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One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

アダルトビデオ革命史 (幻冬舎新書)/藤木 TDC
¥861
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次々本を読むのはいいが、一晩経つと内容を忘れてしまう。読んだらその日に書いた方がいいのはわかっているが・・・。



本書はタイトルにつられて買ってみたが、内容はいまいちだった。今40代くらいの人(バブル世代)が昔を懐かしむのだろうなぁ・・・くらいの読後感しかなかった。たぶん著者自身が過ごした青春時代の回顧録みたいなもので、世代が違うとどうしてもピントがずれているように感じてしまう。(わたしは著者よりもう1世代下)



村西とおる氏の業績をことさら持ちあげられても、なんだかなぁ・・・って思ってしまうのはわたしだけだろうか? 逆にキカタン(企画単体)の話があまり出てこなかったり、最近の話題についてはほとんどコメントがない。



「アダルトビデオ」という分野は、誰もがその名前を知っていながら、単なるアンダーグラウンドの文化としてまともに取り上げられなかったということを考えると、新書として手に取りやすい形でこの分野の紹介がなされたことに大きな意味がある。そういう意味では高い評価をしたいと思う。本書は「革命史」と銘打ってあるが、これまでのAVがたどった歴史を一通り追うことができる、どちらかというと通史にちかい。史料的価値は非常に高いと言えるだろう。



ただ、もともと予備知識のある人間に向けて書いたような感じで、説明不足の感は否めない。セルとレンタルの違いとか、セル専属の話とか、ちゃんと用語の説明を書いてくれないとわからない、と思う。森下くるみとか、業界の人にとっては衝撃的だったとしても、みんな知りませんから、ふつうは。(知らない奴はそもそも買わないゼ、とか言わないでくださいw)

みつめてナイト


最近社会批評みたいたのが多くて泡沫ブログとしてはいささか背伸びしすぎの感がある。やはり泡沫ブログはアダルト、アニメ、漫画とか、そういうしょうもないネタを進んで取り上げるべきだww


「みつめてナイト」についてはいつか書こうと思っていたが、なんとなく延び延びになってしまっていた。今回改めて書こうとおもってリンクを調べてみたが、もうファンサイトもあらかたなくなってしまっていた。古すぎて、アマゾンのアフィリエイト検索でも画像が出てこないが、そんな悲しさはどこかに追いやって、いい年こいたオッサンが性懲りもなくギャルゲに熱い思いを語ってみたい。


このゲームは「ときめきメモリアル」で「ギャルゲ」というジャンルを開拓したかつてのコナミコンピュータエンターテインメント東京(KCET)が、その次回作(?)として世に送り出したキラーソフトだ。その力の入れ具合は声優陣の豪華さをみてもすぐにわかる。と言っても今やあまり見ない人も多いが、国府田マリ子、今井由香、桑島法子、岩男潤子、長沢美樹、皆口裕子、冬馬由美、西村ちなみ、それに井上喜久子さんだ。今もなお一線で活躍されている方も多いが、70年代生まれなら「なるほど」と思えるような布陣だろう。当然わたしは根谷美智子さんが一押しなのに変わりはない。


いまなら釘宮里恵、能登麻美子、水樹奈々、平野綾とかなのかなぁ。といっても最近出た「ラブプラス 」でも皆口さんが出てるあたり、こういうジャンルの購買者の層は変わってないのかもしれないw


話がそれたが、このゲームはいわゆるギャルゲで、女の子と出会ってひたすら自分に対する好意を上げていくというものだが、同時に主人公は「東洋から来た傭兵」ということで、西洋の一国家であるドルファン王国で戦争稼業に精を出すというよくわからない展開も同時進行する。たんに女の子と仲好くすることだけが目的ではないというところが新しかった。


女の子との出会いも少々入り組んでおり、複数の女の子と同時に仲好くしすぎると他の女の子から不興を買ってしまい本命とダメになったり、逆にある女の子を攻略しようとすると、同時に出会わなければならない女の子が居たり(AのハッピーエンドのためにはBとのイベントを発生させないとフラグが立たない)、果ては女の子が死んじゃったりと、相当イカしたストーリが満載である。


また作中の細かい年中行事にも細かい設定がされており、丁寧に作りこまれていることがよくわかる。よほど大金を投じたのだろう。こうした細部に神は宿るのだが、残念ながらセールス的には日の目を見なかったようだ。だが、こうした緻密な作りが幸いしたのか、今でも熱心なファンが多く残っているようだ。


ちなみに続編として「みつめてナイト大冒険R」というのもあるらしいが、これはやったことがないのでよくわからないw

Japan must shake off US-Style globalization


米国スタンフォード大学の博士号を持つインテリ、鳩山由紀夫民主党代表が書いたという論文。


まあこれも池田さんのブログで知ったわけですが、要するに「日本の新しいリーダーは”脱欧入亜”を志向しているのか?」ということで、米紙(クリスチャン・サイエンス・モニター紙)が掲載した内容が思いのほか物議をかもしているという内容。「日本の新しいリーダーは何を考えているのか? かれの言う”友愛”というのは一体何なんだ?」ということで論理的な欧米のジャーナリズムは苦笑しているらしいです。ま、わたしは原文の記事はall Englishのため読んでませんが。。。


池田さんはこれをみて、鳩山さんの経済音痴っぷりを嘆き「世界の田舎者になるな」と警鐘を鳴らしていますが、わたしはむしろ、鳩山さんがこのような立派な英文を書けることに驚いた。(と思ったら、英訳したのは誰か別な人らしいです。なんだよ、もう)


米紙に寄稿の「鳩山論文」相次ぎ批判 米国内の専門家ら



腐ってもまだなんとか経済大国の地位にある国の首相は、それなりに注目を浴びるんだなぁ・・・と感慨深いものがある。鳩山さんの意見は民主党のサイトで読むことができるが、日本人が日本語で読むとたしかに「へぇ~」くらいの感想しか浮かばないだろう(それはそれでまずいが)。しかし、英訳すると途端に電波発言になってしまう。ということは、要するに内容が「電波」だと、少なくとも先進国の間では受け止められるということなのだろう。


2009年8月「私の政治哲学」


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 日本の国内でも、このグローバリズムの流れをどのように受け入れていくか、これを積極的に受け入れ、全てを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうという人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。


(中略)


 資本や生産手段はいとも簡単に国境を越えて移動できる。しかし、人は簡単には移動できないものだ。市場の論理では「人」というものは「人件費」でしかないが、実際の世の中では、その「人」が地域共同体を支え、生活や伝統や文化を体現している。人間の尊厳は、そうした共同体の中で、仕事や役割を得て家庭を営んでいく中で保持される。

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このあたりが、”日本人にしか分からない論理”なんだろうなぁ。


日本語で書くとなんとなく「そうかな」っていう気分になるけど、英語で書くといまひとつ何が言いたいのかわからなくなる。


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Capital and means of production can now be transferred easily across international borders. However, people cannot move so easily. In terms of market theory, people are simply personnel expenses, but in the real world people support the fabric of the local community and are the physical embodiment of its lifestyle, traditions, and culture.

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いかに日本人が日本語に守られているというのがよくわかる一例、ということなのだろうか??



前回のエントリで「投票に行こう 」と書いた。


その思いが届いたのだと信じよう。なんと、今回の衆議院選挙は、69%超と、じつに前回の小泉選挙をも上回る素晴らしい出来だった。今回の選挙は巷間言われているように自民と民主の「ばらまき合戦」だったから、別に民主党が勝とうが勝つまいが、わたしにはどうでもいい。投票率が7割に迫ったという事実こそが素晴らしい。無意味な所得移転ばかりを志向する層が少しでもダメージを受けていてくれたら何も言うことはない。これで年齢別投票率で、若者が老人を上回っていればさらに言うことはないのだが・・・。



宴が終わって、一晩明けたところで、多くの人がワイワイ言っているが、いつも見ているブログ主さんたちは、さすがというべきか、ポリシーがしっかりしていて、発言がぶれない。うらやましい。


自民党は「保守主義」で再生せよ - 池田信夫

なぜ勝たせてもらったのかをよく考えるべきだ



「別に自民でも民主でもいいから、しっかりやってくれよ」ってな感じである。


個人的には、もう少し昔の自民党、社会党上がりの老人が一掃されてほしかったが、なかなかそうもいかなかったようで残念である。森元首相があっさり当確しちゃったのはガックリきたし、民主党でも渡辺さんみたいな長老が当選しちゃったのはなんだか解せない。これなら、まだ「外山公一的当選」の磯谷香代子 さんのほうが若い分、期待できそう。こういうことがあるのが、選挙の面白いところだ。まあ、あまり性急な転換は好まない国民性だということだろうから、徐々に変化するのを待ちたいところだ。



これから当分の間、初物だらけの内閣をめぐって相当な思考的混乱があるはずだが、このへんをうまくまとめて、ひとつの方向性を打ち出し、さらに日常の政治活動を回していくのは相当大変だろうと思う。こうなってくるとやっぱり、経験のある小沢さんを中心に鳩山さん、菅さん、岡田さんあたりの古株が実務を主導していくんだろうなぁ・・・そう考えると、なんか自民党と変わらない気がしてきたのはわたしだけだろうかw 竹中さんとかを入閣させると一気に見直すのになぁ。超サプライズで、みんな一斉に支持し始めるに違いない。



ま、とにかく、歴史的な場面であることには間違いない。麻生さんは歴史的大敗を喫し、野党に転落したときの最後の首相・・・というような感じで、ひとびとの記憶には残るから、それもまたよかった?

会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く (光文社新書)/勝間和代
¥777
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これを書いている今現在(2009年8月31日 0:46頃)、民主党が300議席を獲得したことが分かり、いよいよ政権が交代したようです。ま、せっかく思い通りになったのだから、いい方向になるように頑張ってほしいものですね。


さて、これは勝間さんの本。はやっていたので買ってみた。読んだのはだいぶ前(1か月くらい前)です。


この手のリスク管理的な観点での処世術を説く本としてはかなり後発だし、後発なら後発としてのセールスポイントがあればよいのだがそれも弱い。勝間さんは「ベストセラー作家」だから、どうしても最大公約数的な意見を書かざるを得ないのだろう。そういう意味でも端的に言って「拍子抜け」なのだが、まあきっとこの本は、勝間さんという相当有名な人が、そこそこ刺激的な内容で書いて、それを多くの人が読むということ、そこに意義があるのではないだろうか。



お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書)/勝間 和代

¥735
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ずいぶんと売れたらしいが、これを読んで、すぐに保険を解約して定期預金を解約して投資始めた人はどれくらいいるのだろうか?
メディアの支配者〈上〉 (講談社文庫)/中川 一徳
¥780
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メディアの支配者〈下〉 (講談社文庫)/中川 一徳
¥830
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おもしろすぎる。


われわれのような”軽薄”なメディアの消費者は、フジサンケイグループと言えば「8チャンネル」「オールナイトニッポン」そして一連の「ライブドア事件」くらいの認識くらいしかないのではなかろうか。実を言うと、わたしのような田舎者は、そもそも「8チャンネル」とか「ニッポン放送」という意識すら希薄であり、せいぜい「月9」とか「お台場」くらいの認識しかないわけだが、もう少し年が上の世代は、「クーデター」、すなわち、日枝久・現フジ・メディア・ホールディングス会長の起こした「鹿内宏明議長解任事件」を、鮮明に覚えているのかもしれない。


「楽しくなければテレビじゃない!」と、すがすがしいほど「売らんかな」の精神に徹するフジテレビで、まさか17年も前にこのような「社内クーデター」が起きていようとは・・・。今のフジテレビしか意識にないわたしのような消費者にとって、かつてそのトップを「クーデター」という形で「押込」したというのは、衝撃的なほど意外な事実だ。


フジテレビ、産経新聞そしてニッポン放送という巨大なメディア・コングロマリットを、たった一代で作り上げた怪物、鹿内信隆の波乱に満ちた人生、そのあとを継いだ息子春雄の躍進と早すぎる死、養子として鹿内の名を継いだ宏明氏の専横wと日枝氏によるクーデター。決して自ら語られることのない巨大メディアの「社史」だ。これは出色の出来といっていい。おもしろすぎる。(大事なことなので二回度言いました)


本書の秀逸なのはその構成だろう。フジサンケイグループの内情を知らない人間には、せいぜいライブドア事件くらいの興味しかないところに、いきなり箱根の彫刻の森から話をし始める。「?」という読者に、休む間もなく宏明氏のクーデター事件を描き出す。宏明氏が取締役会で解任決議を受けるところなどは、完全に「踊る大捜査線」の世界だ。(要するに「ドラマ」だと言いたいのです。) ここでようやくグループの「原点」である、創始者鹿内信隆の人生とともに歴史をさかのぼる。下巻で明らかにされる彫刻の森の本当の意味、そして、信隆、春雄、宏明と続く鹿内家のグループの占有の歴史・・・。で、ようやく現代に戻ってきて、最後があの「ニッポン放送」事件だ。



著者は13年にも及ぶ長い取材の締めくくりとして、2004年12月下旬に日枝氏にインタビューを行っている。ホリエモンによる、いわゆる「ニッポン放送株取得」は翌2005年2月に行われているわけだから、そのタイムリーさには著者も唖然としただろう。さあ入校だ、これから出版作業に入ろうというところでのこの事件だったわけである。(日枝氏はもっと驚いただろうが)


もしかしたら、このグループの抱える問題をよく知る著者は、”ホリエモン”の登場を予感していたのかもしれない。しかし、すくなくとも本書は3代にわたる鹿内家とフジサンケイグループの歴史を書いた「社史」だ。宏明氏の「降伏」が行われた2004年末をもって「第1部完」、区切りとしては最適だと思うことはあっても、まさか、これほどタイムリーなタイミングで”日枝氏に挑みかかる若者”という構図は予想できなかったに違いない。主君を「押込」した新しい殿様を、ある日名もない足軽が突然その本丸を狙ってきたのだ。しかも、プロローグでも書かれているように、ホリエモンは自ら「鹿内家の継承者」と語っている。旧主の影におびえ、なりふり構わずに防衛に奔走した日枝氏の憤懣を想像すると、これほどよくできたドラマはない。



残念ながら、時間的な制約によると思われるが、本書ではホリエモン事件についてほとんど触れられていない。(単行本の初出は2005年6月。) 著者は「第2部」を準備しているということだから、楽しみに待つとしよう。

正社員が没落する ――「貧困スパイラル」を止めろ! (角川oneテーマ21)/湯浅 誠
¥760
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さいきん「自由主義陣営」(笑?)の本やブログばかりリンクしているが、久々の左翼陣営の本。ただ、正直に白状すると、わたし自身のいまの考えは、以前批判していたリバタリアニズムや新自由主義にちかくなっていることを認めざるを得ない。まあ、学者やジャーナリストほど学問的に追究しているわけではないので、自由化路線でうまくいくという理屈を理解しているわけではない。また一方で、一時期かなりの影響を受けたケインジアンの政策も、現在の状況で妥当なのかどうかどうかわからない。「大きな政府」が誤りであることくらいは、ようやく確信したが、そもそも市場原理の拡大の結果発生する貧富の差の拡大(ひいては、幸福度の格差)をどうしたらいいのかはわからない。


もう少し頭がよかったら・・・と思わずにはいられないが、こうした学問的な側面の勉強不徹底が原因で、さいきんの言説はどうにも軸がぶれている。わたしが政治家だったらマスコミに袋叩きにされそうである。


恒例のしょうもない前置きはこれくらいにして本論に入ろう。本書は、「ルポ 貧困大国アメリカ」などで、現代アメリカの貧困状況に詳しい堤未果氏と、「年越し派遣村」で一躍時の人となった湯浅誠氏の共著である。


本書はアメリカの例をあげ、今、自分が中間層だと思っている人がある日突然貧困層に落ちてしまうという状況が、日本においてももはや貧困は対岸の火事ではなく、今すぐ取り組むべき喫緊の問題であると警告しているものである。著者たちはいわゆる左翼陣営の運動家であると思われるが、言っていることの大部分は自由主義陣営(?)の人たちの主張とぜんぜん矛盾しないように思えてくる。結局労働市場が最適でないというところに根本的な原因があるという主張は、まったく同一なのではないか。


かつての「右翼⇔左翼」という対立軸は、「保守=アメリカ寄り」という立場と、「革新=中国・ソビエト共産党寄り」という非常に分かりやすいものだった。しかし、冷戦構造が遠い昔となった今、そのへんの価値観は多様化しすぎてきて、単純な二項対立では理解できないようになってしまった。そういう流れからすると、湯浅氏や堤氏のような方々を歴史的にどういう位置づけで理解すればいいかわたしにはわからなくなってしまった。言っていることは理解できるし、わたし自身の属する階級的には同意できるのだが、もっと大きな枠、大上段でとらえれば、こうした人たちの主張は細部の運用を考えるとわからなくなる。(要するに、「じゃあ実際どうすりゃいいの?」という問いにたいする答えがないように思えるのだ)


運動家ということで、ポジショントークに徹しているということだろうか? 「発言することに意味がある」というような。でも、本当に派遣切りにあったような人たちのことを考えると、現実的には池田さんのような発言 に帰着せざるを得ないのではないだろうか。



ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)/堤 未果

¥735
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【生活保護】 「月に一度のささやかな贅沢、回転寿司も行けなくなった」…母子加算廃止で


以前、ベーシックインカムについてのエントリ を書いたことがあるが、こういうニュースを見るにつけ、やはりベーシックインカムという発想がもっと現実的なものとなって、はやく社会に浸透しないかなぁ~、と思う。



コメントを見るまでもないが、こういう記事に対するほとんどの反応は


「タダでカネもらってる奴が贅沢してんじゃねーよ」

「生活保護受けてるやつは日陰暮らししてろ」


というものだ。


生活保護の適用を受けるには、書類上、貧困にあることを証明ことが求められる。そのうえで、役人(ケースワーカーとかいう人たち)からの尋問に耐え、プライバシーをすべてさらけ出し、「わたしは貧困にあえいでいる」というのをさまざまな方法で証明しなければならない。


そうしてやっと得たセーフティネットも、まだまだ安心していられない。


ちょっとでも書類上のラインを超えた収入などがあっては資格をはく奪されてしまう可能性がある。それに加え、社会から厳しい監視の目にさらされ、周囲に対しても「物乞い」のような振る舞いが要求される。要するにセーフティネットである生活保護には、なぜかその使途に厳しい「制限」があるということだ。生活保護は不労所得であるため、「働かざる者食うべからず」のエトスからすると、社会から後ろ指を指されて当然であるということだろう。


決してエスタブリッシュメントではない人たちが、セーフティネットにいる人たちを攻撃するという、ある意味では共食いのような場面であり、あまり気持ちのいいものではない。


それにしても、こういうコメントの中に


「生活保護で別に何食べたっていいじゃないか」

「母子も月一回の贅沢とかつまらんこと言わないで、堂々と好きなことに使えよ」

「セーフティネット(生活保護)は国民の権利。恥じることはない」


というような意見がただの一つもないことに、ベーシックインカムなんて夢のまた夢という気がする。

結局、「働かざる者食うべからず」の論理は、相当強力ということであろう。



それにしても、この生活保護を受けているひとに対する執拗で、かつ妥協のない憎悪というのは一体なんなのだろう? これは、今、現実に働いている自分と、生活保護を受けている人の間に、所得面で大きな差がないことに起因しているのではないだろうか。働いている俺が、なんで働いてない奴より生活レベルが低いんだよ! と、そういうことではないか。


おそらく、ここで怒りをあらわにしているような人々が本当に怒りを向けるべきは、硬直した労働市場に守られたノンワーキングリッチや、ロビイングによって不当に得た規制などで肥え太るエスタブリッシュメント、およびその周辺であったりするはずなのだ。セーフティネットが整っていなかったり、所得移転がいびつだったり、世代間格差の原因は政治にあるはずなのだが、なぜか「おれも我慢してんだからお前も我慢しろ」「気持ちの問題」的な発想しかできず、共倒れになるのは見ていて痛々しい。


人間は感情の生き物だから、そういう気持ちはわからなくもないが、マクロ的には克服していかなければならないと思う。この場合、おかしいのは社会制度のほうであり、最終的には政治に責任がある。(ということは、国民に原因があるということだが) それに気付かず、本来手を取り合う人たちが、反発し合っているのであるのは、本当に残念なことだ。


【追記】「ノン・ワーキング・リッチ」というのは池田信夫氏が発明した新語のようです。池田さんってすごいね。

海がきこえる (徳間文庫)/氷室 冴子
¥620
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ここのところ新刊や政治経済ネタが多かったので、たまには泡沫ブログの本領を発揮しようと思う。今日取り上げるのは「海がきこえる」です。みなさんご存知ですよね。スタジオジブリによってアニメ化もされました。わたしは多くの人がそうであるように、アニメから知ったのですが、今回は原作の小説のほうを紹介したい。


高知の高校を卒業し、東京に進学した杜崎拓は、ある日、高校時代の友人から電話で武藤里伽子が東京に来ていることを知らされる。地元の高知大学に進学したはずの理伽子がなぜ東京に来ているのか? かつて好きだった里伽子のことを思い出す拓。高校二年の夏、東京から転校してきた里伽子と過ごした日々の思い出がよみがえる。ああ、僕はやっぱり、里伽子が好きなんだ。。。


あらすじを書くのが苦手だということがよくわかった。

アマゾンの書評を見てくださいw



こういうのを読むと、地方で過ごした高校時代を思い出す。多くの地方出身者がそうだったように、東京へのコンプレックスとあこがれがないまぜになったような甘酸っぱい思い出(?)がよみがえってくる。こういうのを疑似記憶というのだろうが、まあ一般的に多くの地方出身者はシンパシーを感じやすい構図になっていると思う。(今じゃ、満員電車に揺られるのも慣れてしまったくらい、首都圏の生活にどっぷり浸かってしまったが。。。)


あと、年取ってから読み返すと、里伽子のわがままさに腹が立たなくなる。

むしろ可愛いと思えるから不思議だw

逆に、拓が大人すぎる気がして仕方がない。

それから、アニメ版だと、父親のマンションから出てきた彼女が不倫相手だって気付かなかったのだが、本だとしっかり書いてあって鈍いわたしにもわかりやすい。他にも何点かあるが、アニメ版の拓はあっさりしすぎて、鈍い人には追い切れない情景描写が多いが、活字だとそのへんがクリアになっていてよい。(わたしなど、鈍すぎてラストシーンまで拓が里伽子のことを好きなことをぜんぜん気付かなかった。ここまで鈍いのはわたしだけだろうが。。。)


しかし、難点もある。やはり初出から時間が経っているせいか、主人公たちの言い回しや風俗が非常に時代を感じさせる。端的にいえば、古くてダサい。やはり、トレンディものは後から見返すと恥ずかしくなる。将来、万が一中二病小説を書くことがあったら、気をつけようと思う。あと解説の宮台真司がうぜぇ。こいつ一体何様だと小一時間。


作者の氷室冴子さんは2008年にお亡くなりになったようです。ご冥福をお祈りいたします。



海がきこえる〈2〉アイがあるから (徳間文庫)/氷室 冴子

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