このブログを始めたのは
「勝手にRLE」と家を出てから一年
そろそろカウンセリングも始めて
ガイドラインに乗ったトランスを始めようかと言う時期でした
それから11年丸っと経って
昨年の暮れには2000記事も達成しました
そして昨日までの記事数が2076記事ですので
一月当たりの記事数が15.72記事
始めた時には、月に2桁くらいの記事が書ければいいなぁと思っていたので
それは今でもなんとか維持できているかな(^O^)
そして2000記事の時にも書いたのですが
最初の1000記事までは
わたしのトランスの歩みと
その時にともに歩んでくれた同じMTFの友との交流記
そして走り出してから、その成長と、各地のマラソンへの参戦記
それから移り住んだ地でのRLE(実生活体験)に
家族、特に上の子との交流記が主体でした
それから次の1000記事は
上の子との絡みから、下の子だったり彼女(元奥さん)との関わり合いに主体が移り
彼女の誘いもあって元の家の隣に戻ってからの
一通りの手続きを終えた高齢トランスジェンダーのRL(実生活)を綴っています
そこにAmebaさんのお節介に乗って
過去記事の紹介&補足だったり、それを基にしての纏め記事が増えています
これからの記事では
なんといっても高齢トランスジェンダーのRLが主になるのでしょうが
それも記事にするようなイベントの絶対発生数は少なくなってくるでしょう!
それに当然のことながら、リアルタイムなトランス情報はもう発生しないのですが
これまでは発生の都度書いていた情報を
時と状況によって、いろいろな視点で串刺した取り纏め記事だったり
違憲判断等の世の中の流れに、わたしの感じることなどを述べてみたいと思っています
ここで過去記事の中から
わたしにとって大切にしたい記事をいくつかピックアップしたいと思います
①先ずは何と言っても、わたしのトランスを一生懸命理解しようとしてくれた上の子との
三年間にわたる早朝のすれ違いの最後の日の記事です
『最後のすれ違い』
②トランスにはいくつかの大きなイベントがありますが
なんだかんだ言ってもやはりSRSが大きな比重をしめます
そうは言ってもSRSそのものは先生にお任せするもの
わたし的にはその前日の心情が一番心に残っています
『SRS前日』
③やはり上の子とですが、上の子の受験に際し
二人で初めての親娘旅をしました・・・旅そのものは幼児の時に二人旅はしています
わたしも女性装でね(^O^)
④そして地元新聞の特集の取材で、上の子と二人で新聞社本社を訪れました
特集の他の方々は当事者が主体の記事でしたが
わたし達の記事は、当事者の家族にスポットを当てた記事になりました
『静岡新聞の「私はここに 性的マイノリティの今」 連載4回目』
⑤GID学会(現GD学会)には、2013年の第15回埼玉大会から
関東圏を主に大阪や岡山の大会にも参加してきました
その中でわたしのセカンドをお願いしていた松永先生が大会長だった時に
第18回東京大会では、登壇してお話させていただきました
この時には上の子も一緒に参加してくれました
⑥わたしが結婚前から抱いていた”わたしのこども感”と
それを実践してきたわたしのこどもとのかかわりを振り返っています
そして「悪くなかったよ!」という一言に助けられました(^O^)
『わたしとこども達』
⑦やはりトランスの手続き的なゴールである戸籍の改性
”未成年の子なし要件”もあって、ガイドラインに乗ってから5年かかりましたが
わたしは日本で女性になりました(^O^)・・・それでも♀にはなれないけれど(*_*;
⑧一時期、「私が最高齢SRS被施術者の記事を見て
それならわたしの方が最高齢じゃん!と思っていたのですが
その後わたしより高齢で施術した方を知りました(^O^;)
ほんのひと時でしたが、それなりに楽しめました!
⑨わたしが「勝手にRLE」と家を出て
戸籍の改性の前には離婚もしました
それでも互いに二人の子の親には変わりありません
わたしが家を出る前は日本全国あちこちと家族四人で廻りました
家を出てからも彼女の配慮で常磐ハワイアンセンターと長島スパーランドにも行きました
それでもこども達が大きくなるにつれなかなか四人での旅行はしにくくなっています
⑩わたしもトランスを開始してから
生き方やその実際に憧れていた方から
「み~つけた!」と言って、わたしのランニングを見ていてくれました
そして一時期ほどではないですが
いろいろな人たちから長い間繰り返し見られている記事がいくつかあります
①針間先生のブログを採録した
②大学の卒業証明書を、改名後の新名で発行してもらうことの顛末を書いた
③わたしが戸籍の改名届けという形で会社にカミングアウトした時に
説明用に作成した資料を順次改訂して行ったものです
そして70年前の今日は
第二次世界大戦でドイツの暗号器エニグマの解読器を創り上げ
考える機会:チューリングマシンを提唱して
コンピュータ(人工知能)の父と言われたアラン・チューリングが亡くなった日です
彼は、エニグマ解読器開発チームの同僚である女性数学者と一時期婚約していましたが
基本的には同性愛者で、開発機に対して学生の時に慕っていた人の名を付けています
同性愛が罪だった当時の英国で告発され、性向矯正の治療?を受けています
このあたりの模様は
映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』で描かれています