人事労務日記~所長のつぶやき~ -244ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成27年7月30日


 「時を経る」ということは、色々な場面で

重要な働きをするものです。

“失恋の悲しみも、事業の失敗による失意も”、

「時を経る」ことで軽減していきます。


  ヒトの顔も「時を経る」ことで、顔つきが変って

くるようです。


「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と

云われることがよくあります。

“幼い頃の顔は百パーセントが遺伝でも、その後


どんな生き方を選ぶかで顔つきが変わってくる。

その顔付きを長年続けるうちに次第に定着し、

やがてその人の顔ができあがる。その年齢が

四十歳”という意味のようです。

 私の顔も年齢に相応しく、大分しわが目立つ

くたびれた顔になってしまいました。


平成27年7月28日


 サラリーマンをしていると1度は出会うだろうと

思います。

「偉そうな人 いやいや 偉そうにしている人」

にです。

そんな人と、たまさかに会話しようものなら、

「見下され、バカにされ、自慢話ばかりされ」て、

ストレスがきっちりと溜まってしまいます。


 だから、そんな人とは合わないのに越したこと

がないので、何とか合わないですむように色々と

工夫するのですが、運が悪いことに、そのような人

限って本当に「偉い」ポジションであることも多いのです。

だから、会って話しをしなければならない場面も

少なくないので、余計にしゃくにさわってしまいます。


 サラリーマンを続けるのも辛いところがあります。

平成27年7月27日


  長い間、日本企業の人事制度の中心

であった年功型賃金体系は、崩れつつある

ようです。


 「若い時は給料抑え目でも、中高年になると

“若い時の後払い分”も含めて給料が上がる」

という年功制を信じて、若い時に「働き分以下

の給料」を甘受していた中高年サラリーマンは、

やっと中高年まで勤め上げて、

「さぁ、これからは、若い時の分まで含めて

「給料を頂こう」と思った矢先に、

「成果型賃金制度」なるものが言い出されて

しまいました。



  従来の暗黙の了解(「中高年になったら

働き分以上の給

料が貰える」)をホゴにされて

しまったのです。更に挙句の果てには、

40歳定年制」なども提唱されてしまい、

中高年サラリーマン達の“俺たちは割を食った

世代だ”という「嘆き節」が、あちこちから

聞こえて来るようです。



平成27年7月25日


 あるNHテレビの番組で、「一般社会の

なかで、普通の人と普通に話したりする
技術 (あるいは能力) が、多くの中高年男性

に欠けている」という指摘がされていました。

 つまり、仕事場では、生産性を高めるための

建設的な意見をいろいろ語れるような男性が、

仕事を離れてしまうと、誰に何をしゃべって

いいのか途端に分からなくなって しまうという

現実があるようなのです。

 それは、彼らのコミュニケーションスキルが、

すべて所属する仕事場だけに通用する ような

形に固定化されてしまっているからなのでしょう。
だから、定年退職によって会社から離れたりす

ると、もう「未知の他人とどう交われば
いいのか分からない」ということになるようです。

平成27年7月24日


 この間街を歩いていたとき、十数年来会って

いなかった知人にひょっこり会いました。

“やあやあ、お元気?”などと言って握手したり

しましたが、旧友との偶然の出会いは、

頭の中が一瞬にして、現在から昔へと戻り、

懐かしい気持ちにさせられました。


 然し長い間のご無沙汰で、名前だけが

どうしても出て来ません。

先方が当方の名前を知っているかもしれないのに

“お名前は?”と尋ねるのは失礼極まりないこと

になるので出来ません。

 さりとて、過去に面識があるのに初対面のような

白々しい応答もできないので、結局、そのときの

会話は、「ただ、当たらず触らずの奇妙な受け

答えだけで終始してしまいました。


平成27年7月23日


 今年の夏は、ひときわ暑いように感じます。

私も毎日まいにち、汗をだらだらと垂らし、ふうふう

言いながらオフィスに通っています。

ときどき、ふっと“来年の「夏」はどんな思いで

過ごしているんだろう?”などと思いながら・・・・・


  我が家では、ここ十数年来、二代に渡って

愛犬が家族の一員となっています。

朝起きるとベッドまで私を起こしに来て、その後

朝食を共にし、朝の散歩の後、私のお出かけを

見送ります。

そして帰宅時間には、30分位前から玄関で待機し、

私の靴音が近づくのを聞くとワンワンと吠えながら

妻を呼びに行き、私が玄関に姿を現すと、

くるっと丸まった小さな尻尾を一生懸命に振って、

“お帰り!お帰り!”と、飛びついてきます。


 私は、毎日こんな何ということもない生活を送り、

ときどきは妻と愛犬の話しで盛り上がりながら、

ドンドンと年を取って行きます。

平成27年7月321日


 先日、久し振りに故郷(と言っても東京の

下町ですが)に行って見ました。

久しぶりの故郷は随分変っていました。
見慣れない建物とか店がある一方で、あった

はずの建物とか店が無くなっていました。

然し、町の大通りを

貫いている道路は昔と同じようなたたずまいを

していました。

  その昔ながらの道をトボトボと歩いていくと,

昔のままの「中華料理」という看板を掛けた店を

見つけました。子供の頃食べたその店の

「カレーラーメン」がとっても美味しかったことを

思い出しました。


  その味を求めていそいそと店に入って、

「カレーラーメン」を注文しました。

暫くすると昔のままの姿をした「カレーラーメン」が

出てきました。

早速、ツルッとソバを口に入れると、“アレっ”と思ったのです。
そのソバは、今の自分には余り美味しいとは思え
なかった

のです。

子供の頃と私の舌は、スッカリ変わっていました。

昔の味は、2度と戻っては来ないのでしょう。


平成27年7月17日


  このごろ、ずいぶん忘れっぽくなってきた

ように思います。

特に人の名前が思い出せません。

その人の顔は、すぐに頭に浮かんで来る

のですが、名前が出て来ません。

“ああ、あの顔だよ・・・、ほらほら、あの人、ウーン!

何という名前だっけ!“ってな具合で、一人でイラつく

ことシバシバです。


 滅多に会うこともなく、日頃思い浮かべることも

ない珍しい人ならいざ知らず、数日前に会った

ばかりのよく知っている人の名前を思い出せない

ときなどは、かなりショックです。


 こんな風だから「大事なことはメモを取る」ということ

にしました

(でもときどきはメモを取ったことさえ忘れることもありますが・・・)。

平成27年7月11日


 随分昔に読んだ本に、「物事には表と


裏がある」の例えとして次のような言葉がありました。

・「喜びと哀しみはいつも一緒にやってくる」
・「かつては喜びであったことに、今は涙を

流している」

 これらは、平易な例えではありますが、「物事には

全て表があれば裏がある」ということを言っている

のでしょう。


コインに表と裏があるように、人生にも表と裏が

あります。


 だから、

辛いときは、「今が人生の真裏。その内にいい事も

あるさ」と思って何とかやり過ごすのが大事なようです。


平成27年7月10日


  普通にサラリーマン生活を送った人は、同僚や

取引先といった仕事に関係する人を除いては、

殆ど人間関係を持たないで定年を迎えてしまいます。

会社を離れた場所では、共感しあうような友人は

先ずできません。


  だからと言って家族に期待しても、妻はお金を

稼いでこなくなった夫に対して「今までとは違うのよ」

という態度を取ることはあっても、毎日家に居る夫を

歓迎してはくれません。

「兎に角朝起きて夜寝るまで何もやることがない。

友達もいない。電話をかける相手もいない。

毎日をただテレビを見るか、酒を飲んで過ごす」

という毎日は、今まで経験のしたことがない辛さです。


  実際その辛さのため「アル中」になった人や

「うつ」になってしまった人もいます。

「自分の居場所の無い辛さ」、これを抜け出す

ためには、やはり、自分で「何か打ち込めるもの」

を探し、その見つけた「何かをするため」に

「家以外で毎日を過ごせる場所」を見つけ出す

しかないだろうと思います。