「史記」を著した司馬遷によれば、官僚制の弊害に対するカウンターとしては宦官が有効であるという。そもそも宦官という政治システムが根付かなかった日本においては選択肢としては取りえないだろう。まあこれは冗談だとしても、官僚制というのは構造的に腐敗してしまうシステムであるため、その時代時代で官僚制に対するカウンターというのは欠かせない。官僚制というシステムがよくできた行政機能であるからこそ、定期的に、かつ構造的に「天敵」をつくりだす必要があるのだ。本来は政治家の役割だが、今は不幸にしてそうしたヒーローが現れていない。
日経ビジネスオンラインの記事である。会員にならないと全文を読むことができない(雑誌にも全文があるのでそっちを読むことも可能)ので、簡単に要約すると、大衆薬のネット通販を改正薬事法によって2009年9月より禁止しようという厚生労働省の動きに対し、楽天の三木谷社長が訴訟も辞さない覚悟で反対を表明しているという。
三木谷氏は「何で規制をしたがるのか。結局ね、どうだ、俺たちが決めているんだという権力欲ですよ。天下り自体はいいと思うよ。でも、そのルートを使って、ロビイングはないよ。官僚や元官僚は、自分たちを何様だと思っているんだ」などと述べ、天下りによる業界の露骨な利益誘導に対して相対的に力の弱いネット業界が規制によって不利益を被っていることに憤慨し、みずから中心となって新たな業界経済団体を作ろうとしているらしい。
対する日本薬剤師会の石井甲一専務理事は「患者の体質や状況など相談に乗って薬を薦めなければ、副作用が起きて危険だ。そもそも、医薬品の販売は、対面販売が原則だった」として、あくまでこれは、消費者のために行っている正当な判断であるという姿勢を崩さない。
関連して、金融庁も「商品代引きサービスの規制」を推進しており、この動きに対してヤマト運輸の木川眞社長も怒りをあらわにしているとのこと。要するに官僚制(+天下り)による露骨な利益誘導に対して「なんとかしろ」「やりすぎだろう」という記事である。
これを読んで、ふと、ホリエモンこと、堀江貴文氏のブログにも次のようなエントリがあったことを思い出した。
こちらはアメーバブログなのでオリジナル記事を参照してほしいが、堀江氏も同様の問題提起を行っており、ネット業界のロビー活動の欠如を指摘している。
新旧(?)のネット風雲児がともにネット業界の政治力のなさを認識している、というのが興味深かったので、取り上げてみた。わたしのように、社会の末端に属するものとしては、せいぜい官僚の横暴に嘆息する程度のことしかできないが、こうした力のある「成り上がり」たちは、やり方やタイミングによってはエスタブリッシュメントに対してそれなりの攻撃力を持つだろう。
一方で天下りをした元官僚らや、露骨な利益誘導を行おうとする現役の官僚らは、いったい何を思い、何のために既得権益を振りかざすのだろうか。歴史が好きな私としては、こうしたエスタブリッシュメントたちの醜い姿が、有史以来、連綿と続いていることを知っている。組織に埋没した彼らがもはや一個の個体として思考能力を失っていることもわかる。(おそらく、さまざまなことを考慮した結果、本当に規制するほうが正しい、あるいは妥当だと信じているのだろう。)だから、別に怒りを覚えたりしないし、人間なんてそんなものだろうと思う。私も似たようなものだから人のことは言えない。たとえば私が官僚だとして、いまの仕組み(天下りやOBによる利益誘導)などの動きに対して反対意見など言えるだろうか。言えるわけがない。言えるようならはなから官僚になどならない。ましてや官僚制の腐敗は構造的なもので、個別に批判してもどうにもならない。きっと、規制を推し進めようとする官僚も、ひとたび野に下って1年もすれば、厚労省の方針のいびつさに気づくに違いない。組織の論理というのは、そういうものだと思う。
確かに官僚の横暴は腹立たしい。しかし批判だけしていてもどうにもなるまい。本当に変えていくには、戦略が必要だ。だがすべての人間がそういう行動をとれるわけではない。だからと言って、安易なニヒリズムに陥るのは愚策であろう。言い捨てても、評論だけしてもどうにもならぬ。また官僚批判に終始してもつまらない。「では、自分ならどうするか?」という視点こそがここで求められるべきであり、議論を重ねた末、よりよいシステムを作り上げていこうとする姿勢ではないだろうか。かくいう私も、それほど良い案があるわけではないが、こうして文章を書く以上は、そのうち建設的な提言をする準備をしていくつもりである。