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さて、去る 昨年の12月8日(土)の「大東亜戦争が始まった日(鰻の蒲焼・200[天ぷら・父親の食事])」のブログの冒頭に、
「(前略)去る 昨年の12月8日(金)の『両親の食事、洗濯 そして 入浴・38(大東亜戦争が始まった日)』のブログの冒頭に、
『(前略)去る 昨年の12月8日(木)の【両親の食事(大東亜戦争が始まった日)】のブログの冒頭に、
【(前略)去る 昨年の12月8日(火)の〖インフルエンザ・ワクチン〗のブログの冒頭に、
〖(前略)本日は、74年前 大東亜戦争が始まった日ですね。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、今年で 75年になりますね。(後略)】と記させて頂きました。つまり、今年で 76年になりますね。(後略)』と記させて頂きました。今年で 77年になりますね。(後略)」と記させて頂きました。そして、今年で 78年になりますね。 因 みに、この大東亜戦争が始まった日を 日本では ネガティブに捉えているようですが、東亜三国(中国、北朝鮮 そして 韓国)を除いて 東南アジアの国々は この日を お祭りのように 大事に考えてくれています。なお、タイの元・首相である ククリット・プラモードが、「日本というお母さん」ということで 以下の言葉を残していますので、引用します。
すなわち、
「日本の お蔭で アジアの諸国は すべて独立した。日本というお母さんは 難産して 母体を損なったが 生まれた子供は すくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が アメリカ や イギリスと 対等に 話が出来るのは 一体誰の お蔭であるのか。それは『身を殺して 仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は 我々に、この重大な思想を示してくれた お母さんが 一身を賭して 重大決意された日である。更に8月15日は 我々の大切なお母さんが 病の床に伏した日である。我々は この2つの日を忘れてはならない。」
序で乍ら、去る 一昨年の1月31日(火)の「永代神楽祭・3」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の1月31日(日)の『永代神楽祭・2』のブログの上段に、
『(前略)去る 昨年の1月30日(金)の【永代神楽祭】のブログ そして去る 一昨年の12月4日(木)の【神社参拝】のブログ で記しましたように、1月29日で 靖国神社に 祀られている伯父の 祥月命日(御承知のように、一周忌以後の当月の命日のことです)であり、 永代神楽祭に参りました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。靖国神社に 祀られている英霊の方々 は、日本の為に よく戦ってくれたと 感謝致しております。 因 みに、靖国神社に 祀られている英霊の方々 への感謝の涙なくしては 上記の文章を読むことが適いません。また、上記の話を 家政婦たちに致しますが、伝えていますと 自然に 涙が 零れます。なお、去る 4年前の9月27日(日)の「綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語」のブログ の上段に、
「(前略)現・日本国憲法は、米国による この『日本弱体化政策』の産物とされています。(後略)」と記させて頂きました。そして、一昨日、強い日本にしなければ と叫ぶ夢を見ました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)