過去に行って良かったと思う旅行先は?
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「思い出の旅行」、「よかった旅行」は、といわれると
一番はやはり「最初の一人旅」だと思います
これは大学三年生の時に、四泊六日で出かけた北陸の旅ですネ!
何と言っても思い出の一番は、彼女から借りた車の「運航記録ノート」の最後に
(当然、わたしが次に経過地点と累計距離を書き出す場所ですネ・・・車部ですから!)
”死なないで、帰ってきてね!”と書かれていました(^O^)/
それを見つけたのは、夕方に彼女のお家で車を借りて、そのまま出かけた夜中の20号線
お食事したドライブインの地点と距離を記録しようと「運航ノート」を開いた時でした!
その文字を見つけた時にはジ~ンとなって
その後、わたしって何やっているんだろう・・・、と
少し落ち込んでのを今でも思い出します
あの時の落ち込みは何だったのかなぁ~
それは一人だと思っていたのに、わたしの思っている以上に
彼女との距離が近かったの、を気が付かされたからなのかなぁ(^O^;)
それでもその夜は夜通し走って金沢へ
まずはお友達の家を探したり、当時まだ金沢場内にあった金大構内に車を停めて
当時は観光客が入るのを断られていた石川門から金大生のふりして
兼六園を見に行ったりしました
そしてその夜は、飛び込みで訪れた卯辰山にあった金沢YH(2015年に閉館しました)
YHは本来事前予約が決まりなのですが、予約は今回一件もしていませんでした(^O^;)
それでもお部屋は空いていたようで、夕食は出なかったのですが泊めてはくれました
ところが、なんとその時の宿泊者の半分以上は飛び込みとかで
規則破りの罰ということで、翌朝それぞれにお掃除が割り振られました
・・・で、わたしは「トイレ掃除」
==> 皆さんが出かけてからのお掃除で、最後の出立でした!
そして翌日は、日本でここだけという渚を走れる千里浜のドライブウエーを走って
羽咋の本成寺YH
ここは夕方に連絡したにも関わらず、受付してくれた和尚さん?が
「ばあさんや、一人くらいなんとかなるよなぁ」と言って
夕食も出してくれて泊めてもらいました<m(__)m>
そしてそこから外能登を国道を離れてもできるだけ海岸ぺりを走り続けたのですが
その時に断崖の上の道でコーナーを回った先の海から立ち上がる虹を見た時には
雨間の雲の切れ目からの光の加減もあってか、なんかとっても神聖な感じがし
虹の脚を見た感激にしばらくその場で浸っていました・・・
その後能登突端の禄剛崎をまわって、その日の宿は宇出津の奥能登YH
ここも飛び込みでしたが、お食事付きで泊めていただきました
これで能登半島一巡りは終わります
そのまま走り続けて帰れないでもないですが、最後は飛騨高山
その後、高山は何回か行って、秋も春も高山祭は見たり、彼との思い出もありますが
それはまた別の機会!
この時の高山が初めての訪れでした
今回のYHの旅もここが最後、当然ここも飛び込みで天照寺YH
でも天照寺さんは、最初の金沢YHと同じように、泊めてはくれたけれどお食事はなしでした(^O^;)
そして横浜への帰途、もう一つ初めての経験をしました 【このブロック追記 20/05/17 07:16】
それは雪道走行(>_<)
”雪道”と言っても、雪に降られて、道路が全面冠雪したわけではなく ==>だったら走れません!
高山から松本に向かうにに使った安房峠越で・・・・今はトンネルで楽に抜けられます
少し前に降った雪が残っているかもしれない、という恐れがあったのですが
その雪が、峠を超えて松本への下りのカーブの所々にうっすらと残っていたのでした
そして最初の雪で、「下りの雪道ブレーキ」の挙動確認と、チョン とブレーキ
途端に ス~ っと(*_*;
これはブレーキ踏めないなと、雪が出てくるとローまで落として、ゆっくりと!
全面の雪でなく助かりました
時間はかかったけれど、雪のない処まで、なんとか下りてきました(^O^)/
これでわたしのは初旅もおわりです!
彼女に車を返して、お土産を渡して、ノートに感謝して・・・
彼女とはその後、わたしが卒後し、彼女も卒業した、
その翌年の暮れまでお付き合いさせてもらいました
でもその当時(いまでもですが)自分に自信のなかったわたしは
住む世界の違った(当時はそう思っていました)彼女に
それ以上のアプローチをすることはできず
大晦日の日に「私、結婚します」と言われてしまいました
そして、その傷心旅行でお正月の二日から晴海<=>釧路をトンボ帰りしたお話は
また別の機会に!
PS.確認したら、今でも運営しているYHは、高山の天照寺YHのみの様です
YHも時代に合わせていろいろと変わってきてはいるのでしょうが
今の若い人の感性ではあまり受け入れられないのでしょうね・・・
ちょっと残念な気もします
PS2.この彼女とは今でも交流は続いています(^O^;)
もちろん、あの大晦日の日からは、お会いしたことも、お話したこともないのですが
年賀状が主ですが、わたしからは毎年の新茶
彼女からは旅先からの絵葉書だったり、そのお土産だったりが届きます
もちろん、ある時から彼女が気になりだし、いつしか好きになったのは事実ですが
その好きは、彼女と一緒になることったのか?
かのじょ自身になることだったのか・・・