コロナ禍でのダウン症育児を振り返る | ダウン症長女(11歳)と健常児の息子(9歳)を働きながら育てるママのブログ「ダウン症児は天使じゃありません」

ダウン症長女(11歳)と健常児の息子(9歳)を働きながら育てるママのブログ「ダウン症児は天使じゃありません」

ダウン症児は天使じゃありません。これは、よくダウン症の子は天使、という方がいますが私個人的には「子どもはみんな天使」と思っていて、実際、天使なときもあれば悪魔なときもある、ごく普通の可愛いと子どもです。

ようやく保育園と学校が通常モードに戻りつつある今日この頃。

大変だった2ヶ月を振り返る余裕も出てきました。

 

共働き、ワンオペ育児、障害児育児をしている私。

まず、3月に学校が休校となった段階で早々に遠方の実家のほうに避難することを決断しました。

夫は仕事柄コロナの影響でますます忙しくなることはわかっており、一方で私のほうの会社はオンラインでもできる仕事なので、出社しなくても仕事が回るであろうことを見越しての判断。

 

結果、2ヶ月近くの間、実家で過ごしていました。

しかし誤算だったのは、こんなに長い期間実家にいれば、じじばばになついてくれるだろうという見込みが完全に外れたこと。

 

やはり、非常時なのを2人とも敏感に察知しているせいなのか?

いつも以上に「ママママ」とベッタリになってしまい、お風呂も遊ぶのも、何をするにも「ママとじゃないとダメ」。じじばばは嫌!

 

これには相当参った…💦

仕方なく、午前中は子供らにはゲームや動画をさせながら私は仕事。

午後は子供たちと一緒に遊ぶ。

というスタイルでなんとか乗りきりました。

 

一番ストレスだったのは、やっぱり仕事に集中できないこと。

ちょっと集中しかけては子供らに話しかけられ、何かを要求され、兄弟げんかを仲裁し…

集中するためのまとまった時間はとれなかった。

 

オンライン会議も、1時間を超えるような長丁場になってくると「ちょっと静かにしてて、邪魔しないでね」という我慢も限界を超えてくるので、最後のほうは無理やり鍵をしめて部屋に閉じこもるスタイルに。。。

 

東京に戻ってきてからは、彼らの心も安定したのか、あまりママママ言わなくなったので良かった💦

やはり、彼らにとっては生まれ育った東京がホームなのだな、と強く感じました。

 

とはいえ、やはり非常事態宣言が出された東京は、子供を連れて買い物にも行けないほどのピリピリムードだったと聞くので、実家に避難してよかったなと思います。

 

※実家に避難することに対しての非難の声もありますが、非常事態宣言が出され、移動自粛が始まるはるか前のタイミングだったということでご理解いただければ幸いです。

 

実家にいて助かったことは他にも

 

・実家は家の作りも広く、庭もあり、すぐとなりにあまり人のいない公園もあったので、子供たちがのびのびと遊べたこと。

 

・夫はやはりほとんど帰宅もできない仕事の状況だったらしいので、私にとっては子供たち以外の話し相手が2人(実の父母)もいたことは精神的に良かった。

 

など。両親には感謝の気持ちでいっぱいです。

あとは、実家が遠くて1年に1回、もしくは2年に1回くらいしか会えない両親との時間をたくさん持てたことも良かったなと思っています。

母と一緒に実感の断捨離などもやりましたし、たくさんコミュニケーションをとれました。

 

それは子供たちとの時間という意味でもそうで、2人とも0才から保育園に行っており、平日はバタバタしていて休日や長期休暇くらいしかじっくり親子の時間がとれなかったのが、この2ヶ月は毎日毎日本当に色んな遊びを一緒にやりました。

もう、午後は仕事するのを諦めて子供たちと遊ぶ、と決めていたので、とことん遊びに付き合いました。たぶん親子でこんなにベッタリ過ごす機会は、今度もうないだろうな。

 

あとは、コロナのせいで一回止まってしまったものに関して、見直す機会にもなったかな。

0才からなづはが通わせていただいていた治療院。(体の成長を見てもらうのと、療育指導をしてもらっていた)

なんとなくずるずるとやめるタイミングを失っていたけど、正直通う時間やお金、精神的な負担などかかっていたので、これを機に一旦やめて、別のところに通うことにしてみました。

 

色んな勉強会やセミナーなどがオンラインで開催されるようになったので、これまでだと「子供がいるから参加できない」で諦めていたものでも参加しやすくなった。

 

私はもともと、会議のときしか会社に行かない在宅ワークスタイルだったけど、これを機に在宅ワークになったママさんたちはみんな「在宅ワーク超快適じゃん!!緊急事態宣言、明けなくていい!!」と感動してたりもします。

(※私はもともとが在宅ワークだったので感動よりも、子供2人見ながら仕事できない〜〜💦という悲鳴のほうが大きかったけど)

 

こっちに戻ってきてからは、学校や学童よりも先に、放課後デイが受け入れを再開してくれて、やっぱり障害児ママにとっては子供の居場所を何箇所か確保しておくのって大事だよな〜とおも思いました。

最近、放課後デイに中学生のダウン症児の女の子が入ってきて、なづははそのお姉さんになついて遊んでもらったり嬉しそうです。中学校の支援学級に通っていて、自分1人で放課後デイに通ってきているとてもしっかりした女の子。

 

なづはは中学校からは支援学校だろうな〜と勝手に思っていたので、こんなふうに成長できるんだ!という憧れのロールモデルにもなりました。

 

あとはこの期間一番たいへんだった、学校の宿題問題。

(障害児でなくてもワーママたちは学校からじゃんじゃん出される宿題に頭を抱えていた)

 

なづはも宿題の習慣をつけさせるのが難しく(いつもは学童で宿題をやらせてもらっていたので)

最初のほうは「宿題やる?」と声をかけても「やらない!!」とやりたがらなかったのだけど、途中から母のほうで色々作戦を練ってみました。

 

それは、本人が「宿題の総量」と「宿題をやった量」を見える化した、ということ。

実家に戻ってきているのもあって、1ヶ月分のプリントをどさっと渡されていたのだけど、これを全部1日分ずつに分解して、ファイリング。

 

今日はこの枚数をやるんだよ、ということが本人にもわかりやすいようにしました。

そして、「ほら、もうこんなに宿題やったね」と過去にやった宿題、残っている宿題の量がわかりやすいようにしてあげました。

 

最初のほうは「プリント1枚できたら小さなチョコ1個」とご褒美をあげていたんだけど、後半のほうはそれよりも「もうこんなにたくさん宿題ができた」という達成感のほうが嬉しかったようで、割と自分から積極的に取り組んでくれるようになりました。

 

それに触発された弟も「僕も宿題やりたい〜〜!!」とうるさくなったので、弟ようにも買ってきたドリルを1枚ずつ切ってファイルしてやり、姉と一緒に今日の宿題に取り組んでいました。

弟のほうは、勉強はまあ学校に入ってからやればいいんじゃない?というスタイルだったのだけどもう勝手にどんどんひらがな数字は覚えて、今はゲームのときにカタカナが読めない!!とカタカナ学習も自分で始めている…

 

なかなか働いていると宿題は学童任せになりがちなので、家庭での学習の習慣やコツを作れたのは良かったかなと思っています。

 

と、このように本当に大変な大変な時期であったことは間違いないのですが、みなさんきっとそれぞれ工夫しながらこの災難を乗り越えたという経験はきっとこれからの財産になりますよね。

本当に、お疲れ様でした。