野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

何故ここまで生命に関する学問が複雑で膨大になったのか。

生物学、医学、薬学、健康学、栄養学、精神関連・・

 

これらは体の異変に「困った」から生まれ、うまく行かずさらに困ったから発展した

物質科学は現状よりプラスを求め、生命科学、医学はマイナスをゼロに戻す為に生まれ、今もゼロに向かっているがいまだ程遠い。

 

健康で寿命を全うするのが目的なのだが、基点である「ゼロの維持」の単純な仕組みがわかっていないから果てしなく迷走する。

 

構造が複雑だから病になるのが当たり前で、人間だけ「仕方ない」のか。

病の数も量も年々「増え続ける」のが当たり前なのか。

 

結果が出ず「困った」時点で「道理」を間違えている。

そこで修正すれば「対策」「治療」や、それに関する膨大な難しい野人の「理論」は必要ない。

 

生命とは何か、どのようにすれば健康でいられるのか、その答えは世界中の人達が営めるごく当たり前の暮らしにあり、難しいものではない。


人間の言う「当たり前」「自然」「健康」は自然界の仕組みとは対極にある。

これではゼロも見えず、近づくことすら出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 
う・・・ 思考が・・ドクロ汗

 

 

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クマ太郎のホバーリング 上手に停止

 

 

 

「一寸の虫にも五分の魂」と言うことわざがある。

 

弱い者にもそれなりの意志があり軽く見てはいけない・・と言う意味だが、あくまで虫に例えた人間用語であり虫の為に生まれた言葉ではない。

 

一寸は3㎝、五分はその半分、わずか3㎝の虫にも何かをやり遂げようとする意志は必ずあるはず、魂と言う言葉も、この世に生命を受けたものは必ず持ち合わせているという「人の思い」から生まれ、いまだ仮説の範囲を出ない。

 

心、意志、意識、感情、精神、魂、状況によって用い方は異なるが、同じようなもの。

司令塔である意志がなければ生き物は動けないのが道理であり、生き物に意志がないと思っている人もいないだろう。

怖ければ逃げるし、楽しければ踊り、痛ければ悲鳴を上げる。

声が出せなければ心の悲鳴、おとなしい生き物も生きる為に反撃もする。

 

これらは偶然でもなく、その存在場所と構造が証明されないから生物科学物理界は何とも言いようがないのだ。

存在「しない」と言えば違和感があり冷たく思われ、「する」と言い切れば「意識」の証明が必要、何とも不自由なものだが、その境界は自ら作ったものだから仕方ないだろう。

頭や胸を高度な顕微鏡で見てもまったく見えず、医学も心の物理的仕組みがわからないのだから手のつけようがない。

 

犬や猫などのペットだけでなく虫にも心があり、個々の能力は異なっても「明確な意志を有する心」に変りはない。

それぞれの種ではこうなっている・・と言う行動の観察結果はあっても、何故そうなっているのかはまったく解明されていない。

 

ハチやアリなど、仲間同士コミュニケーションがとれている種がそうであるように、虫達は明らかに意志疎通の手段をもっている。

人間のような言葉はないが、はっきりした意志の疎通なくして高度な構造を持つハチの巣やアリ塚は出来ない。

 

群れない単独行動のクモの巣も同じで、あの素晴らしい構造を持つ巣が偶然出来るはずもなく、考えながら正確に作り、壊れても一晩で補修する。

優れた思考回路を持つ人間でさえ出来ない糸使いと巣作り、優秀な思考回路と技術を持っていないと言うほうがおかしいではないか。

言葉で片付けるなら

「クモはそれが当たり前」・・となるが。

 

その道理が理解出来れば、虫の見方も付き合い方も少しは変わるだろう。

 

科学は電波を音声や映像に変えて意志疎通出来るようになったがそれと同じようなもの、テレパシーや第六感、虫の知らせなどもその類だ。

哺乳類、鳥類、昆虫だけでなく植物も含めたすべての生命体はその術を持っている。

 

意識の証明は誰も出来ず科学も歯が立たない。

その構造と仕組みと指揮系統が皆目わからないからだ。

わからないならわかる範囲で解明、証明して見せる。

証明とは道理と結果だ。

 

それが出来なければ人類が抱える難問は解決しない。

生命エネルギー理論、第一弾はもうすぐだが、このシリーズが何処まで続くのかわからない。

まとめようもなく、終わりもないような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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脂肪と肝臓は動物にとって重要なバッテリーだ。

脂肪は皮下、肝臓は臓器下に入る制御エネルギーの蓄電池。

 

理由は幾つかあるが、一番わかりやすいのは・・・

必要に応じて増えたり減ったり、伸びたり縮んだりするからだ。

 

毛や爪も伸びるが縮むことはない。

筋肉も状況次第で伸び縮みするが、縮んで見えなくなるほどでもない。

筋肉は無理だが、脂肪や肝臓が見えなくなるほど縮んでも問題ないのは、皮膚とも臓器とも言えない役割を担っているからだ。

 

人間の肝臓の重さが安定しているのは周年不自由なく食べているからであり、常にフル充電済み状態にあるからだが、自然界はそうではない。

 

どの種もそうだが季節により食料の量が異なる。

当然、備蓄機能がなければ子孫を繋げない。

 

魚類も同じであり、食い溜めして脂肪を付け、肝臓に大量に備蓄する。

肝が美味しいアンコウもカワハギも、夏になれば肝臓が何処にあるかわからなくなる。

フォアグラは、無理やり穀物を食べさせられ続けて肥大したガチョウの肝臓だ。

 

常識では動物の動力燃料はカロリーとされているが、野人理論は一般電気。

心身の制御の為に必要な電気エネルギーは完全な生命を帯びた電気であり、これが脂肪と肝臓に備蓄される。

 

正常なエネルギーならすぐに使えるが、人間やペットの脂肪や肝臓はそうではなく使い勝手が悪い。不完全な食品の食べ過ぎだな。

 

脂肪・肝臓のバッテリーに対し、常時維持制御電力供給を続ける発電機が大腸。

 

この理論、間違っていないが真面目に考える人は意識が冥王星まですっ飛んで行くだろうな。

 

習った知識ではなく、道理を追って思考を進めれば矛盾はない。

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

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