思考停止社会「遵守」に蝕まれる日本 | One of 泡沫書評ブログ

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思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)/郷原 信郎
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最近、企業経営においてよく聞かれることばが「コンプライアンス」だ。「法令遵守」という意味だそうだが、その発想はそもそもエンロンの粉飾などにみられるように、悪質で不正な経営者の独走を監視しようとするものだ。だが、残念ながらわが国においてこの「法令遵守」という概念は、非常に悪い方向へ作用し始めている。


著者はこうした危機感から、コンプライアンスの名のもとに集団で思考停止する社会におけるさまざまな「症例」を挙げながら、その「処方箋」をわかりやすく書いてくれている。


非常に示唆に富む記述ばかりで、どこから紹介していいか迷ったので、章立てを書いてしまおう。


第1章 食の「偽装」「隠蔽」に見る思考停止

第2章 「強度偽装」「データ偽装」をめぐる思考停止

第3章 市場経済の混乱を招く経済司法の思考停止

第4章 司法への市民参加をめぐる思考停止

第5章 厚生年金記録の「改ざん」問題をめぐる思考停止

第6章 思考停止するマスメディア

第7章 「遵守」はなぜ思考停止につながるのか

終章  思考停止から脱却して真の法治社会を


とくに目からうろこなのが、第3章の経済司法に関する指摘である。(著者はもともと東京地検特捜部の出身だそうだから、このあたりは特によく御存じなのだろう。) たとえばスティール・パートナーズのブルドッグソースの買収に際して発動された買収防衛策に対して、最高裁はなんと「お墨付き」を与えてしまった。この判決が、日本経済に対する全世界の投資ファンド、機関投資家たちに与えたデメリットは想像するに余りあるが、このあたりの問題点を非常に分かりやすく指摘してくれてている。何とかしなければいけないのは、とにもかくにもまずは「経済司法」の分野だと著者は力説している。


また第5章厚生年金記録の「改ざん」に対する「遡及訂正」問題については、むやみに社会保険庁バッシングに終始していた我々も反省しなければいけないと気づかされる。この問題は、事業主(雇用者)が加入者(被雇用者)の標準報酬月額を過去に遡って無断で引き下げるという点に犯罪性があるとして、納付率を上げるために社会保険庁職員が組織ぐるみで暗躍したというストーリーだが、その内実を冷静に解説してくれている。実際には実害を伴う従業員性のものとそうでない事業主性のものが区別されておらず、すべてのケースが社会保険庁の組織上の問題に帰結せられるという、年金問題に関する報道のバイアスに警鐘を鳴らしている。「国民年金保険料の免除制度の恩恵を少しでも多くの人に受けさせたいという気持であったこと、それがこの問題の本質であること(本文150ページ)」ということもあり、制度上の欠陥から現場の人間が運用に耐え得なくなっているという解説は、わたし自身は正直なところはじめて読んだ話で非常に勉強になった。


また司法のプロフェッショナルとして、明らかに奇妙な制度である裁判員制度に対しても、非常に的確な「迷走」という表現で、端的に不備を指摘し、なぜこうした珍妙な制度が出来上がってしまったのか、その業界の内実を第4章で解説してくれている。



非常にコンパクトに現在の時事問題のエッセンスがまとめられていて内容も充実、しかも読みやすい良書である。一家に一冊常備しておき、テレビのニュースなどを見る際の「副読本」として活用することお勧めしたい。(新聞の偏向はいい加減世の中に知れ渡った感があるが、テレビの偏向に気づかない人たちはまだ相当数いると思われるので、こうしたリテラシーを鍛える本を読み、批判的な目で報道に接する姿勢が広まることを期待したい)



いつも結びつけてしまうのだが、山本七平先生のいう日本軍の悪弊が、いまだに色々なところに顔を出している気がしてならない。当時においても、泥沼の中国戦線を広げながら対米開戦を決心する大本営の思考はまさに「思考停止」だったが、それを「ではどうすれば止められたか」と分析し、自省できる人はあまりいなかった。「大本営が悪かった」とネガティブなラベリングに終始する者、「わたしは開戦に反対だった」と後出しジャンケンする者は多数あらわれたが、ではどうすればよかったのかという論はなかなか表に出てこなかった。


同じ構造だと思うのはわたしだけであろうか。思うに、結局最後に陥るのは短絡的な善悪二元論と、閉じられた世界の中での「臭いものには蓋」的な行き方であろう。だが現実を覆い隠しても結局事実は変わらずに世の中は進んでいくだろう。社会保険庁を片づけても年金問題はなくならないし、不二家を葬っても食品の偽装はなくならない。児童ポルノなんかも同じで、逆に性犯罪が激増したりするかもしれない。矛盾を抱えながら試行錯誤を繰り返し、具体的な行動に結びつけて日々前進することができない者に未来は創造できないという、有史以来繰り返される「当たり前のこと」を言っているだけなのかもしれない。