- ベーシック・インカム入門 (光文社新書)/山森亮
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ホリエモンのブログで知った「ベーシックインカム(BI)」。さいきんのブログでまた紹介され、いろいろと物議をかもしている。わたしも遅ればせながら手軽な入門書ということで本書を求め、斜め読みしてみた。目からうろことはこのことだ。この考え方自体が意外に古い歴史を持っていることにも驚かされる。こういうのを見ると、「定額給付金」というのが意外に優れた手段だったのではないかとすら思えてくる。一方で、民主党の最低賃金設定はいまいちということがわかる。
もちろん全面的に賛成しているわけではない(それ以前に理解できていない)が、試みとしては非常におもしろいと思う。反射的に発言していいなら大賛成だ。ぜひやってほしい。それほど、この仕組みは資本主義の弱点を補う手法として優れていると、脊髄反射的に思う。
ネットで手軽に検索すると、ファイナンシャルリテラシーが高く、自立心が高い層は軒並み賛意を表しているようだ。
ベーシック・インカムに賛成するのに十分なたった一つの理由(小飼弾)
一方で、もちろん慎重な意見もある。
最初に手放しで賛意を表しておきながら恐縮だが、わたし自身もこういう懸念を持っている。というより、ベーシックインカムによる社会への影響の大きさが予想できないので、本当にこれでいいのかどうかと聞かれると正直不安がある。あくまでも机上のシステムとしては非常に優れていると思うが、現実に適用するとどうなるかは今のところわからない。ただ、Chikirin氏の言うようなマイナス面よりは、山崎氏の言うようなプラス面のほうが大きいのではないかという予感はしている。
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ところで、まずベーシックインカムというのを簡単にまとめてみよう。この仕組みは「最低所得保障」ということで、人間が生きるのに最低限必要なお金を渡そうという発想だ。わたし自身、理解が不十分なために「?」なところが多いが、あえてわたしの理解で箇条書きにすると以下の通りだ。
1.無条件であること (もちろん、国籍や年齢などはあるかもしれないが、基本的には条件なし、誰でも)
2.最低所得を受け取ることは、社会保障ではなく、権利である
以上、発想としては非常にシンプルであると思う。「これってセーフティネットのことでしょ? 生活保護なんじゃないの?」 と思う向きもあるかもしれないが、生活保護を含む広い意味での社会保障と異なる点は、山崎氏も言っているように受給資格を問われない(条件がない)ところだ。さらに申請主義、すなわち自らが「書類上、貧しいこと」を証明しなければならない生活保護に比べ、権利として受け取る点がすぐれている。すくなくとも人間がより尊厳を得ながら社会参加できるといえる。無条件にばらまくことで行政の事務処理は限りなくゼロに近くなるだろうから、困るのは役人だけで、現在、生活保護を受けている人にとってはより自由な選択と言えるのではないだろうか。
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つらつら思うに、これは賛成か反対かで分かれる一番のポイントは、人間というものをどうとらえているか、人生というのをどう考えているか、にあるような気がする。
自立心が強く、日常生活においても常に自己のリスクとリターンを自覚しているような人はこれに賛成するだろう。最低限の保証さえ担保されていれば、人間はすくなくとも飢餓の恐怖からは自由になり、より前向きに発想をすることができ、クリエイティビティを発揮しやすくなり、社会全体のパフォーマンス(経済成長)は上昇するという考えではないだろうか。「働かなくなる」なんて夢にも思わない。無駄なプロセスが排除され、今よりもっと生き生きと働くことができると、夢いっぱいだ。これは要するに、会社においてミスマッチな人を速やかに退場させることがやりやすくなるということでもあるのだが、そもそもミスマッチ自体を不当に我慢しているよりは、労使双方にとってもそのほうがよいという発想なのだろう。
また、無用なプライバシーを侵害されることもなく、何より仕組みとして非常にシンプルで、行政のスリム化が絶対に可能である点も見逃せない。これに合わせて、もし財源の確保も合わせてシンプル(たとえば、消費税への一本化)にできれば、これほどわかりやすいシステムはないだろう。
一方で、「負け組」とか「勝ち組」とかが気になる嫉妬深い人たちにとっては、大いにネガティブなシステムになるだろう。月々与えられる(ベーシックインカムの考えでは、そもそも「最低所得は人間の当然の権利」なのだが、やはり「お上にもらう」という感覚はぬぐいきれないと想像する)わずかな「施し」に、より一層のみじめさを感じ、働かなくてよいということが、「おまえは働く価値もない」と言われているような気がしてしまうだろう。周りでなぜか生き生きと働く人たちにも引け目を感じたりするかもしれない。
また働かなくてもいいのだが、仮に働いたとしても、企業から解雇されやすくなる可能性が高くなるわけだ。そこで万が一解雇された場合に、「合わない仕事を長く続けなくても大丈夫でよかった」ではなく、「自分はいらないのか・・・」という受け止め方をしてしまったりはしないだろうか。実際、能力に応じて資源が適正に配分されるというマクロの見方は、ミクロに見れば生活レベルで人の流動化が促進されるということだから、あらゆる意味で相対的に「弱者」になっている人は、Chikirin氏の予想するように「不幸な」生き方が待っているかもしれない。いまは会社の例を挙げたが、恋愛然り、結婚然りだ。このあたりは「中年童貞」の愛読者であるわたしなどにはよくわかる。だがこれは、山崎氏が言っているようにベーシックインカムの欠陥ではなく、もう少し別の、たとえば人間の認知の問題のような気がする。
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わたしはどこにでもいるサラリーマンであり、人並みに家族もいるが、世捨て人の庵 にシンパシーを感じるような社会的にはアウトサイダーであるから、ベーシックインカムに魅かれるのだろうと、自己分析している。きっと世捨て人氏もベーシックインカムには大賛成だろう。行政からの不当なプライバシーへの介入がなくなり、自立的に生きている限り、絶対に餓死しないシステム。非常に人間にやさしく、自由を尊重する仕組みだと思わずにはいられない。もちろん、これはつまり、餓死するのは身の丈を越えた生き方(たとえば博打ですった、所得に見合わない生活を続けた)をしたということで、今以上に顧みられなくなるだろうから、究極の自己責任社会ともいえる。
ところで、このシステムのメリット・デメリットはまだまだ議論の余地があるとして、「絶対に実現しない」と考えられる点がいくつかある。思い付きだが以下に箇条書きにしてみた。
・「生活を保護してもらう」から、「ベーシックインカムは当然の権利」という意識の変革、すなわちエトスの変化が必要だが、おそらく「お上から施しをもらう意識」からは抜け出せないと思う。
・日本は「働かざる者食うべからず」の思想が根強く、多くの人たちは、生理的、感情的、反射的に拒否反応を示すと考えられる。そもそも議論にならない。
・実現すると、明らかに役人の仕事が減る。というか、減らさないと実現できない。行政サイドで絶対に封殺されるはず。
ということで、わたしが現役で働く間にはとても議論もされないであろうと思う。ホリエモンのブログでのコメントには的外れな意見、反射的な拒否反応としか言えないものが散見されるが、これがおそらくこの国の世論なのではないだろうか。