わたしの女の子との交流記 その六 Tsex編 | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

少しお時間空きましたが「交流記」続編です

  今回のテーマ、どうしようかなぁ~~とは思ったのですが

  きっかけは少し特殊ですが

  内容的にはこれまでと大差はないのと

  これも一つの出会い、一記事書いちゃいます(^O^;)

 

”Tsex”そういう正式な略称があるわけではないのですが

  TelephoneSexのことです

  今ならアダルトチャンネルのVideoChatになるのかな??

ただ当時は方式として二つあって

  一つは実在のお店の中に、今の満喫の個室よりは狭いけれど一人ずつの個室があって

  そこのテーブル上に電話機とティッシュボックスが置いてある

  どこからか電話がかかってきたのをみんなで一斉に受話器を取って

  早い者勝ちで一番の人がお話しできるのです

わたしは一回だけお友達に連れられてそういうお店に行ったことあるのですが

  一時間くらいいて、一度も取ることは出来ませんでした(^O^;)

  あの時、入店料金だけで、お話しできた時には追加料金はいらなかったのかな???

 

それからもう一つの方式が

  事前に会員登録をして、ある金額を振り込んでおきます

  そして事務所にお電話して、お話したい予定時間を伝えて

  1分いくらの残高が残っていると、女の子から登録電話番号にかかってくるわけです

通常は、お電話の声を聴いておかずのリアリティを上げたり

  お願いしたストーリーによるお話で妄想を膨らませて気持ちよくなるのですよね

わたしの場合は、女の子になりたい気持ちがあるということを伝えておいて

  時にはレズることもありましたが

  基本は、恋バナやお化粧なんかの女子トーク

  初恋の彼とのことなんかは

  恋する乙女??の話としてゼンゼン問題ないんですよねぇ~(^O^;)

 

そんな中で(本来はお店の規定としては違反なのですが)

        ・・・直接こちらから電話することは禁止です

  彼女自身の電話番号を教えてくれた方がいました

 

先ずはそのうちのお一人

  彼女はその時お母様との折り合いが悪くて、何回か食料品をお送りしたこともあるのですが

  一度蓼科高原の温泉宿にテニスをしに行ったことがあります

彼女のお家は茨城だったので、前日に彼女の家の傍まで行って

  朝から北軽経由で宿に行き、翌日はワンピの初テニスウエアでのテニス

  午後からまた茨城へ

  彼女を送り届けてから、帰りはそのまま高速を乗り継いで帰ってきた、のかな??

宿のお風呂も夜中遅くに彼女と二人で初お風呂

  女性装でのドライブお泊り旅行も初めてでした

  その後は彼女が独り立ちして転居して、そのまま疎遠になっていきました

 

そしてもうお一人

  こちらの彼女は、上の彼女より後

  やはり何回かのお話の後、女性装での志摩旅行にお付き合いしてもらいました

当時彼女はユーミンのものすごいファンというか追っかけで

  あちこちのコンサートに行っていたみたいなのですが

  ある時一緒に行くはずの友達がドタキャンになってしまったので

  わたしに一緒に行ってくれない?ということがありました

結局は、羽田からの初飛行機で福岡まで行ったのですが

  その晩はわたしも連れられて初コンサートに行って、中洲の初屋台でした

  ユーミンの歌は嫌いじゃないというか

  荒井由実時代の『あの日に帰りたい』は大好きな曲なんですが

  初めてのコンサートのあの爆音、わたしには馴染めなかったです・・・

それで翌日も彼女はお昼と夜のステージを独りで見て回っていましたが

  わたしは志賀島に行って金印の発見場所に行ったりして過ごしました

 

その後も、この地でコンサートのあった時には遊びに来られたり

  彼女のお洋服をいただいたりの交流はしばらく続いたのですが

  やはりいつしか疎遠になっていきました

 

交流はそれほど深くなったわけではないのですが

  それでも彼女たちとの交流を通して

  それまでわたしの経験したことのなったことを

  体験させてもらったことが多々あって

  それはとっても感謝ですね<m(__)m>

 

あと二つ(^O^;)