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One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

経済ってそういうことだったのか会議 (日経ビジネス人文庫)/佐藤 雅彦
¥630
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文庫版のほうです。


とある理由から、竹中氏に対しては非常に偏見をもっており、誤解を恐れずに言えば大きな悪意をもっていた。小泉構造改革路線の最先鋒であり、アメリカ型資本主義を日本に持ち込み、日本経済を破壊した戦犯のようだとすら思っていた。しかし、本書を読む限り、竹中氏は非常のバランスのとれた、昨今珍しい志をもった学者であることがわかった。(だがこれは政治家としての氏への評価につながるかというと、そうではないところが難しいところだ。)こうした一方的な思い込みによる食わず嫌いは大変よろしくない。むしろ、嫌いな人、悪意を持っている人、そういう人の本こそ優先して読むべきであろう。代表的な本を一冊二冊読めばだいたいその人がどういう思想の系譜か知れる。そういう意味でも、ひさびさに自らを省みるきっかけとなった一冊である。


本書はCMディレクターとして著名な(といっても、迂闊にもわたしは存じ上げなかったが)佐藤雅彦氏が、当時まだ閣僚でないころの竹中平蔵氏に問いかけ、竹中氏が佐藤氏の質問に答える対談形式で成り立っている。こうした「師弟問答形式」は初学者にとっては大変わかりやすい構成である。このことは、いわゆる「論語」などもこういう形式であることからも頷けよう。本書の見どころは、この流れにおける佐藤氏の「弟子」っぷりではないだろうか。おそらく狙ってやったものと思われるが、広告出身者はこれほどまでに伝えることに長けているのだろうかと、ある種の戦慄を禁じ得ない。一歩間違えれば、東大を出ておきながらなぜこんなことすら知らないのかと嘲笑してしまいそうな「素朴な疑問」を、佐藤氏は次々と竹中氏にぶつける。それに対する竹中氏のわかりやすく、本質的な回答・解説があってこそ初めて成立するやり取りではあるが、それ以上に佐藤氏の「情報の引き出し方」のほうに興味がそそられる。電通は嫌いだったが、もし電通マンの能力がみなこういうレベルだとするならば、やはり広告業界なかなかのものであると認めざるを得ない。



冒頭に述べた竹中氏の評価について、遠まわしに判断を留保させていただいた。なぜかというと、本書で語っている竹中氏の主張はおおむねすべて受け入れられるものなのだが、小泉内閣時代、経済担当相としての氏の仕事を思い返すに、どうもこの本で主張していたような志が感じられないからだ。端的に言って、この本での主張と、閣僚時代の仕事が完全に矛盾しているように思える。定量的な評価はたいへん難しいが、感覚だけでいわせてもらえば、彼は学者としては非常に優秀であったが、政治家としてはその稀有な能力を発揮することができず、そのため中途半端な政策により改革が改悪になってしまったのではないだろうか。そんな気がするが、もちろんこれは気がするだけでなんら裏付けのないわたしの思い込みである。それにしても、毀誉褒貶のはげしい方である。きっと、大変だろうなぁ・・・。

あまり気乗りはしないが、「予想通り」だったので、コメントせざるを得ない。何がというと、今週のヤンマガ「痛車でいこう!!」で、ランチア ストラトス 夕呼先生エディションが出ていた件である。


先週、悪い予感が・・・ と書いたが、あまりにも予定調和な展開にあらためてヤンマガの懐の深さ(?)に感慨しきりである。読者層が読めない・・・。



「夕呼先生はゲーム『マブラヴ』に登場する物理教師で

 劇中ではストラトスが愛車なんですよー」



素晴らしい発言をする自称「痛車評論家」w


そもそも私がランチアというクルマメーカをはじめて知ったのは、「逮捕しちゃうぞ」OVA の第2巻で、中嶋君と雨の首都高バトルをしたデルタが初であった。それ以来というもの、私の中ではランチアはラリーカーというより、オタクが好きなクルマという印象が強い。たしか攻殻機動隊でバトーさんが乗っていたのもストラトスではなかったか?


個人的には非常にこういうクルマにしてみたいが、逆に、自分の家族がこんなクルマに乗って帰省したりする風景を想像するといたたまれなくなる。やはり、家族にとってはこういう趣味を持つ家族は十字架であろう。世のオタクたちも、勢いだけでやってしまうことのないよう、慎重に考えられたい。

女皇の帝国 内親王那子様の聖戦 [ワニノベルス] (ワニノベルス)/吉田 親司
¥940
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ああ・・・買ってしまった。

ニコニコ動画で「ひれ伏せ平民どもっ! 」の市場に出ていたもの。ネタのつもりで1巻を買ってみた。(現時点で3巻まで続編が出ている)


これはいわゆる「架空戦記」もので、実際の名前をバンバン使い、実際にあった史実なども便利に使いつつ、話の展開そのものは割と自由に変更するというもの。誰がどう見てもこれは「秋篠宮眞子様」がモデルで、舞台は1941年当時の日本なのだが、いまのわが国では「これはフィクションです」で済んでしまうから、言論の自由を改めて感じた一冊であった。


アマゾンでは割と好意的な評価がされているようだが、私としては、こうした「キワモノ」に対する免疫がないうえ、歴史は好きだが戦史オタクが苦手なので正直、まあこんなものか、という程度の感想をもった。ただ、著者の戦艦や各種航空機に対する造詣の深さや、ライトノベルでありながらあからさまな萌えを追求しない姿勢は、あるいは評価されていいかもしれない。全体的な印象は、奇しくも先日紹介した「マブラヴ」のそれと似ているとでも言おうか。内親王那子様は、ちょうどマブラヴの冥夜に、侍従頭の東雲薫子はさしずめ月詠に相当するだろう。(もしかしたら本作がマブラヴの設定をパクったか、あるいは姫+侍従というのは定式化したギミックなのか) ただ、残念ながらシナリオの書き込み、人物の描写、演出のどれをとってもラノベの域を出なかった。そういう意味では「マブラヴ」のほうがレベル高いかもしれない。


と、酷評したようだが、ライトノベルだと割り切れば読めなくもない。日本史とか世界史とか、ナショナリズムとか右翼とか考え出すとこうした本は拒絶反応を示してしまうが、架空の話(ちゃんと著者もフィクションと断っている)と考えればある種のシミュレーションノベルとしても楽しめるだろう。ただ、その代りと言ってはなんだが、至るところに出てくる安易なナショナリズム、ヒロイズム、ヒューマニズムは蛇足だったかもしれない。これがなければもう少し素直に評価できたのではなかろうか。人物描写に深みが足りないからよけいに白々しさが強調されてしまう。ここは素直に次作に期待したいところだ。ということで、さっそく明日買ってこようw

書評ブログなので、なるべく書評にしようと思っているのだが、書きためているやつがなかなかきれいにまとまらない。時間がないのと、最近サボっていたのとで、文章がうまくつながらなくなっているのだ。書きたいことに対して言葉が十分に思いつかない。文章を書くというのは、本当に、スポーツと一緒で、毎日トレーニングしないと鈍ってしまうものだという思いを新たにした限りです。



さて、毎度しょうもない前置きはこれくらいにして、今回は「マブラヴ」である。なぜ、また今になってコレなのか。賢明なる諸兄はこれがいわゆる「エロゲー」だということを知っておられよう。本作は日本のエロゲ界のエポックである「君が望む永遠」を生んだ伝説的エロゲメーカ「アージュ」の生んだ一連の大作シリーズ物である。


これが、なんと今週のヤンマガの「痛車でいこう!!」で、ランボルギーニ ガヤルドの痛車ネタで取り上げられていたのだ。ヤンマガって、いったいどういう読者層を想定しているのだろう・・・ボンネットの冥夜が、なんだか超恥ずかしい。


ちなみにマブラヴとは・・・Wikipediaにもまとめられている が記事が長すぎて読む気がしない。まあ簡単に言うと、学園王道ラブという触れ込みで当初発売したが、実は、それは「EXTRA」版であり、本編は「UNLIMITED」版ということで結構グロいSF的なものになってしまい、さらに続編「ALTERNATIVE」版で真相が語られる的な展開でと、まあそういうゲームであった。エロゲなのにやたらと壮大なシナリオが功を奏したのか、全年齢版ものちに発表されていたはずである。「オルタネイティブ」など、ウィルスの名前にも冠されるほど であり、ネット界では忘れられない存在であろう。


思い返すに、このゲームも発売日がどんどん遅れ、満を持してオルタネイティブの発表となった頃には、もうすでにゲームをやる時間がなくなってしまい、結局やらなくなってしまったというパターンであった。いまとなっては、その膨大な量のシナリオがあると聞いただけで具合が悪くなってしまうほどである。おそらく二度とプレイできないであろう。だが、正直、非常に懐かしい。



ところで、次週の「痛車でいこう!!」は、ランチア ストラトスだそうで・・・これも悪い予感が。というのも、同じ「マブラヴ」において、香月先生が乗っていた車がストラトスだから、である。

バイオハザード5
¥6,300
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買わないつもりだったのが、友人から「プレステ3ごと買ったよ」といわれ、調子に乗ってプレステ3ごと買ってしまった。Wiiなども、結局「BIOHAZARD UMBRELLA CHRONICLES」の専用機になってしまっている。どうもカプコンに貢献しすぎているなぁ・・・と思いつつ、とりあえず1周しました。


感想は・・・「いまいち」


なんといってもグラフィックは天下のカプコンだから、それはもうきれい。(といっても、GAME CUBE版の「4」も相当奇麗だったと思うが) プレステとしてはかなりのレベルだろう。だが、それまでだ。正直言って、前作に比べて真新しさが感じられない。シナリオも期待外れ。せっかく、「DEGENERATION」でトライセルの素晴らしい伏線を張ったのだから、きれいに回収してほしかった。頼むよウェスカー!


とはいえ、まあ大作には違いないし、ここで商業的にこけちゃうと次が出なくなる恐れがあるので、できるだけ多くの方に定価で買っていただきたい。ゲーム自体はちゃんと作ってあるので、ちゃんと遊べる。そのへんは心配する必要はないだろう。個人的には、「METAL GEAR」シリーズより遊びやすいと思う。ということで、ぜひ。

徹底抗戦/堀江貴文



¥1,000

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小沢代表がものすごいタイミングで検察に睨まれて、「不公正な権力行使だ」とやっている。件の堀江氏もブログで指摘しており、拙ブログ「それでもボクはやってない
」でもちょっとだけ取り上げたことがあるが、日本の検察というのは非常に強大な権限を持っており、はっきりいって、その辺にいる人ならいつでもどこでも、やろうと思った時に起訴して有罪にすることができる。じゃあなぜ、そのへんにいる有象無象を陥れないのかというと、決して不可能だからではなく、単に検察が暇ではないからにすぎない。もしかして、世の中の不正行為=法に抵触する行為をすべて立件することができたとすれば、立ち小便をしたひとも、信号無視したひとも、ちょっとスピードを出し過ぎてしまったひとも、皆一様に起訴し有罪にすることができる。




もちろん検察は社会正義を実現するためにその強大な権力を付与されているわけであり、かつまた長い歴史の上に成り立っている仕組みであるから、それなりの存在意義と合目的性はあるだろう。だが、何事も行き過ぎはよくない。本人が気付かなくても、カウンターのない権力構造は必ず方向を誤るからだ。これは、ひとがひとである以上仕方のないことであり(というより、検察も人の子であることの何よりの証拠である)、だからこそ、構造的にせめぎあう存在をつくり、互いに監視する仕掛けを設けておく必要があるのだ。これは人類の知恵に類する発想である。







さて、いつものように前置きはこれで終わりにして、本題に入る。本書は元・ライブドア社長の堀江貴文氏が、これまでのライブドア事件を総ざらいして書いた回顧録である。事件からすでに相当な時間が経ってから書かれたものであるが、堀江氏自身、思うところがあったのか、かなり落ち着いた記述となっている。




こうした回顧録は、まあ主観というのが入るものだから、われわれ傍観者からすれば、色々な立場の方の話を見てみないことには主張の真贋は判断できない・・・としておくべきで、当然、たとえば宮内氏の著書なども読んだ上で、かつ当時の検察の捜査内容とうをきちんと把握した上で・・・とやるのが本来のやり方なのだが、何としても今日中に記事をアップしたいので、この辺を全部すっとばす暴挙をお許し願いたい。




要するに何が言いたいかというと、印象批評で恐縮だが、彼は真実を語っているのではないかということである。




もともとわたしは堀江氏には同情的な意見を持っており、たぶんこの人は自分が優秀すぎるがゆえに、周囲の人間に配慮ができないひとなのだろうという感想を持っていた。また、生まれがそれほど裕福でないために、金の魔力にあらがうことのできなかったひとなのではないかとも思っていた。まあ著書を読む限りでは後者の分析は間違っていたわけだが、前者の「優秀すぎて周りに配慮できない」という点はあっていたと思う。逮捕抑留によってずいぶんとこのあたりが「修正」されており、なんだか一般の社会人として成立してしまっていて、このあたり、いち傍観者としては非常に残念である。こういうひとには、周囲の雑音をものともせず、孤高の存在を貫いてほしかった。外野の勝手な意見である。




初めて堀江氏をメディアでみたのは、確か2003年だったと思う。当時オン・ザ・エッヂの社長ということで、「若手企業家」のはしりとして紹介されていたのを雑誌で見たときだった。たいへん横柄なひとだなというのが第一印象で、「ぼくは技術力では限界が見えているので、これからは技術の目利きに力を注いでいきたい」という趣旨の発言をしていたことを強烈に覚えている。当時まだ30そこそこだったはずのかれは自信に充ち溢れていたし、今よりももっと周囲を軽んじていた。著書でも「露悪趣味がある」と自身で語っているように、どうもわざと批判されるように仕向けているようにも思える。生き方の下手くそな人なんだなあと感じた次第である。本書もその例にもれず、いろんな意味で非常に「露悪」的な本であった。森永卓郎氏などに目をつけられたらそれこそ、またぞろ批判・非難の嵐であろう。まあ、それでいいのかもしれない。




どうもとりとめがなくなってしまうが、今後の氏の活躍を期待したい。本書はページ数も少なく、その気になれば1時間立ち読みすれば読了してしまいそうな分量ではあるが、皆、けちなことを言わず購入して、ホリエモンの懐を温めてみてはいかがだろうか。仮に最高裁で一審判決が覆されるようなことがあれば、もしかしたらまた元気とふてぶてしさを取り戻すかもしれない。そのときに、金がないホリエモンなど見たくないではないか。




関係ないが、「オン・ザ・エッヂ」で検索したら、昔の「彼女」が出てきて、笑った。結構かわいらしいひとですね。(頑固そうですが)




オン・ザ・エッヂを創業した彼女が歩いてきた道


http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0412/17/news019.html

楽園の眠り (徳間文庫)/馳 星周
¥840
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主題とまったく関係ないが、ホリエモンこと堀江氏のブログは非常に示唆に富んでおり、一見の価値ありであろう。もちろん異見を唱えたいエントリもたくさんあるが、内容はおおむね真摯に書かれており、逮捕されてからこっち、氏の見識は年齢相応の落ち着き(というより、一般の人に対する配慮?)がみられるようになった。


常々思っていたが、ふだんから他人と意見が違う状態に置かれていたり、意見の異なるひととの議論に慣れていないと、安易な二元論に陥ってしまい、せっかくの気付きや提言も見逃してしまう。学校の先生などが往々にして浮世離れしてしまうのはこのあたりに理由があるのではないか。わが身を振り返ってみても、高校や大学のころは大変に視野が狭く、それこそ「2.26事件」の青年将校のように純粋まっすぐであった。思い当たる節のある方は、ぜひ意識的に「反論者の意見に耳を傾ける」努力をしてみてはいかがだろうか。




さて本作は馳星周の作品である。もともと小説はあまり好んで読まないのだが、京極夏彦と馳星周だけはなぜか気になってときどき手に取ってしまう。馳といえば、「不夜城」で一世を風靡し、日本の小説に「ノワール=暗黒小説」というジャンルを持ち込んだパイオニアで、わたしもずいぶんと読んだ。とくに「不夜城」の最終部「長恨歌」は出色の出来で、読み終わった後は、正直、震えた。人間の根源的な悪意と哀しみを描かせたら馳の右に出るものはない。しかし、売れっ子作家に共通する隘路に馳も陥ってしまったのか、似たような作品がつづくため、正直食傷気味であったのも事実だ。ネタばれを恐れずにいえば、「同性愛」「セックス」「主人公が死ぬ」的なパターンである。「マンゴー・レイン」「漂流街」「虚の王」「雪月夜」「ダーク・ムーン」・・・等々。しかし、まあ、結局のところわたしはこのパターンが好きなのだ。


しかし、本作はこれまでの馳作品とは一線を画す、なんとも物悲しい小説であった。扱う題材はなんと「幼児虐待」。しかも登場人物に悪人がいない。人死にもほとんどない。主人公すらも救いがなく、感情移入できない傾向にある馳作品の中にあって異色の出来といっていいのではないか。終盤の展開も、なんだか筆になめらかさが足りず、なんとなく序盤の伏線を無理やり回収したかのような出来で、勝手な想像を言えば馳自身書いていて恥ずかしくなったのではないか? とすら思えるほどであった。うまく表現できないが、多作の作家にありがちなあまり練りこまれていない脚本とでも言おうか。東野圭吾などはあまりに多産であるためこうしたある種の「手抜き」がまま見られるのだが、馳はその真逆の作風であったはずだ。そういう意味でも、かなり意外な展開であった。


作家はデビュー作を超えるために作品を作るといわれるが、さもありなんという感じだ。とりあえず、馳作品は「不夜城三部作」から入られることをお勧めしたい。「長恨歌」の劉健一がカッコよすぎる・・・


不夜城 (角川文庫)/馳 星周
¥700
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鎮魂歌(レクイエム)―不夜城〈2〉 (角川文庫)/馳 星周
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長恨歌 不夜城完結編 (角川文庫)/馳 星周
¥780
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人を責めない生き方―他者も自分も許せる人は、やっぱり強い! (KAWADE夢新書)/内海 実
¥756
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なんでこんな本を買ってしまったんだろうか、と思わなくもない一冊。


団塊世代を代表するような「骨の髄まで」サラリーマンをやってきた著者が、人にやさしく、じぶんにもやさしい生き方を説く「ビジネス書」である。


内容はまあある意味で勉強にはなる。しかし、端々に見える表現方法や、たとえ話がいかにも「団塊」であり、曲がりなりにもまだ20代のわたしなどからすれば、なんだか古い演芸を見ているような滑稽さを感じた。仕事に打ち込み、だれもが向上心を持ち、その背景には成長し続ける経済が前提となっている・・・というのは穿ちすぎな見方だろうか。価値観が多様化し、必ずしも平均的な生活を求めることが幸せとは限らないこの世の中において、著者の説くような生き方の「前提条件」に、果たしてどれほどの普遍性があるのか。正直疑問である。


とはいえ、内容はなかなか良いので、買ってそれほど損はなかった。とくに、自分は周囲の人間よりも優れている、と錯覚を起こしている人は、いちど自らを省みる意味でも、読んで見られるとよいだろう。「周りがアホばっかりで・・・」「こんなの考えても意味がない」と思っている人こそ読まれるべきかもしれない。

小田原ドラゴンという漫画家がいる。

「ゆる系」とでも言えばいいのか。いわゆる極端にデフォルメをきかせた絵柄(ぶっちゃけるとヘタな絵)で末端のひとびとの生態をリアルに描くのだ。下層のひとを描かせたら相当な手腕だ。その彼が、今週のヤングマガジンでまたしても声優ネタをやらかしている。


これは突っ込まざるを得ない。


「堀江由衣 水樹奈々 田村ゆかりの

 パワーバランスの乱れを

 正常に戻すことにより

 世界を滅亡から救ったのだ」


とのたまう「声優ファンの人」。


”声優雑誌は高価なため

 声優ファンは主に

 「声優グランプリ」派と

 「声優アニメディア」派に分かれるが

 たまに2冊とも買う剛の者もいる”


なぜこんな情報に詳しいんだ小田原ドラゴン。


極めつけは最後の

「広橋涼ちゃんの

 30を越えてもいまだ衰えぬ

 プリン乳の

 タユンタユン感に


 世界経済が驚いての

 ことと思います!」


と断言する田村(という登場人物)。


小田原ドラゴン・・・恐るべし・・・。

「史記」を著した司馬遷によれば、官僚制の弊害に対するカウンターとしては宦官が有効であるという。そもそも宦官という政治システムが根付かなかった日本においては選択肢としては取りえないだろう。まあこれは冗談だとしても、官僚制というのは構造的に腐敗してしまうシステムであるため、その時代時代で官僚制に対するカウンターというのは欠かせない。官僚制というシステムがよくできた行政機能であるからこそ、定期的に、かつ構造的に「天敵」をつくりだす必要があるのだ。本来は政治家の役割だが、今は不幸にしてそうしたヒーローが現れていない。


楽天、国を相手に訴訟辞さず

日経ビジネスオンラインの記事である。会員にならないと全文を読むことができない(雑誌にも全文があるのでそっちを読むことも可能)ので、簡単に要約すると、大衆薬のネット通販を改正薬事法によって2009年9月より禁止しようという厚生労働省の動きに対し、楽天の三木谷社長が訴訟も辞さない覚悟で反対を表明しているという。


三木谷氏は「何で規制をしたがるのか。結局ね、どうだ、俺たちが決めているんだという権力欲ですよ。天下り自体はいいと思うよ。でも、そのルートを使って、ロビイングはないよ。官僚や元官僚は、自分たちを何様だと思っているんだ」などと述べ、天下りによる業界の露骨な利益誘導に対して相対的に力の弱いネット業界が規制によって不利益を被っていることに憤慨し、みずから中心となって新たな業界経済団体を作ろうとしているらしい。


対する日本薬剤師会の石井甲一専務理事は「患者の体質や状況など相談に乗って薬を薦めなければ、副作用が起きて危険だ。そもそも、医薬品の販売は、対面販売が原則だった」として、あくまでこれは、消費者のために行っている正当な判断であるという姿勢を崩さない。


関連して、金融庁も「商品代引きサービスの規制」を推進しており、この動きに対してヤマト運輸の木川眞社長も怒りをあらわにしているとのこと。要するに官僚制(+天下り)による露骨な利益誘導に対して「なんとかしろ」「やりすぎだろう」という記事である。


これを読んで、ふと、ホリエモンこと、堀江貴文氏のブログにも次のようなエントリがあったことを思い出した。


厚労省、大衆薬のネット通販規制の方針

こちらはアメーバブログなのでオリジナル記事を参照してほしいが、堀江氏も同様の問題提起を行っており、ネット業界のロビー活動の欠如を指摘している。


新旧(?)のネット風雲児がともにネット業界の政治力のなさを認識している、というのが興味深かったので、取り上げてみた。わたしのように、社会の末端に属するものとしては、せいぜい官僚の横暴に嘆息する程度のことしかできないが、こうした力のある「成り上がり」たちは、やり方やタイミングによってはエスタブリッシュメントに対してそれなりの攻撃力を持つだろう。


一方で天下りをした元官僚らや、露骨な利益誘導を行おうとする現役の官僚らは、いったい何を思い、何のために既得権益を振りかざすのだろうか。歴史が好きな私としては、こうしたエスタブリッシュメントたちの醜い姿が、有史以来、連綿と続いていることを知っている。組織に埋没した彼らがもはや一個の個体として思考能力を失っていることもわかる。(おそらく、さまざまなことを考慮した結果、本当に規制するほうが正しい、あるいは妥当だと信じているのだろう。)だから、別に怒りを覚えたりしないし、人間なんてそんなものだろうと思う。私も似たようなものだから人のことは言えない。たとえば私が官僚だとして、いまの仕組み(天下りやOBによる利益誘導)などの動きに対して反対意見など言えるだろうか。言えるわけがない。言えるようならはなから官僚になどならない。ましてや官僚制の腐敗は構造的なもので、個別に批判してもどうにもならない。きっと、規制を推し進めようとする官僚も、ひとたび野に下って1年もすれば、厚労省の方針のいびつさに気づくに違いない。組織の論理というのは、そういうものだと思う。


確かに官僚の横暴は腹立たしい。しかし批判だけしていてもどうにもなるまい。本当に変えていくには、戦略が必要だ。だがすべての人間がそういう行動をとれるわけではない。だからと言って、安易なニヒリズムに陥るのは愚策であろう。言い捨てても、評論だけしてもどうにもならぬ。また官僚批判に終始してもつまらない。「では、自分ならどうするか?」という視点こそがここで求められるべきであり、議論を重ねた末、よりよいシステムを作り上げていこうとする姿勢ではないだろうか。かくいう私も、それほど良い案があるわけではないが、こうして文章を書く以上は、そのうち建設的な提言をする準備をしていくつもりである。