カミングアウト第三章  【15/05/05再追記】 | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

今日はいつも通りに起きだして坂付きショート走ってきました
  本来なら今日からお休みなので10km走ってきてもいいのですが
  今朝は8時に上の子を迎えに行って静岡まで行くことになっているので
  ショートで切り上げました
結果は 12’10”/2.05km  5’54”/km でなんとか6分/mを着ることができました
  (ちなみに目標は5’30”/kmなのですが、まだ最速は5’41”/kmです)

戻ってお風呂で汗を流してから、お着替えして出かけました
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途中目覚まし代わりに上の子にメールを入れ
  待ち合わせ場所のコンビニ駐車場に向かいました

しばらく待ってちょうど予定時刻の8時に出発です
  途中のPAでおトイレ休憩をして
  そこでおいしそうにミカンソフトを食べていた方がいらしたので
  つられて買ってしまいました
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※明日からはまたお天気下り坂のようでが、今日は青空のお天気でした

PAを出たら目的地はもうすぐです
  お約束の場所には30分ほど早く着いてしまったのですが
  駐車場を少し探してしまいましたが、無事車を停めて
  受付に行きました
今日は基本お休みの日なので他にほとんど人はいませんでしたが
  受付から連絡していただき、迎えに来ていただくまで
  受付ロビーで少しお待ちしました
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 ほどなくして先日アイセル21でお会いした方がお見えになり
  応接室まで案内していただきました
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                     ※応接室から見た富士山です
このあと2時間ほどいろいろなお話ししてきました 
   なんの話しですって??
そうでした今回は未だ具体的なお話ししていませんでしたね(^_^;)

ここは静岡新聞の応接室
  お相手していただいたのは先月、先々月と
  「GIDしずおか」の定例会に取材に来られていた記者さんです
先月の帰りに呼び止められて少しお話ししたのですが
  わたしのブログも見ていただいたようで
  その中でわたし、というよりも当事者の家族という上の子に興味を引かれたようです
その時わたしのカムを聞いてどう思ったのか
  そんな親たちをどう見ていて、今はどう感じているのか等々・・・

ですから、その時私だけでなく、もしよかったら上の子と一緒にインタビューをさせてほしいと!
  わたしの生き方、判断は必ずしも一般的ではないとは思っているのですが
  それもまた、一つの事例であることには違いなく
  まったく同じではなくとももしかして状況が近い人がいらして
  参考になることが一つでも二つでもあれば
  まだまだ完全な認知がなされていない状況の私たちにとって
  少しでもの情報発信になって認知が一歩でも半歩でも進めばいいな、とお受けしました
ただ、わたしは良くても上の子がどう考えるかは分からないので
  その場で電話して確認を取りました
その時に、上の子の都合に合わせて、お会いする時を今日に決めたのでした

わたしがお話ししながらあちこちにお話しが飛ぶので
  記者さんは大変だったと思うのですが
  わたしに対する質問の要旨は次のようなものでした
    わたし自身のGIDの気づきと、それによる閉塞感について
    カミングアウトのきっかけと上の子に伝えた状況
    離婚は上の子がいくつの時で、その原因/きっかけは
    上の子との関係性(仲良く過ごしてきたか等々)
    とっても楽しそうだったので、上の子との女子旅のことについて
    天職に出会えた男の頃の自分について等々
  そして上の子への質問も要旨は次のようなものです
    わたしからカムされた時の気持ち
    友達に相談したか?そして親友/恋人は応援してくれているか
    わたしのために気をつかったことがあるか、また心配ごとがあるか
    わたしの手術や戸籍変更はどう思っているのか
    そしていまわたしは上の子にとってどんな存在なのか
    といったことでした

ここでは細かなお話しは書きませんが
  この私たちのインタビューも含めて
  静岡新聞夕刊のコラム「こちら女性編集室」の記事になる予定だそうです

上の子も了承していましたので多分実名報道になるかと思います
  そしてどれだけの人が見て、さらには気づきがあるか(^o^;)
多分プラスだけの反応ではないと覚悟はしています
  いろいろな思っても見ないマイナス反応もあるかと思います
  それは私だけでなく、今日一緒に受けた上の子、そして家族
  さらにはその周りにいる方々にたいして何らかの影響を及ぼすかもしれません
でも私たちの存在はけっして間違えた存在ではないし
  存在を否定されるものでもないはずです
ジェンダーへの想いを見つめなければ何ら変わるところない存在です
  いやいや、いろいろなところがわたしは変わっていましたね(^o^;)
  その変わった一面にジェンダーもあっただけでした!
わたしはわたしのあるがままで存在するために
  この先も生き続けます

そのわたしの想いを今回は不特定多数に対して
  面と向かわない形でのカミングアウト
  不安は勿論、かなりあります
でもこれが新たな動きのきっかけになればとも思っています

記事になった時に改めて紹介させていただきます
  記者さん、そして○○○、今日はありがとうございました

編集室はお写真撮るのまずい、ということで
  渡り廊下の処でお写真撮っていただきました
  二人の写真はこれが初めてかな?
二人で   

この後上の子の希望でお昼かたがた帰りにらら港に寄りました
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今日はどこも並んでいたり予約待ちでしたが
  地元の野菜を使ったビュッフェスタイルのレストランにしました
お時間来るまでの間センター内のお店をウインドゥショッピングしました
  上の子もなにか良いもの見つけたら買うつもりでいたようですが
  結局は何も買わずにレストランに戻りました
お時間になってやっとお食事です
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お食事は制限90分ですが、一時間ほどでお腹いっぱいになってしまったので
  お店を出ました
そして帰りにお母さんから上の子に電話が入り
  時間があったら隣の義母用に買ってきた椅子を組み立ててほしい
  というわたしへの言伝だったので
  凧場に廻って(規制で行けず)、一度わたしん家で着替えてから向こうの家に行きました
小一時間ほど椅子の組み立てに奮闘し、夕食をいただいてから帰ってきました
  丸12時間の上の子とのデートでした
記者さんからも”自慢の娘さんですね”と言っていただきましたが
  本当に感謝です

【追記】  上の子の了承を取ったので
         上の子が以前「セクマイ」について書いた記事を転載します
       ここに上の子の行動に対する根底にある考え方が現れていると思います
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「セクシャル・マイノリティ」
「セクシャル・マイノリティ」とは、社会の考える性のあり方、つまり男と女に簡単に区別出来ない人々の事を指す。彼ら少数派は社会の考え、すなわち多数派によって冷遇や差別を受けている。
私の父は数年前のある日、突然家を出た。「女の子になる為に出ていきます。」父はこういって家を出た。女になる為、というのも理由の一つだろうが、最大の理由は「理解が得られなかった」為であった。結婚直前に母は父の思いを告白されたが反対し続け、父も諦めていた。しかし父は幼少より募らせていた想いを叶えることにした。だが母と祖父母が容認することはなく、敢え無く家を出た。母たちにとって父は不自然な存在となり、受け入れられなかったのである。しかし、その部分を持ちながらも母達は父の人間性そのものを見、今でも仲良くし、助け合っている。受け入れられ、家族の形を保ち続けている場合もある。だがそれは決して容易なことではない。そもそも男と女、そして「区別する」という概念自体が差別に当たるのではないか
と私は考える。
少数派への冷遇・差別の根底にあるものは多数派の無意識である。故に私は、少しずつ周囲の人々に父の話をし、今までの概念の打破を試みている。身近であればある程関心が湧く事を私が実感したからだ。知らなければ何も変わらない。私はこの先も父の話をし続ける。
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【以下15/05/05追記】
原文のままです
  もちろんいろいろな意見があり、上の意見が必ずしも万人に受け入れられるものではないことも承知はしています
ただこの意見、考え方をわたしの押し付け、考えの受け売りではなく
  自らの想いとして形作ってくれたことに
  当事者というよりも、親としてとっても嬉しく思っています
特に”少数派への冷遇・差別の根底にあるものは多数派の無意識”
  という部分はわたしが常々思っている”知らないことの怖さ”に通じるものがあり
  今回の二人の想いもここら辺が出発点のような気がします