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設問B「1930年代と1960年代における賃金」)の解説②です。

 

検討と選択(設問B・その2)

 

あとは、1930年代にはないが1960年代にある要素を点検していけばよい。

 

両時期のもっとも顕著な相違点は、解答(「東大教室(16東大日本史本試Ⅳ Bを考える③)」)に記したとおりだが、その他の要素についても、2点検討しておこう。

 

まず、1960年代のところで「生産性の向上」を指摘するのはどうだろうか。

 

「生産性の向上」は利益の増大には直結するが、それが賃金上昇と結びつくかどうかは不分明であることに加え、いうまでもなく、生産性の向上は1930年代にも進行した

「1930年代にはないが1960年代にある要素」としては不適切だろう。

 

次に、やはり1960年代のもつ特質として、「日本的経営(終身雇用・年功賃金など)が確立した」点に言及するのはどうだろうか。

これも、賃金の上昇と直結させるのは危険だと考えられる。

 

もっとも優れた経済史家でも容易に結論を出せる問題ではない(つまり大学入試の範疇(はんちゅう)を超えている)が、一般的には「日本的経営(終身雇用・年功賃金など)」は雇用の安定には有効だが、その分、賃金は抑制される傾向が強いと考えられている。

また、いわゆる「日本的経営」の基礎は1920年代に形成されたという見解もあり、そうなると、1960年代のもつ特質とはいえなくなる。

 

所得向上の背景(高度経済成長期)

高度経済成長期には、所得の向上(富の再配分)も比較的順調に進んだ。

 

 総評

日本労働組合総評議会の略称。

朝鮮戦争勃発直後の1950年7月、日本共産党系の産別会議(日本産業別労働組合会議)に対抗するため、GHQの指導・援助により、民主化同盟(共産党の指導に反発した産別会議内の勢力)や総同盟(日本労働組合総同盟)など反産別会議派の組合が中心となって結成された。

 

当初は、転換後の占領政策に迎合的だったが、講和問題の論議などのなかで急速に左傾化し、1951年には「全面講和・中立堅持・軍事基地提供反対・再軍備反対」を決定。

最大の労働組合組織(ナショナル=センター)として出発した総評は、「ニワトリからアヒルへ」(親米的なニワトリのはずが孵化(ふか)してみたら反米的なアヒルだったという意味で、総評自身によって使われた)といわれる政治的転化を遂げ、以後、日本社会党とともに、革新陣営の中心勢力として多くの政治運動や経済闘争を主導していった。

 

1989年、解散して連合(日本労働組合総連合会、1987年発足)に合流。

 

 春闘

総評(日本労働組合総評議会)傘下の労働組合などが一定時期に全産業規模で集中的におこなう賃上げ闘争をいい、1955年から開始された。

 

具体的には、まず戦闘力のある労働組合が定期昇給を超える賃上げを実現し、その相場を、支払い能力の高い基幹産業に連動させ、さらに公務員や未組織労働者の賃上げにも反映させていく方式がとられた。

とりわけ高度経済成長期には、賃上げ相場の水準を広範囲に波及させ、賃金を比較的順調に向上させる効果を発揮した。

 

 農家の収入

農村は経済成長のための労働力を供給する役割を果たし、農業就業人口は減少したが、農業生産力の拡大、米価の引き上げ、農業外所得の増加、農業基本法(1961)による大規模農家の容認などにより、農家の所得水準も向上した。

 

 農業基本法

農業基本法は、高度成長が都市勤労者の所得拡大をもたらしているにもかかわらず、農家所得が停滞的である現実に対処するため、1961年に制定された。

 

同法によって、政府の農業政策は、「他産業との生産性の格差が是正されるように農業の生産性が向上すること及び農業従事者が所得を増大して他産業従事者と均衡する生活を営むこと」をめざすことになる。

この目標を達成するため、畜産や果樹栽培など需要の伸びが予測される農業生産の「選択的拡大」をはかる、農家の経営規模を拡大して農業所得だけで他産業の勤労者と同等な生活ができる「自立経営」を育成する、といった方針が明確にされた。

 

しかし、現実の農政は、基本法の想定したような方向には展開しなかった。

具体的な問題点を指摘しておくと、「選択的拡大」は確かに進行したが、たとえば、畜産生産の増大は飼料穀物輸入を急増させて穀物自給率の急激な低下を招く要因となり、また、「自立経営」も、期待どおりには大規模な専業農家が登場せず、実際には農家の大半が兼業農家へと向かってしまった。

 

このため高度経済成長期には、「三ちゃん農業」(おじいちゃん・おばあちゃん・おかあちゃんの3人で農業が営まれている状況をさす)が一般化し、出稼ぎ者の「蒸発」・留守家族の崩壊といった事態が頻発することになった。

『日本史ガイドブック 下』より再録)