山背国の賀茂めぐり⑨ ~神山と立砂と貴船と鴨川~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

前回は、
上賀茂神社の境外摂社

まわりましたが、

賀茂(かも)の地には
貴船(きふね)神社も
いくつかあるのでした。

 



鞍馬(くらま)の貴船神社は、
上賀茂(かみがも)神社
境外摂社だった歴史があり、

その名残でも
あるのでしょう。

糺(ただす)の森にある
河合(かわい)神社にも
貴船の名がありました。

とすれば、
賀茂の貴船神社は、

上賀茂神社の
境外摂社といっても
いいのかもしれません。

ということで、
そちらもめぐってみました。



まずは、
境外摂社の
⑦久我(くが)神社
㉓小森(こもり)神社
近くにある

紫竹貴船(しちくきふね)神社
です。



このあたりは古くから、
上賀茂神社の
荘園であったといいます。

その際に、
鞍馬の貴船神社から

祭神の
高龗神(たかおかみ)
勧請したのだそうです。

 



創建は
鎌倉時代といわれ、
地域住民の崇敬を
集めているようです。

 



この紫竹の地に
上賀茂神社の摂末社が
密集していることからも

この地がなにか
特別な地であったことが
うかがえるようです。



北向きの本殿も
珍しいのですが、

上賀茂神社や神山、
貴船神社本社を
向いているのでしょうか?



貴船神社の分社は
本社と区別するために

「貴舩」と
書くそうですが、
本殿の看板には
その字が残っていました。

隠れたパワースポットとも
言われているようです。



水に関する史跡は
ありませんが、

㉓小森社が
分水神(みくまり)を
祀っていることからも、

ここに水に関する
何かがあったのかも
しれませんね。




さて北上して、
柊野貴船(ひらぎのきふね)神社へ

向かいます。

こちらは
神山(こうやま)の
麓にある神社です。



かつては
柊が自生していたから
柊野(ひらぎの)と言うそうです。

下鴨(しもがも)神社には、

比良木(ひらき)社があり、

 

どんな木を植えても

柊のようになってしまうと

言われていましたが、

 

それはこの

柊野の地から

きているのかもしれません。



上賀茂神社の発展とともに
開拓されたため、

「拓き野」「新羅野」が
転化したとも

いわれているようです。

 



こちらは、
高龗神(たかおかみ)と
闇龗神(くらおかみ)の
2柱を祀っていました。

 

改築したてなのか、

鳥居や玉垣の

丹色も鮮やかです。

 

境内も

手入れが行き届いており、

落ち着いた雰囲気でした。

 


 

正面が本殿で、

2柱の龍神を

祀っているのですが、


右端に写っている
小さな祠では、
天之斑馬(あめのふちこま)を
祀っていました。

二葉姫(ふたばひめ)稲荷でも
祀られていましたが、

とても珍しい祭神です。

農地開拓の地であるから、
農業には欠かせない

馬を祀ったのだといいます。

けれども、
神降臨の山、
龍、
神の乗り物と聞くと、

宇宙的なものを
夢想せずにはいられません。



境内横には、
池があって、

これが貴船神社を勧請した
理由かとも思われましたが、

農業用のため池

だといいます。



農耕守護の
雨水の神として、
お祀りしていたそうです。

気になるのは、
境内に
上賀茂神社とおなじ
立砂(たてすな)が
あることです。



立砂は、
賀茂別雷神(わけいかづち)の
降誕地といわれる

神山を模した

盛り砂といわれ、
 

陰陽思想から、
2つに別れているのだそうです。

 



とはいえそれが、
神山の麓の
「貴船神社」にあるとは、
とても興味深いです。



左の大きいほうが

高龗神、

 

右の小さいほうが
闇龗神を祀るようです。


 

この神社には
「虫送り」という神事が
あるそうです。

松明に火を灯し、
田畑を練り歩いて
害虫をおびき寄せ、

鴨川河川敷まで
2キロの道のりを
1時間かけて歩くのだそうです。

害虫を殺すのではなく、

余所へと

追い払うのですね。

その精神はどこか
稲虫はらい

彷彿させます。




上賀茂神社の周辺には、
貴船神社が

3社あるそうです。

今回は
2社しか回れませんでしたが、

上賀茂神社の東、
深泥池(みどろいけ)の

近くには、

深泥池貴舩(みどろいけきふね)神社が
あるといいます。



これら3社は、
上賀茂神社を

三角形で囲むように
配置されていました。

なにか
意図があるのでしょうか?

この3か所は、
どこも農業地として
開拓されてきたといいます。

ホツマツタヱによると
瓊瓊杵尊(ニニキネ)や
ヤマクイによって

森と湖の地であった
太古の京都盆地は
開拓されたといいますが、

その聖蹟とも
似たような事蹟が出てきたことも
面白いことです。



ここから、
神山へと登りたかったのですが、

台風の影響か、
倒木もひどく

道も荒れており、
断念してしまいました。

磐座は見られないまでも、
山頂までは
行ってみたかったのですが、

またいずれ、
神山に明るい方に
ご案内いただけたらと思います。

と、
その帰路に、
大将軍(たいしょうぐん)神社と
巡り合いました。

 



大将軍神社といえば、
平安京の
方位守護の神社と
いわれています。

 



平安京の四方に
それぞれ祀られており、

東は
祇園・八坂神社の

近くにあり、

西は
北野天満宮

近くにあり、

南は
伏見の藤森神社の
境内にあり、

北はこの
西賀茂の地に
あるといいます。



この
「大将軍」というのは、
中国伝来の神様らしく
方位守護の武神であり、

日本に入って来てからは、
素戔嗚(すさのお)と
同一視されたようです。

 



ところが、
ここの祭神は
磐長姫(いわながひめ)でした。

鞍馬の

貴船神社の結社でも

祀られている神様です。

縁を感じて
立ち寄ってみますと、
こちらもやはり
賀茂の神社でした。

 



本殿は、
上賀茂神社の
片岡社の本殿を
移築したものだといいます。

それに、
本殿前には、
立砂までありました。

 



ご神紋ももちろん、
二葉葵です。

もしかするとここは、
かつて貴船神社だったのかも
しれません。



末社に祀られる神様も
どちらも興味深いのですが、

地名にもなっている
角ノ社(すみのやしろ)では、
素戔嗚が祀られていました。

 

おそらくは、

これが大将軍の

所以なのでしょう。

 



また、
貴船神社もあり、
高龗神もいらっしゃいました。

 

そして、

片岡社を譲り受けたからか、

片岡社も祀っていました。

 

ただし、

こちらの祭神は

事代主(ことしろぬし)でした。

 

 

となると、

上賀茂神社の

片岡御子神社でも、

 

かつて事代主が

祀られていたのでしょうか?

いくら土地柄とはいえ、
ここまで条件がそろうと、
とても貴船神社としか
思えません。



北の方位守護といわれる、
大将軍神社は、

じつは

すぐ南にある

今宮神社境内にも

あるらしく、

もしかすると
そちらだったのかもしれません。

となると、
西賀茂の大将軍は、

上賀茂神社の西を
守護しているのではないでしょうか?



こうすれば、
東西南北を
貴船神社の守護が
あることにならないでしょうか?

とすれば、

賀茂氏もまた

呪術的な方位守護を

していたことになるようです。

 

ですが、なにか

すこし引っかかります。

後ろ髪を引かれるような

感覚があるのでした。

 

右側の

盛り上がった山が

神山です。

登りたかったなと、
何度もふり返っていたところ、
 

ふと

向かい側の山に気づきました。

 

写真ではわかりにくいですが、

左側の山が、

神山と似ているようでした。

その山に、
名前はないようで、
 

ただ、
西賀茂円峰(にしがもまるみね)と
呼ばれていました。


すると
ぼくの頭のなかで、

立砂の
右が神山で、
左が円峰となり、

その2つの山のあいだを
鴨川が

流れていくように思えました。

 



川をはさんだ
2つの山が、

川をはさんだ
2つの貴船神社で
祀られていたのでは

ないでしょうか?

ぼくには、

なぜかこれが、

 

鴨川の東を統治する
賀茂氏と、


鴨川の西を統治する
秦(はた)氏
 

和合の証に

思えてきたのでした。

 

 

日吉(ひよし)大社では、

賀茂の玉依姫と

秦のオオヤマクイが

結ばれていたように、

 

ここでは、

そのふたりの子である、

賀茂別雷神(わけいかづち)が

 

賀茂氏と秦氏によって

守られていたのでは

ないでしょうか?

 

四方を守るという発想は

秦氏のものでしょうし、

 

その四方のうち、

東と南が

鴨川を越えて

秦の領域に差し掛かっているのも

とても興味深いことだと

思いました。

 

 

山背国の賀茂めぐり⑩ へ つづく

 

 

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