永代神楽祭(令和6年)・後編・続報2 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 6月30日(日)の「 永代神楽祭 えいたいかぐらさい (令和6年)・中編・続報2」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 くわうるに、駅までは 往復 自転車でありました。ちな みに、駐輪利用券は ¥100円であります。それで、事前に 100円玉を ズボンのポケットに入れて、用意致しておりました。ところが、ズボンをろして 着替えたときに その100円玉を落としてしまいました。そこで、新たに 100円玉を用意致しました。なお、誠に有り難いことに、あとになって 家のなかに 100円玉が落ちているのを見付けました。そして、駐輪場で 男性老人に、『いつも ありがとうございます。』と言って、100円玉を手渡しました。すると、その男性老人によりますと、誠に有り難いことに、『みません。いってらっしゃい。』とのことでありました。

 それから、帰りのことであります。すなわち、今回は、自転車を受け取るときに、前述致しました ホッチキスで られてある 領収書を持って行かれてしまいました。

 しかして、自宅に到着したのは、午後4時頃でありました。ちな みに、誠に有り難いことに、日没前でありました。なお、前日に にぎって 冷蔵庫で 保存しておいた 『玄米おむすび』を 4個 持ってって、途中 すなわち 永代神楽祭えいたいかぐらさい終了後に 靖國神社の外の飲食用のベンチなどで食べました。

 

 つぎに、約60年前にも、誠に有り難いことに、下の画像のように 家族で 靖國神社に参拝しているのであります。ちな みに、今回も、前述致しましたように、祖父母、父母 そして 兄弟姉妹など 家族と一緒に 参拝している気持ちであります。なお、40年以上前(菜食を始める前のことであります)に 靖國神社の前の寿司屋に入ったことがありますが、その店は ありませんでした。

 

 

祖母、母親 そして 姉と 一緒に(約60年前)

 

 

今でも ある 靖國神社の石のへい(家政婦と確認致しました)(約60年前)

 

 

父親 そして 姉と 一緒に(約60年前)

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る6月27日(木)の「冷蔵庫の購入・続報7・後編」のブログの上段に、

 

 

誠に有り難いことに、別のきり箪笥だんすの左奥に 突っ張り耐震ポールを取り付けた様子(高さ 27~35cm突っ張り耐震ポール)

 

 

誠に有り難いことに、別のきり箪笥だんすの右奥に 突っ張り耐震ポールを取り付けた様子(高さ 27~35cm突っ張り耐震ポール)

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記の祖母のきり箪笥だんすであります。ちな みに、このきり箪笥だんすの引き出しのなかから、誠に有り難いことに、大東亜戦争中の 上記の伯父の出勤簿 と 工賃明細票が見付かりました。なお、伯父はパン屋で修行していたと前述致しました。そして、赤紙により 徴兵されて、昭和18年6月から 昭和19年6月頃 まで 大垣市の日本鐵工所で働いていたことがあるか と思われました。ついながら、下の画像は、伯父の出勤簿 と 工賃明細票の一部であります。ちな みに、実際には、昭和18年6月から 昭和19年6月頃 までの 伯父の出勤簿 と 工賃明細票が 見付かりました。

 

 

伯父の出勤簿(昭和18年12月)

 

 

伯父の出勤簿(昭和18年12月)

 

 

伯父の工賃明細票(昭和19年4月)

 

 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)