30数年前、最初の会社での最終システム開発で
会社が借りてくれたウィークリーマンションで、京都に14か月ほど暮らしました
その間に、はじめは痩身目的で、ついでにというか女の子扱いに憧れて(^O^;)
男性エステが始まる直前の時期にエステ通いをしました
この時はじめにお店にお電話をおかけした時にはオーナーさんが出られたのですが
「わたしは男性ですがよろしいですか?」とお聞きした時
彼女は「よいですよ!お気軽においでください」と言っていただきました
施術自体は別のスタッフのお姉さんが対応してくださったのですが
帰りにも見送りに出て来られて
その時わたしが履いていったレディースの白いサンダルを見て
「かわいい素敵なサンダルね!」と笑われちゃいました(^O^;)
元記事とその元記事にに詳しく書いていますが
通い出した直後にわたしの借りていたマンション近くに支店ができて
そこに通い出したのですが、エステシャンのお姉さんがお二人だけで、気もあったので
カムしてしまいました
もちろん当時ですから性同一性障害なんて言葉は知らなかったので
「女の子になりたいので、女装するのですが・・・」と言っていたのです
結果、お店はというか彼女たちは私を受け入れてくれて
それからはお店の往き帰りも女の子だったし
施術時の水着は、お腹の手揉み出しを行うのでワンピースは使えないので
どうせならとビキニを探したのですが
当時は夏のごく短い期間でしか水着を扱っていなくて
やっと見つけたセパレーツの水着で通っていました
そうした中で、夏のビアガーデンでの飲み会に誘ってもらったり
お客様の女の子と一緒にエステシャンとの三人でトマムにスキー旅行に行ったり
わたしのお家にお泊りで遊びに来てくれたりしていました
お客様の彼女とは京都を引き上げてからもしばらくは行き来していて
大阪の彼女の家にFAXの設置しに行ったり・・・リコーのB5版個人向けが出たばかり
わたしの家にお泊りに来たりしていました
そしてクリスマスプレゼントやお誕生日プレゼントで
彼女のパンツ(ショーツではないですよ!)やブラショーのセット(新品です)を
いただいちゃいました(^O^) ・・・・ どちらも赤でしたね!
もちろん”彼女”と言うことはないのですが
それでも、その時は、女友達の一人にはしてもらっていたのだろうか???
でもわたしにはとっても素敵な思い出の一つです(^O^)
この時期、カルーセル真紀さんのモロッコでの手術は知っていました
でも1980年に発表されたDMSⅢで、GIDの概念が取り上げられていましたが
そのことはまだまだわたしの知る由もありませんでした(-_-;)
この時に知っていれば
もっと別の人生があったかもしれません
でもそうした時には、子育てをすることはなかったでしょう・・・
その意味では知らなくてよかったのかな(^O^;)
・・・今のこの歩んだ道(自分自身で産むことは出来ませんでしたが)
子育てができたことは、よかったなと思っています(^O^)
この時は将来自分の想いに従って女性性で暮らせるようになるとは
露とも思っていなかった頃ですが
それでも女性しか通っていなかったエステサロンに飛び込んで
痩身だけでなく、脱毛や
さらにはバストアップの施術もしてもらいました
痩身は、蒸し風呂で身体を温めた後にEMSでもみほぐした後の
手もみがメインで ・・・ これで3カ月で15kg落としました(^O^)/
バストアップも手もみなのです
そして脱毛は、レーザ脱毛機はまだなく、すべてニードル脱毛なので
毛根一本一本にニードルを差し込んで焼き尽くすので
手間とお時間のかかること ・・・・それでこの時は脱毛は断念!
と言うことで、費用はとっても掛かりました
そのためにローンを組んだのですが
この時に使った名は(姓はもちろん旧姓ですが)
いま改名して使っている名を使ったのです・・・・改名の20年以上前です
将来どうなるのかは分からなくても
わたしは、その時その時で出来ることを目一杯トライしていたのだなと思います