ベーシックインカムに関する補記 | One of 泡沫書評ブログ

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【生活保護】 「月に一度のささやかな贅沢、回転寿司も行けなくなった」…母子加算廃止で


以前、ベーシックインカムについてのエントリ を書いたことがあるが、こういうニュースを見るにつけ、やはりベーシックインカムという発想がもっと現実的なものとなって、はやく社会に浸透しないかなぁ~、と思う。



コメントを見るまでもないが、こういう記事に対するほとんどの反応は


「タダでカネもらってる奴が贅沢してんじゃねーよ」

「生活保護受けてるやつは日陰暮らししてろ」


というものだ。


生活保護の適用を受けるには、書類上、貧困にあることを証明ことが求められる。そのうえで、役人(ケースワーカーとかいう人たち)からの尋問に耐え、プライバシーをすべてさらけ出し、「わたしは貧困にあえいでいる」というのをさまざまな方法で証明しなければならない。


そうしてやっと得たセーフティネットも、まだまだ安心していられない。


ちょっとでも書類上のラインを超えた収入などがあっては資格をはく奪されてしまう可能性がある。それに加え、社会から厳しい監視の目にさらされ、周囲に対しても「物乞い」のような振る舞いが要求される。要するにセーフティネットである生活保護には、なぜかその使途に厳しい「制限」があるということだ。生活保護は不労所得であるため、「働かざる者食うべからず」のエトスからすると、社会から後ろ指を指されて当然であるということだろう。


決してエスタブリッシュメントではない人たちが、セーフティネットにいる人たちを攻撃するという、ある意味では共食いのような場面であり、あまり気持ちのいいものではない。


それにしても、こういうコメントの中に


「生活保護で別に何食べたっていいじゃないか」

「母子も月一回の贅沢とかつまらんこと言わないで、堂々と好きなことに使えよ」

「セーフティネット(生活保護)は国民の権利。恥じることはない」


というような意見がただの一つもないことに、ベーシックインカムなんて夢のまた夢という気がする。

結局、「働かざる者食うべからず」の論理は、相当強力ということであろう。



それにしても、この生活保護を受けているひとに対する執拗で、かつ妥協のない憎悪というのは一体なんなのだろう? これは、今、現実に働いている自分と、生活保護を受けている人の間に、所得面で大きな差がないことに起因しているのではないだろうか。働いている俺が、なんで働いてない奴より生活レベルが低いんだよ! と、そういうことではないか。


おそらく、ここで怒りをあらわにしているような人々が本当に怒りを向けるべきは、硬直した労働市場に守られたノンワーキングリッチや、ロビイングによって不当に得た規制などで肥え太るエスタブリッシュメント、およびその周辺であったりするはずなのだ。セーフティネットが整っていなかったり、所得移転がいびつだったり、世代間格差の原因は政治にあるはずなのだが、なぜか「おれも我慢してんだからお前も我慢しろ」「気持ちの問題」的な発想しかできず、共倒れになるのは見ていて痛々しい。


人間は感情の生き物だから、そういう気持ちはわからなくもないが、マクロ的には克服していかなければならないと思う。この場合、おかしいのは社会制度のほうであり、最終的には政治に責任がある。(ということは、国民に原因があるということだが) それに気付かず、本来手を取り合う人たちが、反発し合っているのであるのは、本当に残念なことだ。


【追記】「ノン・ワーキング・リッチ」というのは池田信夫氏が発明した新語のようです。池田さんってすごいね。