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One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

投票に行こう。


若い人ほど投票に行くべきです。もし、なんらかのきかっけで、このエントリを見られた30代以下の若い世代は、ぜひとも投票に行ってください。お願いします。


その理由は以下の通りです。



・政治は投票率が高い世代の意見を反映します。「行っても意味がない」というのは既得権を持つ人たちがよく言ううそです。若い人が気づいて投票に行かせないようにしているだけです。


・無党派層(あなたです)が投票すると既存の政党は困ります。なぜなら自民党も民主党も、バックに強力な利益誘導団体がいて組織票を持っているからです。投票率が下がると組織票の力は増えます。無党派層が投票を始めるとかれらの集票システムは相対的に通用しなくなります。


・現在は老人世代の意見がより色濃く反映されています。自民党も民主党も、若い世代から金を吸い上げ、あるいは将来から金を借りて自分たちが勝ち逃げできるシステムを作ろうとしています。もちろん、これらの借金はこれから、今若いが30年後には老人になる30歳以下の人たちがこれから返していくことになります。



まあ相当単純化していますが要するにこういうことです。インターネット投票がなぜ実現しないのか、自民党と民主党の違いがわからないのはなぜか、どこに入れても社会が変わらないような気がするのはなぜか。それは、要するに既得権益を持っている層は、本当は無党派層(あなたです)が選挙に来てほしくないと思っているわけです。変わらないと本質的には意味がないということと、こうした枠組みを変えるためには、直接的には選挙しかないないということです。


あなたがもし、「選挙なんか行ってもどうせ何も変わらない」と思っているなら、今日から変わりましょう。選挙は行っても変わらないかもしれませんが、これ以外に社会の仕組みを変える方法はありません。行かなければ、現状を容認したとみなされます。あとで文句を言っても駄目です。


しかし、「選挙ってなんだか難しそう」と思った人もいるでしょう。ご心配なく。自民・民主両党の政策の違いがわからないという人も心配する必要はありません。わかったふりをしてわからない人も心配ご無用です。目的は投票率を上げることです。今回の選挙はどのみちどっちに入れても変わりませんので、新聞やテレビで議論しているような政策を評価する必要はありません。(もちろん興味があるなら積極的にするべきですが、やればやるほどどうにもならないことに気付くと思います)



ということで以下の通り、投票に行きましょう。



目的:投票率を上げること


どこに投票するか:

・自民党の政策がよいと思った人

 ・・・自民党に入れましょう


・民主党の政策がよいと思った人

 ・・・民主党に入れましょう


・その他の政党の政策がよいと思った人

 ・・・その他の政党の方に投票しましょう


・どこにも賛成できないと思った人

 ・・・白票を投じましょう


・忙しくて当日は投票に行けないと思った人

 ・・・不在者投票を利用しましょう


・どこの政策がいいかわからないという人

 ・・・白票を投じましょう


・自民党のあの人の人柄が良さそうだと思った人

 ・・・白票を投じましょう


・民主党のあの人がいい人だと親が言っていた人

 ・・・白票を投じましょう


・どうせ選挙なんて行ったって無駄だよと思った人

 ・・・次のリンクを読んでみましょう。それでも無駄だと思う場合は白票を投じましょう

   なぜ若者は選挙に行かないのか

   選挙の投票率を100%にする簡単な方法

   日本の財政は世界最大のネズミ講

   4000万円も損している日本の若者たち


・こんな国はもう、滅ぼすしかない! 今はもうスクラップ&スクラップ! と思った人

 ・・・世代間の格差解消を第一の政策として、立候補してみませんか? タイミングさえ合えば、十分当選すると思います。



選挙や政策に興味を持てるようになったら、アゴラポリシーウォッチ で政策の勉強をすればいいと思います。まずは投票して、それから勉強しましょう。それからでも遅くないと思います。

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)/山森亮
¥882
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ホリエモンのブログで知った「ベーシックインカム(BI)」。さいきんのブログでまた紹介され、いろいろと物議をかもしている。わたしも遅ればせながら手軽な入門書ということで本書を求め、斜め読みしてみた。目からうろことはこのことだ。この考え方自体が意外に古い歴史を持っていることにも驚かされる。こういうのを見ると、「定額給付金」というのが意外に優れた手段だったのではないかとすら思えてくる。一方で、民主党の最低賃金設定はいまいちということがわかる。


もちろん全面的に賛成しているわけではない(それ以前に理解できていない)が、試みとしては非常におもしろいと思う。反射的に発言していいなら大賛成だ。ぜひやってほしい。それほど、この仕組みは資本主義の弱点を補う手法として優れていると、脊髄反射的に思う。


ネットで手軽に検索すると、ファイナンシャルリテラシーが高く、自立心が高い層は軒並み賛意を表しているようだ。


ベーシックインカムの話(ホリエモン)

「ベーシックインカム」を支持します。(山崎元)

ベーシック・インカムに賛成するのに十分なたった一つの理由(小飼弾)


一方で、もちろん慎重な意見もある。


ベーシックインカムの世界(Chikirin)


最初に手放しで賛意を表しておきながら恐縮だが、わたし自身もこういう懸念を持っている。というより、ベーシックインカムによる社会への影響の大きさが予想できないので、本当にこれでいいのかどうかと聞かれると正直不安がある。あくまでも机上のシステムとしては非常に優れていると思うが、現実に適用するとどうなるかは今のところわからない。ただ、Chikirin氏の言うようなマイナス面よりは、山崎氏の言うようなプラス面のほうが大きいのではないかという予感はしている。



ところで、まずベーシックインカムというのを簡単にまとめてみよう。この仕組みは「最低所得保障」ということで、人間が生きるのに最低限必要なお金を渡そうという発想だ。わたし自身、理解が不十分なために「?」なところが多いが、あえてわたしの理解で箇条書きにすると以下の通りだ。


1.無条件であること (もちろん、国籍や年齢などはあるかもしれないが、基本的には条件なし、誰でも)

2.最低所得を受け取ることは、社会保障ではなく、権利である


以上、発想としては非常にシンプルであると思う。「これってセーフティネットのことでしょ? 生活保護なんじゃないの?」 と思う向きもあるかもしれないが、生活保護を含む広い意味での社会保障と異なる点は、山崎氏も言っているように受給資格を問われない(条件がない)ところだ。さらに申請主義、すなわち自らが「書類上、貧しいこと」を証明しなければならない生活保護に比べ、権利として受け取る点がすぐれている。すくなくとも人間がより尊厳を得ながら社会参加できるといえる。無条件にばらまくことで行政の事務処理は限りなくゼロに近くなるだろうから、困るのは役人だけで、現在、生活保護を受けている人にとってはより自由な選択と言えるのではないだろうか。



つらつら思うに、これは賛成か反対かで分かれる一番のポイントは、人間というものをどうとらえているか、人生というのをどう考えているか、にあるような気がする。


自立心が強く、日常生活においても常に自己のリスクとリターンを自覚しているような人はこれに賛成するだろう。最低限の保証さえ担保されていれば、人間はすくなくとも飢餓の恐怖からは自由になり、より前向きに発想をすることができ、クリエイティビティを発揮しやすくなり、社会全体のパフォーマンス(経済成長)は上昇するという考えではないだろうか。「働かなくなる」なんて夢にも思わない。無駄なプロセスが排除され、今よりもっと生き生きと働くことができると、夢いっぱいだ。これは要するに、会社においてミスマッチな人を速やかに退場させることがやりやすくなるということでもあるのだが、そもそもミスマッチ自体を不当に我慢しているよりは、労使双方にとってもそのほうがよいという発想なのだろう。


また、無用なプライバシーを侵害されることもなく、何より仕組みとして非常にシンプルで、行政のスリム化が絶対に可能である点も見逃せない。これに合わせて、もし財源の確保も合わせてシンプル(たとえば、消費税への一本化)にできれば、これほどわかりやすいシステムはないだろう。



一方で、「負け組」とか「勝ち組」とかが気になる嫉妬深い人たちにとっては、大いにネガティブなシステムになるだろう。月々与えられる(ベーシックインカムの考えでは、そもそも「最低所得は人間の当然の権利」なのだが、やはり「お上にもらう」という感覚はぬぐいきれないと想像する)わずかな「施し」に、より一層のみじめさを感じ、働かなくてよいということが、「おまえは働く価値もない」と言われているような気がしてしまうだろう。周りでなぜか生き生きと働く人たちにも引け目を感じたりするかもしれない。


また働かなくてもいいのだが、仮に働いたとしても、企業から解雇されやすくなる可能性が高くなるわけだ。そこで万が一解雇された場合に、「合わない仕事を長く続けなくても大丈夫でよかった」ではなく、「自分はいらないのか・・・」という受け止め方をしてしまったりはしないだろうか。実際、能力に応じて資源が適正に配分されるというマクロの見方は、ミクロに見れば生活レベルで人の流動化が促進されるということだから、あらゆる意味で相対的に「弱者」になっている人は、Chikirin氏の予想するように「不幸な」生き方が待っているかもしれない。いまは会社の例を挙げたが、恋愛然り、結婚然りだ。このあたりは「中年童貞」の愛読者であるわたしなどにはよくわかる。だがこれは、山崎氏が言っているようにベーシックインカムの欠陥ではなく、もう少し別の、たとえば人間の認知の問題のような気がする。



わたしはどこにでもいるサラリーマンであり、人並みに家族もいるが、世捨て人の庵 にシンパシーを感じるような社会的にはアウトサイダーであるから、ベーシックインカムに魅かれるのだろうと、自己分析している。きっと世捨て人氏もベーシックインカムには大賛成だろう。行政からの不当なプライバシーへの介入がなくなり、自立的に生きている限り、絶対に餓死しないシステム。非常に人間にやさしく、自由を尊重する仕組みだと思わずにはいられない。もちろん、これはつまり、餓死するのは身の丈を越えた生き方(たとえば博打ですった、所得に見合わない生活を続けた)をしたということで、今以上に顧みられなくなるだろうから、究極の自己責任社会ともいえる。



ところで、このシステムのメリット・デメリットはまだまだ議論の余地があるとして、「絶対に実現しない」と考えられる点がいくつかある。思い付きだが以下に箇条書きにしてみた。



・「生活を保護してもらう」から、「ベーシックインカムは当然の権利」という意識の変革、すなわちエトスの変化が必要だが、おそらく「お上から施しをもらう意識」からは抜け出せないと思う。


・日本は「働かざる者食うべからず」の思想が根強く、多くの人たちは、生理的、感情的、反射的に拒否反応を示すと考えられる。そもそも議論にならない。


・実現すると、明らかに役人の仕事が減る。というか、減らさないと実現できない。行政サイドで絶対に封殺されるはず。



ということで、わたしが現役で働く間にはとても議論もされないであろうと思う。ホリエモンのブログでのコメントには的外れな意見、反射的な拒否反応としか言えないものが散見されるが、これがおそらくこの国の世論なのではないだろうか。

構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌/竹中 平蔵
¥1,890
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ようやく紹介できました。

竹中平蔵氏の大臣日誌。


竹中氏は小泉内閣において中心的なはたらきをした人で、小泉元首相とのタッグは超強力だったため、奇跡的ともいうべき成果を上げた。既得権益層は大ダメージをくらい、そのためかれらから想像を絶するバッシングを受け、大マスコミを中心とするネガティブキャンペーンが継続的に張られることとなった。昨今の金融危機に便乗し、経済音痴の識者も一緒になって市場原理が悪い、そもそものきっかけを作ったのは小泉と竹中だ、とバッシングするもんだから、多くの人は氏を「アメリカ式自由主義市場経済を日本に持ち込み秩序を破壊した悪人」だと思っているであろう。恥ずかしながら私もその一人だった。ごめんなさい竹中先生。


本書はそんな氏のもっとも忙しく大変だったであろう大臣時代の回顧録(?)である。政策遂行のダイナミズムがよくわかる非常に興味深い本だ。こういうのが本物のポリティクスというのだろう。恥ずかしながら、政治家になりたいと少し思ってしまった。街頭演説で自分の名前を連呼する人たちも少しは見習ったらどうだろう。とはいえ、かれらもまずは目先の票が大切なのだから致し方ないが。。。


(ちなみになぜ街頭演説のかれらが自分の名前を連呼するだけで政策論を語らないのか? こういうことも冷静に疑問に思ってたりしてるとネットに答えが書いてある 。候補者を批判する人はまず、どうしてかれらが政策論争を仕掛けてこないのかを振り返ったほうがいい)


まあわたしのように「(なんだかよくわからないが)構造改革は悪。市場原理は文化と慣習を破壊する悪」などと、素朴に考えている人はぜひ竹中氏の本を読むといい。もちろん竹中氏とて完璧ではないが、そもそも完璧でないと価値がないと考えている人はもう少し基本的なところから人生をやり直したほうがいいかもしれない。



経済を巡るいろいろな議論を一刀両断にする本質的な言葉が思いつかなかったので、本文中にも引用した「アゴラ」池田信夫氏の言葉を借りることにした。


日本をあきらめる


「ゼロ成長で所得の再分配を極端に進めると、みんなが平等に貧しくなるだけで、財政も破綻してしまう。それよりも成長率を上げて経済全体が豊かになることが大事だ」


大前研一流にいうなら「スモールハッピネス志向は亡国」ということだろう。こういうふうに考えると、民主党の言う「最低賃金1000円」とか、瑞穂ちゃんの言う「全員正社員」とかいうのがいかに愚かな政策かわかるだろう。

(まあ瑞穂ちゃんは立場上(社民党党首!)のネタだろうから仕方ないのかもしれないが、民主党は仮にも政権を取ろうというのだから、もう少し考えなければならないだろう。)

久しぶりに新聞を買ったらある記事が目に入った。


【日本経済新聞(日刊)2009年7月22日 13版 5面】


「厚年基金の代行部分の保険料率 据え置きを容認

 来年度以降 厚労省方針


 厚生労働省は厚生年金基金の代行部分の保険料率について、来年度以降も現行のまま据え置くことを認める方針を固めた。公的年金の予定利率が4.1%に引き上げられることに伴い、本来は料率を引き下げるはずだった。運用難で財政が悪化した基金が多く、料率の据え置きを認める特例措置を導入し、基金の保険料収入を底上げする。

(中略)

 厚生年金基金は大企業の会社員ら約473万人が加入する企業年金。公的年金の「2階部分」にあたる厚生年金の運用や給付を代行している。代行部分の保険料と企業独自の上乗せ給付である「3階部分」の保険料を一体で運用し、より手厚い年金を給付する仕組みだ。

 代行部分の保険料率は厚生年金の予定利率(現在は3.2%)に基づいて国が定める。厚労省は2月に実施した5年に1度の財政検証で、来年度から予定利率を4.1%に引き上げることを決めた。通常であれば、これに連動して全国の基金の代行部分の保険料率が下がる計算だった。

 しかし、料率が下がると加入者が基金に払い込む保険料が2割程度減り、運用難で悪化した基金の財政が一段とひっ迫する懸念がある。このための5年間の特例措置として一定の財政要件を満たした場合には現行の保険料率のまま据え置くことを認める。」


これを読んで頭に入った方はどれくらいいるだろうか?


厚生年金基金の代行部分?

公的年金の「2階部分」?

上乗せ給付である「3階部分」?

保険料率?

予定利率の引き下げ?


で、結局、この記事は何を言ってるのか?


わたしも前まではそうだった。このあたりの仕組みは何度説明されてもよくわからない。その辺の「わかる! 企業年金」みたいな本を読んでもぜんぜん頭に入ってこないのは、その欺瞞性を隠ぺいしつつ説明をしようとしているからだと最近気づいた。やはり真実は端的に語られなければならない。


しかし、このところこのへんの勉強を続けてきたので、少しはわかったように思う。自分の勉強のためにも、少し背伸びをして「解説」をしてみたい。


この記事が言っているのはこういうことである。(と思う)


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その昔、各企業はこぞって「~厚生年金基金」という運用機関を設立しました。これは、ひとつには、厚生労働省のお役人が安心して天下りできるよう、理事長のポストを用意するためだといわれています。

これらの基金は、企業年金の「3階部分」を独自に運用して加入者(=年金を受け取る人)に資するという目的のもと、「2階部分」である厚生年金保険の一部を原資に運用したりしていました。この仕組みのことを「代行」といいます。ありがたくも運用のプロたちが社員の年金を代行して、運用してくれているわけです。おかげで年金制度はどんどん複雑になってしまいましたが、昔は景気も良かった上、年金を受け取る世代も少なかったため、比較的容易に利益をあげられていたようです。


ところで、予定利率というのは「これからはこういう利回りで運用していけるはずですよ」という予測の利回りのことで、これが高いほど運用成績が良い、すなわち将来のリターンが高いことになります。したがって、当然ながら予定利率が上がるということは、その分払い込むべき保険料率は下がるはずなのです。


ところが、少子高齢化や金融危機などの影響を受けて、厚生年金は軒並み逆ザヤ(運用で稼ぐ利回りよりも多くの損失を出している状況)が続いていたため、今更、予定利率を上げられてしまうと、とてもじゃないけど損失をカバーできなくなってしまいました。それに加え、今のような難しい経済状況では、基金の運用者も予定利率通りの運用成績を残せるかどうかも難しいわけです。予定利率を下回る運用成績だと、下手をすると厚生年金基金自体が破綻してしまいます。よって、基金としてはなるべく低い予定利率にして、保険料率を高くしておきたいわけです。


こうした基金側の思惑と、無用な混乱を避けたい厚生労働省の思惑が一致し、みごと、企業年金基金は特例を認められ保険料率を据え置くことが認められました。要するに「保険料を払う人が余計に払うことで損失を補てんすることになった」ということなのです。厚労省はこれまで通り天下り先を確保できますし、基金のほうも引き続き損失の補てんを加入者に転嫁することができる、非常に優れた発想です。もちろん、「基金自体が破たんしたら元も子もない」という大義名分もあります。


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と、言うことで少し冒険して新聞記事の解説を試みてみた。合っているだろうか? 大筋では合っていると思うが、細かい点で認識が誤っているかもしれない。最終的には各人で正否を確認してもらいたい。この他にも賦課方式の話とか、代行返上とか、年金にかかわる話はまさに官僚制における腐敗の見本市のようで興味は尽きない。皆さまにおかれても、引き続き興味を持ってウォッチしてみてはいかがだろうか。



こういうことを常々勉強しておくと、政治にも興味が出てくる。たとえば次のような記事をみてほしい。


4000万円も損している日本の若者たち


いつまでも不毛な世代間闘争をしていないで、選挙に行って政治家をビビらせないといけない。若者の投票率が上がることで世の中は変わる。まずは一回投票率で示さないといけない。政策がよくわからない人は、誰に入れてもいいし無記名でもいいから、とにかく投票してくるとよい。年齢別の投票率で若年層が老人を上回れば、候補者もずいぶんとまともになるだろう。20~30代の諸君、目標は「投票率を上げること」である。8/30にはとにかくどこかに投票しよう。

バカヤロー経済学 (晋遊舎新書 5)/竹内 薫
¥840
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読むほうに一生懸命になりすぎて、読み終わった本がどんどんたまっていく一方になってしまった。前に読んだ本の内容をどんどん忘れていく。この書評はある意味で読んだ本の自分の記録でもあるのだが、内容を忘れていては当初の目的が達せられない。自分のことであるが、やはり読んだら即記録すべきであろう。この本もずいぶん昔に読んだ気がするが・・・気づけば7月も半ばを過ぎてしまっていた。(出版は5月)


さて恒例の前振りはこれくらいにして内容の評価に移ろう。この本でまず語られるべきは、著者が一人になっていることだろう。対談形式になっているのに、「先生」の名前が結局最後まで明らかにされない。誰もが突っ込むであろうこの問いに対する答えはGoogle先生が教えてくれた。竹内氏の共著の相手である「先生」とは、高橋洋一氏だそうだ。氏はこの本の出版の直前に、某所で時計を盗んだということで検挙されてしまった(すごいタイミングだ)。版元は急遽、先生を「匿名」として出版することになったそうだ。一説には高橋氏の古巣である財務省の逆鱗に触れたため、陥れられたというが、もしそれが本当なら日本もなかなかアンダーグラウンドな世界があるものである。(真偽については判断できない。小沢氏の秘書大久保氏の逮捕などの状況からするとどう考えても疑わしいのだが・・・高橋氏の事件については正直よくわからない)


残念ながらわたしは、読んでるときは「へぇ~そうだな」「そうそう、そうなんだよ」とか思っていたはずなのだが、数ヶ月経ったら見事に内容を忘れてしまった。やはり知識が血肉になるには真の意味での理解が必要ということであろう。いずれ、経済および金融の本についてはまとめて紹介(書評)するときに、きれいにまとめたいと思っている。ひとつだけ言えることは、こういう本を読んでいると、いかに小泉政権というのが、「政治」をしていたというのがよくわかるということ。構造改革によって格差が増大したというような人にこそ読んでほしい本である。

時をかける少女 通常版 [DVD]
¥3,900
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自分そっくりのアメーバ ピグというのをつくろ! というリンクがあったため、なんとなしに作ってみたら変な絵が作られてしまった。これはどうやら自分そっくりの「ピグ」というキャラクタを介してチャット・コミュニティに参加できるシステムのようである。ああ、これはわたしには無縁なシステムだなと思い、削除しようとしたらどこにも削除アイコンが見つからない。これはどうしたことかと思ってヘルプをみると
一度作成したピグを削除することはできません。

ちょっと笑ってしまった。消せないのかw
でも、デフォルトで自分のルームへの入室や外部への情報がすべて公開を基本としているところがすごいと思う。18歳未満はダメ!と言いつつ、なんとなくウィザードを操作しているだけで作れてしまうのはどう考えればよいのだろう。また、わたしのように間違って作ってしまってすぐ消そうとしても消せないのは、これもまたどう考えたらよいのだろうか。まあ、こんなことでわざわざ藤田社長を攻撃しようとは思わないが、誤解を招くシステムではあると思う。せめて、削除機能は早々に実装したほうが、無用な軋轢を防ぐために望ましいと思う。

さて本題に入りましょう。

本作は有名な「時かけ」ですが、わたしは今まで未見であった。見終わった後、いろいろ調べてみてわかったのだが、同名のタイトルは筒井康隆氏の同名小説をはじめ、それを下敷きにして今までいろいろな方が、いろいろなメディアでアレンジして発表しているようだ。ちょっとたとえはよくないかもしれないが、「キングコング」みたいなものだろうか? その中でも本作は2006年に新たにリメイク(?)された本編でもあり、続編でもあるような感じの作品だそうだ。(初演から3年経っていることもあり、多少ネタばれしているのは気にしないでほしい)

いわゆる正統派ジュブナイル(青春小説)で、非常によくできている。見て損はない類の作品であろう。細かい矛盾点をあげつらえば切りがないが、見終わった後のちょっと甘酸っぱい気分は青春小説のなかでもかなり上位にランクインすると思う。わたしとしては「海がきこえる」と同じくらい高い評価をあげたい。
わたしはまだ若い(笑)ため、当然ながら大林宣彦版は見たことも聞いたこともない。しかし、
お年寄り(笑)の方々にはこの現代風アレンジについては賛否両論があることだろう。だがそれでいいのだろう。というのも、ジュブナイルというのは自分の時代の青春群像こそが求めるべき世界なのだから。いい機会だから原作を読んでみようと思った。

時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)/筒井 康隆
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時をかける少女―TOKIKAKE (角川コミックス・エース (KCA162-1))/琴音 らんまる
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やっぱり、貞本の絵がいい。妙にアニメアニメしている絵柄はジュブナイルに向いていないと思料される。

解散間際の国会で、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(以下、児ポ法)をめぐって与野党の対立がにわかにクローズアップされている。ずっと棚上げになっていた同法の改正再審議が始まったからのようだが、サブカルチャーの間では非常に重要度の高い問題として注目されている。


児童ポルノ規制で修正協議 自公と民主

非常に単純化すると、


・世界的に見て児童ポルノに甘い日本の法律は世界各国から批判されている。(規制推進派および海外勢からは、G8ではロシアと日本だけ甘いのだと主張されている)


・それにより、我が国においても、児童のポルノ画像を提供するだけでなく、単に所持しているだけでも処罰の対象にできるように法改正が行われようとしており、与党自民党の葉梨議員はこれを「単純所持」すなわち「単に持っている」だけで処罰の対象にできるようにしようとしている。


・一方で野党民主党は、単純所持はあまりにも恣意的な運用が可能であり冤罪が広がる可能性があるとして、枝野議員などは反復的に売買を繰り返す際にのみ適用すべきという「取得罪」にすべきであるとして、対立している。


と、まあこういうかたちで、報道されている。

(で、結局、民主党もめんどくさくなってしまったのか、「所持は禁ずるが罰則規定はない」というよくわからない法案になってしまっていた。参考:<児童ポルノ禁止法>「単純所持」も禁止 改正案、与党と民主が合意



児童ポルノという、報道に容易にバイアスがかかることが予想される領域では、マスメディアの報道はまったく役に立たないことを我々はよく知っている。よって、ここに書いてあるような事実が仮に正しいとしても、そもそも児童ポルノ法って何だろう? というのは、残念ながら新聞を読んでいても今一つわかりにくいので、自分で調べていくしかない。「児童の定義は?」「ポルノの定義は?」というような基本的なことすら自分で調べないといけないのだから、インターネット時代は便利なような不便なような・・・。


児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律

児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案

【主張】児童ポルノ 根絶へ所持規制は不可欠 -産経新聞


さて、いわゆるホンモノの児童ポルノについてはぜひ禁止してもらいたいし、こうした取り組みが、被害者の利益を第一に考えられたものであるならぜひとも優先して取り組むべきものであろう。しかし、どうも法案に賛意を表している議員の名前を見たり、法案の内容をナナメ読みしている限り、児童ポルノを防ごうという意識よりは、PTA的な自己満足のためにやっているとしか思えず、非常に不安を覚える。今回の審議再開も、もしかしたら児童ポルノそのものの再考というよりも、例の「レイプレイ」騒動に端を発する我が国の二次元カルチャーに対するけん制(あるいは自主規制の強要)が直接的なトリガーになっているような気もする。要するに、児童ポルノはぜんぜん関係なく、単に二次元カルチャーを狙い撃ちするために法案を通そうとしているのではないか? という疑念が捨てきれない。


というよりも、もう一歩妄想を進めると、もしかしたら日本の場合の児童ポルノ禁止の本来の目的はここにあり、日本のサブカルチャーのうち、いわゆる美少女系のエロ本や、ロリータ、凌辱系のエロゲーなどを抹殺するために便宜上児ポ法を利用しようとしているのではないか、とすら思える。法案の中にも「政府は、児童ポルノに類する漫画等(漫画、アニメ、CG、擬似児童ポルノ等をいう。)と児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進するとともに、インターネットによる児童ポルノに係る情報の閲覧の制限に関する技術の開発の促進について十分な配慮をするものとすること。」という記載があるが、実際、どの程度日本において児童ポルノによる被害があるのか、被害者に対する救済をどうするのか、あるいは新たな被害者を生まないようにするための方策などの議論はあまりなされていないようだ。本当に児童ポルノでの被害者救済を考えるなら、被害者の有無が重要なポイントになると思うのだが、そこがあまり議論されていない。二次元のキャラクタなど、完全に被害者不在の場合でも、ただ「キモイから」という理由だけで検挙できる余地をここまで大幅に残していいものか。


児童買春・児童ポルノ処罰法 -同人用語の基礎知識


どうも魔女狩りの疑念を捨てきれない。こうした魔女狩り法のもっともやっかいなのは、取り締まる法は社会正義の名の下にオールマイティな権力を行使でき、かつ正義感を充足しつつ悪者を懲らしめるという正義感を得ることができるという点だ。二次元のロリ絵に興奮するようなひとは、別にそれほど変な性癖だとは思わないが、大きな声で主張できるようなことでもあるまい。こうすると反論不能になって、ますます魔女狩りを推進させることになってしまう。私の大好きな格言に「地獄への道は善意で舗装されている」というのがある。まさに、地獄への道であろう。


コラム : 「『サンタフェ』を廃棄しろ」?~誤解を排し正確な児童ポルノ規制の議論を -自民党 葉梨康弘氏のHP

宮沢りえヘアヌードで混乱 児童ポルノ法、消化不良で改正 -J-CASTニュース

【マイリス1万で】児童ポルノ単純所持違法化 阻止【アニメも】 -ニコニコ動画




ところで、リンクをたどっていると、面白いサイトを見つけた。上記の児童ポルノ法案とは直接関係ないが、同じようなことが他の団体でも起きているようなので紹介したい。


子ども買春・子どもポルノ・人身売買をなくそう -日本ユニセフ


日本ユニセフの「子どもポルノ・日本の現状」というスライドをみてみるとよいだろう。

ポルノ根絶派がどういうスタイルで考えているのかがよくわかる。とにかく、あらゆるものが気に入らないらしい。いつのまにか子どもポルノの根絶が、アニメやゲームの規制にすり替わっているのにお気づきだろうか。「動機が正しければ、結果は問わない」。まさに原理主義者の考え方である。


こういう人たちの論理は、何も考えていない人に対していきなりマイクを突きつけ、「子どもポルノに反対ですか? 賛成ですか?」と問いかけるようなものだ。そんなこと言われて「賛成ですよ。大好きです」なんて言う人はそうそういないし、「それは現在法案が議論されている児童ポルノ法案のことですか? それとも日本ユニセフが発明した『子どもポルノ』のことについてですか? そもそも『子ども』の定義とは何歳から何歳まで・・・」などと語り始めるような人も例外だろう。とすると、多くの人は普段の生活でそういうことは考えていないのだから、なんとなく「そういうのには反対ですね」と答えるにきまっている。そうでなければおかしい。だいたい、規制すると欲望がなくなるという考えが気持ち悪い。欲望がなくならないのだから、被害者が居ないところで発散させたほうがよほど合理的だと思うんだが・・・。


海外でひどい人身売買を目撃したからと言って、日本人相手に意趣返しはないだろう。こういうことをするから、無駄な議論をしなくてはいけなくなり、本当に困っている被害者たちも困惑するはめになる。人権利権は本当に迷惑だ。

経済のこと よくわからないまま社会人になってしまった人へ―ひとめでわかる図解入り/池上 彰
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「週刊こどもニュース」のお父さん、池上彰氏の子供向け・・・もとい、忙しい社会人に向けて書いた本。


さいきん、よくテレビにも出ていて、ニュースの解説などを行っているのを見かける。池上先生はおそらく世の中のあらゆることをわかりやすく解説すること、これをライフワークとしているのだろう。とにかく、平易に解説することを至上としているため、細かいところを端折るのが玉にきずだが、たしかにわかりやすい。わたし自身、わかっているつもりのことを人に説明しようとすると、説明に詰まってしまい、わかってないことがよくわかる。何も知らない人に平易に説明できるというのが、本当の意味での理解とはよくいったものだ。


ただ、誤解を恐れずに言えば、テレビに出ている芸能人と同じレベルの「社会人」は、少し生活を見直したほうがいいと思う。池上先生の本心としては(本人に聞いたわけではないが)、いい大人がこの程度のことを知らないのは本当はヤバイと思っているはず。本当は中高生くらいに向けて発言しているのだろう。マーケティング的に「社会人向け」としたほうが売れるから、こんなタイトルになったとしか思えない。要するに本書を買うような社会人たちはなめられているのだ。その証拠に、池上先生はシステムそのものの意義を問うような「危険な」部分は解説していない。たとえば保険における還元率の概念とか、年金制度が賦課制に移行した原因などについてははっきりと触れていない。わたし自身、よくわかっていないことが多く、「なめられる」のも仕方がないかと思っているが、悔しいのでしっかり復習しておきたいと思う。



いまの日本よくわからないまま社会人している人へ―ひとめでわかる図解入り/池上 彰

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ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論/小林 よしのり
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かつて小林よしのりといえばそれだけで紛糾のネタであった。わたし自身もそうだったから人のことは言えないが、高校生や大学生など、自意識ばかり発達して、自由に思考できる時間だけがたっぷりあると、思想にカブレやすくなる。小林氏の場合、それまでの日本で是とされてきた価値観をことごとく破壊しようとしていたのだから、旧体制側(?)から猛烈なバッシングを受けるのも致し方ないというものだ。またマスコミによる間接的な洗脳を専売特許にしてきた学者・インテリにとって、漫画というメディアで(これまで本を読まない層に対して)直接思想を注入しようとする小林氏の存在は脅威であったろう。例にもれず、わたしも見事に感染してしまった。


そんなかんじで、一時期思想にかぶれたこともあって、かつての論争(「従軍慰安婦」、「新しい歴史教科書」など)には活発に目を通していたことがある。オピニオン誌も定期購読したり、いろんな本を読んでみた結果、わたしは「右翼」に共感した。といっても、かぎかっこ付きなのは、あのホンモノのひとたちとは違うもう少しライトな存在である。最近は「嫌韓流」とかいうような本が流行ったりで、右翼的な発想というのはどうしても国粋主義的な一面があるため、右傾化と言われても仕方ない面もあるが、そういう極端なのはやはり本職にお任せしたい。わたしが目指したのは、日本古来の歴史に根差した自然なかたちでの愛郷心とでもいうのだろうか。英語ではこれをパトリオティズム(Patriotism)というらしい。自分ではべつに右翼だと感じないし、歴史的にもこれをもって「右翼」とは呼ばないだろうと思うが、今のマスコミ学的分類で行くと間違いなくわたしの思想は「右翼」である。


だがあれから十数年、今やウヨク-サヨクという構図も成り立たなくなり、現在はさまざまな価値観が混とんとする、思想的にはなんとも難しい時代になってしまった。今の言論界は何を争点にしているのだろうか? 派遣切りの問題や格差などを扱っているのとは思うが・・・。


本書はそんな議論を呼び起こすことにかけては天才的な小林氏の「ゴーマニズム宣言」である。相変わらず字が多くて大変読むのが疲れる漫画である。「天皇とは何か?」「皇室とは何か?」という難題に真っ向から取り組んだ、相変わらずの精力で恐れ入る。わたしなどはすでに、こういう問題に真っ向から取り組むことは、はじめからあきらめている。それにしても、小林氏はセンシティブな、ある意味ではタブーばかり扱っているが、疲れないのだろうか? 軋轢やバッシングの量も半端ではないだろう。モリタクみたいな適当な生き方をすれば楽して稼げるのになぁと、人ごとながら感じてしまうくらいだ。連載を載せるサピオも大したものである。正直、内容が濃すぎて、半分くらい斜め読みしてしまったのはここだけの話である。


ところで、天皇を解体することは物理的には可能だ。立憲君主制を廃して、大統領制に移行することも原理的には可能である。我が国は法治国家であり、なにしろ国民主権である。国会で憲法を改正して、「共和制(もしくは大統領制)にする」と決定すればよいのだ。


こうした一種のアノミー的な考えは非常に戦後の価値観にマッチする。(アメリカ的な)合理主義判断ですべてを決定するということで、過去の慣習や因習はなんでもかんでも斬って捨てるというスタンスである。天皇家は不合理な存在であり、いらないというのだ。千代田の一等地に無駄な土地を確保し、宮内庁にかかる経費も莫迦にならない。廃止してしまえばよいというわけである。果たしてそうだろうか? その回答が、小林氏の「天皇論」であると言えよう。


わたし自身は皇室に対して非常に敬意を持っている。神聖なものはあまり俗に触れないでほしいという願いもある。だからよく被災地などに両陛下や皇太子殿下が御幸なされていらっしゃるが、「開かれた皇室」などより、威厳を損ねないようにふるまってほしいと願っている。大衆は天皇陛下や皇太子妃殿下などタレントかなにかと思っているのだから、対等の目線で語りかけても理解するわけがない。したがって、陛下は神聖にして侵すべからず、日本国の権威の象徴としてこれからも高貴にあり続けてほしい。そして、国民の側からはせめて「女性自身」的な発想で天皇を見ず、皇室に対して敬意をもって報道してほしい。たとえそれが下世話な国民の要請であったとしても、そんな国民すら陛下はやさしく見守ってくださっているのだ。大衆は権威を貶めるような行為だけはやめてもらいたい。また、男系の権威を損ねないように、宮家を復活させるなりしてほしいし、場合によっては多妻制の復活もありだと思っている。だが陛下も殿下もおそらく国民の理解を第一に優先させるであろうから、これはわたしの妄言だ。


神聖なるものは、秘すことで権威が生まれるのである。そして、人間が敬意を払うのは権威なのだ。権力に対しては人は従うのみで、服従しているわけではない。我が国は権力と権威を巧みに分離して国体を維持してきた。そのバランスをわざわざ積極的に崩すことはないと信じている。威厳とか権威とかいう感覚は「厳かな」ものだが、この感覚は意識して作り上げようとしてもそんなに簡単に作れるものではない。だが崩壊するのは一瞬だ。皇室はその権威が崩壊したときが終わりである。皇居が残っていたり、天皇が生きているとかは関係なく、権威が失墜した日が終わりの日である。そして、崩壊し始めたら終わりまで一瞬だと思う。


仮に天皇を廃し、単なる「国民」として共和制に移行したらどうなるだろうか。藤原氏ですら、いやGHQですら止めたことを我が国が主体的に行ったらどうなるだろうか。個人的にはぜひともやめてもらいたいが、ある種の思考実験としては非常に興味があるのも事実だ。それに、主権をもった国民が国家としてそれを選択したなら別に受け入れるしかないかなと思っている。果たしてあの皇居が廃され、堀が埋められ、千代田にインテリジェンスビルが立ち並ぶ時、はたして誰が国家元首として我が国の国体を維持するのだろうか。そのときに、本当にアノミーにならないのだろうか。わたしは自信を持てない。だからできれば、左翼陣営は皇室についてこれ以上妙なことを働きかけるのはやめてほしいと思うのである。


・・・こんなことを言っているわたし自身がもっとも反権威・反体制なのだから、いったいおまえは右翼なのか左翼なのかはっきりしろと言われそうだ。職業評論家なら相当強力にバッシングを受ける予感が・・・。難しい問題にはわざわざ自分からタッチするものではないなぁ・・・と消化不良のまま、本稿はこれで終了。

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)/郷原 信郎
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最近、企業経営においてよく聞かれることばが「コンプライアンス」だ。「法令遵守」という意味だそうだが、その発想はそもそもエンロンの粉飾などにみられるように、悪質で不正な経営者の独走を監視しようとするものだ。だが、残念ながらわが国においてこの「法令遵守」という概念は、非常に悪い方向へ作用し始めている。


著者はこうした危機感から、コンプライアンスの名のもとに集団で思考停止する社会におけるさまざまな「症例」を挙げながら、その「処方箋」をわかりやすく書いてくれている。


非常に示唆に富む記述ばかりで、どこから紹介していいか迷ったので、章立てを書いてしまおう。


第1章 食の「偽装」「隠蔽」に見る思考停止

第2章 「強度偽装」「データ偽装」をめぐる思考停止

第3章 市場経済の混乱を招く経済司法の思考停止

第4章 司法への市民参加をめぐる思考停止

第5章 厚生年金記録の「改ざん」問題をめぐる思考停止

第6章 思考停止するマスメディア

第7章 「遵守」はなぜ思考停止につながるのか

終章  思考停止から脱却して真の法治社会を


とくに目からうろこなのが、第3章の経済司法に関する指摘である。(著者はもともと東京地検特捜部の出身だそうだから、このあたりは特によく御存じなのだろう。) たとえばスティール・パートナーズのブルドッグソースの買収に際して発動された買収防衛策に対して、最高裁はなんと「お墨付き」を与えてしまった。この判決が、日本経済に対する全世界の投資ファンド、機関投資家たちに与えたデメリットは想像するに余りあるが、このあたりの問題点を非常に分かりやすく指摘してくれてている。何とかしなければいけないのは、とにもかくにもまずは「経済司法」の分野だと著者は力説している。


また第5章厚生年金記録の「改ざん」に対する「遡及訂正」問題については、むやみに社会保険庁バッシングに終始していた我々も反省しなければいけないと気づかされる。この問題は、事業主(雇用者)が加入者(被雇用者)の標準報酬月額を過去に遡って無断で引き下げるという点に犯罪性があるとして、納付率を上げるために社会保険庁職員が組織ぐるみで暗躍したというストーリーだが、その内実を冷静に解説してくれている。実際には実害を伴う従業員性のものとそうでない事業主性のものが区別されておらず、すべてのケースが社会保険庁の組織上の問題に帰結せられるという、年金問題に関する報道のバイアスに警鐘を鳴らしている。「国民年金保険料の免除制度の恩恵を少しでも多くの人に受けさせたいという気持であったこと、それがこの問題の本質であること(本文150ページ)」ということもあり、制度上の欠陥から現場の人間が運用に耐え得なくなっているという解説は、わたし自身は正直なところはじめて読んだ話で非常に勉強になった。


また司法のプロフェッショナルとして、明らかに奇妙な制度である裁判員制度に対しても、非常に的確な「迷走」という表現で、端的に不備を指摘し、なぜこうした珍妙な制度が出来上がってしまったのか、その業界の内実を第4章で解説してくれている。



非常にコンパクトに現在の時事問題のエッセンスがまとめられていて内容も充実、しかも読みやすい良書である。一家に一冊常備しておき、テレビのニュースなどを見る際の「副読本」として活用することお勧めしたい。(新聞の偏向はいい加減世の中に知れ渡った感があるが、テレビの偏向に気づかない人たちはまだ相当数いると思われるので、こうしたリテラシーを鍛える本を読み、批判的な目で報道に接する姿勢が広まることを期待したい)



いつも結びつけてしまうのだが、山本七平先生のいう日本軍の悪弊が、いまだに色々なところに顔を出している気がしてならない。当時においても、泥沼の中国戦線を広げながら対米開戦を決心する大本営の思考はまさに「思考停止」だったが、それを「ではどうすれば止められたか」と分析し、自省できる人はあまりいなかった。「大本営が悪かった」とネガティブなラベリングに終始する者、「わたしは開戦に反対だった」と後出しジャンケンする者は多数あらわれたが、ではどうすればよかったのかという論はなかなか表に出てこなかった。


同じ構造だと思うのはわたしだけであろうか。思うに、結局最後に陥るのは短絡的な善悪二元論と、閉じられた世界の中での「臭いものには蓋」的な行き方であろう。だが現実を覆い隠しても結局事実は変わらずに世の中は進んでいくだろう。社会保険庁を片づけても年金問題はなくならないし、不二家を葬っても食品の偽装はなくならない。児童ポルノなんかも同じで、逆に性犯罪が激増したりするかもしれない。矛盾を抱えながら試行錯誤を繰り返し、具体的な行動に結びつけて日々前進することができない者に未来は創造できないという、有史以来繰り返される「当たり前のこと」を言っているだけなのかもしれない。