イギリス在住の、giftedのお子様をお持ちのお母様の日記です。

(お母様ご自身は日本の方です)


ご本人の了承を得て、こちらで公開させていただきます。

ただし、プライバシーにかかわる部分や個人名などは、変更してあります。









6歳の息子が知能検査を受けたとき
結果を知らせる直前、先生の言った言葉
「大変だよ~ You've Got A Problem」



その後、先生が親であるわたしたちに高知能について説明してくれたが 決して嬉しい事だけではなかった、むしろその逆の気分になった。
高知能がゆえに、ぴかぴか(新しい)天才的な犯罪者ぴかぴか(新しい)にもなりうるって事。


確かにその通りだ。
すべての高知能の人間が、世界に有益な存在になるとは限らない。
ときとして、その能力は人類にとって脅威ともなりうる。
今まで開発された科学技術の一部は、発明者の意図とは全く考えもしなかった武器となって、人の命を奪っているのだから。

だからこそ、彼らの高い知能を無にする事のない様に 何が必要かを考える必要がある。

その一つの答えを、わたしは社会性ではないかと思う。
どんな素晴しいアイディアも、高い知能も社会に受け入れられてこそより有効に生かされる。

奇行や非社会的な行動で、社会から排除されてはそれこそ才能の無駄になろう。
そして、なにより苦しむのはその本人となる。

一人で生きてゆける強さを養う事は、決して間違いではない。
けれど、孤島でたった一人で生きてゆくならそれも許されるが
少しでも社会に関っていくのなら、疎まれて生きてゆくより 受け入れられていて欲しい。その中で堂々と生きて欲しい。
その為には、高知能だけを頼りに生きるのではなく、社会にあって 自分の才能を生かして生きて欲しい。

社会からはみ出したものの考えを持つ、母のささやかな願い。
子供にはせめて生き易い人生を送って欲しいと切に願う。

子供は生まれたときから既に個性を持って生まれている。
その個性の方向性を決めるのは、ある意味親の関り方や 考え方が反映されるのではないだろうか?

その為に出来る限りのことは何でもしよう。
母にカウンセリングが必要なら、喜んで受けよう。
子供に専門家の助けが必要なら、孟母三遷、何処へでも行こう。
それが奴らの未来に繋がるのなら。


今息子は6歳、IQ157 

この4月から補習校の1年生になる。
今のところ誰からも可愛がって頂いている。
何処ででも持ち前の愛嬌で「お友達」を作ってくる、火の玉小僧。
例えそれが同い年の子供のお父さんであっても。げっそり
ありがたい事に、奴には影がない、ちょっと多動でKYだが わたしの子供時代のような屈託もない。

何処が高知能児?ってくらいフツーの6歳児だ。
「片手で31を数える方法は~、エレメンツが~考古学って~」

まぁ、、 フツーだろう、、、たらーっ(汗)