人間の言う「不足」と「過多」の境界線は何処にあるのだろうか。
塩分過多、塩分不足だけでなく、野菜、糖分、ビタミン、ミネラル、カロリーなど「不足 過多」と言う言葉が出て来る。
野菜にも一日の必要量が決められ、果物も食べ過ぎは血糖値がどうのと難癖が付く。
食べる度に人目を、いや太目を気にしながら、健康数値を気にしながら、後ろめたさを感じながら食べている人も多いだろう。
「摂り過ぎ宣告」されて塩味気ない食生活や、「飲み過ぎ・吸い過ぎ宣告」されて禁酒禁煙、「メタボ」宣告されてロミオとダイエット。
こんな生き辛い、いや、食べ辛い時代は人類史上他にないな。
そしてこんなに多種多量の病不調に悩まされた時代もない。
気にせず食べる人もいるが、大半は気にしながら食べている。
おかしいとは思わないかな。
頑張っても良くなるはずが悪くなる一方なのだから、これらはまったく健康とは関係がない。
誰が言い出しっぺかは知らないが、不足と過多の境界線をはっきり示し、やって見せればよい。
ここまでが健康で、ここから下も、ここから上も不調・・と見本を見せれば皆納得するだろう。
やって見せて病を防止した学者はいるのかな。
海鳥やクジラやイルカなどの哺乳類にも言って聞かせればよい。
「あんた達 塩分摂り過ぎ 高血圧になるから」と・・
オランウータンには・・
「果物食べ過ぎ 糖尿病・・」・・とか。
野人は道理も根拠もない戯言に付き合うほどヒマではない。
小中学校時、「栄養カロリー」で先生にイチャモン付けて以来不採用、そんなこと気にして食べたことは半世紀以上全くない。
同時期にイチャモン付けた野菜果物、農法も同じ、山菜木の実は好んだが、野菜果物は必要としなかった。
地球上の動物は例外なく、「食べ物がある時に食い溜め」が基本であり、それも1種から数種、人間のように事細かく栄養を必要としない。 それで不足もなく健全に生きている。
その理由をはっきりさせてから理論を唱えればよい。
それが出来ないから小中学生の野人にコテンパンにやられる。
理論にすらなっていない。
野人目線で見れば、「不足」「過多」は現状から思考が始まっている。 数値は正確なのだからそれは事実だろう。
しかし何をやろうが歯が立たず手に負えない。
不足成分を補い、あるいは制限、さらには薬で抑制しても完治することは不可能。
生涯、血圧降下剤やステロイドや透析の世話になるしかない。
「生活習慣病」などは学者の言い分けであり、愚の骨頂としか言いようがない。 手本を見せても効果はなく病は防げない。
禁煙して副流煙を避けようが肺がんは避けられないこともわかっているはず。 肺がんの主因ではない。
何故こうなったかは簡単だ。
現状ではなく本来を見なかったからであり、思考の基点が間違っている。
他の動物と比べてなるはずのない病になった「原因」が何一つ明確にされていない。
明確にされないのではなく、大勢が何十年もいくら頑張っても「出来ない」のだからその学問は根幹から間違っている。
答えを出す術を持っていない、単純な道理だな。
間違いとは最も基本的な「生命の仕組み」であり、その動力と維持制御法。 それがカロリー、栄養、ビタミン、ミネラルなどではないと言うことだな。
関係がないことが理解出来れば解決は簡単、何も考えない野生動物は皆さんそうして生きているのだから。
思考順路 協生農法講師 必読
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