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さて、去る3月19日(木)の「ケア・マネージャー(父親)の来訪・33・中編・1」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 一昨々年の9月8日(金)の『白鷺(両親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)本当の意味で 日本が 米国から独立出来る為には、まだまだ 時間が掛かりそうですね。なお、大東亜戦争で 欧米から 植民地として搾取されていた 亜細亜 や アフリカの国々が 次々に独立しました。このことを 【日本の お蔭で 亜細亜の諸国は 全て独立した。】と タイ元・首相は 感謝の言葉を述べています。日本には このような因果がありますので、将来 必ず 今度は 日本の方が、米国から 完全に 独立出来るように 希望を抱いております。機会がありまして、宜敷ければ、この続きを記させて頂きます。(後略)』と記させて頂きました。
しかも、去る 昨年の12月8日(日)の『大東亜戦争が始まった日』のブログの中段やや上に、
『(前略)この大東亜戦争が始まった日を 日本では ネガティブに捉えているようですが、東亜三国(中国、北朝鮮 そして 韓国)を除いて 東南アジアの国々は この日を お祭りのように 大事に考えてくれています。なお、タイの元・首相である ククリット・プラモードが、【日本というお母さん】ということで 以下の言葉を残していますので、引用します。
すなわち、
【日本の お蔭で アジアの諸国は すべて独立した。日本というお母さんは 難産して 母体を損なったが 生まれた子供は すくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が アメリカ や イギリスと 対等に 話が出来るのは 一体誰の お蔭であるのか。それは〖身を殺して 仁をなした〗日本というお母さんがあった為である。12月8日は 我々に、この重大な思想を示してくれた お母さんが 一身を賭して 重大決意された日である。更に8月15日は 我々の大切なお母さんが 病の床に伏した日である。我々は この2つの日を忘れてはならない。】
序で乍ら、去る 一昨年の1月31日(火)の【永代神楽祭・3】のブログの上段に、
【(前略)去る 昨年の1月31日(日)の〖永代神楽祭・2〗のブログの上段に、
〖(前略)去る 昨年の1月30日(金)の〘永代神楽祭〙のブログ そして去る 一昨年の12月4日(木)の〘神社参拝〙のブログ で記しましたように、1月29日で 靖国神社に 祀られている伯父の 祥月命日(御承知のように、一周忌以後の当月の命日のことです)であり、 永代神楽祭に参りました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。靖国神社に 祀られている英霊の方々は、日本の為に よく戦ってくれたと 感謝致しております。因みに、靖国神社に 祀られている英霊の方々への感謝の涙なくしては 上記の文章を読むことが適いません。また、上記の話を 家政婦たちに致しますが、伝えていますと 自然に 涙が 零れます。なお、去る 4年前の9月27日(日)の【綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語】のブログ の上段に、
【(前略)現・日本国憲法は、米国による この〖日本弱体化政策〗の産物とされています。(後略)】と記させて頂きました。そして、一昨日、強い日本にしなければ と叫ぶ夢を見ました。(後略)』と記させて頂きました。
そして、そのケア・マネージャー(男性)の方に、日本には 上記のような陰徳が ありますので、将来 必ず 今度は 日本の方が、米国から 完全に 独立出来るように 希望を抱いております と話しました。更に、この陰徳が 陽転して 陽徳になる日が近づいている と信じている旨を伝えました。すると、誠に有り難いことに、このケア・マネージャー(男性)の方も、『そう思う。』と言ってくれました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 5年前の11月16日(月)の「七五三に思うこと」のブログ の上段に、
「(前略)去る9月27日(日)の『綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語』のブログ の上段に、
『(前略)話を戻しますが、これ 迄 已むを 得ず使わなければならなかった場合を除きまして、 極力 自国語である日本語を用いるように努めて参りました。外来語を使用するときには、日本語と区別するために、 何語であるのか、その言葉の 綴りを添えまして注釈を入れました。日本には 如何に外来語が多いか、ということを知って頂く意味も 御座います。御承知のように、先の大戦後、日本の底力を恐れた連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q.)による【日本弱体化政策】が行われました。自国語である日本語ではなく、英語を用いさせようとすることは、米国にとりまして誠に都合のいいことであります。現・日本国憲法は、米国による この【日本弱体化政策】の産物とされています。(後略)』と記させて頂きました。前述致しましたように、戦後 日本人の精神性がやられましたことは、 惜しみても 尚余りあることと思われます。その原因は、前述の『日本弱体化政策』、すなわち、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)であります。この『日本弱体化政策』は、巧妙に行われました。
一例を挙げますと、報道におきましては、同じ 日本のマス・コミ(英語:mass media)を利用して行われました。同胞である日本人による報道を行わせることによって、日本人に信じさせるように仕向けました。終戦を境に 報道内容が全く変わりました。報道内容は、G.H.Q.が書いた文章とされています。しかも、新聞などの報道機関を統制する 為に G.H.Q.から発せられた規則であるプレス・コード(英語:Press Code for Japan)がありました。これにより検閲が実行されました。日本人は、G.H.Q.にとりまして 不都合なことを書くことが出来ませんでした。日本人は、書くことに 制約を受けました。言論の自由どころではありませんでした。戦後70年 経った今でも、その後遺症が 残っているようであります。
また、教育におきましては、まず 教科書を書き換えたことであります。さらに、日教組を作ったのは、連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q. ・以下、G.H.Q.と示させて頂きます)とされています。このG.H.Q. と 日教組の 両者の方針は一致しています。因みに、当方も、小学2年生、5年生 そして 6年生のときの担任は、日教組の教師でした。授業で、大東亜戦争で得をしたのは、天皇陛下 と 大企業と話していました。さらに、刷り込み(英語:imprinting)を完成させる為に、このことを 生徒に質問して 答えさせていました。幸いなことに、このことを教えられましたときには、自宅で祖母に話し、天皇陛下は そのような人では無いと言われました。誠に有り難いことで御座います。後から 調べたことですが、この日教組の教師の語ったことは、とんでもない話で御座います。戦後、日本人が餓えないようにと、昭和天皇陛下は、皇室財産目録を持って G.H.Q. のマッカーサー(米語:Douglas MacArthur)に会いに行かれました。また、去る昨年の10月8日(水)の『親の受診に付き添っていること・1』のブログ また 去る11月9日(日)の『親の受診に付き添っていること ・2』のブログ のそれぞれ共に中段やや上、そして、去る2月23日(月)の『天皇陛下行幸の君恩に浴して』のブログ の中段やや下に記させて頂きました某・ボランティアのサークルの先輩に話しましたら、大企業も、大東亜戦争で 被害を受けているとのことでありました。御承知のように、G.H.Q. の占領政策の1つですが、大東亜戦争以前の日本の経済体制の壊滅が目的とされる経済民主化政策が行われました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 4年前の3月11日(金)の「東日本〇〇〇・黙祷」のブログの中段やや上に、
「(前略)大東亜戦争後、この米国による報道 そして 教育の影響を 日本人が受けたからであろうと思われます。唯物的な影響もあります。御承知のように、日本には 勿体ないという 特有の言葉があり、元来 日本人は、精神的 そして 霊的に優れた民族であり ものも大切に扱ったと存じます。去る10月28日(水)の『姪のこと』のブログ の上段に、
『(前略)現在の日本では、米国による この【日本弱体化政策】がうまくいっているということになりますね。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、家政婦によりますと、マレーシアに 1週間 旅行したことがあるとのことでした。それで、上記の話をしました。すると、この家政婦によりますと、日本では分からなかったことを マレーシアで知ることが出来たとのことでした。そこで、日本では、上記のように G.H.Q. の占領政策を引き継いだ 共産党 や 日教組などの影響を受けていて 分からなくされていると回答しました。すると、誠に有り難いことに、この家政婦によりますと、勉強になるとのことでした。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)