さて、ほそ日達にったつの急死を受けて全僧侶が茫然ぼうぜんしつおちいっていた時、阿部あべ日顕にっけんは「実は私がそうじょうを受けていた」という自己申告をしてあっという間に第六十七世の座にいてしまった。
 この突然の登座がいけ大作だいさくと心合わせであったことうまでもありません。
 これより平成2年までの11年間、阿部あべ日顕にっけんいけ大作だいさく蜜月みつげつの年月が流れたんですね。
 彼らは一体となってほんもん改称かいしょう陰謀いんぼう実現に突き進みました。
 この「ほんもん改称かいしょう」とは先般も申しましたが、平成2年の大石寺開創七百年を期し、広宣こうせん流布るふ達成をいつわった上で大石寺の名前を「ほんもん」と改称かいしょうしようということですね。そうすれば、大石寺の正本堂しょうほんどうほんもんの本堂となる。
 そうすれば、これは「遺命ゆいめい戒壇かいだん」といつわことができる。
 これいけ大作だいさくにとってまさに正本堂しょうほんどうおうわく完結かんけつを意味しておったわけであります。
 その平成2年の4月に顕正会のづうが二十万に達した。
 この4月に私は『正本堂しょうほんどうおうわくを破し懺悔清算を求む』と題する一書を阿部あべ日顕にっけんいけ大作だいさくに送付いたしました。
 この書は、阿部あべ日顕にっけんのかつての2冊の悪書あくしょの邪義を完全に粉砕した上で「早くにせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうを撤去せよ」ということを強く迫ったものです。
 この諌暁書は阿部あべ日顕にっけんはいえぐって心に怖畏ふいを生ぜしめた。
 その結果、大石寺開創七百年記念法要において阿部あべ日顕にっけんはついにいけ大作だいさくを裏切ってしまったんですね。
 これを眼前にしていけ大作だいさくは激怒いたしました。
 ここに、ほそ日達にったつの時を上回るしゅ悪竜あくりゅう合戦かっせんそのままの凄絶せいぜつそして醜悪しゅうあくな大抗争が始まったのであります。


令和元年 7月24日 7月度 総幹部会 浅井先生指導