わたしの女の子との交流記 その一 初恋編 | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

先回の記事『30年前のエステ事情』で

  そのサロンの駅前店店長とそのお客様だった娘さんとの交流に触れました

 

それで、ここらでそれほど多いわけではないわたしの女の子との交流を振り返ってみます

  ”交流記”と記したのは

  ほとんどの場合恋愛感情を伴ったそれなりのおつきあいというのではないので

  ある期間における交流を綴っていきたいと思います

 

そうは言っても、女の子との交流といったら

  これまでも何回となく記事で触れてきていますが

  二番目の初恋(女の子として初)の彼女のことについて

  わたしも思い出に浸りながら、改めてこれまでのまとめとして書いてみます

しょもない他人の昔々のコイバナですが

  少しのほどお付き合いを・・・

 

彼女は一期下で、入ってきた時はツインテールで”かわいいな!”とは思いましたが

  その時は、特にはそれ以上のことはありませんでした

  その髪型から、わたしだけが「チン」と呼んでいました(^O^)

それが意識するようになったのは

  彼女をお家まで送って行った時に、「まだ帰りたくない」と言われて

  海の見える丘公園まで行って

  そこでしばらくお話しながら過ごしました

 

それからはいろいろとあったのですが

  神自連ラリーのCP要員でチェックポイントに向かう時

  「寒くなるから」とウインドブレーカーを脱いで渡してくれました

この時のウインドブレーカーは、その後も大事に使っていたのですが

  40年経って、真冬の早朝ランニングから帰って脱ぐ時に避けてしまいました(-_-;)

 

そしてわたしが三年生の時、初の一人旅で金沢能登を巡るYH旅をするために

  彼女の車を借りたのです

  その時に運航ノートの最終行(次にわたしが走行記録を書く処)に

  ”死なないで、帰ってきてね!”と書かれていました

  その時のことを前の記事では次のように書いています

    それを見つけたのは、夕方に彼女のお家で車を借りて、そのまま出かけた夜中の20号線

      お食事したドライブインの地点と距離を記録しようと「運航ノート」を開いた時でした!

      その文字を見つけた時にはジ~ンとなって

      その後、わたしって何やっているんだろう・・・、と

      少し落ち込んでのを今でも思い出します

    あの時の落ち込みは何だったのかなぁ~

      それは一人だと思っていたのに、わたしの思っている以上に

      彼女との距離が近かったの、を気が付かされたからなのかなぁ(^O^;)

 

わたしが卒業する時に

  手作りのライオンのぬいぐるみをもらったのですが

  このライオンさん、しばらく私の車の後部座席に鎮座していました

  それから数年後に、わたしの手で焼かれるまでは・・・  (このお話は別にね)

 

わたしが卒業して、最初の会社の一カ月の合宿研修のあと

  荷物の引き上げで、彼女を誘って箱根まで日帰りドライブをしました

  その時当時ターンパイク終点にあったレストハウスで

  眼下の芦ノ湖、眼前の富士山を見ながらお食事をしたのですが

  「食べる?」と言われて差し出された彼女の残した麺をいただいたりもしていました

 

それからもう一回彼女から車を借りたことがありました

  これも先々月に書いた記事の『40年ぶりに再会した友』と二人で

  ”長崎の石畳みを見に行こう!”と遅い夏休みを取ったのですが

  この時に、買ったばかりの二代目サニーを借りて出かけたのです

 

翌年彼女も社会人になって、私の会社の会いに来てくれたのですが

  みんなに冷やかされながらも

  その時は手一杯のお仕事があって

  折角来てくれたのに、一緒にお出かけできませんでした(*_*;

   

お正月には毎年初詣に一緒に行っていたのですが

  ある年の暮れ、「今年はどうする?」とお電話を掛けたら

  「来年結婚します」と言われてしまいました

  わたしは何もしていなかったものね・・・

もちろん言われて落ち込みもして

  明けてお正月の二日に晴海港から釧路行のフェリーに乗って

  とんぼ返り往復の傷心旅行に飛び出してもいました

でも落ち込みはしましたが

  ホッとした自分が居るのも事実でした

  それは彼女が都銀の支店長の娘で

  小さいころから(特に)母から言われ続けてていた”釣り合わぬは不縁の基”

  そして根本的には、わたしがまだまだ”私自身に自信がなかった”

わたしが私自身に自信を持てるようになったのは

  会社入って5年後に私のシステムを創り始め

  10年経ってお客様はじめ周りの人々から認められ

  さらに10年経って、自分でその周りの評価を素直に受け取れるようになって

  はじめて”自分もそれなりのことをやってきたのかな・・・”と!

 

でも、その時にはね(^O^;)

 

そうしたことはありましたが

  この地に転勤で流れて来て

  彼女にも年賀状とともに、この地と季節の香りを届ける新茶を

  毎年送り続けました

彼女からも年賀状とともに

  新茶のお返しに地元のお菓子だったり

  旅先からの絵葉書が届きます

 

最後にお逢いしたのはいつだったか??

  でも今でも細々としたお便りだけですが繋がっています

  他の女の子とは一切ないのですが(^O^)

 

年賀状を出しているのですから

  わたしのことは分かっていますが

  OB会に来られて、お会いしたらなんて言われるかな???