巨大書庫・仙文閣(せんぶんかく)。そこに干渉した王朝は程なく滅びるという伝説の場所。
帝国・春(しゅん)の少女、文杏(ぶんきょう)は、一冊の本をそこに届けるべく必死だった。
危険思想の持主として粛清された恩師が遺した、唯一の書物。
けれど仙文閣の典書(司書)だという黒髪碧眼の青年・徐麗考(じょれいこう)に、
蔵書になったとしても、本が永遠に残るわけではないと言われ、
心配のあまり仙文閣に住み込むことに……。
***************************************************************** 文庫裏表紙より *****
あらゆる本を集めて、それを永久に守りつづける処
時の王朝が禁書にしても守られ、世の中から消えたと思われている本ですら読める処
でも天才といわれる典書麗考に言われます
「その本が仙文閣の蔵書になったとしても、本が永遠に残るわけではない」
それでは何のために仙文閣まで大変な思いをして、来たのか?
大切な老師の本を永遠に残すために、その真実を知るために、文杏は仙文閣に残ります
そこで過ごす間に150万冊の蔵書を抱える仙文閣の、そしてそこで働く人々に意味を知ります
どれだけ多くの物があっても、それがあることが認識されなければ
必要とする人に必要な本が届けられなければ、その本は無いのも同じです
そしてその認識するには、探し出せるようにするには、知の航海をするための海図(目録)が必要です
その海図には指標がが必要であり、それが分類
仙文閣は中央尖塔の周りに春夏秋冬四つの書庫があり、この中でさらに細分されるが
文杏はなぜ本の分類としてはそぐわない四季なのか?
もっと本来の分類にそった名前の方がよいのでは、と思います
でも仙文閣の東西南北四方に伸びた春夏秋冬の四庫に中央尖塔の意味するところは
万物の理を現した五行の化身
分類は、名前を付ける、ということは
そのものの存在を認めること
分類し、それに名前を付けて、そこに意味を込めて、初めてそのものが認識され
”あること”が認められます
わたしにしても同じです
昔、わたしは私を分類し、定義する言葉を持たなかった!
言葉をもつことで、わたしは私の居場所を見つけました
そして、文杏は知ります、もう一つのことを!
それは本は本だから大切なのではなく
そこに書かれた老師の文字はなくなっても、その文字の連なりが残り続けるのなら
そこに書かれた内容が残るのであれば
その時はじめて本は永遠の命が与えられるのだということを!
わたしも、その想いを大事にしていきたいと思います
わたしはこれからも分類し、意味付けし、言葉を与えていきます
そして自分の居場所も創りあげていきます(^O^)/