こんにちは。

 

今回は、私の記事とそれを受けての周囲の動き、大半の人々が陥る罠について書こうと思います。

 

今までかなり重要な内容の伝道をしてきました。おそらく、その辺の教会では教えてもらえない内容だと思います。なぜなら、現代のほとんどの牧師や世にはびこる偽預言者や偽善者、偽教師らは正しいことを教える下地を備えていないからです。要するに、彼らが真のクリスチャンではないということです。

 

そして、これから来る艱難やその対策も、その辺の人では正しく教えることはできません。せいぜい誰でも知り得ることのできる表面的な陰謀を広めて終わっているのが多いです。ただ広めるだけで、それでどうするというところまで何も言っていないのです。これでは何の意味もありません。これが陰謀論者の問題点の一つです。

これ以外にも、間違った情報を流したり、世のマスコミがやるように小さなニュースを大きく取り上げ、本当に問題で大きなニュースから目を逸らすという手口も多くの陰謀論者がすることです。

 

そのような問題のある陰謀論者の一人、かつ、偽預言者であるRAPTは、RAPT信者が有料記事の内容を漏らしていることに気付いてRAPT信者たちに箝口令を出したようですね。一部のRAPT信者が自慢気に、歯が浮きそうな内容のRAPTの有料記事(妄想話)をネットに晒していたので、それを垣間見れて面白かったのですが、RAPTは、それが私や他の人々に知れたのが恥ずかしいと思ったらしく、信者たちに有料記事内容の削除を命令したようです。公に見られて恥ずかしいものを神の言葉として偽って配信するRAPTの神経は私には理解し難いです。

そのように隠蔽して、私には見えなくしていますが、最近のRAPT信者の反応から察するに、私の記事を参考にして同じようなことを言っている可能性に気付きました。「もう時間がない」、「義人は殉教する」、「神以外に大事にするものがあってはならない」等、私が過去に宣べ伝えてきた内容です。偽預言者RAPTは、自分では何も正しいことが分からないので、私の記事も含めてあらゆるサイト等を参考にして、自分の記事としてまとめて、それに嘘を混ぜ込んで有害な状態に仕上げてから有料で売っていると感じます。

また、最近、偽預言者RAPTは、RAPTになりすましてブログを書いている奴がいると騒ぎ立てています。お笑いですね。何故、偽預言者になりすます必要があるのかと思うと呆れます。そういう噂を立てて、自分は本物と言って引き立てたいだけなのでしょうが、魂胆が透けて見えます。

RAPTもRAPT信者もイエスの十字架の意味をまったく理解していないですし、どこまでも聖書の真理から遠いです。そして、RAPT信者の反応を見る限り、RAPTは自分がイエスのように今後犠牲になる可能性があることをほのめかしているようです。共謀罪等でRAPTが捕まりそうなのを恐れての発言でしょうね。はっきり言っておきますが、RAPTが共謀罪や詐欺罪で捕まったとしても、RAPT教というカルト宗教を立ち上げ、また、多くの人々を惑わし、何人かの人間を欺いて金銭を交付させた罪で、当然の報いを受けるに過ぎません。これをイエスの十字架の犠牲と重ね合わせるのは大きな誤りです。

イエスの十字架の意味は、私の過去記事「神を愛するということと人が生きる意味」で言及済です。また、イエスの十字架は、旧約聖書で預言されたことが実現するためでした。だから、イエスは十字架の死まで神に従順だったのです。仮に、十字架を怖がって逃げれば、神に反逆することになるからです。だから、臆病者は不信仰の者と同じ扱い(ヨハネの黙示録21:8)なのです。これについても複数の過去記事「反キリストについて」、「真のクリスチャンであるためになすべきこと」、「共謀罪、刑事手続、反キリストと新世界秩序、RAPT教というカルト」で言及済です。

RAPTは聖書に預言される重要人物ではなく、聖書がいう偽預言者に他なりません。イエスとは天と地の差ですし、そもそも比較対象に挙げること自体間違っています。それにも拘らず、同類項で括ろうとするRAPTやRAPT信者は、神への畏れがまったく無いようです。

信仰については、私の過去記事で偽預言者RAPTについて指摘したように、何時間も長々と祈らせる、明け方に祈らせる、悪人の滅びを祈る等はやめていないようです。これらの行為が誤りであることは私が複数の過去記事で指摘済ですが、これらが太陽神崇拝(サタン崇拝)をするRAPT教の信仰方法なのでしょう。

RAPT信者の盲信っぷりも悪化しています。彼のサイトのコメント欄で数人のRAPT信者がRAPT様などと言っていることからかなり重症です。アメブロでも、RAPT信者が必死に、RAPTのために祈って、世を変えるために祈って、と悪の応援を募っていますが、無視以外することがありません。カルトというのは、教祖に絶対的な信頼を集めさせないと成立しませんからね。虎の威を借る狐のごとく、表面上は創造主の神(実質、RAPTが崇める神様とは太陽神)の威を借るRAPTは、狐のようなサタン崇拝者です。RAPT自身は何の力も無いから、創造主の神を悪用し、悪霊に頼っているのです。RAPTは、同じカルトでも、オウムの麻原にも劣るカルト教祖です。

そして、RAPTは相変わらず、主イエス・キリストの御名を出すことはありません。反キリストですから出せないのです。たとえ表面的に出しても主イエスを崇める意味で出しません。RAPTは自分を高めるためにイエスを比較対象として出すことはしても、イエスに対して信仰を持っている訳ではありません。RAPT信者も同様です。主イエスはそっちのけで、RAPT信者は、RAPTが時代の中心者だと信じ込んで、RAPT教の教祖RAPTを崇め、RAPTの間違った情報を拡散するように必死になっています。時代の中心者という存在自体、聖書上の根拠が無く、存在し得ないものなのです。彼らはどこまでも悪行をやめようとしませんし、かえって悪が大きくなっているとも気付いていません。

過去に再三述べたとおり、回心できないRAPTとRAPT信者は手の施しようがないので放っておきます。みなさんも無視して、関わり合いを持たないでください。

 

以前言及したAmir Tsarfati(アミール・ツァルファティ)は、偽善者、偽教師ということには変わりありません。聖書に反した言動をしているからです。まず、人前で祈ることが偽善者の特徴と聖書にあるとおりです。この祈りに関する点は過去記事で言及済です。また、彼が携挙や反キリストについても間違った教えをしたことも過去記事「携挙の真実」で指摘済です。

このように、誤りが明らかなのに、彼を盲信するにわかクリスチャンたちは、私の言うこと、聖書の御言葉を信じようとしません。

そして、しきりにAmir自身、彼のチャンネル登録やFacebook等の繋がりをしつこく宣伝しています。これも滅びへの導きです。救いと思って手を出さないように。そして、どうやら日本に来て2017年7月8~12日に、また大々的に嘘の伝道をする予定のようです。RAPT同様、無視し、足を運ぶ必要はまったくありません。

 

サタンは、人々を聖書の真理から遠ざけ、嘘を信じ込ませ、また、より多くの人を騙すために嘘を広めたくて仕方がないのです。偽物ほど、宣伝に熱心です。なぜなら、宣伝しないと嘘は広まらないからです。そして、広めた結果、嘘を信じる者を多数派にして、正当化するのが狙いなのです。

現実の世でも同じことです。例えば、穴場と呼ばれるような良店は、店の人が熱心に宣伝しなくても、客の口コミで自然に広がります。店の人が客に他の客も連れて来てくださいと言わなくても自然に増えていきます。テレビや雑誌でおいしいお店と宣伝されていたが、実際食べてみると期待した程ではなくてがっかりした経験があると思います。つまりは、そういうことなのです。

これは、食事処だけの話にとどまらず、いかなる分野においても、宣伝にやたら熱心な所は信用に値しません。宣伝は、自信の無さの表れだからです。

 

Amirと繋がりのあるPastor JDというのも偽善者です。

こちら(Youtube)で分かります。彼はアメリカが大好き、アメリカは美しい国と言っています。どこが美しい国なのでしょうか。金儲けのために戦争を繰り返し、他の国々を散々破壊し、現地の人々を虫けらのように殺しているアメリカが美しい国であるはずがありません。彼は、ヨハネの黙示録を読み解けていません。黙示録におけるアメリカについては私の過去記事で言及済です。Amirと一緒で、彼も艱難期前携挙説を信じているようで、にわかクリスチャンです。また、Amirと同じく人前で祈っています。彼らに限らず、世の牧師たちも同じことをしています。私のブログ読者なら、何故だか分かりますね。

そもそも、この世に存在する国という存在に執着心や愛着がわくのが、私には理解できません。私は生まれた国に対して執着心、愛着はありません。出生場所は私が選択したものではありませんし、永久にいる場所ではないからです。ただ試練を受けた場所です。世に必死にしがみつくのは、死後恐ろしい結末を無意識のうちに恐れているからでしょう。世の大半の人々が長寿を目指すのは、これが一つの要因です。

 

RAPT信者やその他の人々は、日本をどうにか回復させたいとか、日本を売国奴から守りたいと思っているでしょう。はっきり言っておきますが、それは無駄な抵抗なのです。聖書の真理に反しない範囲で権力者に従うべきとも過去記事で述べたとおりです。国を再興したい、回復させたい、発展させたいと主張するのは、世を愛しているからに他なりません。このように考えているクリスチャンは、にわかクリスチャンです。政治を変えたい、国を変えたいと思うこと自体、間違いなのです。神は聖書どおり、世を動かしておられます。それに逆行するのは、神への反逆行為でしかありません。致命的な反逆行為をすれば、あなた自身が排除されるだけです。ですから、流れに逆らうのではなく、備えよと私は申しているのです。逆らうのは不信仰の者だけで十分です。

 

主イエス・キリストや弟子たちは「イスラエル大好き」、「ユダヤ人万歳」等とは絶対に言いません。聖書では誰も愛国心を主張する者はいません。イスラエルの民を神が特別扱いしたのは、旧約時代(紀元前)で終わったことです。

仮に、彼らが愛国心を持っていたならば、異邦人伝道などするはずがありません。なぜならば、自国民だけが救われればいいという思いに繋がるからです。愛国心を持つということは、その国に属する者がその国や民のみをえこひいきし、特別扱いし、愛して、他国を排斥することになります。

愛国心は、排他的精神の根幹を成すものです。戦前の各国がそれをネタに人々を扇動して国のために戦うように戦争に駆り出したのです。

主イエスは全人類の罪の贖いのために犠牲になられ、弟子たちは福音伝道のために命を削って働き、最期には殉教していったのです。愛国者という利己的で世俗的な思いがある者に、自らを犠牲にする精神などあるはずがありません。

 

これが世に属する人間かを判断する一つの材料にもなります。日本に生まれて良かった、アメリカに住めて良かった等言っている人は、もれなく世に属する人間です。なぜなら、この世を愛しているからです。

以下、聖書も言っているとおりです。

 

新約聖書 ヨハネの手紙一 2章15~17節

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。

 

明白ですね。世に執着心を持ったり、世を愛するクリスチャンは、にわかクリスチャンです。世で生きる以上、世と関わり合いを一切断つことはできません。それは聖書(コリント一5:9~10)でも言われていることです。この世と一切関係を断つのはこの世から離れる時です。私は、聖書(ヨハネの手紙一2:15~17)のとおり、生きている間にこの世と一切関わり合いを断つような極端なことを言っているのではなく、世と世にあるものを愛してはならないということです。

だから、ゲームやスポーツ等の娯楽に夢中になるべきではありません。それらは一種の中毒性があり、何の益にもならないゲームが上手くなったり、課金までしたり、レベルを上げて強くなったところで神があなたを褒めると思いますか。勿論、否です。

スポーツにしても、継続してほぼ毎日練習等をしないと体が鈍ったり、体力が落ちたりします。オリンピックでメダルを取ったり、大会で表彰されたら、神があなたを讃えると思いますか。勿論、否です。

実際の事例で、ある選手が安息日に試合があった時、棄権することも過去にあったようです。趣味で適当に体を動かす限りは問題ないでしょうが、選手として試合に出れないのに練習に励むとはなんと無意味なことでしょうか。真のクリスチャンなら、スポーツに熱心であるべきではありません。聖書にもあります。

 

新約聖書 テモテへの手紙一 4章8節

体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。

 

体を鍛えることが多少役に立つというのは、日々の仕事や健康維持に対してであり、信仰自体には何の役にも立ちません。スポーツに限らず、筋トレ等、体を熱心に鍛えることは、肉体に対する執着心が強いことの表れです。肉体は第一の死を迎えたら滅び去るのです。滅び去る前に、ある程度の年齢に達したら現役を退くものがほとんどです。何故、そのような短い賞味期間、また滅びの対象のために、貴重な人生の内の多くの時間を使い、一生懸命になるのでしょうか。私には理解できません。体を鍛えることについて全否定していませんが、程々にしなさいということです。

 

ダイエットも同じことが言えるでしょう。そもそも、太るというのは、食べる欲求である食欲を抑えきれないところから来ているので、これも肉の欲から出たものです。太るのは、悪霊に食べることを促され続けた結果、生じたのではないでしょうか。抑制できないのは、誘惑に負けているからです。必要以上に食べたり、不健康な食べ物や飲み物を摂取し続けないように気を付けてください。

そのような欲を抑えて、怠惰な生活をしなければ、太ることは有り得ません。そうすれば、ダイエット等気にすることもないのです。

食欲を抑制できないのに、楽に痩せれないかどうか必死になって情報を探したり、小手先のダイエット法に頼るのは、にわかクリスチャンの信仰に似ています。私が散々述べてきた真のクリスチャンになるための道を歩まず、それよりも楽な道で救われたいという勝手な思いから、真理を語らない偽善者、偽預言者、偽教師に従ったりするのです。私は、あなたがたに私の後に従うようには言っていません。私は助言をしているに過ぎないのです。私が過去に何度も言ってきたとおり、主イエス・キリストだけを信じ、聖書の真理を知り、それだけに従って生きることを説いています。

本来は、あなたがた自身、聖書をきちんと読んで、きちんと理解しさえすれば、大丈夫なはずです。聖書にもそうあります。

 

新約聖書 ヨハネの手紙一 2章27節

反キリスト

しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。

 

お分かりですか。真のクリスチャンは主イエスから油(聖霊)を注がれ、聖霊が教えてくれます。もし、教えてくれないのであれば、あなたがまだそれを受けていないからです。

騙される人は、皆、聖霊を受けていないのです。だから、聖霊から教えてもらうことができず、聖書の真理を知ることができず、その真理に則った信仰生活ができないのです。それにも拘らず、世のにわかクリスチャンたちは「聖霊様が~」とか、こんなラッキーなことがあったとか、こんな綺麗な景色が見れたとか、浮かれたことばかり言っています。非常に哀れです。ちょっとサタンが奇跡を起こしただけで騙せるのですから、サタンもちょろいと思っています。

そして、世の大半のにわかクリスチャンたちは、同じく聖書の真理を知らない偽預言者、偽善者、偽教師の言うことに耳を傾けて盲信し、一緒に滅びに向かうのです。この話も過去記事「真のクリスチャンになる道」でしました。

油(聖霊)については、過去記事「今後の社会情勢と神の裁きへの備え」で大事な話をしました。その内容も絶対に忘れないでください。

 

何度も言っていますが、今は終末の時代です。

しかし、あなたがたは霊的には眠っています。肉体的に目を開けて起きているのとは意味が違います。私はあなたがたが霊的に目覚めるのを手伝っているだけです。救いは主イエス・キリストがなさいます。過去記事で申したように、救いの恩恵期間は有限です。それもいつ締め切られるか私たち自身では分かりません。しかし、真に悔い改めができない、即ち、同じような罪を犯し続けるのは、もう手遅れを意味しているのかもしれません。そのような人は、「いや、まだ大丈夫だ、今度こそ。」と思っていても絶対に何度でもやらかします。にわかクリスチャンは、根拠も無く自分は大丈夫と変な自信を持っています。

上述したダイエットの例えと一緒です。自分は絶対に痩せると思い続け、小手先のことばかりして、根本的な問題解決をしないまま、何年、何十年同じ状態になっているのではないでしょうか。要するに、行動できない人は、いつまで経ってもできないのです。同様に、救いの恩恵期間が終了した人は、正しい信仰をいつまで経ってもできないままなのです。厳しいようですが、これが真実です。

ですから、真の悔い改めを先延ばしにしないようにと何度も私が忠告しているのです。

 

私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上