昨年にはこのリブログした記事を含めて
「わたしの女の子との交流記」と題して
と八回に渡ってタイトル通り女の子との交流を綴っていました
時系列としての本当の初恋は高校の同級生でしたが
その後大学に入ってから女の子との初恋も経験し
それからもいろいろな場での女の子との付き合いもあり
その中で(ここで触れなかった方も含めて)何人かの女の子に魅かれたり
多少のお付き合いもあったりしました
ただこういう言い方をしてよいのか分かりませんが
たしかに好きではあったのですが
その子と付き合いたい、というよりも
その子(の様な女の子)になりたい、という気持ちが強かったように思います(^O^;)
そして多くは小柄で気の強い(自分の意見を持っている)子だったと思います
でもそういう子はなかなか私の方を見てはくれないのですよね・・・
もちろん今がわたしの10代20代ならば
まずはトランスの方に主力をそそぎ
女の子との(恋愛感情としての)お付き合いはしていないとは思いますが
当時はわたしが(戸籍の上とは言え)女性になるなんてことは
夢にも思っていませんでしたので
(社会通念上からも)いつか縁あれば結婚するのだろうとは思っていました
それで周りの人にも「縁あれば結婚はしたい」というお話はしていたので
生まれ育った地元ではなかったですが
お客様はじめ、同僚やらご近所
それに山小屋の会の方から行きつけの喫茶店での顔なじみの方まで
それこそいろいろな方々からご紹介いただき
正式だったり、それとなくだったりいろいろな形で
両手両足の指では足らないくらいのお見合いをしました
わたしと結婚する資格のある未婚の女性の方には
なかなか見向きもしてはもらえませんでしたが
その資格のない方々には「いい人なのにね~」と思われて
いろいろと心配してもらって沢山紹介はしてもらったのですよね(^O^;)
最終的には最初の転職先で一緒に仕事していたやつ・・・わたしの転職後に社長になりました
の紹介で会ったのが(元)奥さんでした
3月31日に紹介されて、その年の8月18日に結婚届を出したので
交際期間はとっても短かったのですが
結婚する前には私の女装のことはお話していました
その上での結婚です
そして結婚して7年目の時に埼玉医大での性別適合手術があり
14年目の時に特例法が施行されました
その時には「ああ、わたしでも(性別変更が)可能なんだ」と思ったくらいで
※それまでもブルーボーイ事件も、カルーセル麻紀さんのことも知っていましたが
なにか特別の人たちのことで、自分には関係ないコトだと思っていました
すぐにトランスに動き出すことはなかったのですが・・・こども達が小学生の頃
結婚二十年目にどうしても耐えられなくなって
上の子が高校受験の年だったせいもあり、一年間自分の心と向き合って
翌年「勝手にRLE」として本格的にトランスに踏み出していきました
ちなみにわたしの経験は彼女(元奥さん)とだけです
わたしの実子が二人居ますので
それなりには出来ていました(^O^;)
よくMTF(GID)を名乗っているのに
(配偶者を)だまして結婚をして、ましてや子供がいるなんて・・・
と言う方がいらっしゃいます
でもね(多くの方もそうかもしれませんが)
わたしが結婚した時にはそんな情報もなかったし
上で挙げたように、その時のわたしの性癖?での女装もお話しています
そして行為も出来るには出来ていて
もし外から見ていれば何も変わらない普通の光景だったと思いますが
わたしの脳内ではわたしが受け身での行為でしたし
そうでなければいたすことが出来ないのでした(*_*;
そしてこういう感覚の人はわたしだけでなく
少なくとも他に二人は知っています
まあわたしがGIDの王道とは思ってはいませんし
GDになってなんとか自分でも自分の定義を手に入れたかなと思いましたが
それでも対外的には
三人のGID診察の専門精神科医に
それぞれ一年近くの診察を受けて診断書を発行してもらいましたので
日本ではわたしは正しく性同一性障害者です(^O^)