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(半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 6月30日(日)の「 永代神楽祭 (令和6年)・前編・続報2」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が 繋 がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)
なお、小学生の頃 大叔父さんが 当家に見えますと、【賀茂鶴】の 200㎖の お酒を 何本か 買ってみえました。すなわち、この【賀茂鶴】という お酒は なかなか売られていないのだそうであります。ところが、当家の近くの酒屋が 【賀茂鶴】という お酒を扱っているとのことでありました。そして、母親が、この お酒を お燗にしていました。それから、誠に有り難いことに、大叔父さんが、この熱燗の お酒を 美味 しそうに お召し上がりになられておられる お姿が 脳裏に焼き付いております。
序で乍ら、お酒には 小学生には 難しい漢字が使われていますね。ところが、興味があると、覚えてしまうのでありますね。 因 みに、大相撲の力士の名称も そうであると言われていますね。なお、この点につきまして、その家政婦も、誠に有り難いことに 頷いてくれました。
そして、その漢字に因 んだ 話しであります。すなわち、去る 昨年の9月1日(木)の【菜食のおかず・151(買い物)】のブログの中段やや下に、
【(前略)誠に有り難いことに、小学校低学年のときに 母親に お寿司屋に連れて行ってもらったことがありました。それで、その お寿司屋の 湯呑み茶碗には、沢山の魚編の漢字が書かれてありました。そこで、その湯呑み茶碗に書かれてある 魚編の漢字を 全て覚えたいと思ったことがありました。(後略)】と記させて頂きました。
さて、去る 8年前の1月30日(金)の【永代神楽祭】のブログの中段やや下に、
【(前略)一人で 靖國神社に向かうために、J.R.線に乗りましたら、誠に有り難いことに、男子学部4回生の方から声を掛けられました。こんなことは、一生の間に 一人の方について一回あるかないかのこと、と話しましたら、頷いてくれました。そこで、これから 靖國神社の永代神楽祭に行く旨を話しましたら、吉祥寺の教会にいくつもりであったが、また行けるので、一緒に同行してくれるとのことでした。勿論、無理はしないように、と伝えました。乗り越し分の交通費は負担させて頂きました。因みに、聖書を全部読みたいとのことでした。
そして、〖きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記〗の本(岩波文庫)の話しになりました。学徒出陣の歌が御座いますが、学徒出陣した戦没学生の方々の手記が記されている感動的な本です。(但し、誠に遺憾なことに、大東亜戦争に対して 否定的な 文章もあります)
この方は、この本を読んだが、学徒出陣はしたくないとのことでした。現在の日本人の学部生の方々が共通して思っておられることであるか、と思われました。
日本国民にとりまして、護るべきものがある場合の価値観が関わって参ります。日本国民が、国家を愛して国家を護るために戦いました。その戦いという行為は、相手があり 相対的なものであるから、各々の立場の異なる人々によって、その価値 もしくは 不価値をいろいろに評価されるけれども、その戦いという相対的行為の奥にあるところの、日本国民が 天皇を愛し大日本帝国を愛したという、その純忠なる愛の価値は相対的価値を超えた絶対的なものでありますから、肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその愛の価値が滅びることは無いので御座います。
(中略)
男子学部4回生の方の話しに戻りますと、この方の卒論のことは心より祈らせて頂いておりました。卒論の中間発表が終わり、その後担当教官の指示が変更になったとのことも伺いましたが、卒論提出も 済み、明日(本日のこと)、10分間の面接があって最後とのことでしたので、安堵致しました。
昨年夏、卒業前祝いとして、この方が希望していた仏教辞典・第二版を贈りました。昨日は、お祝いに食事を御馳走致しました。靖國神社境内の遊就館に隣接する茶寮で、この方は、海軍カレー・サラダ付、たこ焼き、そして、三ツ矢サイダーのセットを注文しました。御承知のように、当方は菜食なので、外出するときには、玄米を持って行きます。勿論、茶寮内で頂くことは致しません。因みに、遊就館は 次回入館したいとのことでしたので、無期限で使える入館券を 2枚渡しました。誠に有り難いことで御座います。
吉祥寺の某・パン屋でアルバイトをしていたが、クビになったとのことでした。それでも、研修中のアルバイト代は貰えたとのことでした。伯父はパン屋で修行していたと前述致しましたが、このことを連想しました。(後略)】と記させて頂きました。なお、上記の家政婦にも、遊就館の無期限で使える入館券(遊就館拝観券)を 2枚渡しました。しかも、その入館券の使い方の説明もしました。すなわち、遊就館の受付で、自動改札機を通ることが出来る 入館券と交換するのであります。
ならびに、去る 昨年の5月15日(日)の【収骨(分骨)(父親)続報2・後編】のブログの下段に、
【(前略)帰りに 家政婦が 何か 食べていきたいとのことでした。それで、いろいろ探しましたが、家政婦によりますと、その某・喫茶店でいいとのことでした。それで、上記のように 当方は 外食しないので、家政婦のみ 二人分 注文しました。すなわち、家政婦によりますと ホット ドックがいいとのことでしたので、¥490円(税抜)のそれと ¥200円位のアイス コーヒーを注文しました。因みに、家政婦は D.M.なのに、アイス コーヒーの為に ミルク と ガム シロップを 2個も入れていました。(後略)】と記させて頂きました。この家政婦と上記の家政婦は、同一人物であります。因 みに、この収骨(分骨)のときと同様に、参集殿から出ましたら、その家政婦が 何か 食べていきたいとのことでありました。それで、上記と同様に、家政婦のみ 食べることになりました。すなわち、海軍カレーであります。なお、その家政婦によりますと、あっさりしていて 小麦粉を使っているとのことでありました。勿論、カレー粉は 使われていますね。それから、その家政婦によりますと、気の抜けた味とのことでありました。しかも、その家政婦によりますと、具が 小さく 切ってあるとのことでありました。それで、当時の作り方を参考にしているので、海軍軍人の消化の よいように 考えられているのでありましょうと回答しました。なお、山本五十六によりますと、戦艦 長門の料理は 美味 しいとのことでありました。序で乍ら、上記の 男子学部4回生の方 そして 母親とも、その海軍カレーを食べることに 付き添いました。因みに、当方は、飲み物などの接待をしました。なお、このことが 英霊の方々の供養に繋 がると思われました。すなわち、英霊の方々に 御一緒に 食べてもらっているのでありますね。序で乍ら、その家政婦が コーヒー フレッシュ(英語: creamer)(コーヒーなどに加える小型のクリームを意味するポーション クリーム[和製英語: potion cream]のこと)を 1個 使いませんでした。それで、勿体ないので 返そうと思い 伝えましたら、その家政婦によりますと 食器皿に置いておけば 再利用してくれるだろうとの旨でありました。それで、その言葉に従いましたが、見ていましたら 店員は その食器皿の上のあるものを そのまま ごみ箱に捨てていました。因みに、食べ終わった後に その家政婦によりますと、【一人で 食べて 済みません。】とのことでありました。
その家政婦 一人分の海軍カレーの領収書
海軍カレーについて
および、その海軍カレーの話しから、バーモント カレーの話になりました。そして、以前 姉も レトルトは 好ましくないと言っていましたし、レトルト カレーは 好ましくない との話をしました。因 みに、メニューとしては、その海軍カレー と 【靖國名物】玉子丼がありました。それで、その家政婦によりますと、何でも 【靖國名物】にしているとのことでありました。なお、誠に有り難いことに、雲 一つない 快晴であることを その家政婦に伝えました。序で乍ら、以前は ¥100円を支払って 白鳩に 餌を あげることが出来るようになっていたのでありますが、今では 白鳩も居ませんでした。
なお、故 石原慎太郎氏は 生前 すなわち 一昨々年 つまり 令和2年8月15日に、【首相は 当たり前だけど、天皇陛下に参拝して頂きたい。何故 参拝してもらえないのか】と訴えていましたね。
ときに、去る 8年前の11月28日(土)の【神在祭】のブログの上段に、
【(前略)ここから、出雲大社迄 バス(英語:bus)で通いました。バスの所要時間は 約30分であり、片道の運賃は、510円でした。〖神在祭〗のときですので、車内は一杯でした。天気は あいにくの雨でしたが、誠に有り難いことに、季節は11月であるものの それ程 寒くはありませんでした。母親も、そう言っていました。誠に有り難いことに、バスの車内で 母親の手助けをしてくれる方が見えましたので、感謝の印として この方の バスの運賃を負担させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。
なお、往路の電車内のことであります。すなわち、ここ迄は、家政婦のみ 座れていました。因みに、当方は、いつも 電車内では 立つことにしています。
ところが、J.R.中央線で 初めて 立たなければならなくなりました。それで、二人で 立っていますと、誠に有り難いことに、女性の方が 家政婦に 席を譲ってくれました。それで、お禮の言葉を伝えました。そして、次の駅で 席が空きましたので、その女性の方に 座ってもらいました。しかも、降りるときにも、合掌して 感謝の気持ちを伝えました。
ならびに、去る 7年前の10月7日(火)の【日本人の心情】のブログ の中段やや上に、
【(前略)平成7年と翌8年の2年間、誘われて、精神分析(心理学)セミナーに参加したことがあります。(後略)】と記させて頂きました。この精神分析セミナーのときに、同じ市に住んでいる 盲目の男性心理士の介護をして 電車に乗りました。因 みに、J.R.信濃町駅から 国分寺駅迄でありました。なお、その盲目の男性心理士は、必ず J.R.三鷹駅で 1区間でありますが、国分寺駅迄 中央特快に乗るように 指示しました。それで、今回も、そうしました。
なお、時間が掛かり、家政婦には 金7,370円という 余分な 手当てを あげなければなりませんでした。
ところで、駅迄は 往復 自転車でありました。因 みに、駐輪利用券は ¥100円でありました。なお、家政婦にも、自転車を駐輪する為に ¥100円を手渡しました。
駐輪利用券
(後略)』と記させて頂きました。
次に、去る10月18日(水)の『靖國神社・秋季例大祭(平成5年)・続報』のブログの下段に、
『(前略)去る1月29日(日)の【永代神楽祭(令和5年)・後編】のブログの中段下に、
【(前略)故 石原慎太郎氏は 生前 すなわち 一昨々年 つまり 令和2年8月15日に、〖首相は 当たり前だけど、天皇陛下に参拝して頂きたい。何故 参拝してもらえないのか〗と訴えていましたね。(後略)】と記させて頂きました。
また、昨年の靖國神社・秋季例大祭のときに、【みんなで 靖國神社に参拝する国会議員の会】副会長(衆議院議員)によりますと、【国民の代表である 内閣総理大臣が あらゆる環境が整い また 国民の皆様の理解が頂ける中で 靖國神社に参拝して頂ける そういった環境と言いますか 状況と言いますか そのことを 心ある国民の皆様の御理解 御協力も頂く中で しっかりと作り上げていく そのことも 私たち 国会議員の会の役割、努めであろうかと存じます。しっかりと 努力を重ねて参りたいと思います。(御本人の話した通り)】とのことでありました。本日は、超党派の国会議員96人が 参拝した とのことであります。
ならびに、本日が、靖國神社・秋季例大祭の当日であります。因みに、天皇陛下の勅使参向があります。なお、その勅使の車は、神門を 唯一 通行しても構わない車であると言っても過言ではないとのことであります。序で乍ら、【皇族下乗】の札が掲げられています。因みに、家政婦に この話を致しましたら、勅使の持ってきた 箱(菊の紋章入り)の中には 何が入っているのでしょう とのことでありました。それで、昨年 すなわち 令和4年の【勅使参向】の動画を見ましたら、靖國神社の賽銭箱の前で 開けていました。すなわち、直方体の箱でありました。そこで、家政婦との話しで お土産とのことでありました。つまり、奉納品であると思われました。
および、上記のように 【首相は 当たり前だけど、天皇陛下に参拝して頂きたい。】とのことであります。因みに、天皇陛下に 御参拝して頂けるような 環境作りを、靖國神社崇敬奉賛会が整えていかなければならないのであると思われます。なお、去る3月5日(日)の【父親の 一周忌での 挨拶】のブログの中段やや上に、
【(前略)己 未だ度らざる前に、(後略)】と記させて頂きました。すなわち、天皇陛下が 御参拝なされるようになったら、靖國神社・秋季例大祭に参拝させて頂こうと思います。序で乍ら、全国から 参拝する人が居ることを考えましたら、東京都下の田舎であるとはいえ 東京に住んでいることは 誠に有り難いことであると その家政婦さんに話しました。そして、誠に有り難いことに、その家政婦さんと 一緒に、今年の靖國神社・秋季例大祭の動画を見ました。(後略)』と記させて頂きました。
さて、今年も、上記のように 来る1月29日の 靖國神社の永代神楽祭の案内が来ました。因みに、上記のように 両親の介護のことがありましたが、昨年は 6年ぶり すなわち 平成29年以来になりますが、靖國神社の永代神楽祭に 参加しました。そして、今回も、参加する予定でおります。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る1月29日(月)の「永代神楽祭(令和6年)・中編・続報」のブログの中段やや上に、
「(前略)靖國神社の永代神楽祭は、午後2時からであります。因みに、前述致しましたように、昨年は 事前に 許可をもらって 6年ぶりでありましたので 挨拶をしました。なお、神官の説明が 約10分前に始まると聞かされていましたので、その前に 挨拶をさせて頂こうと思いました。序で乍ら、挨拶は、約16分前に行ないました。
すなわち、
『昭和20年1月29日に、台湾沖で くらいど丸に乗っていた ○○○○の甥で 生まれ変わりとして 同じ名前を名付けられた ○○○○であります。靖國神社 崇敬奉賛会の終身正会員をしています。
6年前の日曜日迄は、毎年 参加させて頂いておりました。
ときに、それ以前から 長年 両親の介護に携わり、平日は 介護サービスが入っており、近年は 参加することが適いませんでした。それで、毎年 玉串料のみ 奉納させて頂いておりました。
ところで、5年前(今からでありますと、6年前)に 母親、そして、昨年(今からでありますと、一昨年) 父親を看取りました。そして、今年から また 参加させて頂きますので、何卒 宜敷くお願い申し上げます。こちらは、主に 両親の食事を作ってくれた 家政婦さんであります。当方は、お酒を飲みませんので、御神酒のときは 失禮させて頂きます。重ねて 何卒 宜敷しく お願い申し上げます。お時間を頂きまして、誠に有り難うございます。』以上であります。有り難うございます。
そして、誠に有り難いことに、靖國神社の永代神楽祭の当日になりました。それで、事前に 下の画像のように 金1万円の玉串料を用意しました。
金1万円の玉串料奉納
おまけに、靖國神社迄は 自転車 と 電車を利用しました。因 みに、父親は、事故を避ける為に 電車の1両目には乗らずに 2両目に乗るという人でありました。なお、当方は 今回、電車の一番前のドアは 混むので、二番前のドアに並びました。
ならびに、本日 すなわち 1月29日(月)の『ある神社のこと』のブログの下段に、
『(前略)本日の午後0時過ぎに、誠に有り難いことに、参拝しました。因 みに、順番と致しましては、まず 【東京大神宮】に参拝してから、【靖國神社】に参拝するべきであると思われましたので、そう致しました。
(中略)
および、J.R.飯田橋駅を下車して 歩いて、上記のように 午後0時過ぎに 【東京大神宮】に参拝しました。因 みに、【(前略)以前、約10数年位前になりますが、クライエント(英語:client )から、お賽銭の額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨、すなわち、50円、100円 そして 500円以上にしているという話を聞いたことがあります。それで、それ以前も この額以上でありましたのは勿論のこと、それ以降も、このことを脳裏に浮かべて お賽銭を入れています。(後略)】と前述致しました。なお、前述致しましたように、お賽銭の額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨を入れています。すなわち、¥775円を入れました。序で乍ら、5円硬貨でありますと 155枚分でありますので、1回に 5円硬貨で参拝したとして 換算しますと、誠に有り難いことに 155回 参拝したことになりますね。(後略)』と記させて頂きました。
また、『東京大神宮』を参拝してから、『靖國神社』迄 歩きました。すなわち、去る 9年前の3月16日(月)の『納豆』のブログの冒頭に、
『(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)』と記させて頂きました。しかも、去る 昨年の7月6日(木)の『夢について・続報76・シンクロニシティ・後編』のブログの中段やや下に、『(前略)上記の内科学教室の研修中に通った 飯田橋の母校の附属第一Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)(後略)』と記させて頂きました。つまり、上記の内科学教室の研修中に通った 母校の附属第一Hp.は、J.R.飯田橋駅が 最寄り駅なのであります。従いまして、下の画像の暁星高等学校も、J.R.飯田橋駅が 最寄り駅であります。因 みに、母校の医学部の同期生で 暁星高等学校が居ますが、二人が 母校の附属第一Hp.で研修をしました。するに、この二人は、母校の暁星高等学校が近くにあり なじみがあるので、J.R.飯田橋駅が 最寄り駅である 母校の附属第一Hp.で研修したのであると思われました。
暁星小学校の正門
暁星高等学校の正門
それから、富士見坂(靖國神社の北側に沿って西に下る坂)を 上っていきました。因 みに、途中で 年配男性と交差しましたので、手を合わせました。なお、フィリピン大使館を通り過ぎました。なお、棘棘しい 境界でありました。
フィリピン大使館
更に、前述致しました 日本武道館の屋根が見えました。
日本武道館の屋根
しかして、途中に 和洋九段女子高等学校がありました。
和洋九段女子高等学校
のみならず、普段 一般非公開の九段ハウスが、下の画像のように 1月27日(土)~2月4日(日)の会期で開催されていました。
普段 一般非公開の九段ハウス
のみならず、途中に 九段中等教育学校(以前は、都立九段高等学校)がありました。
九段中等教育学校(以前は、都立九段高等学校)
加うるに、富士見坂(靖國神社の北側に沿って西に下る坂)を 上っていきますと、左手 すなわち 靖國神社内に 山茶花の花(11月 そして 12月に花を咲かせる数少ない植物)か、椿の花(冬咲きは、今頃。つまり、12~3月)が 咲いていました。因みに、山茶花の花は 花弁が 一枚一枚バラバラに落ちるのに対し、椿の花は1つの花が そのまま 丸ごと 下に落ちます。すなわち、これが、山茶花 と 椿の違いであります。なお、このことから、椿の花は、御見舞いの花としては避けられていますね。序で乍ら、家政婦によりますと、山茶花の花弁が落ちると 絨毯のようになるとの旨でありました。また、山茶花の方は 葉が小さいとのことでありました。
山茶花の花か 椿の花
山茶花の花か 椿の花
おまけに、30年以上前に 入ったことがある 靖國神社の前の 器 すなわち 和食器の専門店が、今でも ありました。
ならびに、去る 8年前の1月31日(日)の『永代神楽祭・2』のブログの中段やや上に、
『(前略)まず、第一鳥居(大鳥居)をくぐります。すると、大村益次郎銅像が見えて来ます。この写真 と 【説明】を 下に掲載致します。画像を クリック(click)(もしくはタップ)して頂きますと、拡大致します。なお、去る10月24日(土)の【歴史小説】のブログ の上段に、司馬 遼太郎を言及致しました。同氏の歴史観によりますと、革命期には 思想家、戦略家・行動家 そして 技術者の系譜が存在するとのことであります。幕末の長州藩において、思想家=吉田 松陰、戦略家・行動家=高杉 晋作 そして 技術者=村田 蔵六(大村 益次郎)ということであります。因みに、吉田 松陰のことは、去る5月18日(月)の【一大事とは】のブログ、去る5月23日(土)の【親の言葉】のブログ そして 去る5月30日(土)の【寝床に植物を置く・2】のブログのそれぞれ上段に記させて頂きました。
大村益次郎銅像
【説明】
大村益次郎 そして 木戸孝允は、東京招魂社(靖國神社の前身)の建立に尽力しました。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日、再度 撮影しました画像であります。
大村益次郎銅像
『説明』
『説明』
および、『(前略)この中門鳥居の手前・左手に、英霊の手記が掲示されています。毎月、変わります。参拝する度に、これを撮影します。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、下の画像は、本日の『英霊の言の葉』の掲示であります。
今月の『英霊の言の葉』
また、まず お賽銭箱のところに行き、お賽銭を入れました。因みに、お賽銭箱の縁のところで お賽銭箱の中に入っていない お賽銭も 一緒に 中に入れました。なお、去る 8年前の1月31日(日)の『永代神楽祭・2』のブログの中段に、
『(前略)前述のように 警備員に挨拶して、警備員の前で 撮影致しました。この掲示の写真を 下に掲載致します。
明治天皇陛下の御製
(後略)』と記させて頂きました。因みに、本殿の手前の拝殿の右手に、上の画像の天皇陛下の御製が掲示されています。それで、このときは 撮影させてもらえたのでありますが、その後 事情が変わったのか 撮影しようとすると 警備員に注意されるようになりました。すなわち、本殿を撮影すると勘違いされるようなのであります。そこで、今回も、昭和天皇陛下の御製が掲示されていましたが、誠に遺憾なことに 撮影することを遠慮致しました。
なお、去る 昨年の12月3日(日)の『靖國神社(平成5年12月)』のブログの中段やや下に、
『(前略)
誠に有り難いことに、届いた 御神札
(後略)』と記させて頂きました。因みに、当家には、三つの神棚があります。それで、上記のように 一体の御神札は ありますので、二体の御神札を入手しました。序で乍ら、社務所で順番を待っていましたら、職員 と 思われる 巫女さん と 見習いの女性の 二人が 居ました。そこで、職員 と 思われる 巫女さんの方から 『お決まりでしたら。』と言われました。それで、①の一番大きい 御神札を 二体 頂きたい との旨を伝えました。なお、奉納金は、 一体の 御神札(大)につき ¥千五百円以上とのことでした。因みに、序でに 黒ネクタイを身につけていましたので、永代神楽祭の為に 来ていることを話しました。そして、伯父の祥月命日であることを伝えました。
靖國神社の 御神札(大) 二体
靖國神社の 御神札(大) 二体の領収証
しかも、参集殿には、執行開始時間の約1時間15分前 すなわち 午後0時45分頃に 到着しました。因みに、参集殿の入口のところに、昇殿参拝の奉納金は ¥五千円以上からになった との旨が書かれてありました。
なお、参集殿に入るときに いつも ビニール(英語:vinyl)袋を持って行って、その中に 靴を入れて 上がります。序で乍ら、受付に 人が居ませんでしたので、上記のように ビニール袋に 靴を入れて 上がろうとしました。すると、そのときに、巫女さんが来て 声を掛けられましたので、上記の玉串料を手渡しました。すると、英霊の家の代表者には、下の画像の印が 巫女さんから 手渡されることになっているようでありました。因みに、その 巫女さんから 胸に貼るように言われましたので、左胸に貼りました。なお、その交換に 名刺を手渡しました。
巫女さんから 手渡された 印
言われたように 左胸に貼った 印
序で乍ら、前述致しました 『おくみ』という男性は、受付に 見当たりませんでした。
そのうえ、いつもの永代神楽祭控室に案内されました。因みに、日本遺族会の人たちが来ていました。なお、下の画像の『永代神楽祭控室』の看板の背後に居る人たちのことであります。
更に、去る 一昨年の12月23日(金)の『家政婦さんの入院・続報42・後編』のブログの下段やや上に、
『(前略)去る 一昨年の2月12日(水)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編】のブログの中段やや上に、
【(前略)原則として 外食しません。例外として 完全穀物菜食(ヴィーガン・ヴェジタリアン)の店に行くことはありました。当然 禁酒・禁煙で、飲み物は、刺激が強いカフェイン(通常 ヴィーガン・ヴェジタリアンは カフェイン飲料を摂取らない、と本に書かれてありました。親友は カフェイン飲料を摂取るのは 午後三時迄と言っています)の含まれた飲料ではなくて 水 か 白湯です。(後略)】と記させて頂きました。なお、その家政婦さんが、今回も 普段は 何を飲んでいるのですかと尋ねました。それで、上記のように カフェイン飲料は摂取らず 水を飲んでいると回答しました。(後略)』と記させて頂きました。なお、女給さんが 来ましたので、挨拶をして 名刺を手渡しました。因みに、『寒い中」とのことでありましたので、昨日よりは 寒さが和んだことを伝えました。序で乍ら、その女給さんが お茶を持ってきましたが、上記のように カフェイン飲料を摂取りませんので、そのままにしました。
それから、前述致しましたように、これ迄でありましたら 上記のように 両親の分も 記帳しているのでありますが、昨年から 当方のみになりました。但し、祖父母、父母 そして 兄弟姉妹など 家族と一緒に 参拝している気持ちであります。なお、その記帳が終わるか終わらない内に 上記の女給さんが 来て、記帳の頁を めくるとのことでありました。すなわち、次の お方が 記帳をする為でありましょう。
記帳
しかして、午後1時45分頃に、親子連れの女性 二人が来ました。それで、その参加者に 事前に用意した このブログ紹介を手渡しました。但し、そのブログ紹介は 七人分 用意致しましたが、結局 参加者は この1家族 二人 と 当方のみでありました。
のみならず、その親子連れの娘の方が、記帳を始めました。すると、その娘によりますと、『書いたことがない。書ける気がしない。』とのことでありました。
加うるに、今回は、神官の説明が 約10分前に始まりました。 因 みに、最後に その若い神官に 名刺を手渡しました。
ならびに、執行開始時間 すなわち 午後2時になりまして、上記のように、式次第が進みました。 因 みに、その若い神官によりますと、献饌は 海の幸 そして 山の幸とのことでありました。なお、大根 そして 蕪、それから、グレープ フルーツのような果実などは 確認致しました。序で乍ら、いつものように 巫女さん 二人による 『みたまなごめの舞』の行事が ありました。 因 みに、帰宅してから調べましたら、その『御霊 慰めの舞』という お神楽は、昭和12年に 香淳皇后より 戦歿者に賜わった御歌を 昭和26年12月に 靖國神社の依頼によって 多忠朝氏が 作曲・振付し 御神楽となったもの とのことであります。
なお、前述致しましたように、靖國神社の拝殿は 西から東の方向に向いていますので、東風が吹くと 背中から 風が当たり 寒いのであります。 因 みに、本日は 東風 2mでありました。
および、調べましたら 靖國神社の資料によると、合祀者の総数は 246万人強となっているとのことであります。 因 みに、単純に計算しますと、この1月29日の1日に亡くなっている 英霊は 約6,740人ということになります。なお、上記のように 戦没者招霊として 約百名の英霊の招霊が行なわれました。序で乍ら、その内 遺族として 参加しているのは、当家を含めて 2家族 3名でありました。
また、今年も、上記の撤饌の品物を掲載致しますが、前回と 全く 同じでありますね。なお、今回も、帰宅して 後日 家政婦に あげました。
受納證
永代神楽祭神饌
神菓 と お守り
撤下神饌
御神酒(成分表を見ますと、水飴が入っていない お酒でありました。従いまして、家政婦に あげるときに ベタベタしていないと思う と伝えて 手渡しました)
なお、上記の御神酒に因 ませて頂きます。すなわち、上記のように 7年前でありましたら、最後 全員に巫女さんから 御神酒が振る舞われます。ところが、前回は その行事がありませんでした。しかし乍ら、今回は、ありました。それで、上記の 若い神官に、『当方は、お酒を飲みませんので、御神酒は 失禮させて頂きます。』と伝えました。すると、『そのようなことは、何でもない。』との旨でありました。但し、 御神酒を飲む人は 神殿に向かって 一禮をして下さい とのことでありましたので、当方は 飲みませんが、一禮のみ致しました。
それから、当方は 式次第の行事の間 コートを着ませんでした。因 みに、正味 30分間でありました。なお、誠に有り難いことに、伯父が 『よく来てくれた。』と言ってくれているようでありました。しかも、誠に有り難いことに、英霊の方々も、答えてくれたような気が致しました。そのうえ、今は亡き 家族たちが、誠に有り難いことに、喜んでくれていることが分かりました。
しかも、前述致しましたように 平日とはいえ 当家を含めて 2家族 3名のみの参加でありました。それで、危機感を抱いているようでありまして、誠に異例なことに 最後に 上司の神官と思われる 年配男性が来て 挨拶をしました。因 みに、いつものことでありますが、永代神楽祭が終了しますと 上記の『永代神楽祭控室』に残ることなく 直ぐに帰宅します。なお、帰るときに もう 1家族である 二人に 会釈しました。
その際に その神官から お供物(お菓子)を持ち帰るように言われましたが、帰宅してから 家政婦に あげる 迄に 数日 掛かると思われ それ迄 日持ちがしないと考えられました。それで、丁重に お気持ちのみ 汲ませて頂きますと伝えました。そして、丁重に 次の お方に あげて下さいと話しました。序で乍ら、顔が分からないので 何とも 言えませんが、もしかしたら その神官が 『おくみ』という男性であったのかもしれません。
但し、その代わりに 上記と同様に 遊就館の無期限で使える入館券(遊就館拝観券)を 1枚 家政婦に 後日 手渡しました。
家政婦に あげた 遊就館の無期限で使える入館券(遊就館拝観券)
そのうえ、前述致しましたように、参集殿に入るときに いつも ビニール袋を持って行って、その中に 靴を入れて 上がります。それで、靴べらを使って 靴を履いていましたら、前述致しました若い神官が来ました。そこで、誠に有り難いことに、その靴べらを受け取ってくれて 見送ってくれました。
(半角で6万文字以内という字数制限に達しましたので、次のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)