Yeahというあいづち
英語の会議を観察していて思ったこと。
「はい」「はい」のような、話のあいづちを打つとき、
英語のできない人は「Yeah」「Yeah」を連発し、
英語のできる人やネイティブは、
「Uh-huh」「Yep」を連発する傾向にある
英語に自信があるわけじゃないから、
Yeahが間違っているかどうか知らないけれど、
Yeahって「そうそう」 みたいな感じかなと思っている。
上司やお客さんには普通使わないんじゃないかな
と思ったりする。
少々砕けたときに使うとしても、「Yep」かなぁと思っている
というわけで、英語できない人だけれど、
あいづちだけは「Yeah」と打たないように気をつけている今日この頃。
どう考えてもやる価値のない作業をやるとき
「これ、どう考えてもやる価値ないよなぁ」
「これがどうお客さんの価値になるのか、全くわからん」
と思うことをやらなければならないときがある。
戦略コンサルならそういうのは本来少ないはずだが、
(ロジックで、顧客価値の高いことを追求するという仕事なので)
サラリーマンなので、どうしてもそんな時はある。
そういうときどうやってモチベーションを上げるか考えていたんだけれど、
モチベーションを下げても良いのだと気づいた。
「モチベーションは下げておく」
「下げた上で、やらなければならないことをリストで書き出す」
「リストのてっぺんから、何も考えずにこなしていく」
「途中で絶対止まらない。止まったら、何か考えちゃうから」
「何も考えない。考える必要のない作業なはずだから」
ドラクエのレベル上げみたいに、
やっていることの意味を求めるのではなく、
リストがただ消えていくということに快感を覚えるという方法も
あるのだと気づいた
素敵だと思った理由
今日は電話インタビューを1件やった
相手とは会ったことはないが、
とても素敵な人だと思った。
別におしゃべりをしていたわけではなく、
真面目に話を聞いていただけだから、
何が素敵だと思えたんだろうと考えた。
で、恐らく僕の心の琴線に響いたのは、
冒険心と科学的な努力、
この二つだったんだろうと思った。
今日の相手は40代だったんだけれど、
普段30代以上の人と話していると、
どうしても閉塞感を感じることが多い
「今の人生に満足できていない」
「でも、どうしたら変えることができるのかわからない」
「とりあえず、目の前にある、あまり重要でない・緊急でもないことに手をつけている」
さすがにこれを直接言う人・自覚している人は少ないが、
女性の場合は言っていることを要約するとこうなる場合が多いし、
男性の場合は強がって「xxxだから自分は正しい」と変わろうとしない理由を正当化する人が多い。
でも今日の人は違った。
「私にはxxxがない」ということをしっかりと認識し、
「そのためにxxxが必要」と科学的な努力を志向し、
「将来はxxxをしてみたい」と冒険心もある
何歳になってもこれが大事だと思う
この人が何かを変えたいのか/変えたいとしたら変われるのかは、
よく知らないが、
少なくとも閉塞感をまきちらすタイプの人間ではなく、
人にポジティブなエネルギーを与えてくれる人なのだと思った。
だから素敵だと思ったのだと思う
編集者という病
最近読んだ本。
幻冬社の創業社長が書いた本。
- 見城 徹
- 編集者という病い
濃い油絵の絵の具で、どろどろとした心情を
べたべたと塗りつけていったかのような本。
正直、こういう気持ちを最近忘れていたなと思った。
よどみなくなんてしゃべれなくていいわけで。
Amazonのマーケットプレイスに要注意
アマゾンのマーケットプレイスに要注意である。
アマゾンのマーケットプレイスというのは、
いわばオンラインの古本オークション。
読み終わった本を売ったり、
古本を安く買ったりと、
たいへん便利ではある。
だが、やっぱりそこにも詐欺行為はある。
普通の人の頭の中には、
「マーケットプレイスは新品を買うよりも安い」
という固定観念がある。
そこにつけこんだのが、
たとえば、books-mart という出品者。
この人は、古本の欄で、新品の定価の何割か増しで本を売っている。
本がマーケットプレイスで売れたら、
新品を買ってきて発送。
すると、価格の何割かが彼(彼女?)の手元に残る、
という仕組みである
当然、買った後にそのことに気づき、クレームをつけてくる客もいる。
「普通の本に高値をつけている。悪質です。」
「書籍の定価に比べ取引価格が非常に高価。定価も掲載するべき。」
「かなり値段が高かった」
だが、9割近くの客は、買った後もだまされたことに気づいていない
books-mart | ||||||
評価数(全評価) | 高い | 普通 | 低い | |||
3568 | 87% | 7% | 6% |
ただ注意すべきなのは、books-mart という出品者は、
決して法律を犯してはいない、ということだ。
高い値段を提示したら、客はそれを納得して買った
というだけだ。
渡辺千賀さんのブログにあるような、「バカ・アービトラージ」に過ぎない
http://www.chikawatanabe.com/blog/2004/02/ebay.html
そういうわけなんで、自己責任なので、
アマゾンのマーケットプレイスでの購入には気をつけましょう、
という話でした。
「非常にきれいな状態のものを、丁寧な梱包で送っていただき感謝しています。」
「発送が早く、本の状態も新品同然。大変満足しています。」
「新品同様でした。」
海外人事
大前研一さんがブログで面白いこと書いてた
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/a/69/index.html
グローバル化というと、こんな甘いことを考える人がいる。「下流の仕事(製造など)は中国など海外拠点で行なって、上流(企画・設計など)は日本人で」――と。しかしこの人材問題はそんなお気楽な話ではない。最初は上流を日本人が占めていても、10年も経てば外国人だけでも仕事が進むようになっていく。
グローバル人材を育てるときの鍵になるのが統一人事だ。「統一人事」という言葉はよくないとわたしは思っているが、要は「どこで入社しても差を付けない」ということだ。どの国で採用されても社長までの距離は同じ。誰もが同じ条件で評価される企業。そうでないとあたら優秀な人材が逃げていくだけだ。
実際、ちゃんとしたグローバル企業では、子会社に入ろうが海外の現地法人に入社しようが関係ない。もちろん4月採用とか新卒、中途採用なんてことも問題にならない。統一した人事が必要というのはそういうことだ。日本と“海外”を区別することは意味がない。「海外人事部」なんて置くのは愚の骨頂といえるだろう。差別用語と心得るベシ、だ。
グローバル化とは社長の立場から見て世界のお客さんに対して自身を等距離に置く、ということだ。「日本の冠婚葬祭だけは欠かせないよなあ」では駄目だ。
人材不足を嘆いているトップの多くは世界の優秀人材を見つける、使う、評価する、という三拍子が欠けている場合が多い。二つ目はなんといっても「ずば抜けたコミュニケーション能力」が求められていること。リーダーシップといっても、「俺に付いてこい」という浪花節では駄目で、論理的に説明でき、かつ感情的に同意を得ることができるコミュニケーション能力を磨くことが重要だ。
外資系だと他人や自分の評価を英語で主張しなくちゃいけなくて、
面倒なんだけれど、
それもいい経験だっちゅうことかな
弾み車が回りだすとき
- ジェームズ・C. コリンズ, 山岡 洋一
- ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則
この本の中に、
「重い弾み車を回す」
というフレーズがある
僕はこのフレーズがとても好き。
どうやら、1年ほど前から友人と始めた
ベンチャー交流会が、
どうやら弾み車が回り始めたよう。
人が人を呼ぶという好循環ができはじめ、
人集めに以前ほど苦労しなくなってきた。
ズズズッて言いながら、
弾み車が少しずつだけど回り始めたのが
聞こえるような気がする
自立の難しさ
自立とはとても難しいな、とよく痛感する
仕事で、上司や顧客から理不尽な仕打ちがあったとする。
そういうときはつい、
「なんであんなことされなきゃいけないんだ!」
「なんてついていないんだろう」
「あいつはヒドイ、あいつが悪い」
という思いにとらわれてしまう。
そして、ますます仕事がはかどらなくなる。
だがこれは、自立ができていない証拠だ。
誰にでもできる条件反射的な反応しかしていないのだ。
考え方が環境に依存しており、自発的な行動がないのだ。
真に自立している人ならば、
一時的に感情に飲み込まれることがあったとしても、
もっとサバサバできるはずだ。
「これはしょうがないことなんだ」
「この人・この環境を、私は変えられない」
「変えられないことを考えてもしょうがない。」
「この思いにとらわれていると、余計に悪循環にはまる」
「だから、感情的になるな」
「目の前のことに集中しろ」
「明日をわずかでも良くすることと、
1年後に実を結ぶことに集中しろ」
苦しいときにこう考えられることこそ自立だと思うのだが、
僕には難しくてまだできておらず、
怒りとか、悲しみとか、焦りとか、無力感に、
まだ飲み込まれてしまう
日本人の8割ができていないことだとは思うが、
僕はできるようになりたい。