最初の会社に入社して三年目
東海六県を横浜と名古屋の拠点からサポートしていたのを
もっと近くでサポートするということで
わたしの扱っていたマシンをサポートするために静岡県に移ってきました
ここでの初めてというよりも
初めてAnalyses、Programming、Installationすべてを
自分独りでやり遂げたお仕事の納入先
※それまでは先輩が分析/設計したシステムのPとIをやっていたのを
転勤して当該機種担当が独りになったことで、すべてをこなさざるをえなかったのです
そのお客様での担当だった娘さんが今回の最初のヒロイン、なんてね(^O^;)
彼女とは、特にお付き合いらしいお付き合いがあったわけではなく
基本的にはわたしの一方的な片想い
それでも桜の季節には、機械の動いている間に電算室を抜け出して
近くの遺伝研に二人でお花見に出かけたり
二人で電算室にこもっている時に、他の女の子が入ってくると
「二人でいいところなんだから邪魔しないで!」なんて戯言を言ってくれて
わたし一人ドキドキしていました
たいてい金曜の午後はここのお仕事を作って、直帰予定で会社を出て
定刻になるとそのまま箱根を越えて、横浜の実家には7時ころには帰っていたり
彼女が教習所に通い出した時には、帰りに教習所まで送って行ったりしていました
そしていつしか思いがつのり
彼女に告ろうとしたのです
したのですが
その時私の車の後部座席にはまだ初恋の彼女からもらったライオンさんが・・・
告ろうとしているのに前の彼女のプレゼントを持ち続けるのはどうなんだろうと!
告る前の日になくなくぬいぐるみを焼滅させました(-_-;)
でもね(現状を見ればわかる通り)当然ながら
告りはしたのですが
「ごめんなさい。私付き合っている人が居るんです」と言われて
あっけなく失恋
そして失恋に伴ってぬいぐるみを焼いてしまったことの後悔も・・・(^O^;)
この時彼女の年は22歳(わたしは24)
そして詩の内容はぜんぜん違いますが
世の中で流れていた歌が伊勢正三の『22才の別れ』
今もこの歌を聞くと、胸がチクとします
その失恋したころ、何度目かの社交ダンスの流行が
若い人の中でも起きていました
そういえば失恋した彼女も社交ダンス習っている、と言っていたなぁ~
もう彼女と踊ることは出来ないけれど、わたしも踊りたいなと思いました
そこでS学苑の4ヶ月1クールの初級ダンス教室に申し込んで、週一の練習
もちろん男の子としての参加なので、習うのは男ステップなのです
先ずは一人でステップと身のこなしを練習
次に男女ペアでの練習の時は
男性が三列に並んで、その合間に女性が流れ込んできてペアになります
最後にフリー練習の時には、立っている女性の処に男性が申し込んでペアになります
なかなかこれが苦手でね・・・
新しいステップを覚えれば、前のステップを忘れる
特に夏の時期はエアコンが入っているとはいえ、冷や汗含みで汗ダラダラ
それでも何とか初級コースを終えて
9月からはクリスマスダンパ目指して、復習のための初級と
新しいステップを覚えるために中級の掛け持ちで下
このころは公民館のようなところも含めてあちこちでダンパが毎週開かれていました
ただ私なんかは覚えも悪いし、センスもないので
同じ教室出身者だと次のステップが何か互いに分かっているので良いのですが
そうでないとなかなかうまくリード出来ないのですよね(^O^;)
そしてその年に社交ダンスのアマチュアメダルテストD級受験
これは先生の好意?で学苑の補講という形で受験のための練習を多くの人と行ったのですが
翌年のC級受験ではダンスの種目も増えるのと練習時間が足らないので
※よくは覚えていないのですが、ワルツ、タンゴ、ルンバ、チャチャチャ、ジルバ
先生のダンス教室で個人レッスンを受けたのです
この時のC級受験生は、わたしともう一人、女の子
当然二人でペアを組んでの練習になります
二カ月ほどのペアでの練習
お陰様でなんとか二人とも合格でした
その後しばらくは二人であちこちのダンパに行ったりはしていたのですが
彼女のダンスドレスがうらやましかったですね(^O^;)
それも彼女が病気の治療を兼ねての関東地区の病院に転職することになって
お別れすることになりました
まだどこかに当時のダンスシューズはあるはずですが
いまだとハイヒールでなければね!
今度はドレスを着て、女ステップで
どなたかにリードされながら踊りたいですね(^O^)