お彼岸の中日(春分の日)(令和5年) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 6年前の2月12日(日)の「建国記念の日(両親の食事)」のブログの上段に、

「(前略)昨日の建国記念の日は、その手作りの 小さな日章旗ではなく 新しい日章旗を購入致し、国旗掲揚こっきけいようを行いました。ちなみに、アクリル繊維が 国旗に多く使われるようになった由来は、昭和39年(1964年)の東京オリンピックまでさかのぼると伺っております。53年前に採用されたアクリル繊維は、今でも国旗に必要不可欠な素材として役立っている とのことです。なお、今回、このアクリル生地の日章旗(日本製)を注文致しました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 一昨年おととしの3月20日(土)の「お彼岸の中日(春分の日)(令和3年)」のブログの上段に、

「(前略)去る 昨年の3月20日(金)の『お彼岸の中日(春分の日)・続報』のブログの上段に、

『(前略)去る (一昨年おととしの)3月21日(木)の【お彼岸の中日(春分の日)】のブログの上段に、

【(前略)去る 昨年の3月21日(水)の〖彼岸の中日(うなぎ蒲焼かばやき・84[父親の食事])〗のブログの上段に、

〖(前略)去る 昨年の3月20日(月)の〔彼岸の中日(両親の食事)〕のブログの上段に、

〔(前略)去る 昨年の3月20日(日)の〘彼岸(父親の付き添い)〙のブログの上段に、

〘(前略)祭日(春分の日)でありますので、 国旗掲揚こっきけいようを行いました。(後略)〙と記させて頂きました。そして、本日は 春分の日(彼岸の中日)でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。(後略)〕と記させて頂きました。それから、本日は 同様に 春分の日(彼岸の中日)でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。(後略)〗と記させて頂きました。本日は 同様に 春分の日(彼岸の中日)でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。(後略)】と記させて頂きました。本日は 同様に 春分の日(彼岸の中日)でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。(後略)』と記させて頂きました。本日は 同様に 春分の日(彼岸の中日)でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。(後略)」と記させて頂きました。

 

 ときに、去る 5年前の8月16日(木)の「異例な 某・電機メーカーからの電話・続報」のブログの冒頭に

「(前略)一昨々日さきおととい すなわち 8月13日(月)の『初盆(新盆)(父親の食事)』のブログの上段に、

『(前略)去る7月14日(土)の【初盆(家政婦への贈り物・父親の食事)】のブログの冒頭に、

【(前略)去る7月4日(水)の〖盂蘭盆会うらぼんえ・(うなぎ蒲焼かばやき・148[父親の食事])〗のブログの上段に、

〖(前略)去る5月8日(火)の〔収骨(分骨)〕のブログの上段に、某・本願寺の須弥壇に 母親の収骨(分骨)をしたことを記させて頂きました。そして、この某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 盂蘭盆会うらぼんえの案内が来ました。それで、父親と相談して 金1万円の お布施ふせを奉納しました。(後略)〗と記させて頂きました。お盆(正式には、上記のように 盂蘭盆会うらぼんえ)は、7月 または 8月の13日から16日(地域によっては、15日)に行う祖先の霊を供養する行事です。 ちなみに、去る3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログ去る3月9日(金)の〖うなぎ蒲焼かばやき・74(告別式・父親の食事)〗のブログ そして 去る3月14日(水)の〖告別式での挨拶〗のブログなどに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。それで、今年のお盆は、初盆なのです。喪服を着用しました。

 なお、盆棚(精霊棚 もしくは 先祖棚)の準備をしました。この盆棚の上に 下の画像の真菰まこもを敷きました。この上には 初物の野菜 そして 果実などを供え、御先祖の霊を迎えます。ちなみに、馬牛は、御先祖様が 浄土の行き帰りに 馬に乗り 牛に荷物を引かせるに お使いになります。

 それから、あさがら(麻幹おがら もしくは 箸木はしぎとも います)は、迎え火・送り火にきます。また、茄子なす胡瓜きゅうりで作った 馬牛の足に使い、はしとしても利用するとされています。

 

 

真菰まこも

 

 

馬牛

 

 

あさがら

 

 

 

 ついながら、去る4月12日(木)の〖うなぎ蒲焼かばやき・99(父親の食事)〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)去る4月2日(月)の〔さかき(父親の食事)・1〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)去る3月29日(木)の〘うなぎ蒲焼かばやき・90(お供え・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、

〘(前略)上記のように 母親が 亡くなってから 毎日 仏壇に お供え物を置かせて頂いていますが、前述の母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻のりまきを お供え致しております。

 

 

母親の遺言通り お供えした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)〙と記させて頂きました。そして、今回も、新たに 上記のように 母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻のりまきを お供え致しております。

 

 

母親の遺言通り 再度 お供えした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)〕と記させて頂きました。そして、今回も、また 新たに 上記のように 母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻のりまきを お供え致しております。

 

 

母親の遺言通り 再々度 お供えした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。そして、今回も、また 新たに 上記のように 母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻のりまきを お供え致しております。

 

 

母親の遺言通り 再々々度 お供えした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。そして、今回も、またまた 新たに 上記のように 母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻のりまきを お供え致しております。

 

 

母親の遺言通り 五たび お供えした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。このように 本日 すなわち 8月16日まで 初盆です。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 4年前の9月6日(金)の「秋季彼岸会・奉納」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る 6月25日(火)の『盂蘭盆会うらぼんえ・奉納』のブログの中段に、

『(前略)去る3月1日(金)の【春季彼岸会・奉納】のブログの中段やや下に、

【(前略)去る 昨年の11月5日(月)の〖報恩講御志納(父親の食事)〗のブログ の上段に、

〖(前略)去る9月25日(火)の〘お彼岸(海苔巻きの お供え・[父親の食事])〙のブログの上段やや下に、

〘(前略)今回の お彼岸も、またまた さら に 新たに 上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻のりまきを お供え致しております。 ちな みに、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 秋季彼岸会の案内が来ました。それで、父親と相談して また 金1万円の お布施ふせを奉納しました。

 

 

母親の遺言通り 六たび お供えした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)〙と記させて頂きました。そして、また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 報恩講御志納の案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金1万円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。(後略)〗と記させて頂きました。

 および、去る2月24日(日)の〖母親の一周忌〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)今回の 一周忌でも、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻のりまきを お供え致しました。

 

 

母親の遺言通り 七たび お供えした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。そして、また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 春季彼岸会の案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金1万円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。それで、早速、郵便局から 金1万円を奉納しました。

 

 

金1万円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書(本日 すなわち 3月1日の日付が入っています)

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 盂蘭盆会うらぼんえの案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金1万円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。それで、早速、郵便局から 金1万円を奉納しました。

 

 

金1万円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書(令和元年6月26日の日付が入っています)

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 および、去る7月11日(木)の『盂蘭盆会うらぼんえ・前編』のブログの上段に、

『(前略)去る7月4日(水)の【盂蘭盆会うらぼんえ・(うなぎ蒲焼かばやき・148[父親の食事])】のブログの冒頭に、

【(前略)去る5月8日(火)の〖収骨(分骨)〗のブログの上段に、某・本願寺の須弥壇に 母親の収骨(分骨)をしたことを記させて頂きました。そして、この某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 盂蘭盆会うらぼんえの案内が来ました。それで、父親と相談して 金1万円の お布施ふせを奉納しました。 ちなみに、去る 昨年の5月16日(火)の〖母親のこと(母の日にちなんで・両親の食事)〗のブログの中段やや上、去る 昨年の4月27日(木)の〖無畏施むいせ(両親の食事)〗のブログ と 去る 一昨年おととしの4月25日(月)の〖祖母の三十三回忌〗のブログ と 去る 一昨々年さきおととしの9月6日(日)の〖 無畏施むいせ〗のブログ のそれぞれ上段 そして 去る 一昨々年さきおととしの1月29日(木)の〖ボランティア・地域医療・その3〗のブログ に、この〖布施ふせ〗のことを記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、父親と相談して 父親が お布施ふせの金額を決めて、下の画像のように 金1万円の お布施ふせ と 金1万円の お車代を用意しました。(後略)』と記させて頂きました。

 また、去る7月10日(木)の『盂蘭盆会うらぼんえ・中編』のブログの中段に、

『(前略)僧侶に手渡す 御布施は 金3万円とのことでした。そして、御車代が 金1万円で 御膳料が 金1万円とのことでした。すなわち、合計で 金5万円です。(後略)』と記させて頂きました。

 そして、過日、今度は 上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 秋季彼岸会の案内が来ました。 ちなみに、この 某・本願寺だけからでも 上記のように 春季彼岸会、盂蘭盆会うらぼんえ、秋季彼岸会 そして 報恩講御志納など 年間 4回以上の案内が来ます。なお、勿論もちろん ほかの5ヶ所以上の寺院からも 案内が来ます。それで、父親と相談して 父親の希望で 今回は 金3千円の お布施ふせを奉納しました。ついながら、父親によりますと、『貧女の一燈』とのことでした。

 ときに、この『貧女の一燈』にちなませて頂きますと、去る 4年前の11月7日(土)の『ボランティアのこと』のブログ の上段に、

『(前略)去る10月2日(金)の【金木犀きんもくせいの花(心の眼を開いて)】のブログ の上段に、

【(前略) 大学を卒業致しました春に、関西に卒業旅行を致しました。(中略)大阪の難波から南海電鉄で高野山に行きました。そして、一人ひとりで、某・宿坊に二泊致しました。それ以前に、この某・宿坊には親と宿泊したことがありましたが、・・・(後略)】と記させて頂きました。それ以前に 母親と宿泊したのでありますが、約30年前のことであります。母親は 気に入りますと、人を連れて泊まりに行くのですが、某・宿坊も 気に入ったようであり、約25年前 姉妹3人を連れて行きました。ちなみに、将棋に御関心の おありになられる おかたであらせられましたら 御承知のことであらせられますように、一昨日おととい そして 昨日、将棋の棋戦の全7タイトル戦の中で最高峰とされる竜王戦の七番勝負第3局が行われました。その会場が、前述の某・宿坊でありました。この某・宿坊は、庭が広いのです。なお、【貧女の一燈】と申しますが、このとき、当家から 高野山・奥の院の燈籠堂とうろうどうに 30万円の燈籠とうろうを寄進させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。そして、下の画像が、燈籠とうろうを奉納して 自宅に送られて来た その燈籠とうろうの写真です。なお、去る6月20日(木)の『永代経証』のブログの冒頭に、

『(前略)父親も 当方も、それぞれの名義で、親族の永代供養の施主になっております。過日、この永代供養を申し込んでいる 施設の名称が 【東本願寺】に変わるとのことで 永代経証を 新たにすることになりました。それで、これまで 保管していた永代経証を返却するように言われて、新しい永代経証が届きました。ところが、新しい永代経証を査収しましたら、兄弟の名前の漢字が違っていました。すなわち、【浄】の字が 【浮】になっていました。形は似ているかもしれませんが、漢字の意味を考えますと 大違いです。そこで、早速 写真に撮影して 保存していた 上記の これまで 保管していた永代経証を確認しました。すると、この永代経証は、正しい漢字が 用いられていました。したがいまして、最初に 母親が申し込みを行いましたときには 間違ってなかったのだろう と思われました。但し、原本を確認してもらわなければならない と思われました。それで、去る6月16日(日)の朝に 電話しました。すると、男性が出ました。そこで、2名の どちらかの女性の担当者を告げました。そう致しましたら、後程のちほど 折返し 連絡する とのことでした。ところが、30分以上経過しても、連絡がありませんでした。実は、以前も 男性に取次とりつぎを委託しましたら、数日 経過しても 連絡がなく、当方から 再度 連絡したことがありました。このことがありましたので、また こちらから 再度 連絡を入れました。ちなみに、原本を確認してもらうだけですので、時間はからないと思いましたら、胎内仏の中の書類を見るので 翌日になるかもしれない とのことでした。なお、この電話連絡を入れた時間は まだ 朝の 午前9時過ぎです。そして、連絡があり 原本は 間違っていなかった とのことでした。それで、当初から伝えていることですが、当方と致しましては、原本が確認出来ましたので これで充分です と話しました。しかしながら、その担当者によりますと、間違った漢字で 書かれた 永代経証の記載用紙を回収して 新しい記載用紙を発行するので、返送して欲しいとのことでした。ついながら、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)によりますと、信じられない 間違い とのことでした。しかも、今朝 ヘルパー(日本語:家政婦)と話したことですが、まだ 届かないね とのことでした。そして、本日の午後、【こちらの間違いにより 手数をけて】とのことで、ようやく 届きました。

 そこで、丁重に 明け方あけがた近くまで かって 書いた 感謝の手紙を添えて、その通りにしました。ついながら、ヘルパー(日本語:家政婦)との話で、この担当者には、本当に 間違った漢字で 書かれた 永代経証であるのかを確認する目的もあるのだろう との内容になりました。ちなみに、東本願寺に お布施ふせをさせて頂きましたことは、去る1月19日(土)の【お布施ふせうなぎ蒲焼かばやき・228[てんぷら・父親の食事])・センター試験】のブログなどに記させて頂きました。

 

 

返送した 永代経証

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。そして、上記のように 燈籠とうろうを寄進したときにも、母親の名前の漢字である『智』の字が 『千』になっていました。ちなみに、家政婦によりますと、上記のように 信じられない 間違い とのことでした。

 

 

自宅に送られて来た その燈籠とうろうの写真

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 そして、去る 一昨年おととしの7月9日(金)の「盂蘭盆会うらぼんえ・奉納3・続報(令和3年)」のブログの下段に、

「(前略)去る7月2日(金)の『盂蘭盆会うらぼんえ・奉納3(令和3年)』のブログの下段に、

『(前略)去る3月5日(金)の【春季彼岸会・奉納3(令和3年)】のブログの下段に、

【(前略)去る 昨年の9月1日(火)の〖秋季彼岸会・奉納2〗のブログの下段に、

〖(前略)去る 昨年の9月21日(土)の〔お彼岸〕のブログの下段に、

〔(前略)父親と相談して お布施ふせを奉納しました。そして、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻のりまきを お供え致しました。なお、今朝 家政婦に、昨日は お彼岸の入りだったと伝えました。

 

 

母親の遺言通り 九たび お供えした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)〕と記させて頂きました。

 それから、去る 昨年の11月5日(火)の〔報恩講御志納・奉納〕のブログの下段に、

〔(前略)上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 報恩講御志納の案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金3千円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。そこで、そうすることに致しました。(後略)〕と記させて頂きました。

 しかも、去る2月24日(月)の〔三回忌さんかいき・後編〕のブログの上段に、

〔(前略)今回の三回忌さんかいきでも、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のごとく 母親の好物の海苔巻のりまきを 初め 母親の好物をそろえ、おそなえ致しました。さらに、上記のように エーデルワイスの曲を流す準備をしました。

 

 

母親の遺言通り 十たび おそなえした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(中略)

 父親と相談して 父親が お布施ふせの金額を決めて、下の画像のごとく 僧侶に手渡す 御布施は 金3万円とのことでした。そして、御車代が 金1万円で 御膳料が 金1万円とのことでした。すなわち、合計で 金5万円を用意しました。(後略)〕と記させて頂きました。

 そのうえ、去る7月1日(水)の〔盂蘭盆会うらぼんえ・奉納2〕のブログの下段に、

〔(前略)去る3月4日(水)の〘春季彼岸会・奉納2〙のブログ

 

 

の下段に、

〘(前略)また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 春季彼岸会の案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金5千円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。そこで、そうすることに致しました。

 

 

金5千円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書(本日 すなわち 3月5日の日付が入っています)

 

 

 

(後略)〙と記させて頂きました。また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 盂蘭盆会うらぼんえの案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金3千円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。それで、早速、郵便局から 金3千円を奉納しました。

 

 

金3千円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書(本日 すなわち 7月2日の日付が入っています)

 

 

 

(後略)〕と記させて頂きました。また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 秋季彼岸会の案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金3千円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。そこで、早速、郵便局から 金3千円を奉納しました。

 

 

金3千円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書(翌日 すなわち 9月2日の日付が入っています)

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。そして、今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 春季彼岸会の案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金3千円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。そこで、早速、郵便局から 金3千円を奉納しました。

 

 

金3千円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書(本日 すなわち 3月5日の日付が入っています)

 

 

 

 なお、本日 すなわち 3月5日(金)の〖啓蟄けいちつ(母親の祥月命日しょうつきめいにち)〗のブログに、本日が 母親の祥月命日しょうつきめいにちであることを記させて頂きました。そして、本日も、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻のりまきを おそなえ致しました。なお、おそなえ後に この海苔巻のりまきは、家政婦に あげました。

 

 

母親の遺言通り 十一たび おそなえした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 盂蘭盆会うらぼんえの案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金3千円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。それで、早速、郵便局から 金3千円を奉納しました。

 

 

金3千円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書・利用明細票(本日 すなわち 7月2日の日付が入っています)

 

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。そして、本日も、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻のりまきを おそなえ致しました。なお、おそなえ後に この海苔巻のりまきは、家政婦に あげました。すると、この家政婦によりますと、誠に有り難いことに、夫婦で ふた つずつ 食べたとのことでした。ちなみに、父親によりますと 美味おい しそうとのことでしたが、今日は 食べられないとのことでした。なお、この 太巻ふとまき海苔巻のりまき)の 消費期限は、当日のみ すなわち 本日中なのであります。ついながら、¥322円(税込み)でした。 ちなみに、下の画像のような 太巻ふとまき海苔巻のりまき)は 母親の得意料理でした。なお、その家政婦には話しましたが、母親が作る太巻ふとまき海苔巻のりまき)は、調理した人参にんじん、同じく調理した椎茸しいたけ、同じく調理した干瓢かんぴょう 塩でんだ胡瓜きゅうり そして り卵などが入った それでした。

 

 

母親の遺言通り 十二たび おそなえした 好物の太巻ふとまき海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 および、去る 昨年の3月21日(月)の「お彼岸の中日(春分の日)(令和4年)」のブログの下段に、

「(前略)去る 3月3日(木)の『春季彼岸会・奉納3(令和4年)』のブログの下段に、

『(前略)去る 昨年の9月1日(水)の【秋季彼岸会・奉納3(令和3年)】のブログの下段に、

【(前略)また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 秋季彼岸会の案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金3千円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。そこで、早速、郵便局から 金3千円を奉納しました。

 

 

金3千円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書(本日 すなわち 9月1日の日付が入っています)

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。また 今度は、上記の 某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 春季彼岸会の案内が来ました。それで、父親と相談して また 父親によりますと 金3千円の お布施ふせを奉納するように とのことでありました。そこで、早速、郵便局から 金3千円を奉納しました。

 

 

金3千円の奉納を証明する 振替ふりかえ払込受領書(本日 すなわち 3月3日の日付が入っています)

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 そして、去る3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、父親が 亡くなりました。なお、本日も、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻のりまきを おそなえ致しました。ちなみに、おそなえ後に この海苔巻のりまきは、家政婦に あげました。ついながら、この家政婦によりますと、国分寺の寿司屋で 購入したとのことでした。

 

 

母親の遺言通り 十三たび おそなえした 好物の太巻ふとまき海苔巻のりまき

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 ところで、去る 昨年の3月20日(日)の「父親の告別式[家族葬]での 挨拶」のブログ去る 昨年の3月20日(日)の「告別式[家族葬]での挨拶」のブログ去る 昨年の4月24日(日)の「父親の納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)(シンクロニシティ)」のブログ去る 昨年の5月15日(日)の「収骨(分骨)(父親)続報2・前編」のブログ去る 昨年の5月15日(日)の「収骨(分骨)(父親)続報2・後編」のブログ去る 昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆)・前編」のブログ去る 昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・中編・1」のブログ去る 昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・中編・2」のブログ そして 去る 昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・後編」のブログ そして 去る 昨年の7月11日(月)の「父親の 初盆(新盆)での 挨拶」のブログなどを記させて頂きました。

 そして、去る 3月5日(日)の「父親の一周忌・前編」のブログ去る 3月5日(日)の「父親の一周忌・中編・4」のブログ そして 去る3月5日(日)の「父親の 一周忌での 挨拶」のブログなどに記させて頂きましたように、去る3月5日(日)は 父親の一周忌でありました。 ちなみに、両親が 亡くなってから、誠に有り難いことに、両親と一緒にるような気が致します。

 それから、本日は 同様に 春分の日(彼岸の中日)でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。

 

 なお、本日も、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻のりまきを おそなえ致しました。

 

 

母親の遺言通り 十四たび おそなえした 好物の海苔巻のりまき

 

 

 

 しかも、 本日 すなわち 3月21日(火)の「お墓参り・14(前編)」のブログ そして 本日 すなわち 3月21日(火)の「お墓参り・14(後編)」のブログに記させて頂きましたように、お墓参りに行きました。

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)