皆さん、こんにちは。
いつもありがとう。
読者からの要望に応えて、“【東大教室】ブログ上公開演習”を開始します。
ただし、次々に公開するほどの余裕はなく、残念ながら不定期です。
申し訳ありません。
この点だけあらかじめご了解ください。
なお、これまでにも同様の試みをいくつか記事にしてきました。
こちらも、ぜひ参考にしてください↓。
それではまず、問題から。
テーマは、御成敗式目と建武式目。
解説などは、明日から掲載します。
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問 題
次の史料(1)・(2)を読んで、下記の設問A~Cに答えなさい。
解答は、設問の記号を付して記入しなさい。
なお、史料は一部、書き改めたところがあります。
(1)
一 御下文(おんくだしぶみ)(本領安堵・新恩給与の際などに発給された公的文書)を帯すといへども、知行せしめず、年序を経(ふ)る所領の事
右、①当知行の後、二十カ年を過ぐれば、大将家の例に任せて理非を論ぜず改替するあたはず。
(御成敗式目)
(2)
以前十七カ条、大概かくのごとし。
是円(明法(みょうぼう)家の中原章賢(のりかた)のこと)、……忝(かたじけな)くも政道治否の諮詢(しじゅん)(有識者などに意見を求めること)を蒙(こうむ)り、和漢古今の訓謨(くんぼ)(教訓)をひろふ所なり。……
古人曰く、安きに居てなほ危ふきを思ふと。
今危ふきに居てなんぞ危ふきを思はざるや。……
②遠くは延喜・天暦両聖の徳化を訪(とぶら)い、近くは義時・泰時父子の行状を以て近代の師となす。
ことに万人帰仰(きぎょう)の政道を施されば、四海安全の基(もとい)たるべきか。
よりて言上件(くだん)のごとし。
(建武式目)
設 問
A
史料(1)は、武士社会のもつ重要な「道理」の一つを法制化した条文である。
下線部①の内容を、わかりやすく2行以内(注:1行30字)で説明しなさい。
B
下線部②について、「政道治否の諮詢」に応えた「是円」が、「義時・泰時父子の行状」と並べて、あえて「延喜・天暦両聖の徳化」を掲げた点については、前時代の善政にならうという意味のほかに、ある政治的意図が存在したという解釈もある。
この意図について、当時の政治情勢を前提に、光明天皇が「三種の神器」を欠いた変則的な儀式を経て即位したことを参考にしながら、2行以内(注:1行30字)で説明しなさい。
C
御成敗式目(貞永式目)と建武式目は、中世後期になると、「貞建之式条(じょうけんのしきじょう)」と表現されて並称されるようになるが、両者の性格を同様のものとみなすことはできない。
室町幕府による法の運用のあり方について、史料(1)・(2)を参考にして御成敗式目と建武式目の性格の相違にもふれながら、2行以内(注:1行30字)で説明しなさい。
なお、御成敗式目をイ、建武式目をロと表記しなさい。
(東大型予想問題)
*解説解答は、ここをご覧ください。