ボランティア・その4・田植えと稲刈り | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

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 さて、本日 すなわち 8月30日(水)の「ボランティア・その3・昭和記念公園」のブログを記させて頂きました。

 ときに、去る 一昨年おととしの7月11日(日)の「肉親の来訪・9・中編・7」のブログの下段に、

「(前略)天照大御神あまてらすおおみかみが 邇邇芸命ににぎのみことを地上に使わされたときに、三大神勅さんだいしんちょくという お言葉を述べられましたが、そのひとつに、『斎庭稲穂ゆにわのいなほ神勅しんちょく』というのがあります。

 および、 去る 昨年の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ・後編』のブログの下段に、

『(前略)【日本書紀】には、【豊葦原とよあしはら干五百秋ちいほあき瑞穂みずほの国は、子孫うみのこきみたる可きくになり】と書かれてあり、弥生時代から、日本人は、お米を食べてきました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、古代から 日本人は お米を栽培してきました。すなわち、『もの造り』の国民なのであります。(後略)」と記させて頂きました。

 ところで、去る 9年前の10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山 」のブログ そして 去る 8年前の1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログのそれぞれ上段などに、

「(前略)18年間、月二回 日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々かたがた二人ふたりに委託されて、おこなって参りました。そのボランティアで、過日 子供達と父兄を連れて、スタッフとともに、東京都八王子市にある 高尾山に登りました。(^O^)(後略)」と お伝え申し上げました。 ちな みに、去る 9年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)とも、関係があります。そのボランティアで、平成20年まで  毎年 約10年間 春に 田植たうえ と 秋に 稲刈いねかりに、埼玉県の農家に行きました。なお、上記の「斎庭稲穂ゆにわのいなほ神勅しんちょく」に書かれてありますように、日本人にとりまして、田植たうえ と 稲刈いねかりの学習は とても 意義のあることであります。ついながら、「米」の漢字の由来として 最も有名なのが、お米が実り収穫するまで に 八十八回の手間をけるから、「八 十 八」という漢字を分解して くっつけて「米」という漢字が出来た…というものであります。 ちなみに、下の画像は、去る 平成20年5月11日(日)に撮影しました。すなわち、撮影するように言われました。そして、上記のように 最後の年であります。なお、そのサークルが分裂して、上記の埼玉県の農家に行くことが出来なくなったのであります。

 

 

ずは 神事であります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  つぎ に、去る 8年前の3月16日(月)の「納豆」のブログ の冒頭に、

「(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)」と記させて頂きました。その研修医の頃に 身に付けたことであります。すなわち、医局のことで行動するときには、その内科学教室の主任教授に 意向を伺うということであります。それで、このボランティアのトップである 園長にも、意向を伺っていました。ところが、この園長は、自分の思うとおりに 何も言わずに 行なってくれる スタッフのほうが いいのであります。 ちなみに、その園長は、このような スタッフを重用していました。

 

 さて、去る 一昨年おととしの3月23日(火)の「養子斡旋あっせん(母体保護法[旧・優生保護法])」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る 6年前の1月1日(木)の『謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)』のブログの中段やや上に、

『(前略)平成9年の初夏に、都立の某・養護学校に依頼されて、母校の大学の主任教授の同意があり、修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことがあります。

(中略)

このときの報酬は、某・団体に寄付させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、都立清瀬養護学校修学旅行に 医師付添いとして参加し、宮沢賢治イーハトープ館、資料館などに訪問した際、 魂の清らかな いい高校生がいることを 体験をもって知りました。ちな みに、その養護学校の生徒たちにとりましては、一生に 一度の 大切な思い出の修学旅行であった と思われます。なお、その大切な思い出の修学旅行に 医師として 付添うことが出来て、誠に有り難く存じました。

 

 昨年(平成8年の法改正のこと)、『母体保護法』 と改正された経緯が ここにあります。この流れを さらに かしたいものであります。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記の修学旅行(三泊四日)でも、田植たうえ を行ないました。

 

 

上記の養護学校修学旅行学習帳

 

 

上記の養護学校修学旅行学習帳の18頁

 

 

上記の養護学校修学旅行学習帳の19頁

 

 

 

 ところで、去る 1月9日(月)の「成人の日(令和5年)」のブログ そして 去る 昨年の1月10日(月)の「成人の日(令和4年)」のブログのそれぞれ中段やや上などに、

「(前略)成人の日にちなませて頂きます。すなわち、当方が 成人のときには 浪人していましたので、成人式に出席することは かないませんでした。但し、当方が 成人して 2~3年後 ほかの人々の成人式のときに、ボランティアで 成人の方々かたがたの将来のために 本を配ったことはありました。

 

 

本を配っている 当方

 

 

本を配っている 当方

 

 

本を配っている 当方(右側)

 

 

 

 上記と同様に、本日は 成人の日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。

 

 また、自分の結婚式を催すことは かないませんでしたが、ボランティアで 友人の結婚式の受付などの裏方を担当しました。ちなみに、約30年以上前のことでありますが、ボランティアで 10組近くの 結婚式を ビデオに撮影しました。そして、記録した V.H.S. を 挙式後 ぐに 新郎新婦に進呈しました。なお、当時は 現在のように ビデオ撮影機を 個人で持てる時代ではなく、レンタル店で 自腹で 約¥2万円を支払って 借りてきて 撮影しました。したがって、結婚式の前後に 重いビデオ撮影機を 運ばなければなりませんでした。

 

 

結婚式の受付(左側)(平成元年[1989年]10月10日)  

 

 

 

 ならびに、去る 昨年の12月24日(金)の『クリスマス・イブ(令和3年)』のブログの下段に、

『(前略)なお、去る 8年前の10月5日(日)の【ボランティア・高尾山登山】のブログ そして 去る 7年前の1月21日(水)の【ボランティア・高尾山登山・その2】のブログで、

【(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々かたがた二人ふたりに委託されて、おこなって参りました。そのボランティアで、過日、子供たちと 父兄を連れて・・・(後略)】と お伝え申し上げました 子供たちに、サンタクロースにふんして プレゼントを あげたことがあります。ちなみに、まず 部屋に入って、【よい子の 皆さんに サンタクロースが プレゼントを あげるよ。】と話しました。ついながら、母親が してくれたように、子供たちの夢をこわさずに と配慮しました。

 

 

サンタクロースの準備をしているところ

 

 

部屋に入りましたら、子供たちが 近寄ちかよってきてくれました

 

 

 

 そして、今夜は、クリスマス・イブですね。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、自分の子供を持つことは かないませんでしたが、ボランティアで 18年間 子供たちの世話をしました。

 

 但し、両親の介護のことは 当方が おこなっています。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記の 成人式への出席、自分の結婚式 そして 自分の子供と同様に、高等学校2年生のときに 京都の修学旅行に参加することは かないませんでしたが、前述致しましたように 都立の某・養護学校の修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行しました。 ちなみに、上記のように、このときの報酬は、某・団体に寄付させて頂きました。なお、この某・団体とは、上記の某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)と同じ団体であります。つまり、上記のように ボランティアで、平成20年まで  毎年 約10年間 春に 田植たうえ と 秋に 稲刈いねかり、ほかの人々の成人式のときの本 配り、そして、18年間 子供たちの世話などを行なった 団体であります。

 

 ときに、去る 一々昨年さきおととしの7月19日(日)の「御神札おふだ」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る 5年前の11月20日(金)の『仏花ぶっか(菊の花)』のブログの中段やや下に、

『(前略)去る11月3日(月)の【産土うぶすなの神社・参拝】のブログ そして 去る12月4日(木)の【神社参拝】のブログ で記させて頂きました 産土うぶすなの神社に、去る10月初旬の休日、母親と参りましたら、【伊勢神宮の稲】と書かれた御稲がありました。その御稲の写真を 下に掲載させて頂きます。

 

 

仏花(菊の花)

御稲

 

 

仏花(菊の花)

御稲

 

 

 

 伊勢神宮の御稲御倉みしねのみくらには、同・神宮神田より 収穫した抜穂ぬいほの御稲が納められています。高校生で、進路を決めるときに、抜穂ぬいほ祭に参加して、水田に入ったことがあります。このとき、足元に まむしがいましたので、驚いたことを覚えています。両足の間に いました。水田ですから、入るまで わかりませんでした。指導員は慣れたもので、竹の先を割った道具で まむしはさんで 処理していました。よくあることなのでしょう。このときも、まむしが二匹いました。(後略)』と記させて頂きました。本日も、この御稲がありました。 ちなみに、季節は 夏ですので、青々としていました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記のように 高校生のときに、上記の 去る 9年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の抜穂ぬいほ祭に 参加したことがあります。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)