わたしの女の子との交流記 その八 最終編 | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

これでこのシリーズも終わりです

  多分、内容的にこれからの続編はないでしょう(^O^;)

 

そしてその最終話を飾る彼女は?

     ・・・・ そんな御大層なモノではないか!

  

 

  当然、わたしの愛娘、上の子です(^O^)/

 

彼女はわたし達の”RAINBOE BABY”

  わたし達の初めての子、そして三番目の子

わたしと同じ干支、四回りです

  「お父さんと同じ守神様だね!」と言っていましたが

  子供と言うよりも、孫でもいいくらいですね(^O^;)

小さい時のお出かけでは

  いつも抱っこ紐で、わたしの胸に!

  おかげで腰痛になっちゃいましたが・・・

  わたしの背負子に乗って、金毘羅山も詣でました

 

お鼻が詰まった時

  お母さんがしてくれなかった鼻吸いをしてあげたのは

  わ・た・し

幼児のころから一緒にお風呂に入ったのも わ・た・し

  四年生の頃

  「まだ一緒に入ってあげるけれど、他で言っちゃダメだよ!」

  と言われたのも わ・た・し

それで、その後は理由をつけて

  少しずつ一緒に入らないようにしたけれど

  よもや、それから十数年経って

  また一緒に入れることになろうとは・・・

 

彼女が、一から十まで話さなくても

  行間を読み合いながらのお話が出来る数少ない相手

そして、わたしが「勝手にRLE」で家を出る時に

  理解しようとしてくれた子

  わたしとコンタクトを取り続けようと

  わたしとのクローズド・アメブロを開いてくれた子

    ※今のIDはこの時に使いだしたモノです

わたしがアメブロを開いて

  トランスの記録をはじめてからは

  わたしの存命確認の意図も含めて

  チェックし続けてくれました(^O^)

 

初めてお泊り女子旅をさせてもらったのも彼女でした

  大学に入ってからは

  わたしの東京でのカウンセリングの宿として、

  マラソンのサポーターとしていろいろな処に同行してもらい

  毎月一度以上の交流も続いていました

卒業する前には

  卒業記念旅行として、わたしの名前の故郷を訪ねました

 

彼女は、わたしのことを隠すのではなく

  わたし自身が隠さないことを知ったうえで

  クラスの友にも、三年間活動した生徒会の仲間にも

  そして先生、更には会社の上司にも

  わたしのことを話しています

そして、地元の新聞のLGBT特集の時に

  当事者と言うよりも当事者の家族ということで

  二人してインタビューを受けて、新聞に載っちゃいました

 

また彼女の化粧品デビューには

  お母さんではなく、わたしが行きつけのお店に連れて行ったし

  ピアスの穴開け

  わたしがお世話になった美容外科で一緒に開けてきました

 

そんな彼女も今は社会人

  正直言って、ぜんぜん心配なことはないか?と問われれば

  それなりに心配事はあります

  それでももう社会人

  自分で羽ばたいていけます

それでもなにかにつまずいた時には

  何もできない親だけれど

  隣でただ話を聞いて

  全面的に、無条件で、受け入れることは

  出来る

  したいな、と思っています

 

しょもない親だけれど

  これからも

  よろしくね(^O^)

 

 

これでこのシリーズのすべてが終わりです

  そこで最後に注釈をひとつ!

わたしには、わたしのDNAを引き継いだ子供が二人います

  ということは、それなりのことをしてきました

  一応はできました

そしてこれまでお話してきたように

  何人かの人々と同じ屋根の下で二人で一夜を過ごしました

  ただその時々では一切そのようなことはありませんでした

  わたしの子供達のお母さんとの間以外には・・・

 

信じるも、信じないも、あなた次第

  一応のご連絡でした(^O^;)