わたしとこども達 | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

彼女(元奥さん)から、整理していたら尾瀬の写真が出てきたから

  また延ばしてパウチしておいて!と・・・

この時、上の子が五年生で下の子が四年生の夏休み

  富士登山の予行演習として、尾瀬ヶ原&尾瀬沼縦走で

  東電山荘二泊の間に東北地方最高峰の燧ケ岳(上の写真後方の山)に登りました

登りは予定通りだったのですが

  下りに手間取って、宿にも連絡が出来なかったので

  お母さんと上の子を先に行かせて、わたしは下の子と下りていきました

  下り切る寸前に心配して迎えに来てくれた宿の人に遭遇しましたが

  途中の木道で熊さんと接近遭遇していました(*_*;

 

そんなこともあったこども達ですが

  わたしは結婚する前から、当然こどもの”こ”の字もなかった頃ですが

  こどもは授かりモノではなく ・・・・ 親の私有物、付属物ではない

    (大きくなって自立できるまでの)預かりモノ

    別人格の一人の独立した個人であると!

 

そんな子供のこと、家族のこと、親のこと

  先日送った友とあちこち旅したのですが

  その時にいろいろと、こんなこともお話していました

その時には、彼に

  「□□さんは子供がいないから、そう言うんだよ!」と言われましたが

  後に縁あって結婚をし、さらに子供が出来ても

  それまでの私の考え方で修正することはありませんでした(^O^;)

 

こども達が小さい頃は

  毎日(週に五日は)お夕飯を一種に食べ、それからお風呂

  お母さんが跡片付けやお風呂に休憩して、二階に上がってくるまでは

  わたしとこども達との読み聞かせタイム

  こども達が寝たころお母さんが上がってきて

  それからがわたしのお仕事タイム(^O^;)

 

そんな日々の積み重ねで

  こども達がまだおしめが取れない時に

  それぞれ、わたしと子供の二人での実家へのお泊りにも行きましたし

  年長さんと年少さんの二人とわたしの三人お泊りで

  こども達の初ディズニーデビューもしました

このころから

  こども達はわたしと二人だけで動くことにも抵抗はなかったようです(^O^)

 

そのあとも

  単に、こども達がどうしたら喜んでくれるのかを思って

  仕事中の移動の時にでも公園があれば、寄って滑り台を探し

  スキーを始める前にホームゲレンデを探しに行ったりしてきました

それをこども達は大きくなってから

  「お父さん、あちこち滑り台探して連れてってくれたねぇ~」と言ってくれたり

  (両足の間に抱えられて滑ったことを)「男のロマンだったねぇ~」と言ってくれました

 

そんなこども達が大きくなってくると

  こども達の自意識、自我と、お母さんのこうあって欲しいのせめぎあいで

  上の子はぶつかり合うし、下の子は無視するようになってきました

もちろん私はわたしで

  こうあって欲しい!、この方が良くない?という思いはあるけれど

  私の考え方が唯一無二で、絶対正しいなんて、思えないのです

ところがお母さんはそうでない!

  自分の思うようになるまで、繰り返し繰り返し言ってきます

  それに対してのこども達の反応です

 

上の子が大学受験する時も、直前でお母さんとバトル

  試験にお母さんと一緒に行くのもモヤモヤするからお父さん一緒に行って、と

  上の子と初めての親娘お泊り旅でした

その後無事合格はしたのですが、何を思ったのか

  大学にはいかずに一年浪人して来年再受験すると言い出したのですが

  わたし自身の気持ちとしては、そのまま大学に行って欲しいとは思っていましたし

  多分(上の子の性格からいっても)再受験しても通らないだろうな、とは思っていました

それでもわたしの思いは思いとして

  子供の気持ちがそうであるのなら、出来るだけそれに寄り添ってあげたい

  先生にも「お父さんは〇〇〇さん(娘)の言いなりだから!」と言われました

正直言って、こどもの意思を大事にするというのと、こどもの我儘を正すのと

  どう線引きするのかは、いつも悩んでいます

  でもいつでも一人だけでも、わたしがあなたの味方だよ”

  と言うことは伝え続けていきたいな、と思っています

  ”無条件の受容”なかなか難しいですが・・・

このあと、取り敢えずはお母さんの言うことを聞いて大学に行くことになったのです

  わたしもホッとしたのも事実ですが

  同時に最悪の可能性(自死)ということも覚悟しての送り出しでした

 

ちょうどそのころ、わたしも東京でのカウンセリングが始まっていたので

  毎月金曜の夜に上の子の処に入って、翌土曜日にカウンセリング&お友達との交流

  そして日曜に上の子とあちこちと!

始めの頃はお友達も作ろうとしない上の子の心が少しでも癒されればと・・・

  移った直後はやはり心がいっぱいいっぱいだったようで

  隣で寝ている娘の嗚咽が聞こえたりしていました・・・

 

それも一年ほど経つ頃には心も定まって、このまま進級して行くことに決めて

  やっと本当に親としても心安らかになったのです

  本人も卒業してから、「あれで良かったよね」と言っていました(^O^)/

わたしも、これでよかったとは思いますが

  もしあの時、大学行かないで再受験したらどうだったのであろうか?

  わたし達はいつでも選択の連続の上で生きています

  選択しなかったもう一つの道がどうなったかは分かりません

  もしかしたら選ばなかった方が、選んだ方よりもよりよかったかもしれません

でもわたしは

  選択した道もわるくはなかったよね!

  といつでも思えるようになりたいな、と思っています

 

そんな上の子は

  高校時代から養護の先生に紹介してくれたり

  クラスメイトがわたしのことを知りたいというので合わせたり

  三年間やっていた生徒会のメンバー6名とのお泊りプールに

  一軒一軒廻って親御さんとあいさつしながらの送迎もしました

上の子の考え方として

  (LGBT等)知らないから怖がる

  でも知らないから許されるのではなく

  知らいないコトは悪である ・・・・知ろうとしないのだから!

  だから少しでも知らしめることが出来るのであれば

  知らせていこうと!

 

それで新聞の特集にも

  当事者のこどもということで一緒にインタビューを受け載りました

  会社に入ってからも(どういう流れでかは分かりませんが)

  わたしのことは話している様です(^O^;)

 

上の子の生徒会活動は

  わたしの図書委員会活動とおなじで・・・・中学一年の秋から高校三年間やってました

  クラブ活動感覚でやっているのですよね!

  そしてわたしが「勝手にRLE」で暮らした地での自治会活動と同じ様に

  高校受験の内申書のためでなく、やはり楽しみで小学校の頃から

  協働センター(公民館)でのボランティア活動を続けていました

                ※市長表彰されて新聞記事にもなりました

生き様、考え方として(上の子本人も言っていましたが)

  かなりわたしの血を引き継いでいるようです(^O^)/

 

 

 

下の子は、わたしをより先鋭化した形かな(^O^;)

  自分にわずらわしさが及ばなければ、あとはどうでも構わない

  (中学の頃は)わたしがなにをしてもいいけれど

  家の周りだとうるさいのがいろいろ居るので

  いちいち説明するのがめんどいから(女性装は)よして欲しいけれど

  他所では構わないよ!と言っていました

でも今は家を出ているし、戻って来ても限られた仲間としか会っていないのもあって

  特には何も言われずに

  昨年はひるがの天橋立に二回、二人でのお泊り旅行に行ってくれました

 

下の子も会社に入って働くことで

  わたしが、小さいころからこども達に言っていた

  「お父さんが会社員の普通だと思ったら大きな間違いだからね」ということが

  実感で分かってくれたようです

  お父さん、会社でメチャクチャしていたんだなぁ~と(^O^;)

  そしてそれをやり通したことに・・・


お母さんもこども達に連絡を取る時

  もちろん自分でも取るのですが

  うまい返事がもらえない時には、わたしに振ってきます

こども達も、なんでもわたしには話してくれている

  なんてことは露ほども思ってはいないですが

  毛色の違う親が二人いることで

  こども達は案件ごとに言いやすい方に言ってくるだろうし

  その言われたことも

  何でもかんでもお母さんに伝えることもなく

  取捨選択してお母さんと情報共有したり

  こどもの秘密を守ったりしています

 

こども達は二人とも大学を卒業して社会人になりました

  そして終の棲家かどうかは分かりませんが

  それぞれ居を構えることになりました

  それぞれのパートナーがどうなるのかはこども達の問題

  親が口を出すことではないと思っています

   

これからは一方的にこども達の心配するだけでなく

  年老いた(^O^;)両親をこども達が気に掛けるころです

  かけてくれるかな???

その両親は、同じ敷地の隣り合った家に住んで

  互いが互いを見あって

  しばらくは何とかやっていくでしょう

 

こども達には今しばらく

  自分の人生の礎を築いていって欲しいですね

そして

  選択した道もわるくはなかったよね!  

  と思っていられる生き方をしていってね