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One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

最強の英語上達法 (PHP新書)/岡本 浩一
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出だしの書き出しからしてスゴイ。


私は英語力を独学で身につけた。

おおむね、読み書き会話とも、母国語なみと言ってよい水準だろうと自分で考えている」(はじめに)


ここでのけぞっているようだと本書は読めないだろう。

これに続く本文はというと・・・、


英語の勉強を小手先の技術だと思わないこと


私はどうも「英会話」という言葉が隙になれない。この言葉には、とりあえず観光旅行くらいをしのげればいいという語感を感じてならないからである。

(中略)

私に言わせれば、そういうのはコミュニケーションでもなんでもない。本書はそういう人のためのものではない。もっと真摯なコミュニケーションに英語で従事しようという人のために、本書を書いたつもりである」(p14)


もう、これだけで”楽して英会話♪”みたいなものを期待していた人は本書を読むのをやめるだろう。実際、やめた方が正解である。この後、ひたすら高度な話が続いていくだけなのだから。


実際、読んでいくと求めるレベルが高くて笑えてくる。第一章と第二章は本論ではなく「準備」だ。英語学習を始める前の心構えを説いている。こういう「メタ学習」が楽しい人にはたまらないだろうが、「早く本題に入れよ」という人には、繰り返しになるが本書はお勧めできない。


第三章ではまだ本題に入らずに「英語上級者の特徴」を紹介している。この章は、「一般によく英語ができるなどといわれるが、それはどういうレベルのことを指すのだろうか?」 という問いに対する著者の答えとなっているわけだが、これがまたすごい。著者いわく、「英語ができる人=上級者」の特徴は以下の通り、だそうだ。


・読み書きと会話に落差を意識しない

・会話をそのまま文書にしても文法的に正しい文になっている

・時制が正確に使える

・文法に詳しい

・前置詞が正確である

・前置詞のニュアンスを心得ている

・仮定法や分詞構文を正確に使うことができる

・語彙が多い


もうこの辺で、「どういうレベルだよ?」と聞き返したくなる。この章はさらに続く。


・上級者は生の知識を英語でもっている

・英語の語彙と日本語の語彙の範囲がずれている

・固有名詞の語彙が豊富である

・語彙の転換ができる

・スペルの推測が上手である

・スペルを表意文字的に見る

・「リエゾン」を正確に分解できる

・スペルの一部からの推測が上手にできる

・カラオケで歌が歌える


これはさらに続いているのだが、もういい加減嫌になってきたと思うのでこのへんでやめておこく。要するに「英語ができる」というのは、このレベルを目指せ、ということらしい。


しかしここまで来ると、母国語(つまり日本語)の理解すら大丈夫だろうか? と不安になる。私ははたして「てにをは」を正確に使えているだろうか。漢字の間違いはないだろうか。文章のリズムは大丈夫だろうか。語彙は少なくないだろうか。この本を読んでいると、母国語すら怪しい人は、外国語を学ぶ前にやることがあると言われているような気がする。


この次の第四章で「文法を味方にせよ」と最後のお説教を終わり、第五章からようやく本題、すなわち「英語の上達法」が始まる。しかし、すでに述べたようなレベルを目指そうというのだから、「聞き流すだけで~」的なものとはまったく様相を異にしていることは、容易に想像できるはずだ。本書では「中核トレーニング」と「発展的トレーニング」が紹介されているが、もはや「中核トレーニング」の時点でわたしなどはアウトだ。「発展的トレーニング」など、母国語ですらできない人もいるかもしれない。本文も、英文を引用しておきながら「どうです? オチが何かわかりましたか?」とだけ書いてあって、解説がなかったりする。何が面白いのかわからない読者はおいてけぼりだ。


要するに、学問には王道なしということが書いてある。後半の「発展的トレーニング」を実践できるようになるのは、TOEICで言えばスコア800以上、英検1級くらいの人だけではないだろうか。どう見ても初心者向けではない。


余計な御世話だが、これは売れないだろうと心配になるw あまりにも商売っ気がなさすぎる。しかし逆に、本気で英語に取り組みたい人にはお勧めといえよう。

ブログのデザインを読みやすくしようと試行錯誤していると、過去の記事をついつい読み直してしまった。自分自身の過去の記事を読むと、ものすごくブレているのがわかる。消さずに残しておいて、さらに10年後にどう思うか自分でも楽しみだ。


池田信夫氏のブログを読むようになってから世の中の見方が変わって、ようやく現在の日本社会の構造が(後付けながら)わかってきた。要するに、日本の経済力が低下し社会が閉塞的になっていくのにイラついて、といって怒りをぶつける対象がわからずに、マスコミに踊らされるまま「新自由主義」とか「フリードマン」というような「記号」に、一方的に敵意をむき出しにしていただけなのだ。

それに共産主義がヤバイのは証明済みなのに、つい目先の衰退を目の当たりにすると、社会主義的なドグマに魅かれてしまうのは、わたしも昭和的価値観というか、戦後民主主義の教育を受けたということの証左かもしれない。ちょっと「格差」とか「貧困」とかを目の当たりにすると、なぜか「社会主義」的な政策に同調したり、期待を寄せたりしてしまう。


今考えると、出来の悪いサヨクのように騒いでいたのも、別に資本主義を否定したり市場原理を否定したりするのではなく、現在起きている格差とか貧困とか衰退とかの構造を読み解く方法と、その処方箋を教えてほしかっただけなのだと思う。そういう意味でも、池田さんの本はよかった。人生で読んでよかったと思える本の著者は、今のところ山本七平先生くらいだったが、池田さんも「先生」に格上げしなきゃならないw ブログ更新が異常に活発な池田先生だが、息切れしないで今後もやってほしい。



そんなことをつらつら考えたりしてると、過去の記事に責任を持たないといけない「プロ」は、相当しんどい仕事だなぁ。。。と改めて思う。学者なんかは、間違ったことばっかり言ってたら、どこかのタイミングで「転向」しないと責任をとれないし。家族があったりすると悩むんじゃないだろうか。心の弱い人には向いてないな。

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)/小島 寛之
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小中高を通して学習する教科の中で、数学はほかの主要教科に比べて一種独特の立ち位置にあるような印象を受ける。一部の数学を愛する人は、数学は社会をより鮮やかにしてくれる素晴らしい知識であると説くが、多くの人にとっては文字通り「数が苦」であり、憎しみの対象であったりする。


残念ながら世の中にはこうした「数学が素晴らしくて仕方ない」と思える人と、「数学なんて大嫌い」という人の間に大きな断絶がある。前者がいくら声高に宣伝しても、後者の耳には届かないだろう。著者はこうした断絶をなんとかして埋めようと、本書で数学の親しみ方を教えてくれている。そして、それはかなり、成功したといえよう。


著者は学校数学の基礎となる「代数」「幾何」「解析」のそれぞれについて、子どもがつまずきやすいポイントについて実例を挙げ、解説しながら数学の親しみ方を非常に分かりやすく書いている。数学が得意だったという人も、自分の過去を振り返ってみて「そうそう、そういえばここでつまずいた」と懐かしく思いだすのではないだろうか。当時、「これはこうすれば点がもらえるが、本当はどういう意味なんだろう?」というような記憶はたくさんあると思うが、大人になった今、そうした疑問を振り返るのも面白いと思う。子どものいる親には必ず読んでほしい内容だ。



ところで数学は創造的な学問だとよく言われるが、学校でやる数学は少し違っている。たとえば本書でもこのような紹介がある。


「アメリカの経済学者であるボウルズとギンタスの実証研究によれば、学校教育の中での語学や数学の成績は、意外なことに、「創造性」「積極性」「独立心」などとは負の相関を持ち、「我慢強い」「堅実」「学校への帰属意識が強い」「如才ない」などの性質と正の相関を持つとのことだ」(本文p29)


要するに、自分の頭で考える人ほど、学校の勉強に苦手意識を持つということを言っているわけだ。


わたし自身の経験からもこれは正しいと思う。受験数学を経験した人はご存じだと思うが、いわゆる受験のための数学は、ひたすら解法をパターン化して覚え、それをいかに反射的に再現するかというテクニックを反復練習すればよいので、本質的な理解が得られなくても別に構わない。むしろ自分で考えるのではなく、ある程度のところで割り切るというのが王道であるといえる。逆に自分でとことん考えるというスタイルは、スピードの上では有害であったりする。


たとえば「数学的帰納法」などは、仮定の仕方を知っていればOKであり、「背理法」なども「矛盾である」という言葉とセットで覚えれば、意外とテストの点は取れる。むしろ「背理法って、一体どういうことなんだ?」と本質的なところに疑問を持つような学生は落ちこぼれていく可能性が高い。こうした本質的な部分は、それこそ数学の根幹であるから、ふつうのガキが理解するのには時間がかかるためだ。そしてそれは当り前なのだが、まさにその思惟の時間こそがネックとなって、授業についていけなくなるのだ。


だがこうしたことはある意味では仕方のないことであろう。創造力を中心に育てようとする教育はリスクが高いし、公教育としても配慮を欠くだろう。これはバランスが難しい問題だが、日本のように人間の数が多い国で一定のレベルを確保しようとすると、画一的な詰め込み、知識偏重となってしまうのは致し方ない気がする。しかしグローバル化が進み、産業構造が変わった今、こうした「富国強兵」的な考えはすでに時代遅れとなっているのも事実である。


先日紹介した「ドキュメント高校中退 」のように、そもそもそれ以前の問題もあったりと、公教育を取り巻く状況はいつの世も難しいものだ・・・。

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)/青砥 恭
¥777
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格差が広がるといわれる日本社会において、ますます社会問題化する学力差だが、すでに問題はそういうレベルではないという強烈な事実が活写されている。読んでいて辛くなる本だ。日本もここまで来ていたか・・・と暗澹とならざるを得ない。


著者は高校を中退する若者たちにインタビューを続け、その背後に貧困があるとみる。すなわち貧困が、すべての基盤である家庭や家族を崩壊させ、負のスパイラルに落ちていく最大の原因であると分析しているのだ。したがって教育に関する問題と、その原因となり得る貧困を、社会全体の損失とみなして解決していくことを強く求めている。非常に妥当な提案といえる。


ただ、こうしたフィールドワークを熱心に行うようなジャーナリストにありがちなのだが、格差の原因を「新自由主義」とかに求めるところだけは残念だった。やはり目の前に悲惨な少年少女が居ると、ついそう感じてしまうのだろう。わたしもそうだったから、気持ちはよくわかる。著者はところどころで、競争を強要する社会のありようを批判し、「共生」を説くが、残念ながら競争を否定すれば衰退が待っているだけなのだ。そうなると、最初に切り捨てられるのはこの本に出てくるような若者たちだろう。非常に逆説的だが、この事実を受け入れないと、構造的になにも解決しないのだ。本文にある「友だちを蹴落とし、競争に勝ち抜くことを生きがいにする子ともはいないのである。(p226)」などのような「やさしい」論理が、逆に作用していることに気付いてほしい。


おそらく「新自由主義」とか批判されるような人は、まさにこのような「生まれながらの機会の不平等」をなくすために日々奮闘し、たとえばその解決策のひとつとしてのベーシックインカム(BI)や負の所得税を模索していたりするのだと、わたしは思っている。しかし、真に競争的な提案は既得権益層の反発にあって骨抜きにされ、その結果、「競争原理が人心を荒廃させる」というような宣伝でデモナイズされてしまうのだ。


だから、出来れば著者のような人こそが、経済を正しく俯瞰し、「機会の平等」と「セーフティネット」、あるいは「フレキシキュリティ」などを正しく整備したうえで、健全な競争を促進させ、経済成長を促すべきだと主張してほしいものだ。



ちょっと関係ないが、いつもなんとなく見てしまう暇人速報でこんなのがあった。だが、これは笑えない。


ゆとりはここまでひどいのか・・・と思ってしまったこと - 暇人速報


暇人速報なのでこれは単なる「放談」で済むが、現実問題として、ある世代で傾向的に見られる学力低下は「嘲笑」してすむような問題ではない。この低下した学力の原因は、著者の言うように、貧困による構造的なものでああるだろう。「ゆとり」とかいって笑っていられるうちは、幸せである。

希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学/池田 信夫
¥1,680
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池田さんの本。すばらしいと思う。


何がすごいって、とにかくわかりやすい。誰しも今の日本に閉塞感を感じているだろうし、景気後退にかんするマスコミ情報の胡散臭さに辟易していると思う。しかし、ではなぜ閉塞しているのか、そして何がどう胡散臭いのかはなかなか説明できないものだ。しかし、本書はほとんど網羅的に現代の閉塞感の原因を解き明かしている。


通常、既得権益層(というより、マスコミ)の多くは何やら社会学的な発言をする際にある種の胡散臭さが付きまとうが、なぜ胡散臭いかというと、自分の所属する何かに遠慮しているからだろう。(中にはまれにモリタクのように金儲けに徹している人もいるが、多くの偉い人は本音で語れない”大人の事情”があるのだと思う。) 著者の場合は誰にも遠慮しないから、現実はこうだとあっさり直言する。だからわかりやすいのだと思う。


著者も断っているとおり、これは著者が過去にブログや雑誌で書いたことの再録だから、そういう読者にとっては内容的に真新しいところはない。しかし、そうはいってもやっぱり一冊の本にまとめられているところが良い。ソフトカバーで読みやいところも吉だ。


読みどころを引用しようとすると引用だらけになってしまう。「事後の正義」とか「退出障壁」とか「補完性」とか、説明を受けると「ああそうなのか」と膝を打つ経済的なエッセンスが超わかりやすく紹介されている。


分量的には243ページという少なさで、これ以上要約しようがないほどだが、あえてわたしなりに敷衍すれば、本書のエッセンスは以下の通りだろう。


「今の日本はオワタ。原資のない所得再配分では衰退していくだけだ。成長を続けるには今の産業構造、労働市場を変え(構造改革)て、イノベーション(革新)を促進するしかないが、今のままでは構造的に無理で、衰退するしかない。でも、逆に考えてこのまま衰退してくというのも一つの手だ」


最後の一文は著者の真意を外している(単なるわたしの思い込み)かもしれないが、著者はブログなどでも「幸福と富はイコールではなく、むしろ両者はトレードオフの関係にある」と分析しており、必ずしも経済的に豊かになることが幸せへの道ではないと説明していた気がする。むしろ、社会が成長した後の衰退は成熟した国家が必ずたどる道であり、豊かさの意味を見直して生活の質的向上を目指すべきではないかと説く。あとがきにもこうある。


「日本のように経済的に成熟した大国が急速な成長を続けることは不可能だし、それは望ましいとも限らない。多くの調査によれば、一人当たりGDPと「幸福度」の相関は低く、日本は所得は高いのに幸福度では世界で90位前後だ。単なる富の増大よりも、むしろ安定した生活や公平な社会を望む人が多い。所得の量を増やすことより、生活の質を高めることを考える時期だろう。

 経済学では、単純な功利主義にもとづいて幸福(welfare)と富(wealth)を同一視し、資源配分の効率(つまり富の最大化)を目的としてきたが、これは自明ではない。行動経済学の実験によれば、多くの人が効率よりも公平を重視する。経済学では、効率と公平は別の問題だと考えてきたが、実際には両者にはトレードオフがある」


人生金がすべてじゃない、というレトリックは、何も考えずに語ると単なる資本主義否定論者の妄言になるが、経済成長とのトレードオフとしてとらえれば傾聴すべき意見になり得るということだろう。もちろん単に経済成長を諦めようというのではなく、成熟した国家に相応しいバランスのとれたトレードオフを意思決定していくことが求められるということだ。


というか、いろいろグダグダ書いてしまったが、本書を読んだ方が早い。ぜひ読んでください。


池田先生、民主党のブレーンになるか、大臣にでもなったらいいんじゃないでしょうか。本当に。

外資系企業で成功する人、失敗する人 (PHP新書)/津田 倫男
¥756
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その名もずばり、外資系企業でやっていくためのハウツー本。やや劇画的な表現が多く「それホント?」と聞きたくなってしまうが、著者の経験を通して得られた実感なのだろうから、それなりに真実をついているのだろう。とはいえ、奥付に見る著者の外資歴は7年間だ。これを長いと見るか短いと見るかは、それこそ本書を読んでから判断してほしいが、うがった見方をすれば、「もしかして、これって外資をドロップアウトした著者のルサンチマンなんじゃ?」とも思える。それくらい、ここで登場する「匿名」のボスや同僚たちは身も蓋もない。


しかし、それを割り引いて考えたとしても、ここに書いてあることが本当に外資系のアウトラインだとしたら・・・わたしはとてもやっていけそうにない。それくらい、外資系企業というのは、教育やら文化やら、何から何まで「日系」一本でやってきた人間にとっては身も蓋もないものとして描かれている。その獰猛さは、肉食獣、というよりも、個人的には”猛禽類”というイメージのほうがしっくりくる。のんびり日本語の壁に守られている場合じゃない! という強迫観念に駆られたりするほどだ。あまりにもわれわれの常識と違いすぎて、こういうやり方でどうやって組織が円滑に回るんだろうか? と思ってしまうほどだが、それはきっと、わたしが日系しか知らないからなのだろう。



われわれはつい、「外資系」というと米国資本を思い浮かべてしまうが、実際はそれだけではないし、そこで働くホワイトカラーたちも様々なバックグラウンドを持つことを忘れてしまう。この点、本書ではヨーロッパ、華系、印系などもバランスよく記述があってためになる。といっても最後の方にちょっとだけ書いてあるだけだが。


わたしが個人的に耳にしたり、目にしたりする外資系(金融系)の企業はとてもこんな印象は受けないが・・・それはおそらく、わたしのカウンターパートが日本人ばかりだからなのだろう。きっと管理職層や経営層はこの本に書いてある通りなのかもしれない・・・本当のところはわからない。まあ、これから日系企業を出て外資系に転職する人は、読んで損はないと思う。




さて、ちょっと本筋からはそれるので以下は時間のある人だけ読んでほしい。わたしが個人的に強く感銘を受けたのは、欧州系におけるホワイトカラーに見られるスノッブぶりと、それに対応するために必要な「教養」の必要性について書いてある点だ。


日本においてはもう「教養」なんてものを見かけるのは、大学1年生のときくらいだろう。もしかしたら、今はそれすらもないのかもしれない。それくらい、日本は階級格差のないフラットで「民主的」な国になっているが、こうした教養がまだエリート層に浸透している国家(英国とか)にすれば、ハイクラスなホワイトカラーに教養がないほうが違和感を感じるそうだ。まさに、エリートと非エリートを分ける見えない壁といえる。


わが国にも、かつてはちゃんとエリート層がいた。日本の場合は中国の影響を強く受けているから、エリートの徳目は儒教だった。だから論語を中心とした四書五経が、上流階級に要請される基本知識としてまさに「教養化」していたわけだ。逆に卑しい出の人間は、読み書きそろばんができればあとは要らない。士大夫以外が余計な知識を得るのは有害だという考えがあったのだろう。


しかし今や階級はもとより、「知的エリート」とか「知識階級」みたいな存在はすでに消え去り、現在はすでに大学全入時代となって久しく、小中高は言うに及ばず、大学でも分野が違えばこういう教養は一切やらない。徹底した教養の排除と極端な実学指向は、もちろんみなさんご存じの通り戦後の奇跡的な復興と、世界史にもまれな超急速経済成長を下支えしたが、逆に一般的な教養というのを無駄なものだという空気が蔓延してしまった。


しかし今は、少なくとも欧州系のホワイトカラーにとっては、こうした一見無意味な「教養」こそが、その人の「格」を底上げし、信用を増す効果があるというのだから皮肉なものだ。

フルメタル・パニック! mission.1
¥5,481



過去にフルメタル・パニック! The Second Raid (TSR) についての記事 を書いたことがあるが、こちらはGONZOの「無印」のほうである。インターネットでよく見る評価によると、やっぱり京都アニメーションが手掛けた TSR および ふもっふ のほうが人気があるようだ。わたしもそこまで詳しく見てはいないが、やはり京都アニメーションの演出の方がGONZOより優れているような気がしないでもない。絵は明らかに京アニが優る。GONZOも相当レベルが高いのだが、京アニはどうも頭一つ抜けている感じで、どうしても比べられているほかのアニメプロダクションがかわいそうだ。(これを競争原理というのか?)



久々に通して見返してみたがやはりよくできている。メインストーリを追う回とサイドストーリの緩急がよくできていて、ぜんぜん飽きない。二日間ぶっ続けで見て具合が悪くなってしまった。。。

与党民主党が記者クラブの廃止を掲げていたのに、いつのまにか闇に葬られてしまった件に関するメモ。(はてなブックマークの使い方がわからないので、ブログでメモ)


花岡信昭氏の「絶滅危惧種的メディア論」 by 池田信夫

ふーん、これが事実なら糞だな。記者クラブ開放について。 by 堀江貴文

TVとマスコミの未来を暗示させるブログ記事 by 堀江貴文

[ネット][テレビ] 総理大臣の外遊に見る、記者クラブの生態

記者クラブを楯にして新聞を有料化しようと企てる人たち by 佐々木俊尚

ジャーナリズムの自殺、民主党の「公約」破り・記者クラブ開放問題を書かない既存メディア by 藤代裕之


この件については、いろんなひとがいろんな意見を述べているが、既得権益側(つまり記者クラブ存続派)は旗色が悪いようである。もう、すさまじい書かれっぷりだ。


いまどき記者クラブを面と向かって擁護するような人はあまりいないので、ほぼ、花岡信昭氏が集中砲火を浴びる格好となっている模様。問題の記事はこれ↓です。はてブでもすさまじいブックマーク数 で、「炎上」ぶりがよくわかる。


記者クラブ制度批判は完全な誤りだ by 花岡信昭


ネットに署名記事を書くのも楽じゃない。まあ、そういう意味では、古巣の新聞社記者よりも、実名で勝負している点は正々堂々としていると言えるのではないだろうか。これだけ集中砲火されていると、逆に記者クラブにも少しは合理性があるんじゃないだろうかと思ってしまう。



A. 日本のITってどうして糞ばかりなんですか? by DANKOGAI


小飼弾さんなんかは、はてなの匿名ダイアリーにマジギレしてる。わたしも同意したいところだが、さすがに署名記事を書けるほど覚悟ができちゃあいない。我が国で実名で勝負している人は本当にすごい、と思う。花岡氏の発言は微妙だが、署名入りという点は評価してよいのでは。

livedoorのRSSリーダの使いやすさは異常。これを使うようになってからブログの巡回が非常に楽になり、これまで以上にブックマークすることに躊躇がなくなった。


ということでわたしがいつもお世話になっているブログたちをご紹介したいと思う。


1.六本木で働いていた元社長のアメブロ by 堀江貴文,ameba


言わずと知れたホリエモンこと堀江貴文元ライブドア社長のブログ。提供元はアメーバ。更新頻度も高く内容も毎日示唆にあふれていてためになる。固定観念に毒されている人はぜひ読んでみるべきだろう。


2.アゴラ by livedoor


池田信夫先生が主催する「言論プラットフォーム」。骨太な政策提言などが多いやや硬派なサイトだが、テレビで言うところの「自由主義陣営」らしいので既存メディアにべったりの思考停止にはやや敷居が高いだろう。議論されているレベルも高いのでついて行くのが少々やっかいだ。


3.池田信夫ブログ by 池田信夫,livedoor


池田先生の個人ブログ。アゴラと何が違うの?


4.404 blog not found by DANKOGAI,livedoor


小飼弾さんのブログ。超有名なアルファブロガーなので説明不要でしょう。


5.成毛眞ブログ by 成毛眞,hatena


30代でマイクロソフト日本法人の社長になったという輝かしい経歴を持つ成毛さんのブログ。すさまじい読書量で毎日書評を書いています。うらやましい生活だな。


6.Joe's Labo by 城繁幸,livedoor


「若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来」で有名になった城繁幸さんのブログ。年功序列と終身雇用がなぜ悪いのか、どれほど日本の生産性(=国力)を削いでいるか、一緒に勉強しましょう。


7.Chikirinの日記 by ちきりん,hatena


結構有名らしいが素性はよくわからない。発言の内容がかなり過激で骨太だが、内容から推測するにおそらく女性だと思われる。もしこれが素人(つまり特定のアカデミックな団体に所属していない、よくあるホワイトカラー層にいるという意味)だとすると、日本の言論界もなかなか層が厚いと言える。個人的にはやや賛同できない意見も散見されるが、議論のレベルが高いので反論できない。あと文章がうまいと思う。小憎らしいッ!


8.評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳」 by 山崎元,livedoor


山崎元さんのブログ。


9.金融日記 by 藤沢数希,livedoor


「なぜ投資のプロはサルに負けるのか? あるいはお金持ちになれるたった一つのクールなやり方」を書いた著者のブログ。最近更新頻度が下がってきました。誤解され易い人の典型みたいな人です。僕は応援していますよ、藤沢さん。


10.ニートの海外就職日記 仕事なんてクソだろ? Job is shit! by 海外ニート,FC2


国内で三流私大を卒業後パチプロ、ニートをして働こうとするも日本企業のクソっぷりに嫌気がさし、海外脱出したという、とてもバイタリティあふれるニートさんの就職記。今はすでにシンガポールで外資に職を見つけ、9時5時のワークライフバランスを楽しんでいる模様。日本の精神論大好きな根性第一クソ仕事っぷりを痛快にあぶりだしている。なんで我が国はこんなに労働時間が長いのに生産性が低いのか? 必見です。




おまけ


Greg Mankiw's blog


A professor of Harvard University, a authority in macroeconomics, Gregory Mankiw's blog.


Of course, I can't really understand what he said in English because it is English.

BALLAD 名もなき恋の歌


昼間何気なくチャンネルパトロールしていたら、テレ朝で「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 」をやっていた。「おークレしんかぁ、そういや臼井さんのニュースとかあったが、大丈夫かな」と思いながらなんとなく見てると、グイグイ引き込まれてくる。涙があふれて止まらない。


これはすごい。素晴らしいクオリティだ劇場版クレしん。


劇場版のクレしんは大人の鑑賞に耐えうるとか、むしろ大人向けだとかよく言われているが、まさにその通りだった。


俺も年取ったのかなぁ・・・と思いながら、居てもたっても居られなくなったので、さっそく実写版(というかスピンオフ?)のBALLAD 名もなき恋の歌を観に行くことにした。



正直こういうやつの実写化ははずれが多いのだが、意外にもなかなかよかった。草なぎ剛はたぶん相当演技うまいと思う。殺陣もなかなか様になっている。新垣由衣ちゃんはまだイマイチだが、美人すぎるのではまり役と言える。他にも中村敦夫さんがカッコ良すぎて笑った。


合戦シーンも原作に負けないように相当考証したのだろう。「そんなのあるわけねーだろ」「テンポ悪すぎ」「こんなバカな司令官いねぇよ」というような突っ込みがほとんどなく、日本映画にありがちな「見ててサムイ感じ」があまりなかった。(戦国自衛隊1549とか酷かった・・・)


たぶんアニメファンからすると邪道なんだろうけど、スピンオフとしてはかなりいい出来だと思う。これをきっかけにアニメ版がもっと普及すればファンも納得だろう。わたしも、もう一度「戦国大合戦」を観たい。



なお、臼井さんはやっぱり山でお亡くなりになられた可能性が高いようです。

非常に残念ですが、おそらくまず間違いないのだと思います。

ご冥福をお祈りしたい。


「しんちゃん」の臼井さんか、がけ下に遺体





映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 [DVD]
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