劇画『空手バカ一代』の秘密 | Let's easily go!気楽に☆行こう!

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映画、写真、B級グルメ、格闘技、そして少しばかり日常を語る雑記帳です。

11月27日(土)、テレビで空手の新極真会

「第42回 全日本空手道選手権大会」が放映されていました。


カラテに馴染みが薄い方に簡単に説明しますと

かつて『地上最強のカラテ』としてその名を全世界に

広げた極真会館ですが、後に『ゴッドハンド』と呼ばれた

創始者・大山倍達が死去したことに伴い、

極真会館は松井派(現・極真会館)と新極真会、極真会館 宗家、

全日本極真連合会、極真館など多数の団体に分裂することになりますが

そのルーツは、あくまで大山倍達率いる極真会館であることは無論のこと、

また、全てのフルコンタクト空手(直接打撃制カラテ)に多大な影響を

及ぼしたのは紛れも無い事実です。


そして、その極真会館が、これほど多くの人に知られるようになったのは

劇画原作者で映画プロデューサーの梶原一騎の存在があったのは

格闘技ファンならびに漫画ファンなら誰もが周知の事実です。


梶原一騎・原作の『空手バカ一代』は主人公の大山倍達の

世界最強の男を目指し、世界中の格闘技と対戦して周り、

連戦連勝の快進撃で、当時の少年読者ファンたちを熱くさせました。


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その『空手バカ一代』ですが、連載当初は、上記の画像でも

おわかりのように作画を、『うしろの百太郎』などでお馴染みの

『つのだじろう』が担当していましたが、途中から作画担当が

『つのだじろう』から『影丸譲也』に変更になりました。


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なぜ、連載中の人気劇画(梶原は漫画というより劇画という表現を好んだ)の

作画担当が突然変わったのか。

確かに物語の進行上では、変わるのに区切りの

いいタイミングだったのは事実ですが、あまりに唐突で、

しかも『つのだじろう』が、体調不良などによる

連載断念のお知らせもありませんでした。



では、なぜ作画担当が『つのだじろう』から

『影丸譲也』に変わったのか!?



それは、梶原一騎とつのだじろうの間に、

確執があったのです。


つのだじろうが言うには、

「いつまで経っても原作の原稿が届かない、

こんな状況で仕事ができるわけないだろう!」

と往年の不満をぶちまけていたこともあるそうです。

入稿一週間前には必ずシナリオを届けるよう念押ししていたにも関わらず、

済崩し的にズルズル引き伸ばされ、

酷いときは入稿前日にようやく原作が届くこともあったといいます。

そのため、執筆を手伝うアシスタントにも大変な重労働を強いることになり、

多くのスタッフがつのだの下から逃げ出したそうです。

『空手バカ一代』は、連載から二年が過ぎ、

当初予定していた大山倍達一代記は描きあげていたが、

まだまだ人気の高かったことや当時『あしたのジョー』などの

人気漫画の連載が終了していたことにより、

『少年マガジン』の部数の影響も考慮して、

連載終了の気配を示さなかったこと、

また、つのだ自身、以前から独学でオカルトの世界を研究しており、

この年『少年チャンピオン』の夏休み企画で描いた

短編シリーズ『亡霊学級』がヒットしたことにより、

『恐怖新聞』の連載が決定したことから、

『空手バカ一代』の降板が決定したのです。


まぁ、この時期は、梶原一騎、人気絶頂のころでしたから

遅い言い訳にはなりませんが、多少の遅れは仕方が無い部分が

あったのは確かです。

でも・・・

入稿前日に原稿到着は・・・普通は

作品完成なんて無理でしょう。

今なら一週間とばすと思います。


あの小説家で脚本家の花登筺は、ワープロのない時代(つまり手書き)で、

最盛期の執筆ペースは月に原稿用紙2000~3000枚だったそうで、

原稿に書いた字は、ちょっと読めなかったらしいです。

ちなみにその花登筺の直筆の原稿は、去年の10月4日

このブログで『土肥温泉』という記事の中で掲載しております。

その写真を撮ったのは、カメラマン・hikoでございます。




話を戻しまして、つのだじろうの話。

オカルト漫画で一世を風靡したところで大山倍達から

つのだじろうに直々に依頼があり、承諾。

そして1978年4月、『少年チャンピオン』から『ゴッドハンド』のタイトルで

連載が始まったが、「ゴッドハンド」が元々大山の代名詞のように

使われていた言葉などから、つのだ本人及び編集サイドに

梶原サイドからのクレイムがつき、結果、

作品自体にも読者人気が及ばず、わずか9週で打ち切りとなった。

しかしそれ以後も梶原サイドからのつのだ本人に対する

脅迫まがいの行為は途絶えることがなく、

つのだは、『増刊ビッグコミックス』で連載していた

オカルト漫画『魔子』の最終回に

梶原一騎を中傷する内容のセリフなどを書いてしまい、

それを知った梶原は激怒し、

つのだは新宿の京王プラザホテルに軟禁され、

各出版社や漫画家仲間宛に詫び状を書かされることになる。

これぞ、業界では有名な「つのだじろう詫び状事件」である。


これが、その画像です。

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そして、問題の呪文が、これ。

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「カラワジ イキツ キマト ワヒオサ ハノクキヨウ ミツオ レシモオイ」

「カチク ツテバン ダクリノノロイイ オウケミクニク ルクシミ クタルバ」

この呪文ですが、実はアナグラムになっていて、

これを解読すると

「梶原一騎と真樹日佐夫は脅迫の罪を思い知れ」

「近く天罰くだり呪いを受け醜く苦しみくたばる」

となるのです。

梶原兄弟は作家先生なだけに

見事にこの暗号を看破したのでした。


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この兄弟にバレちゃいかんでしょう・・・。







今日は、空手の話からスタートして

いつものhikoさんのブログっぽい形になたところで

おしまいとさせていただきます。

今日も長文にお付き合いくださり

アトガウリ ゴザマタイシ。



<劇画『空手バカ一代』の秘密 終わり>