハネ八章三十四節参照)で、遊びや趣味への没頭によって罪の奴隷から離脱するのは非常に困難になります。罪とは、法に背くこと(ヨハネの手紙一 三章四節参照)です。また、罪を犯す者は悪魔に属します。(ヨハネの手紙一 三章八節参照)ヨガで推奨されている太陽崇拝がまさに悪魔崇拝であり、現代社会に生きる我々は神の律法を知ることなく漫然と生きていれば、律法違反によって罪を犯す機会が至るところにあります。クリスマスと太陽神崇拝でもクリスマスを祝うことは太陽神崇拝を起源としており、聖句を基にクリスマスを祝うことを弾劾されていますので是非ご参考ください。ヨガやクリスマスの例に限らず、LGBT法案といった神の律法で禁忌とされ、ソドムとゴモラの地方の人々が神によって滅ぼされる原因となった同性愛を認める動きが日本であります。同性愛を認める動きは日本だけではなく世界各国に広まっています。律法違反である同性愛は、ローマ教皇のフランシスコも容認し、不法が蔓延る終末時代を思わせるものです。その他にも世には悪魔崇拝行事が蔓延っている為、罪の原因になり得る行事を聖書とミカエル氏のブログから早急に学んで頂ければ幸いです。この世で罪を離れて悔い改めねば罪人のままであり、死後、その罪を裁かれることになるからです。

遊びの二つ目の問題は、遊びは成長につながる要素が少ないことです。

成長は、能力・精神の向上と定義した場合、精神的達成感、危険を背負う、挑戦する、この三つの要素がある行動によって、成長していくとされています。遊びは、上記三つの成長要素をいずれも満たさず、成長を望めません。ただ遊びで時間を費やすことは間違っていたと後に気付くきっかけにはなる可能性もあります。その意味で全ての遊びが悪いと思いませんが、一般的にはゲームをしたり娯楽の動画を見て、成長するか、お家時間を満喫して成長するか、高級料理店で食事をして成長するか等の例を挙げて考えてみると、受動的行動で、肉の満足の為であることが多く、苦労して成長したり、主体性を養える余地が少いと考えられます。そして遊びは受け身な姿勢でも出来ること故、結果として怠惰な姿勢が習慣づけられる虞があります。聖書ではやるべきことを行わない怠惰な性質を厳しく戒めている故、怠惰な状態へと自らを誘引する物事に傾倒せぬよう、警戒しておく必要があります。聖書で、主人から一タラントンのお金を預かった僕が、それを増やさず保管していたが、主人はその僕に対して、預り金を増やさなかった怠け者であると叱りつけ、一タラントンのお金を他の僕に与え、怠けものの僕が役立たずだと暗闇に追い出されてそこで泣きわめいて歯ぎしりする、という描写があります。(マタイ二十五章十四節~三十節参照)この描写は、真の聖書福音を知った後、主イエスの御要請に従って伝道をせず、キリスト者を増やす為の伝道活動せず、悔い改めの実を結ばず、第二の死に至るという悲しい結末を意味しているものと考えています。信仰においても、世の事においても、消極的な姿勢や怠惰という品性であり続けることは、成長の芽を自ら摘む自滅への道だと考えられます。

遊びの三つ目の問題は多くの場合が、利己的な動機に基づく自分本位な行動が多いことです。例として上述したこととも重複することもありますが、不必要な買い物、旅行、美食、ネット回遊、過度な運動、音楽視聴等です。趣味を楽しむことが人生を豊かにすると言う発想をよく聞きますが、利己的な動機に基づく行動故、他者を配慮する行為ではなく自己満足で終わり、むしろ悪い行いへと繋がる虞があります。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがある。(ヤコブの手紙三章十六節)の通り、心が悪いと、行いも心が外に現れるので悪くなっていきます。例えば、いじめ等は、人を見下したり、妬んだり、憎んだりする心の内面から生まれる行為です。子供の時から弱い者いじめをする子もいますが、人が心に思うことは幼いときから悪いのだ。(創世記八章二十一節参照)の通り、人の内面性は若いころから悪いことに間違いありません。真氏も主イエスこそ真の道である。 (ameblo.jp)でその旨仰っています。いかに外観上善人に見えようとも人は善人を装うことが可能なので律法違反をやめて悔い改めて新生していかなければ内面性が悪いままです。SNSなどでも、本人の自我を抑えきれず、不毛な論争、罵りあいが起きています。おそらく世の支配層、更に支配層を支配するサタンはSNS上で繰り広げられる論争を見て、嘲笑していることと思量します。(嘲笑という行為や外観上善く見せるのはサタンの特徴)

先述した通り息抜きという程度であれば、遊びや趣味も致し方ない面がありますが、それらの趣味を行わないと気が済まない状態であれば、偶像崇拝になっていきます。キリスト者の成長に必要なこと遊技に限らず、酒にしろ、煙草にしろ同じことです。度を超えて世のものに依存するなら、それは神の律法で禁じられてる「偶像崇拝」に当たると述べられている通りです。

人生の目的は人生を楽しむ事という考え方が蔓延し、更に過去に例を見ない程多くの遊戯があるのに、多くの日本人から人生が充実している様子は一切感じられず、ただ食う寝る遊ぶの幻想を追って日々を過ごしているように見受けられます。聖書や世相の悪化具合(言論・思想・良心の自由、健康的な食生活が奪われている現状)に関心を向けて生きることが本来の目的であるべきですが、そうならない原因の一つは、世俗社会での仕事や給与体系では生活がきついからで、こちら( Yahoo!ニュース)の通り、生活が苦しいと感じている世帯の割合が半分以上にも上っています。更には世には異常な拝金主義の会社が多く、同調圧力が強いストレス社会の為、気が休まる場面は少ないです。これほどに拝金主義が蔓延る背景の一つに、日本での過酷な税金や社会保険料等、異常な負担があります。こちら (sin-kaisha.jp)を見るといかに世界の中でも日本の税負担が異常であるかがわかります。このような異常な仕組みを異常だと思う感性が失われていたり、大規模な抗議活動が起きないのは、多くの人が同じ環境下にいることで、異常性に気付かず、異常性に気付いても不信仰故、遊びや趣味によって日々の不満を発散しているからです。本来はもっと抗議活動が大きくなってしかるべきではあります。大規模な抗議活動も起きない状態や、起きても工作員達による大規模抗議活動がほとんどで、「貴方は物事の本質を知らず、成長せず、自己中のままでいい」と社会から言われていることと同じで、故意に本質から目を逸らされています。社会とはいかに偽善的で、利益主義なのかと思います。GHQによる日本占領時代に、市民が政治に興味を持たないようにするため、screen(スクリーン=映像鑑賞)、sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、sex(性欲)を促進する3S政策、そして今はSNSが加わって、日本で滞りなく国民の白痴化が推進されているからだろうで、いずれの要素も遊びの要素ばかりの巨大産業です。性欲に至っては婚外性交、自慰行為、みだらな想像等が、明確に罪に該当し、人を堕落させます。悔い改めねば、人は皆その報いを受けます。だからそのような遊びに対して社会が比較的寛容なのは、企業利益に資する為に、社会が決めた生活様式に違和感を持たせず従順にさせて権力者にとって使いやすい人間にする、最終的には人間が持つ罪の意識を希薄化させ地獄行きに導くという悪魔の意図があると考えられます。主イエスが、ユダヤ人達に、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。(ヨハネ八章二十一節)、あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。(ヨハネ八章四十四節)と叱責されたように、悪魔は人の欲望を唆し、人が悪魔や悪魔の誘惑に気付かずに罪を犯すように働きかけ、最終的に第二の死へと導く役割を果たします。悪魔は世の権力者を通して偽りの幸せの概念を普及させ悪魔と同じような利己的な状態になるよう人を導こうとしていますが、人生において最優先ですべきことは聖書を読んで悪い内面性を悔い改めること、悪魔の手に乗って罪を犯してはなりません。

 

二.ウィルスが病原である

世で蔓延する考え方の二番目に、ウィルス病原説を述べます。

弊ブログでも散々述べてきましたので、いまさら述べるまでも無いことではありますが、未だにワクチンに警鐘を鳴らす人でもウィルスがある前提で話す工作員が沢山いるので、改めて書いています。新型コロナウィルス騒動は、幼い頃から意識づけられてきたウィルスが風邪の原因とする概念(ウィルス病原説)を利用された巧妙な嘘です。あるのに出せない【行政文書】論争決着でも著者の方が詳しくウィルス病原説の欺瞞について書かれています。また、ウィルスが人の目に見えない存在という点、生きていれば誰もが体調不良に見舞われる点において巧妙に利用され、ロックフェラーによる権力と富の力で世に西洋医学が普及したことはこちら (youtube.com)の動画でも説明されています。(要点は以下の通り)

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ロックフェラーが議会に働きかけて、「自然療法が非科学的なインチキ療法」だと宣言させた。その後ロックフェラーは、米国医師会に働きかけ、彼が承認するカリキュラムを教えることを条件として、一流医学部に巨額の補助金を出したと書かれています。ロックフェラーに反対する医師、教授は報道機関の餌食となり、医師会から除名され、教員や医師免許を取り上げられました。反論する者は逮捕され、投獄された。石油系薬品に発がん性があると証拠が表れ始めたとき、ロックフェラーは米国癌協会を立ち上げ、活動を通じて、情報をもみ消した。

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未だに非常に多くの人が目に見えないウィルスが病原であり薬がウィルスを治するものと信じているのは、体調不良の原因としてウィルス以外の原因も風邪薬以外の対策も、教わったり、学ぶ機会がなかったからだとは思いますが、実際、風邪を引いた時は薬を飲まなくても治ります。食事を減らし、寝ていれば徐々に快復していきますので、その経験があれば薬に頼ることもなくなります。服薬は確かに症状の緩和効果を感じることが出来ますが、体を治療しているわけではありません。薬が病を治すという嘘を信じるのは主観的な思い込みでしかなく、薬に頼ることは律法においても罪になる可能性が高く、黙示録十八章から分かる薬の危険性 後編では薬の危険性について以下のように述べられています。

英語のpharmacy(ファーマシー)という単語の語源になっており、その意味は薬局、薬屋、調剤、製薬、薬学です。英語では、このファルマカイアという古代ギリシア語の単語を広くsorcery(魔法、黒魔術)、magical arts(魔法、魔術)、poisoning(毒を盛ること)、witchcraft(魔法、魔術、魔力)と定義しとる。ジュネーブ聖書の訳語も魔法という意味や。当該聖句では「偶像礼拝の惑わしと誘惑」というのがそのファルマカイアという原語の意味や。要するに、薬が魔法や魔術そのものであり、薬を生産したり使たり信じ切って頼るというのが偶像礼拝ということです。

人が体調不良に陥って治療の為に魔術が語源となった薬を盲信して服用するのは偶像礼拝の罪ではなかろうかということです。実際、風邪をひいて薬を処方してもらうために反射的に病院に行く人が多いです。成分を知らずに、これまでの慣習を疑わず処方された薬を有難く服用しています。まさに神社やお寺で拝む本質的意図を知らずに、ただ慣習的に行っている偶像崇拝に等しい行為です。以上に述べてきたことにより、風邪の原因としてウィルス以外の原因(食生活の乱れや不健康な食事、過度なストレス、睡眠不足、基地局、携帯やその他電子機器から発生する強電磁波、接種者からの伝播、ケムトレイル)等諸々を考慮する必要があり、世間で常識として通っている薬で治すという考え方に騙されず、人の自己免疫によって治癒が行われていることを認識しておくべきと考えています。また、これも今更の話ですが、マスクについても感染症対策に何の役にも立たないことは、厚労省がマスクを薬事法上の雑品に分類していることから分かりますが、未だにテレビや過去の洗脳が解けずにマスクの効果を信用して着用している人を見かけます。しかし、マスクにはなぞの黒い繊維 - YouTubeにあるように、寄生虫混入疑惑がぬぐえず、また、こちら(ameblo.jp)でも酸素不足による免疫力低下の警鐘が鳴らされている通り不健康になり考える力が失われる虞があり、今後ともいかなる同調圧力があろうとマスク着用を控えるべきです。また、有害な遺伝子組み換え新型コロナワクチンをうけなければ、経済的利益や社会的利益が喪失すると危険性を煽られながら、コロナワクチンが推進された結果、多くの人の健康や命が奪われる悲惨な事態に至ったのに、そのことを報道機関は故意に報じません。これもウィルスがあるからという嘘の下に展開されたもので、現代でも報道機関が報じないからワクチンの有害性を甘く見ている人が多いですが、そうではないのです。利益を得たのは製薬会社、ワクチン推進組織等、一部の組織や人だけで、実際には非常に多くの健康障害が発生しております。それ故、隣人の為にワクチンを打つ、マスクを着用する等というのは偽善で、明確に聖書が説く隣人愛に反する行いです。故に、死亡、後遺症、遺伝子組み換えにつながるワクチンを推進したり、有害無益なマスクを強要する行為は、この世の法においても刑法第百九十三条公務員職権濫用罪、第二百二十三条強要罪、民法七百九条の不法行為、死や障害に至らしめれば、殺人罪、傷害罪等に繋がると考えられますし、神の律法においても罪です。この問題から、日本人の問題点 五で紹介されているように、諸悪の根源は不信仰にあり、不信仰故にナチスのアイヒマンのように、後になってあの時は仕方なかった等と罪逃れの為の言い訳をする自己愛的性質に問題があることに気付きます。そのために人を規律したり守ったりする法を軽視してはならず、真剣に学んで、法を盾として不当な同調圧力を受け入れない姿勢が必要です。現実社会を見ても、人々の洗脳度合が酷く、世の支配層に対する糾弾が全くなされず、今後感染対策規制が再開・強化され、有害無益な法案を通され、自由は失われ、再び同調圧力が強まるであろうと考えられます。自由が失われるからといって、臆病な気質が原因で何も抗弁せねば、第二の死に至ることを忘れてはいけません。

ご参考までに、悪魔崇拝者であり異邦人であるJ・D・ロックフェラーは、長寿で自らにはホメオパシー医療を適用し、西洋薬を飲まず、外食せず、自然有機栽培の野菜を食べていたという情報があり、世の支配層は人一倍自身が摂取する食品に気を遣い、健康志向が強い様子が窺えます。日本に本格的な健康志向の考えが流れこんできたのは、明治時代以降と考えられていますが、彼らのような世の支配者層が実践する食事や治療ではなく、欧米人が金儲けをする為の食生活や医療を展開するために、当時の権力者達が健康という概念を普及させたのだと考えられます。日本では、健康という単語そのものが、明治時代までは使われたことが無く、福沢諭吉らが提唱したことが発端の様子。福沢諭吉については、現代日本の常識は殆ど捏造されたものの中でも後述する太陽暦推進に関わる偽善的発言について記述されています。また、明治政府は東洋医学ではなく、西洋医学を標準とする道を選び、昨今まで西洋文化が日本の治療法として定着する流れが作られました。Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 昭和東京 (youtube.com)を視聴すると、昭和時代の日本の食卓の様子が映されており、まだ部分的に和服を着用する人もいますが、このころは既に一日三食が定着し、食事の欧米化も進んでいる様子が分かりますが、この当時は既に栄養、西洋由来の抗生物質、予防接種等に関連する教育がなされ、国民は西洋由来の発想を前提とした日常生活における健康維持について意識づけられていた様です。また、健康維持という点でスポーツの効用が本格的に説かれるようになったのは、1960年代後半のノルウェーのトリム運動とされていますが、実際日本においてはそれよりも少し前の1964年の東京オリンピック(ご参考オリンピックの起源 // 悪魔バアルを祀る人類最大の宗教儀式 (youtube.com)開催の前後ではスポーツの健康効果がうたわれ、1964年以降は毎年十月十日が体育の日(現在はスポーツの日という移動祝日になっており、十月の第二週目の月曜日になった)と制定され、この日に身体運動を行うことが政府の主導によって国民行事化されました。

以上の通り、ウィルス病原説という西洋由来の嘘の蔓延が蔓延り、現代日本に及ぼした影響は非常に大きいです。聖書の終末預言 一 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)には、終末に悪疫が起こること、また実際の医療の闇(ワクチンのみならず、がんの標準治療や定期健診)について述べられているので、是非ご参考ください。

 

三.食事量、健康への関心の高さ

食事量や健康についても世で主流とされている考え方があります。

例えば、現在各国で主流であり常識で健康的とされる一日三食の食事は、フリーメイソンの人員であったトーマスエジソンがトースターを売る為の戦略であったと言われています。日本では既に江戸時代から一日三食が始まっていたようですが、労働で体力仕事が多い為と言われており、その三食も米、味噌汁、漬物等という非常に簡素な食生活だったそうです。現代社会では、一食の量は多く、三食も食べれば頭も働かず、日中集中力が続かず眠くなったり、肌荒れしたり、腸の調子も悪くなる弊害があります。若い時に貯めた不摂生は、年を重ねてから不健康な状態となって表に出てきます。そのため、一日二食➽一日一食というように徐々に食事の量を減らして体や欲求を慣らしていくと良いかと考えます。こちら(toconakis.jp)にも一日一食にして良かった点が書かれていますので、宜しければご参考下さい。(一日一食への移行のやり方や本なども紹介されていますが、特にそちらはご覧になる必要はありません)また、断食で治せない病は、医者でも治せない、断食は切らない手術ともきき、食事量を減らすことが、体の調子を整える効果があることは確かです。

また、健康への関心の高さを裏付けることとして、X(旧ツイッター)においては、こちら(X)のようにワクチン伝播(シェディング)による健康被害にきく対策としてイベルメクチン、こちら(X)のように、各種サプリ等が勧められています。しかし、イベルメクチンはこちら(X)のように危険性について警鐘を鳴らされており、またサプリにも添加物が包含されている可能性を考慮すれば、積極摂取を決して勧められるものではありません。常用すれば費用もかさみ、先に述べたように偶像崇拝の罪に陥る可能性もありますので、決して庶民が求め続けるべきものではないと考えます。また、こちら(X)では、食生活の利便性や美味しさへの過度な追求について警鐘が鳴らされております。

以上のような食事や健康の話題に対する関心の高さから、肉体的な健全性に対する関心の比重が高く、精神的な健全性に対する関心度合が低いと考えられ、度を超えて世のものに依存するなら、それは神の律法で禁じられてる「偶像崇拝」に当たるという点を忘れずにおらねばなりません。

 

四.服装、言葉遣い、暦等

太陽暦は悪魔崇拝の暦であり詐欺制度で書かれていることを以下に一部抜粋します通り、服装、言葉遣い、暦等についても、先に述べた西洋医学と同様に欧米由来の文化が日本で非常に馴染んでいます。西洋由来の文化に馴染むのは本来の日本の姿ではないので、自身の生活様式を変えるべく、ご参考頂ければと思います。

~以下抜粋~

現在の日本には保守派の政治家、官僚なんておらへんし、経団連等をはじめとする財界を見ても、日本のため日本人のために働く保守派は一人も居らんわ。皆が寄ってたかって自分らの利益や快楽のために欧米や支那相手に売国し、多くの生粋の日本人(特に古代イスラエル人の末裔)を不幸に陥れとる。それが分かってへん庶民も同じや。普段から洋服着て、西洋の文化、習慣、言葉にかぶれて、海外銘柄の物ばっか欲しがるアホも同類や。真正保守は聖書を読んでその教えどおりに生き、和服を着て、和食を好み、明治時代以前の日本人らしさを取り戻す人だけや。洋服着て、片仮名英語混じりで喋ったりせんと、日本人の体質に合う食事である和食を好んで食べ、海外銘柄なんて見向きもせんのが本物の日本人であり、古代イスラエル人の末裔や。現代では昭和初期には多かった個人商店は軒並み潰されるか大手企業に飲み込まれ、例えばコンビニの店名にしても英語ばっかで日本語が全然あらへんやないか。コンビニに代表されるように説明会で甘い話に騙されて加盟店契約(フランチャイズ契約)を安易に結ぶ人らは思慮が浅く、契約で雁字搦めされ、後で利益が出て返せばええと都合良く考えて借金してまで店を立ち上げ、上納金として利益を吸い上げられ、人材不足(安い賃金では優れた人材は来えへんし、所謂バカッター(莫迦がツイッターで自分の愚行を撮影したもんを掲載して披露することに由来)で分かるように異常行動を取る若者や外国人を雇って評判が落ちれば悲惨)で悩まされ、他人を雇う金銭的余裕が無くなれば自分自身が休み無く働く羽目になったり、加盟店の本部社員とのやり取りで悩まされ、途中でコンビニ経営を辞めようにも莫大な違約金があったり、最終的に自殺するか行方をくらますか自己破産まで追い込まれる等と地獄を見ている人が大勢います。こちら(Cosmic)のとおりです。八十年代からこういう詐欺会社が幅を利かせ、昭和中期まで当たり前のようにあった日本の小売産業である八百屋、精肉店、金物屋等と今あるスーパーやコンビニ等と一箇所に集めることをせずに、それぞれが別の専門店をやってた個人商店を潰してきたんや。これは新世界秩序(NWO)への布石や。ほんの一部の大企業が独占し、中小企業や個人事業を潰すんが奴らの目的やさかい、コロナ茶番もその目的が含まれとる。

中略

さて、前回記事「現代日本の常識は殆ど捏造されたもの」でも少し言及しましたが、英国に日本を売り飛ばして傀儡になった明治時代の日本政府がやった数々の悪行の一つに改暦があります。現在使用されとる太陽暦(グレゴリオ暦)のことです。日本はこんな悪魔の暦を導入する前は聖書が示す太陰暦、太陰太陽暦を採用して少なくとも千三百年はその暦が根付いており、それに沿って暮らしていました。しかし、英国の傀儡となった明治政府は意図的に日本にあった古代イスラエルらしさや聖書的な習慣を奪うことを目的として行った和服を正式な服装とさせない等の数々の悪行があり、その中でも特に悪質かつ重大なことは暦の変更です。まさに時の支配とも言えます。

~抜粋終わり~

 

世に蔓延する考え方を踏襲する問題の根本は、罪に気付かないこと、罪を犯すこと

以上に述べさせていただいたような世に蔓延する考え方に従って生きる弊害は、繰り返しになりますが、利益最重視の企業や政府に資するだけで自身が不健康になる可能性があり、内面性を蔑ろにするという事です。内面性を蔑ろにする結果として、聖書を読む必要性を感じられず罪を犯している自覚を持たない、罪だと分かっても開き直って認めないことが最大の問題です。例えば、世の基準に従って楽に生きる為に必要以上にお金儲けをすれば、拝金主義で、金銭欲は全ての悪の根(テモテへの手紙一 六章十節)等で明確に聖書で戒められている罪深い行為です。お金に余裕があればヨガの例で述べたような罪に繋がる趣味に嵌ってしまう可能性も出てきます。また、必要以上に摂取物を気にすることも「思い悩むな」と仰った主イエスの御言葉にも反します。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩むな。それは皆、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことを御存じである。(マタイ六章三十一節、三十二節)

何を食べるか、飲むか等を気にすることは異邦人が求めていると主イエスは仰っている故に、あれこれ摂取物について悩むというのは、日本の思想ではないのです。(不健康と分かっている食品を積極的に食べることは推奨しません。)日本古来の思想は聖書の神である主イエスキリストがお教えになったことに起因することは、動画八回目投稿 日本はイスラエルであるで述べられていますので、是非記事に貼付されている動画をご視聴ください。聖書に書かれた古代イスラエル文化が日本文化に酷似していることは神社の構造、御神輿、言語、衣服等から見て分かる事実に過ぎず、キリストの教えが西洋由来の教えというのはイエズス会の大嘘で、欧米の傀儡政権である政府、文科省が改心して嘘を教えることを思い直して、正しい歴史を教えるということにはならないでしょう。

 

日本人らしさを取り戻さなければ先行きは暗い。

多くの日本人が聖書を知らず、西洋文化を受け入れて暮らしている事に全く違和感を感じていませんが、キリスト信仰に入る前の自身もそうでした。例え聖書を知っても積極的に西洋文化からの脱却を図る必要性について懐疑的だった程です。自身もなかなか物分かりが悪く行動が遅い方だと思いますが、自身の経験を踏まえても、日本人は特に人と違うことをするのは怖い、億劫といった臆病さや怠惰な思いを強く持っていると思量します。臆病や怠惰といった自己愛的性質故に神の律法を知ろうとも、行おうとしない、西洋文化からの脱却もしない状態は、神への愛がなく世を愛している表れです。世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。(ヨハネの手紙一 二章十六節)ただ、臆病や怠惰といった自己愛的性質は本来の日本人が持つ親切心、勤勉性といった気質とは異なるのです。それらの悪い気質が西洋文化からの脱却への障壁になっているとすれば、西洋文化によって日本人は腑抜けにさせられているということです。故に悪い内面性の克服するには、西洋文化(服装、食事、拝金主義、西洋医学、太陽暦)から脱却を図っていかなければならないといえます。たかだか食や服と侮る方もいるかもしれません。また、食や服は主イエスが御発言された通り、命に勝るものでは御座いません。しかしながら、食や服はその人が属する場所を示す故に、和食や和服を好まないということは、精神面においても純日本人として日本に所属しているのか疑わしき状態と言わざるを得ないのです。制服の着用は、企業や組織体への所属を意味しているのと同様に普段着として洋服着用や、洋食を好むことは欧米文化への従属を意味します。日本人であれば、欧米文化に従属せず、日本人としての生活習慣を守って生きていくべきで、和洋折衷という、いいところ取りや八方美人的な生き方を避けるべきではないかと思います。衣服や食事を和服や和食にかえることは、買い物を自由にできる資力があれば現時点では何ら労することはなく、やると決めれば出来ることです。(改憲後はその限りではありません。)職場での和服着用については交渉が必要になる可能性もありますが(本来服装について交渉せねばいけないというのがおかしいが)、少なくともまずは自宅での着用は出来ます。是非真のキリスト者に相応しい姿と信仰 前編をお読みになり、和の様式を大切にしてほしいと思います。

自分の所属場所や古代イスラエル人の末裔たる神の民であることを忘れ、聖書を読まず、悔い改めないのが今の日本人で、以下にも日本人の品性を示す二つの記事を貼付させて頂くように、今のままでは日本の先行きは明るくなることがありません。

日本人は「世界一礼儀正しい」が「世界一イジワル」だった…「自分の利益より他人の不幸を優先する度合い」を測る実験で「日本人ダントツ」の衝撃結果 (msn.com)

(以下記事の趣旨)

日本人は世界一礼儀正しい民族として世界的な評価を得ている。スポーツの国際大会などで日本人観戦客がゴミ拾い活動をする様子が世界中で放送されるたび、誇らしい気持ちになる人も多いだろう。一方で、「日本人は世界一意地悪だ」とも言われる。自分の利益より他人の不幸を優先する度合いが高いとされています。「日本人は自分がもっとも得をするようには行動せず、自分が得をすることよりも、相手のタダ乗りを許さずに、少しでも相手の足を引っ張ろうとする傾向があります。こうした経験をしてしまうと、タダ乗りを狙っていた人も次回からは参加せざるを得なくなる。したがって、日本の社会では、みんなが仲良く協力的に事に当たっているのではなく、協力しないと罰を受けると分かっているから協力せざるを得ない社会だということが示唆されます。

「損をしてでも他人の足を引っ張りたい」日本人の"底意地の悪さ"が世界で突出している根本原因 お金への欲求が高く成功を妬む傾向 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)でも、日本の若者の自殺率が西欧諸国に比し高いことを精神的劣悪な環境に置かれていることと考察(それ以外にも物価高・税金高に対して給与がほとんど上昇しない等もあると思う)しており、不寛容さ、足の引っ張り合い、組織や上司への異常なまでの忠誠心という悪い点が指摘されています。(三ページ目以降はドローン技術に関することなので、読む必要はありません。)

以上の通り、現代日本人は本来の気質を完全に失い、「皆で不幸になる」ことを望む内面性を持ち、その輪から外れることを極端に厭う国民性になっていることは事実として存在します。表面上、カルト教義であるSDGsの偽善を真似て多様性に寛容であるべき等と言っていても、内面性から出る行いは嘘をつかず以下のように外へと顕れてしまいます。(怖いところは、礼儀・作法という偽善にほとんどの人が違和感を感じていないこと。)

(引用元:日本人の問題点 三

 

引用元:外務省、全世界への不要不急の渡航自粛要請 危険情報レベル2に - 産経ニュース (sankei.com)(記事は二千二十年三月のもの)

上から目線で言うのが目的ではなく、この異常性に気付いて脱却を試みて頂きたい為です。全体主義に陥る国民性となったのは、西欧文化に汚染された政界、産業界によって、鴨がネギしょってやってくる都合のいい状態にさせられているということです。入社式は黒のスーツ着用が常識とか、みんなの為にワクチンを、マスクを!と呼びかければ、皆が全体主義になって、臆病心から人と同じ行動を取ることが分かっている為、情報操作・印象操作によって利益を得ることは支配層にとっては容易なのです。日本人はいいようにやられています。故に本来は国民同士が団結して、情報操作、印象操作をする政府や産業界にマスクやワクチンを強要するな、スーツを強要したり、外見について指示するなと言って抵抗しなければいけません。政府や産業界の口車に乗ったり世に倣って大多数の人が不信仰な状態は、各人の品性の悪化に加え、世相の悪化に関係しており、以下聖句にある通りに厳しい報いを受け、日本の世相の更なる悪化は免れず、死後の世界の展望も非常に暗いものだからです。信仰の道へと歩みを進めて、今までの状態から脱却することを怖がっていてはいけません。

 

主に逆らう者は自分の悪の罠にかかり自分の罪の綱が彼を捕える。(箴言五章二十二節)

 

わたしは、世界をその悪のゆえに逆らう者をその罪のゆえに罰する。また、傲慢な者の驕りを砕き横暴な者の高ぶりを挫く。(イザヤ書/十三章十一節)

 

わたしはお前の富と宝をお前のあらゆる罪の報いとして至るところで、敵の奪うにまかせる。(エレミヤ書/ 十五章十三節)

 

人は自分の罪のゆえに死ぬ。(エレミヤ書/三十一章三十節)

 

どうか現代日本の異常性と世相の悪化に気付いて、聖書を読んで、外見や人目を異常に気にせず、神の視点であるべき姿を目指して頂きたいと思います。

 

本来あるべき考え方と行動

本来あるべき人生の目的や行動は、決して長生きや遊びを主眼とするのではなく、自己の非を認めて聖書の御言葉を身に付け、鍛錬することと考えることが出来ます。

あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。(マタイ六章二十七節)と書いてある通り、人の寿命は神の管理下にある事柄の為、寿命を延ばそうと頑張っても人の力ではどうにも及びません。また、なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。ヘブライ人への手紙/ 十二章六節)と書いてある通りに聖書の教えに従って生きて鍛錬を受けることを主イエスが望まれているからです。また、世の楽しみを求めても、完全に心が満たされることはありません。食べて一時満足しても、また時間が経てばお腹が空くように、楽しんで一時は満足しても、また時間が経つと楽しみを求めるようになるのです。従って、利己的な思いを抱かず、聖書の価値観に沿って心を改めて行動出来るように努める必要があります。自らの為というよりも、神、隣人の為になることを念頭に、歩みを進めることが望ましく思います。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。(マタイ六章三十三節)と記述されている神の国と神の義について聖書を読んで理解して御言葉を実行する必要があります。聖書を読み、御命令に従って、神の律法、掟、戒め、御言葉に従って伝道活動を行って失われた羊を探し、自らも成長し、利己的な動機に基づいた行動を可能な限り排除して日本人らしさを取り戻していくべきではないかと考えます。それも大きな流れになることは決して無いと思いますが、少なくともそうだと思う方は実践頂ければと思います。主イエスが使徒達と行動されたように、キリスト者は、主イエスと使徒達の道に倣って伝道活動を行う必要があります。(一日二日やって終わるのではなく、継続が必要)

また、自らの成長に繋がる行動として、自らの弱い部分に少しずつ負荷をかけていくことが挙げられます。ミカエル氏はキリスト者の成長に必要なことで、「いつまでも今までの怠惰や世の誤った常識に囚われてるようではあかんのや。それも負荷を掛ける必要がある。ここが運命の分かれ目や。何でも自分に無理なく簡単に出来ることだけをやってるようでは絶対に成長せえへん。」と書かれている通りです。これは少しきついなという状態に自分を追い込んでいくことは、自身の成長の為にはどうしても避けては通れないところです。

逆に成長しない行動特徴として、仮説を立てて自分で考えない、口先だけでやらない、努力認識が甘い、失敗から学ばない、格下を見て安心する、他人の失敗からも学ばない、無駄に精神的障壁がある、意欲がわかない、努力と目標の方向性にズレがある。という9つの要素が【絶望】成長しない人の特徴&原因9つ!1,000人を指導した僕が解説 (gaosnote.com)に書かれていました。ミカエル氏のキリスト者の覚悟覚悟が甘い人は、切羽詰まる思いをせず、それ故にのんびりしており、目標時期を明確に決めへんから、いつまでも先送りになるんですよね…。多くの人がそうしており、それ故にのんびり呑気にして、結果的に何もせえへん。「さっさとやれ」と拙者が言うたにも拘らず、イマイチあんたらには響いてへんのよね。と書いている事と共通しており、行動しないことが成長しない原因であると私も体感致しております。舌は火のようです。舌は不義の世界です。(ヤコブの手紙三章六節)のように、また口は災いの元と言われるように、発する言葉だけでは立派だが、実際には行動しない嘘つきとならないよう、神の掟を守る具体的な行動によって、成長していくことが必要と考えます。更に、格下を見て安心するという成長しない行動特徴については、嘲りのまなざしは人を苦しめる。無知な唇は滅びに落とされる。(箴言/十章十節)と聖書にも記述されており、心の中でも相手と比較したり、人間的基準で評価することは避けなければなりません。この点は心の問題ですので、自身の状態を平素から客観視できていることが大切です。これが思いのほか難しく最初は常に意識することを心がけていないと出来ません。要するに悪魔がこの世の神として人間に提供する各種の楽しみの虜となって悪魔を喜ばせるような怠惰、利己的、高慢な心と生き方ではなく、聖書に記述されたように、神を礼拝して神の御命令に沿って生きていくことが望ましいです。是非神を愛するということと人が生きる意味をお読みになって頂きたいと思います。

また、神の御命令である神の律法について、ご参考までに出エジプト記、レビ記から一部以下に記させて頂きます。(神と隣人を愛する掟であり、何ら問題のある掟はないことを知って頂く為)

わたしをおいて他の神があってはならない、偶像崇拝してはならない、主の名をみだりに唱えてはならない、安息日を聖別せよ(七日目は仕事をしてはならない)、父母を尊敬せよ、殺すな、姦淫するな、盗むな、隣人に関して偽証してはならない、隣人の家、女性、召使い、牛、ろば等すべて隣人のものを欲してはならない、誘拐するな、呪うな、異邦人を虐待、圧迫してはならない、寡婦や孤児を苦しめてはならない、貧しい人から利子をとってはならない、神の悪口を言ってはならない、民の代表者を呪ってはならない、偽りの噂を広めてはならない、多数派に倣って悪を行ってはならない、法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない、賄賂を受け取ってはならない、嘘をついてはならない、心の中で兄弟を憎んではならない、隣人を正しく戒めなさい、復讐してはならない、民の人々に恨みを抱いてはならない、自分自身を愛するように隣人を愛しなさい等です。上述した掟以外にもありますが、全て愛するよう要請されているということです。日本人の親切心は古代イスラエル人の末裔として神の律法を守ることが起源にあるのです。そして、神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。(ヨハネの手紙一 五章三節)の通り、本来は、神の律法を守ることは非常に難しいと言える内容ではないということも着目する点です。自身は心の内にある自我を一切合切捨てるには時間を要すると実感しており、完全になりなさいと仰った主イエスの御言葉の達成にはまだ課題があると感じておりますが、自我を無理に通するから難しく感じるのだと思います。そこで神の律法を形式的に守って(実際は守っていない)守っていると思い込む高慢なファリサイ派の人(ルカ十八章十七節参照)のようでなく、心から御命令に従えている状態を目指していかなければなりません。自我が邪魔をして心から神の掟を守ることが出来なかったり、自分流に考えてこの神の掟は出来ないし、やらなくてもいいか等と考えてしまうことで、あなたたちは、あなたたちの神、主が命じられたことを忠実に行い、右にも左にもそれてはならない。(申命記/五章三十二節)という神の掟に忠実に従っていないことに繋がるのです。自分流に行うのではなく、主は我々にこれらの掟をすべて行うように命じ、我々の神、主を畏れるようにし、今日あるように、常に幸いに生きるようにしてくださった。申命記六章二十四節)の通り、一つの落ち度もなく神の律法を忠実に守ることが幸いに至る道だと言えます。


以上、世に蔓延する考え方や、その考え方に囚われず脱却すべきことについて話して参りました。世に蔓延する考え方が悪いことを知って、聖書を読むことによって神の存在を確信し、御要請の通り、悔い改めて完全になる道を歩んでいくことを目指して頂くきっかけになれば幸いです。今は世相が悪化する終わりの時代です。キリスト者を目指される方は神のイスラエル教会 | キリスト道 (themedia.jp)を読んでご検討頂ければと思います。ここまで拙文をお読み下さりありがとうございました。