こんにちは。

 

今回は、世の大きな欺瞞の一つであるクリスマスと太陽神崇拝について書きます。過去記事「地球球体説と地動説という嘘と太陽神崇拝」で書いたように、地球が丸いとか、地軸の傾き、自転と公転をしている等の欺瞞も大きなものですが、クリスマスもまた、地球球体説や地動説と同じ位に多くの人々を過去から長年に渡って騙し続けています。その理由は、この世の神(コリント二4:4)であり、嘘つきの父(ヨハネ八章四十四節拙訳)であるサタンが、人々にイエス・キリストではなくサタン(悪魔)崇拝をさせて、「できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとする」(マタイ24:24)からで、神から切り離そうとしているからです。現在、また世の終わりの時までもサタンに仕える人間たちによる欺瞞や間違った信仰や儀式等は決して終わることなく続きます。不信仰の人々、聖書をきちんと読まずにサタンに惑わされた人間の教えや伝統、歴史、慣習を盲信してやまないにわかクリスチャン、カルト宗教信者や異教徒のほとんどは、目を覚ますことなく、滅びに至る道を自ら選び、世が撒き散らす催眠ガスによって眠り続けて第二の死に至ります。

 

クリスマスについては過去記事「カトリック、統一教会、神道、仏教、イスラム教等はすべて嘘」で少し説明したことがあり、しかし、詳細な話まで突っ込んでいませんでした。それでも、クリスマスが異教の産物であることは複数の過去記事で述べてきました。クリスマスという欺瞞も大きなものなので、12月25日まで後1か月と少しと迫って、世間もクリスマスに向けて動きつつあるので、今のうちに、クリスマスについて詳細に書くことにします。

 

多くの人々は、人間の言い伝えや伝統に従い、12月25日はクリスマスで、イエス・キリストの誕生日であると信じ込んでいます。日本ではクリスチャンの数が人口の1%にも満たず、非常に少ないのにも拘らず、その本質を知らずに不信仰の者までがクリスマスの慣習を取り入れています。また、日本人の多くは、無宗教という建前の人が多く、それでも葬式や法事は仏教式、結婚式は神道式や教会で挙げたりしており、滅茶苦茶です。いい加減にこういうことの異常さに気付き、やめてもらいたいものですが、私がいくら言っても彼らは絶対にやめようとはしないでしょう。やめる人は聖書の真理を信じるごく少数の者だけです。

 

さて、クリスマスの起源と実体について話をしましょう。

上述したように、日本に限らず、世界のほとんどの人々は、12月25日にイエス・キリストが誕生したと盲信しています。聖書には、イエス・キリストの誕生日が12月25日などと書かれていないにも拘らずです。故に、イエス・キリストの誕生日を正確に知る術はなく、聖書に書かれていないことから、知らなくてもよいということです。そもそも、誕生日を祝うという行為も聖書由来ではなく、異教徒の慣習です。マタイ2:11に占星術の学者がお生まれになったばかりの主イエスに黄金、乳香、没薬を贈り物として献げたとありますが、これは誕生日を祝う意味ではありません。それぞれの贈り物には意味があります。黄金は、王位や王権の象徴であり、黄金を贈るのは王への贈り物という意味です。来たる後の世での王である主イエスを示します。乳香は、祈りの象徴(黙示録5:8)であり、神への献げ物であり、主イエスが神であることを示しています。没薬は、死の象徴であり、死者に塗る物、即ち、全人類の罪を贖う十字架での死を示すものです。聖書にも「らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだがあなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えてくる。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。」(イザヤ60:6)、主イエスが墓に葬られる際の「没薬と沈香を混ぜた物」(ヨハネ19:39)とあるとおりです。これはマタイ2:2のとおり、彼らが主イエスをユダヤ人の王と思って特別視していたからです。王への献げ物としての性質であり、誕生日プレゼントではないのです。仮に、これが誕生日プレゼントならば、生まれた時だけでなく、現代の慣習のように1年に1回欠かさず贈り物をし続けたでしょうが、そのような事実は一切書かれていません。

また、主イエスがお生まれになった頃、「羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」(ルカ2:8)とあり、イスラエルのベツレヘムにおいて、真冬で寒い12月に野宿したりすることは考えられないことからも、12月25日がキリストの誕生日であるというのは明確に嘘と分かります。

 

その昔、古代ローマには異教の祭典が多く存在していました。それらの祭典はすべて、創世記に出てくる反逆者ニムロドに由来しているのです。過去記事「カトリック、統一教会、神道、仏教、イスラム教等はすべて嘘」で書いたように、ミトラ教を引き合いに出す者がいますが、偽預言者RAPTやRAPT信者を含め、一部のサイトで、ニムロドの息子タンムズの誕生日が真実にも拘らず、ミトラ教のミトラスの誕生日と知ったかぶりの嘘を書いている者もいるので注意しましょう。ミトラ教のミトラスは太陽神ですが、「冬至」を祝っています。冬至は12月21日か22日です。よって、12月25日ではありません。3、4日遅いので正確ではありません。12月25日は冬至ではありませんが、冬至というのは、一年で最も夜の時間が長い日であると同時に、日照時間がその日を境に長くなり始める時です。即ち、太陽神が力をつけ始めることを祝おうというのです。冬至を祝う異教も数多いですが、古代のサタン崇拝者たちは、この自然現象とニムロドを結びつけて太陽神バアル信仰を広めました。その太陽神の誕生日である12月25日を祝うと彼らが決めたのです。

エジプト神話の太陽神であるラー(Ra)とホルス(Horus)も現代の悪魔崇拝とは密接に関係しています。音楽業界や映画業界を牛耳っているイルミナティが手先の歌手等にホルスの目(片目)やピラミッド、666のハンドサイン、コルナサイン等を強調させていることからも明白で、彼らは太陽神崇拝をしているのです。そのホルスも12月25日生まれとされています。他にも異教の神々(悪魔)は、12月25日生まれが多いです。それら数々の異教の太陽神も元をたどれば、古代バビロンのニムロドの生まれ変わりとした息子のタンムズ、太陽神バアルなのです。

 

聖書でも太陽崇拝をする状況とそれがニムロドの生まれ変わりとされたタンムズを神として崇めた事実について書かれています。

 

旧約聖書 エゼキエル書 8章14~18節

彼はわたしを、主の神殿の北に面した門の入り口に連れて行った。そこには、女たちがタンムズ神のために泣きながら座っているではないか。 そこで彼はわたしに言った。「人の子よ、見たか。あなたは、これより更に甚だしく忌まわしいことを見る」と。彼はわたしを主の神殿の中庭に連れて行った。すると、主の聖所の入り口で、廊と祭壇の間に、二十五人ほどの人がいて、主の聖所を背にし、顔を東に向けていた。彼らは東に向かって太陽を拝んでいるではないか。彼は私に言った。「人の子よ、見たか。ユダの家がここで数々の忌まわしいことを行っているのは些細なことであろうか。彼らはこの地を不法で満たした。また、わたしの鼻に木の枝を突きつけて、わたしを更に怒らせようとしている。わたしも憤って行い、慈しみの目を注ぐことも、憐れみをかけることもしない。彼らがわたしの耳に向かって大声をあげても、わたしは彼らに聞きはしない。」

 

旧約時代から太陽崇拝、太陽神崇拝は行われており、神はこれを忌み嫌っておられます。あらかさまな偶像礼拝にあたるからです。過去記事「地球球体説と地動説という嘘と太陽神崇拝」でも説明したとおり、以下の聖書箇所から明白に太陽崇拝は禁忌です。

 

旧約聖書 申命記 4章19節

また目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない。それらは、あなたの神、主が天の下にいるすべての民に分け与えられたものである。

 

上記のように、主イエスがお生まれになる前から太陽崇拝、太陽神崇拝が行われていたことが分かります。

神の御子であり、メシアであるイエス・キリストの前ではまったく無力なサタンは、イエスの弟子たちやパウロの伝道活動によってキリスト信者が増えていき、異教のままでは勢力を拡大できないと考え、キリスト教内部に入り込み、異教の教義や慣習をキリスト教と融合させ、キリスト教の行事であると偽装することでその野望を実現するとともに、キリスト教徒を惑わして聖書の真理から遠ざけることにも成功しました。サタンにとって、キリスト教内部に侵入して勢力拡大することと主イエスの信仰を破壊することは一石二鳥だったのです。その結果、現在まで存在するローマカトリック教会ができました。古代ローマでは、異教の祭典でサートゥルナーリア祭というのが12月中旬からあり、この祭りの間、生贄、飲み食いして騒ぎ、色彩豊かな衣装を身にまとい、贈り物を贈り合い、特別な市場も作られました。もうお気付きでしょうが、これらの現象がクリスマスに見られます。当時、増加傾向にあったキリスト教徒と古くから存在した異教徒の両方を満足させる祭典として、4世紀にローマカトリック教会がキリストを悪用して、12月25日をキリストの降誕日と偽って、クリスマスとして成立させたのです。当時のローマ皇帝だったコンスタンティヌスの影響もありました。彼は、太陽神崇拝者でした。それ故、過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」で説明したように、太陽と関連する日曜日を神聖とし、321年に日曜休業令を出し、日曜礼拝を勧奨しました。彼は、皇帝として増え続けていたキリスト教徒をも支配するために、313年のミラノ勅令によってキリスト教を国教化することで形式的だけの建前にして支持を集める一方、実際は、安息日を蔑ろにする等、聖書の真理から人々を切り離していきました。要するに、サタンはキリストを悪用したのです。しかし、このサタンの企みも私から見たら神の御手の上で転がされているように思えるのです。当時の形式だけで意味の無い国教化によってでも、ローマ帝国という当時の強大国がキリスト教を公認することで、聖書とイエス・キリストの御名を広めることには大きく貢献したからです。聖書福音が全世界に知れ渡る契機となり、真理を愛そうとしない多くの人々がふるいにかけられ、狭い門と道を見出す救われるべき人が救われ、広い門から入るその他大勢をふるい落としていくことで神の御計画は達成されます。

 

クリスマスといえば、クリスマスツリーがあります。

それぞれの家庭に置いたり、世界中の街に大きなクリスマスツリーが飾られます。実は、このように木を飾る行為は、古代ローマやエジプトといった樹木信仰という異教の慣習なのです。ローマ等のヨーロッパではもみの木、エジプトではヤシの木が使われます。過去記事「ハロウィンと罪の報酬」でも言及したように、古代ケルト人も樹木信仰をしていました。ついでに、日本の門松も樹木信仰の一種で、また、樹齢の長い樹木を神木と言って崇めることも樹木信仰であり、偶像礼拝なのです。

クリスマスツリーは、金銀をはじめとする飾りつけがなされ、倒れないように固定されます。実は、このことも聖書には書かれているのです。以下のとおりです。

 

旧約聖書 エレミヤ書 10章3~4節

もろもろの民が恐れるものは空しいもの

森から切り出された木片

木工がのみを振るって造ったもの。

金銀で飾られ

留め金をもって固定され、身動きもしない。

 

神は、樹木信仰のことも、クリスマスツリーのこともご存知なのです。そして、この慣習も偶像礼拝であり、主なる神が忌み嫌うものです。ですから、クリスマスツリーを家に置いたり、飾るのはやめましょう。

 

画像引用元: http://www.wnd.com/2005/11/33336/

 

また、クリスマスツリーの頂上には星(star)を飾っていますが、これも意味があるのです。上記の申命記の聖句からも当然に星を崇めることも偶像礼拝になるので禁忌ですが、星は、サタンを示します。以下の聖句のとおりです。

 

旧約聖書 イザヤ書 十四章十二節(拙訳)

どうしてお前は天から落とされたか、

明けの明星、暁の子よ。

お前は地に切り倒された、

諸国民を打ち負かした者よ。

 

他の聖句でも明けの明星は出てくるのですが、上記聖書箇所の明けの明星はサタンを示すものです。しかし、聖書に出てくるすべての明けの明星がサタンではないことに注意してください。特に黙示録2:28と22:16とは真逆の存在です。これを知らずに混同する反キリストがいます。話が逸れましたが、よく五芒星(逆さ五芒星も同様)で表現される星はサタンを象徴するもので、ハリウッドスターやスーパースター、アイドル、セレブ等をスターと呼んで英雄扱いしたり、憧れたり、追っかけたり、熱狂的なファンになることは偶像礼拝であり、サタン崇拝していることと同じことなのです。故に、クリスマスツリーにも星が飾られ、木という偶像の頂点にサタンがいて、人々はそれを見て歓喜しているのです。ちなみに、空の星の形は五芒星ではありません。誰がそないな形だと証明したのか。五芒星も六芒星と同じく悪魔崇拝で使用されるものでしかなく、あれを星(star)と思い込むのは世間に洗脳されてるだけです。

この点、主イエスは「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。」(マタイ4:10)、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。」(マタイ28:18〜19)と仰いました。ここで明白なように、神に仕え、主イエスの弟子になることが重要なのであって、人間の弟子になったり、サタンや偶像を拝むことは絶対にいけません。

 

もう一つ、クリスマスといえば、サンタクロースです。ほとんどの人は、赤と白の服で小太りの白髪と白いもっさりとしたヒゲを持ったおじいさんで、12月24日の夜に子供がいる各家庭に不法侵入してプレゼントを置くという嘘を広めていますが、サンタクロースの由来について考えたことがあるでしょうか。勿論、ほとんどの人は否でしょう。

サンタクロースの由来は様々な要素があり、その一つが北欧神話のオーディン(Odin)です。オーディンは、知恵を得て、魔術を習得し、その代償で片目を失ったとされています。片目という点でイルミナティやフリーメーソンのシンボルであるホルスの目等に関連し、神のふりをしたサタンということが分かります。全能の神ならば片目を失うことはないからです。オーディンは、古い英語ではウォーデン(Wōden)とも読まれ、水曜日の英語であるWednesdayの語源にもなっています。オーディンは、8本足を持つ馬で空飛ぶスレイプニルに乗ります。これは、サンタクロースが従える8頭のトナカイと共通しています。また、オーディンの息子とされる雷神トール(Thor)も関係しています。8頭のトナカイのうち、Donder(ドンダ-)とBlitzen(ブリッツェン)と名付けられた2頭のトナカイは、それぞれドイツ語で雷(Donner)と稲妻(Blitz)を意味しており、トールとの関連性を見出せます。トールは、木曜日の英語であるThursdayの語源になっています。また、知っている人は分かると思いますが、ThorはアメリカのMarvelのキャラクターで映画にもなっており、アベンジャーズという映画にも出ています。最近では、このトールに関する映画で、Thor Ragnarok(邦題マイティ・ソー バトルロイヤル)があり、トールが片目になる描写があります。因みに、このRangnarok(ラグナロク)は、ジーニアス英和辞典によれば、神々の黄昏(悪と神との戦いで神と世界が破滅する。そこから新秩序が生まれるとされる。)とあり、まさに私が複数の過去記事で説明してきた新世界秩序(New World Order)のことを暗示しています。このように、稲妻もイルミナティ等のサタン崇拝者が好むサインです。何故か分かりますか。聖書に答えがあります。

 

新約聖書 ルカによる福音書 10章18節

イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。」

 

上記聖句より、サタン崇拝者たちは稲妻をサタンの象徴と考え、会社のロゴ、刺青、化粧、服、アクセサリー、アニメ、漫画、ゲーム、映画等にもあらゆる所で使用され、この世は悪魔に支配されていることを理解することができます。

 

話が少し逸れましたが、サンタクロースの由来として次に、聖人扱いされている270年頃の現トルコで生まれたとされるニコラオス(ニコラス、ニコラウス、ニコライとも)にも関係しているとも言われています。12月5日、または6日には、ニコラオスは良い子供にはプレゼントを与え、悪い子供には同伴しているクランプスという怪物が懲らしめるとしています。見た目からして悪魔です。参考までにこちら(Naverまとめ)。今でもドイツを中心とするヨーロッパでは、ニコラオスに仮装した人の横にこのクランプスに仮装した人が存在しています。この慣習は、近頃、アメリカでも流行りだしたとのことです。参考までにこちら(National Geographic)。ジングルベルという歌も、このクランプスという怪物が首につけているベルが由来です。ベルを鳴らし、自分たちの存在を知らしめるのです。本物の神の聖者は、悪魔を連れて歩くことをしません。

靴下を暖炉の上に吊るす慣習は、家計に苦しむある家の煙突に、お金の入った袋を投げ入れ、その袋が暖炉に掛けてあった靴下に入ったとされ、この話が言い伝え、伝統として受け継がれています。

そして、オランダでは、このニコラオスはシンタクラースと呼ばれ、彼を祝う祭であるシンタクラース祭が12月5日、他のヨーロッパの国々では12月6日に行われています。このシンタクラースが転じて、サンタクロースになったのです。サンタクロースが着る赤と白の服は、カトリックの司祭や司教が赤を好んでいることも理由の一つですが、定着要因で決定的なのは、コカ・コーラ社が使う色を取り入れたものです。コカ・コーラ社といえば赤い背景に白文字で Coca-Colaです。あの筆記体も666を含んでいます。同社がサンタクロースを大々的に宣伝し、現在のサンタクロースの赤と白の服装を確固たるものにしました。赤は、血を象徴します。ハリウッドに代表されるレッドカーペット等からサタン崇拝者が好む色だということは明白です。誤解を生まないために申しておきますが、私が記事で強調に赤色を使うのはこのような意味ではなく、単に目立つ色だから使用しているだけです。

 

さて、ここからサンタクロースと主イエスの違いについて述べていきます。

サンタクロースは、メシアである主イエス・キリストに似せようとしています。

共通点としては、始まりと終わりがないこと、永遠の魂、全知全能、書物に名前を書く、雪のように白い髪、欲しいものを与える等が挙げられます。

サンタクロースは最初からおじいさんで、いつまで経っても死にませんし、生まれも不詳です。主イエスも天地創造前から存在され、この世が滅びた後の新しい天と新しい地において王として永遠に存在されます。サンタクロースは、子供の行いをすべて知っているとされ、良い子供にはプレゼントをあげると言われているとおりです。主イエスは聖書どおり、天と地の一切の権能をお持ちの全知全能の神の御子です。サンタクロースは、プレゼントを与える子供の名前を書き、主イエスも命の書に名前をお書きになっています。サンタクロースは、白髪と白いヒゲの身なりで、主イエスも「その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く」(黙示録1:14)とあるとおりです。

 

ここまでサンタクロースは、主イエスに似せていますが、決定的な違いは、与える物と行動する時です。

サンタクロースは、この世にある子供が欲しがる物を与えますが、主イエスは「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」(マタイ19:21)と仰り、世俗の物を与えることはなさらず、むしろそれを手放すように教えておられます。このように、サンタクロースのすることと真逆なのが明白です。そして、さらに主イエスは、神の掟と教えを守り、信じて死まで従順な者には永遠の命をお与えになります。この与える物について、天と地の差があります。

次に、サンタクロースは、夜にこっそりと人目を盗んで行動しますが、主イエスは昼間に行動します。主イエスは、「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」(ヨハネ11:9~10)と仰いました。勿論、文字通りばかりの意味ではなく、ヨハネ8:12から分かるとおり、光は主イエスを指し、その対極である夜(闇)はサタンを指します。つまり、サンタクロースは光である主イエスを偽装するサタンなのです。また、悪魔を指す言葉で英語のold Nickがあり、まさに、上述で説明したニコラオスを指しています。また、サンタクロースの名前がサタンを含んでいるのも偶然ではないでしょう。

 

クリスマスの目的とは、クリスチャンを惑わすと同時に、上述した経緯のとおり、世界中の人々にニムロドと彼の生まれ変わりとしたタンムズを神格化した太陽神バアル(サタン)を拝ませることです。

この世では、企業の金儲けという経済的側面も合わさり、物欲と金銭欲の相乗効果によって促進され、無知な人に何の疑いもなく受け入れさせ、クリスマスを祝うように仕向けられています。

サタンを拝むことは言うまでもなく問題ですが、一番根が深い問題は、そのことに気付こうともせず、他人の目だけが気になって周囲に合わせることです。他人を気にする余り、人と違うことをすることに恐怖感を覚えるようになっています。もっとも、そうなるように子供の頃から学校教育等を通して洗脳されてきたのです。「出る杭は打たれる」という諺のとおり、目立つことを避け、周囲や人の作った伝統や歴史に従うことを良しとする意識を植え付けられてきました。過去はまだいいとしても、このように真実を知った後では同じ様ではいけません。小さい子供がいる親でしたら、子供のため、子供の夢を壊さないため等という大義名分を勝手に作ってクリスマスを祝う人もいるでしょう。いかなる言い訳や正当性を主張しても、神に反逆している事実は消えません。クリスマスが近づくと楽しみと思い、気分が高揚して来る人がいるでしょうが、そのような人たちはサタンに仕えているのです。気分が高揚して、普段より元気になったり、親切になったりするでしょう。そうやって人々を気分良くさせて、サタンはより多くの人々をクリスマスという太陽神崇拝儀式に参加するように促しているのです。プレゼントという物欲で誘惑、いつもと違うご馳走やシャンパン等が出てくるパーティーで騒ぎ、欧米では家族が集う一家団欒という建前で釣り、日本ではカップルの一大行事かのように仕立てて釣り、夜の街はイルミネーションで人々の目を奪い、心をもサタンは奪っていきます。そして、カトリックやプロテスタント等の教会やキリスト教系の学校では、クリスマス礼拝をして、太陽神(サタン)を賛美しています。真のクリスチャン以外の人々は、このように皆揃ってやっていることは個々に違うとしても、太陽神を祝う行事に参加していることには相違はありません。

過去記事「ハロウィンと罪の報酬」でも書いたとおりですが、再度説明します。クリスマスは、1年のうちたった1日の出来事だから構わないと思いますか。何故、あなたはこの習慣に従うのですか。楽しいからですか。周りと合わせないといけないと思うからですか。肉の欲に従ってはならない、世に倣ってはいけないと私は過去記事「最近の周囲の様子と大半の人々が陥る罠」、「死後の世界」等で散々宣べ伝えてきました。クリスマスを祝うことは、太陽神崇拝をしているのであり、悪魔崇拝に加担していることに気付いてください。これだけ言っても懲りずにクリスマスパーティーやクリスマス礼拝等に参加しようと、今のうちにせっせとプレゼントや衣装、食事、飾り付け等を準備したり、どこかレストランや飲食の手配を予約しようかと計画を立てている人が多いです。滅びに至る人間たちは、サタンや悪霊に惑わされて自ら滅びの道に行きます。しかし、私は、はっきり言っておきます。あなたが生きている間にしてきた行為はすべて天の父なる神がご存知です。夜だから暗くて見えない、建物の中に入れば見えないとか幼稚なことを考えないでください。それらは人間の目を気にしているだけにすぎません。不信仰な者たちや聖書の真理を愛さないにわかクリスチャンたちは、肉体的な死(第一の死)がやってきて、陰府に留め置かれ、最後の審判の時になって復活し、一人で神の御前で弁明しなければなりません。主イエスを信じない不信仰の者、口先だけの信仰で従順ではなかった人々を主イエスは弁護することができません。そして、クリスマスを祝い、悪い行いに加わっていたことも明らかにされます。勿論、それ以外の数々の罪についても暴かれます。

 

新約聖書 ローマの信徒への手紙 1章20~21節

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。

 

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 5章10節

わたしたちは皆、キリストの裁きの座に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。

 

新約聖書 ペトロの手紙一 4章5節

彼らは、生きている者と死んでいる者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。

 

クリスマスを太陽神(サタン)崇拝儀式と知っていて参加する者は論外としても、何の疑いも持たず、悪い行いに加わっても弁解の余地はありません。悪魔を崇拝する意図は無かったという言い訳をしても、それは神を信じなかったからです。聖書をきちんと読んで神を信じていれば、クリスマス行事や教会の礼拝に参加しないでしょう。たとえ未だ聖書を通読していなくても、当記事で説明した内容を今信じれば運命は変わるかもしれません。主イエス・キリストを信じなかったり、否定したり、主イエスとは真逆の道に行って悔い改めないことについて、いかなる言い訳も神の前では通用しません。今のうちにどう言い訳をしようかと考えても無駄なことです。物欲、食欲をはじめとする肉の欲に負けて、クリスマス関連行事に参加したことは神に知られています。そして、その行いを悔い改めることがなく、主イエスの道を歩かないならば、あなたは肉体的な死(第一の死)後に一人で神からその報いを受けることでしょう。これをあなたがたがどう捉えようが勝手ですが、私は脅迫しているのではなく、聖書に書かれている事実を述べているだけです。いくら否定しようが、信じないと言って読まなかったことにするとしても構いませんが、それはあなたの責任であって、肉体的な死後に後悔してもしきれなくなっても私の責任ではありません。私は悔い改めて主イエスの道を勧める伝道をしていますが、それに反抗して拒絶するならば、それはあなた自身が選んだ道であって、あなたの自由意志であり、言い逃れも責任転嫁もできないことだけは覚えておいてください。

 

ご存知のとおり、過去に私は偽預言者RAPTの本性について書いてきました。上述で太陽神の話をしたついでに偽預言者RAPTについてまた少し述べておきます。あまり意識したことがない人が多いでしょうが、偽預言者RAPTのRAPTという名の由来は、この太陽神ラー(Ra)とエジプト(Egypt)を合わせた名前と言っている者がいますが間違いでしょう。ラーとエジプトの後半部分を繋げる意味が無いからです。私は、英単語rapt(rapの過去分詞形)そのもので、その意味は、ジーニアス英和辞典によれば、「夢心地の、うっとりした、夢中になっている、体や魂が運び去られた」という意味だと思います。携挙(Rapture)は名詞形で似ていますが、このRaptureの略ではありません。Raptureという単語を省略する使われ方はしませんし、また、略す意味がまったく無いからです。また、携挙を仮名に用いる意味も無いのです。また、偽預言者RAPT自身は携挙についての記事を一つも書いていないことから携挙にまったく関心が無いか、正しい聖書解釈ができない、即ち、聖書を信じていない、聖霊がいないことが分かります。一応申しておきますが、携挙について言及しさえすればその人に聖霊がいることにはなりません。過去記事で散々説明したとおり、艱難期前携挙説を信じている者は聖書の真理を愛さないにわかクリスチャンで、律法廃止論者であることが多いです。偽預言者RAPTについては前から言っているように、聖書を悪用して人々を惑わしているに過ぎません。上述したように、太陽神(サタン)崇拝しているRAPTは、悪霊の力で人々に聖書を曲解した教えを植え付け、RAPT信者は救われたと夢心地気分になって勘違いし、教祖にうっとりし、夢中になり、最終的には地獄に体と魂が運び去られるのです。既に、偽預言者RAPTが太陽神崇拝していることは過去記事「偽預言者RAPTは回心不能の太陽神崇拝者(サタン崇拝者)」で書いたとおりです。RAPTは、サタンが仕掛けたTRAP(罠)です。上述のクリスマスツリーの箇所で説明したとおり、人間の弟子になること、特定の人間を崇拝の対象として弟子を取ること、教祖となることも主イエス・キリストの教えに反するものであり、そのような行為をする者たちは反キリストなのです。最近では、偽預言者RAPTは、RAPTに従う十二弟子を選ぶと妄言を繰り返しています。

証拠は以下のとおり。 

 

RAPT有料記事202 この世からの誉れを求めず、主からの誉れを求めなさい。またはこの時代の十二弟子の選定について。

2017年8月28日付 Blog by RAPT(http://rapt-neo.com/?p=44711

 

RAPT有料記事226 霊肉ともに実力を身につけた者が大使徒となり、十二弟子となる。

2017年11月20日付 Blog by RAPT(http://rapt-neo.com/?p=45828

 

上記をご覧のとおり、反キリストぶりを露呈しています。偽預言者RAPTは、偽預言者に飽き足らず、主イエスに成り代わろうとする、即ち、偽メシアになろうとさらに悪化しています。また、一部のRAPT信者は、主イエスと同じ権能を持っているなどとも言っている始末です。過去に私がRAPTの正体を暴いたことで多くのRAPT信者はRAPTから離れ、RAPTにとっては大きな打撃だったと思います。それでも未だにしつこくRAPT信者を続けている者がいるようですが、少しでも多くの人が目を覚ますことを願っています。

 

そして、上述のとおり、クリスマスという太陽神(サタン)崇拝儀式を公に広め、かつ、定着させたカトリックやイエズス会とその支配下にあるプロテスタント等の世の各キリスト教会やキリスト教を看板に掲げる宗教団体は即刻悔い改めるべきです。悔い改めるべきは、クリスマスに限らず、聖書の真理を教えていないことも然りです。彼らは、主イエス・キリストに仕えている気でいるのでしょうが、故意または重過失により道を外れて反キリストと化し、彼らの下には真理はありません。異教徒は無論のこと、無宗教とは建前だけで世俗に深く染まって異教の宗教的行為を平気でする人たちも手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動を悔い改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上