「なほのSTORY 〜告白〜」
「本当に大丈夫なの?!?!?!」
それまでフランス一辺倒だったわたしが、
ある日突然グアムにひとり旅に行ったと思いきや、
「結婚してグアムに移住することになりました」
と言ったときに、
まず間違いなく言われたこの言葉(笑)。
実際、そう言われてもおかしくない、
電撃結婚でした。
2005年の12月にグアムに移住した彼と
2006年4月に恵比寿で偶然再会。
2005年夏に大動脈解離で父が倒れ、
父の会社の経営で大変だったときに
いろいろと相談に乗ってくれた彼に
2006年7月にグアムで再会。
そこで8月に交際と結婚が決まり、
9月に結納、入籍、グアム移住と、
まさに電撃だったんです(笑)。
写真:2006年11月。グアムで挙式!
東京生まれ、東京育ち。
東京以外ではパリやロンドンなど、
大都市でしか生活したことがないわたし。
グアムという常夏の小さな南の島は、
ありとあらゆる点で
わたしの想像の外の世界でした!!!
夫もNYの帰国子女で、
横浜生まれ、東京育ちですが、
彼が高校生の時に
母親がグアムでレストラン経営を始めたので、
グアムには長期滞在したこともあり、
職場は母親のレストランなので
毎日実母と顔を合わせ、
昔馴染みの現地スタッフたちと働く彼。
フランスを中心としたヨーロッパにしか
興味も知識もご縁もなく、
学校のお友達や職場の同僚、ママ友との
交流があるわけでもないわたしには、
本当に夫しかいない
グアム生活の始まりでした。
2006年の9月に移住して、
11月にグアムで挙式。
自分の車が手に入ったのは
2007年の2月だったので、
それまでの5ヶ月間は、
自由に外出もできない籠の鳥。
不規則でお休みも少なく、
お食事の時間が働く時間という
レストラン業だったので、
わたしは出かける先も、
親しく交流する友人もなく、
とにかく家で夫の帰りを待つ妻でした。
20代半ばから年収1000万円をいただき、
深夜タクシーで会社から帰宅するほど
猛烈に働いていたわたしが、
お料理とお掃除と
お洗濯とアイロン掛けを終えたら、
行くところも会う人もほとんとおらず、
ネットサーフィンをしながら夫を待つ
無収入の専業主婦生活。
2004年創業のFacebookは
まだアカウントを持っている友人が少なく、
2006年創業のTwitterも、
日本ではごくわずかの人がしているだけ。
だから2004年創業のFlickrという
写真共有コミュニティサイトで、
写真を通じて世界中のひとと繋がるのが
わたしの唯一のたのしみとなりました。
きれい好きなわたしに比べ、
脱いだものもお仕事のものも
すべてグチャグチャにしてしまい、
レストランで働く汗っかきで、
ランチとディナーと一日に2回出勤し、
間にランニングをしたりするので、
山のようなお洗濯物とアイロン掛け。
ランチ営業の前に彼が家を出てから
家中をきれいに片付けて、
お洗濯物をたたんでアイロンを掛け、
クローゼットにきれいに仕舞ったのもつかの間、
家事が終わったと思った途端に
お昼の営業から帰ると脱ぎ散らかし、
彼がディナータイムのレストランに出ると、
それらを片付けながら時々キレて、
夫にひとり悪態をつくこともありました(苦笑)。
「なほのちゃん、本当にいいの?」
結婚を決めたとき、
なんだったら結婚してからもしばらく
親しい友人たちは結婚するわたしに
この質問を投げかけました。
彼女たちからしたら、
夫がどうこうということではなく、
10歳のときからフランスが好きで、
22歳のときにようやく夢を叶えて渡仏し、
パリとロンドンで4年を過ごし、
帰国してからも
東京のフランス人コミュニティと縁が深く、
ヨーロピアンなイメージの強かったわたしが、
今までわたしの口から聞いたこともない
常夏の島グアムに移住し、
キャリアウーマンだったわたしが
専業主婦になるという結婚生活は、
到底うまくいくと思えなかったのでしょう。
でも結婚を決めたわたしに
迷いは全くありませんでした。
写真:グアムの大晦日。レストランは22時閉店とはいえ、年越しそばを食べる方がいらっしゃるので、この日は23時くらいまでお客様がいらっしゃるので、23時半くらいに夫が帰宅。それから急いで眺めのいいところに移動して、ギリギリのタイミングにふたりでニューイヤーをお祝いするのが、わたしたちの大晦日でした。
2005年8月に、
父が突如、大動脈解離で倒れ、
生存率は5%と言われた大手術から約1年間。
思いもかけずに突然父の会社の経営と
看病に追われることになったわたしは、
本来リゾートに興味がなかったけれど、
2006年7月に
父の会社の譲渡が完了したときには
こころもからだも疲れ果てていて、
このときばかりは海に行こうと、
初めてのひとり旅の場所に、
4月に再会した彼がいる
グアムに行くことを決めました。
10日ほどの滞在中、
彼と彼のお母様には本当にお世話になり、
彼が母親のレストランでお仕事している間、
お店のカウンターで夜な夜な
わたしは彼のお母様に父の会社のことや、
病気のことなどを話していました。
そのひとがわたしの義理の母になるなんて、
そのときは全く思いもせずに。
4月に恵比寿でばったり再会してから
父の会社の譲渡や自宅売却のために、
いろいろと信頼のおける方を紹介してくれて、
彼にも本当にお世話になっていました。
だから、この旅行中に彼に告白されて
お付き合いすることを決めたとき、
口では彼に、
わたしはグアムに住む気も、
飲食業の家に嫁ぐ気もないと、
かなりはっきり言ったけれど、
わたしが好きになった人がいるのがグアムで、
その人が飲食業をしているだけで、
それは彼と結婚しない理由にはならないと
こころのどこかでわかっていました。
写真:瀬戸内国際芸術祭にて。結婚12年間でわたしたちが旅行をしたのは、新婚旅行のベトナムと、半分お仕事のインドと、ハワイ、イタリア、日光そしてこの瀬戸内海だけ。
誰と結婚するかはとても大きなこと。
でもそのひとと一緒に
どこに住むか、
=================
何をするかは、
=================
誰と一緒に人生を歩むのか
=================
ということに比べたら、
=================
それほど重要なことではない。
=================
それがわたしが直感的に
感じて、信じていたことでした。
だから、迷ったのは本当に一瞬。
友人たちに結婚のことを話すときには、
一ミクロンも彼との結婚に
迷いはありませんでした。
実際、結婚してからも
彼とはとても仲がよかったんです。
毎日何十回と「愛してる」と言い合い、
「一生の間に何回キスするのかな」と
言っては笑うほどいつでもキスをして、
どこに行くときも、
寝るときのベッドの中でさえ
手をつないで寝るほどの仲良しだったのだから。
でも、今これを書きながら気づいたことは、
それなのに、
そうだったはずなのに、
グアムに住んでいること。
飲食業のオーナーの妻であること。
わたしはいつしか、
このふたつのことをとても不満に想い、
ときに彼を愛している気持ちを、
この不満に乗っ取られることさえあった
ということです。
わたしの妹は、
父が一番順調だったときだったので、
パークハイアットで盛大に挙式しました。
それに比べてわたしの結婚のときは、
父はなんとか一命を取り留めたものの、
父の自慢だった会社も自宅も手放し、
慎ましい生活になっていたので、
そんなわたしを、
快く迎え入れてくれた彼と彼のお母様に、
心から感謝していました。
でもFacebookなどが日本でも浸透し始め、
30代前半の友人たちが、
海外転勤でヨーロッパに駐在したり、
優雅な奥様生活を始めたりするのを見て、
わたしはいつしか、
グアムに住まなければいけないことや、
グアムでキャリアや趣味を伸ばせないことに、
不満を持つようになりました。
グアムという小さな南の島に閉じ込められた
籠の中の鳥のように感じるようになりました。
ここがグアムでなくて、
パリやNYだったら自慢できるのに。
せめてハワイだったらまだいいのに。
9年間、そんな風に思ってきました。
そして夫のお仕事が、
日本食レストランでなければいいのにと、
思い続けてきました。
100歩譲って飲食業だとしても、
日本からグアムに来たお友だちが喜ぶような、
おしゃれなローカルレストランだったらと。
結局わたしは、
夫のことをこころから愛していたつもりで、
自分のことを愛し、
信じられていなかったので、
住んでいる場所や、夫の職業などで
他人からの評価を得て、
自分を満たそうとしていたのだと、
今ならとてもよくわかります。
だから、海外が初めてだったりして
グアムに大喜びしているひとや、
「海外在住」というだけで
うらやましいと感じてくれるひとといると、
なんだか誇らしい気持ちになり、
一方で海外に行き慣れていたり、
本当はハワイに行きたかったけど、
こどもが小さいからグアムで我慢
というようなひとといると、
すごく卑屈に感じてしまう。
グアムに遊びに来てくれた友人を、
夫のレストランにご招待するけれど、
海外に来てまで日本食で申し訳ない
と感じてしまう。
「なほのちゃんに会えてよかった!」
「お食事おいしかった~!」
そう言ってもらっても、
なんだか素直に受け取りきれなくて、
どこかで本当のわたしは、
こんなんじゃないのに・・・
と思ってしまう。
もう今思うと、
究極の「ないない探し」を
していたわけです!!!
最愛の夫がいるのに、
最幸に美しい海がいつでも見られるのに、
気さくで温かいローカルのお友だちがいるのに、
この島で「写真」というものに出会ったのに、
パリでないことを憂う。
レストランがあるので、
ランチもディナーも週末も
夫とデートできないことや、
海外旅行に行かれないことを嘆く。
これじゃあ、
「ない」を探すプロですね(苦笑)。
わたしは夫を愛していたけれど、
東京やパリの華やかな生活を捨て、
グアムまでお嫁にきたわたしを
しあわせにしてほしいと思っていました。
わたしの中の欠けているところや、
満たされないものを
夫に埋めてほしいと思っていました。
では、
夫を愛していたと思っていたけれど、
それは本当の愛だったのか?
夫がわたしを愛してくれている
ということが、
わたしの中の欠けているものを埋めてくれるから
夫を愛していると思っていたに過ぎない???
夫とわたしの愛は本物で永遠だと
ずっと信じていたけれど、
結婚7年目にして
待望の娘が生まれてから
わたしたちの関係が変わっていったのは、
愛だと思っていたものが、
実は愛ではなかったから???
「なほのSTORY ~告白10~」では、
不妊治療までして望んだ娘を出産してからの
激変したわたしたちのパートナーシップを
深掘りしていきたいと思います。
★ ★ ★「告白 ~第10夜~」に続く ★ ★ ★
この「なほのSTORY ~告白~」では、
「奇跡」と言われた
【なほのSTORY】のヒットと、
その後のいわゆる”成功”を経験したわたしが、
次第に自信をなくしていく様子を
赤裸々に綴っていくつもりです。
よかったらわたしと一緒に、
『自分を信じるチカラ』を探す旅に
でかけてみませんか?
※2017年10月1日に連載を開始した
【なほのSTORY】は、
こちらからダウンロードしていただけます。
http://freelifeacademy.com/nahono_story_dl/
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